第29話 魔法女学院の教職員
見慣れぬ夜の街並みは、新鮮だった。
寝静まる白レンガの街は、薄い暗闇を帯びる。そのなかを、ほわんほわんと瞬く外灯の魔法石は、ホタルの光のように儚げで、心の琴線にふれた。
この女学院の街は、その人口のおよそ八割を女生徒が占めている。
そのため、夜中になると外を出歩く人も少ない。移動花屋があった小径も、子供がはしゃいでいた噴水広場も閑散とし、ただ暗闇だけが横たわっていた。
少し手狭なメインストリートも同様だ。
夜の静寂を独り占めした優越感と、小さな不安が交じらせながら、黒髪の乙女は歩き続けた。
(さて、普通に侵入して良いものなのか)
命は、女学院の正門前で足を止めた。
科学的なセキュリティこそないが、魔法を用いた罠が張られている恐れもある。うかつに足を踏み入れるのは気が引けた。
行くべきか否か悩んでいるさなか。
唐突に声をかけられ、命の背筋はピンと伸びた。
「こんな時間に何をしている」
「あひぃ――ッ!」
「変な声を上げるな。私が驚かしたみたいだろ」
命が振り返ると、そこには見覚えのある副教員――エリツキー=シフォンがいた。
短く切り揃えた銀髪の下には、少し威圧的な表情が隠れている。買い物帰りのためか、左手には木編みの袋を下げていた。
「こんな時間に何をしている」
「えっと……、先生は」
「私のことはどうでも良いだろ」
エリツキーは、さっと手荷物を背中に隠す。
袋からは二、三本の酒ビンが顔を出していた。それを命は見逃さなかった。
冷静になってよく見れば、服装もかなりだらしがない。昼間のパリっとしたスーツ姿と比べて、寝間着に近い格好をしていた。
命が怪訝な視線を向けると、エリツキーはわざとらしく咳払いをし、高圧的な態度で問いかけた。
「ともかくだ。私のことは良い。何の用だ」
「その、マグナ先生に相談したいことがありまして」
マグナの名前を出すと、エリツキーは露骨に嫌そうな顔をした。
「もう帰ってきていると思うが、その相談とは私ではダメなのか」
「その……申し訳ないのですが」
その言葉の印象があまり良くないことに、命は口を開いてから気付いた。
目の前に副教員がいるにもかかわらず、担当教員に相談したいというのも失礼な話である。現にエリツキーの顔は不服そうだった。
「すいません。これには」
「いや、良い。分かった」
短く告げると、エリツキーは命の前に出た。正門前でカードを掲げ、正門のセキュリティを解除する。
やっぱり何も考えずに進まなく良かった――なんて命が考えている間にも、副教員は先を歩いていた。
「ついて来い」
その言葉を受けて、命は慌ててエリツキーの背中を追った。
エリツキーは無言で、白亜の城へと一直線に敷地を歩く。無駄がないのが、逆に人間味に欠ける挙動だ。
途中までは無言で背中を眺めていた命も、さすがに気まずい雰囲気に耐えかねて、口を開いた。
「夜分遅くに申し訳ありません」
「気にするな。深夜に生徒の進入を禁じる明確な規則はない。それが迷惑なことかは、私が決めることだ」
エリツキーは淡々と話しながらも、足を緩めなかった。
「次に困ったことがあったら、エリツキー先生を頼らせていただきますね」
「子供がつまらない世辞を言うな。適任を選べ。どの教員を頼るかはお前の自由だ」
そこで一度会話を切ると、エリツキーは星空を見上げてつぶやいた。
「八坂から見て、マグナはどう見える」
「どうって……」
言葉を受けてから命は考える。
命のなかの担当教員マグナ=リュカといえば。
(あれ? 嫌いじゃないのですが、印象と言われるとあまり良いイメージが浮かばないものですねえ)
マグナは、反骨精神にあふれた教員だった。
教師としての腕は良くても講義は実にテキトーで、よく欠伸なんかしている。オマケに規則は平然と破るし、生徒に喧嘩もけしかけることだってある。教師というジャンルに含んで良いのかすら、危ぶまれる存在だった。
「……あんまり教師らしくないですね」
「だろうな。あいつは教員としての恥だ」
キッパリ切り捨てる同僚の言葉に、命はいささか驚いた。
(まあ、同じ職場の大人の評価ですものねえ)
ましてやエリツキーは、そのマグナの下に位置する副教員である。思うところがあるのは仕方がないとも言えた。事実、エリツキーは小声でマグナの愚痴を続けていた。
あいつが、なぜ私の上なのか理解できない。
中途のあいつより、私の方がキャリアは長い。
理事長はあいつに甘すぎるなど。
要は、ひいき目なしで教員を正当評価しろという内容だった。
「すまんな。生徒に聞かせる話ではなかった」
「いえ、心中お察しします」
「まあな。正直大変だよ。お前みたいな問題児もいるしな」
命が弁解を図るより早く、エリツキーが続けた。
「だが、そういう問題児にマグナは不思議と好かれる。たぶん波長が合うのだろうな。悔しいが、ああいう教員も必要なのだろう」
満天の星空から視線を下ろし、エリツキーは命に微笑んだ。
「お前の選択は正しい。あいつに仕事をさせると良い」
初めて見た彼女の微笑は、どこか寂しそうに映った。
エリツキーはそれきり何も言わずに前を歩き、命はその後に続いた。
白亜の城に入城すると、バロック様式風な大階段を登り、二人は5階教員エリアまでたどり着いた。
ここは、学院が誇る教員ひとりひとりに割り当てられた教員部屋が並ぶフロアである。
等間隔で部屋が配置されていることと、品のある白亜の城の造りと合わさり、どこか一流ホテルを思い起こさせるような通りだ。
それだけに、そこを歩く酔っぱらいは浮いていた。
ホテル派遣のコンパニオンみたいな人物は、ぽうっと頬を薄紅に染め、上機嫌だった。
ウェーブのかかる青い長髪を柔らかく揺らし、千鳥足でこちらに近づいてくる。
「よっ、待っていたよエリちゃん。早くお酒ちょうだい! お酒、お酒! はーやーくう。このいけずぅ」
(うっ、物凄く酒臭い)
へべれけの人物は、エリツキーにもたれたまま、命に目を向けた。どこかで会った覚えはあるのだが思い出せないようだ。行儀よく微笑する命にしてみれば、むしろ忘れられない顔だというのに。
根木とフィロソフィア、エメロットが所属する1-Bの担当教員にして、入学初日に正門前で暴れていた人物――リルレッド=リルハである。
三十路間近の独り身、孤独死待ったなしと、命とは違う意味で辛い境遇に身をおく人物だった。
顔色一つ変えずエリちゃんこと、エリツキーはリルレッドの頭を優しくなでた。堂に入った酔っぱらいのあしらい方だ。
「リル姉さん。直ぐ戻りますので、早く部屋に戻りましょう」
「そうだよ、リルレッドつまんなーい。ガンちゃんは、今小説が良いところ、うひひとか言って引き篭もるし」
「八坂、右三つ先の扉がマグナの部屋だ」
エリツキーの視線を受けて、命は頷いた。ここは任せて先に行けと、彼女は目で訴えている。
「何から何まで、ありがとうございます。エリツキー先生」
命が副教員の屍を越えて進むと、後方から酔っぱらいの声が聞こえた。
「えー、何あの子。可愛い子だねえ。お姉さんと一緒にお酒飲まない?」
「……リル姉さん。さすがに女生徒にお酒は」
「あーあー。どうせ男はああいう清楚な子が、好きなんでしょ。もう死んでやる。今年中に結婚できなきゃ死んでやるー!」
「リル姉さん。去年も同じこと言ってましたよ」
(……すいません、エリツキー先生。貴方の大変さを甘く見ていました)
申し訳なさに後ろ髪を引かれながらも、命はマグナの教員部屋に着く。丁寧に三回ノックすると、不機嫌そうなマグナが顔を出した。
「んだよ、行き遅れの姉御。今日はもう飲まねえって……なんだ八坂か」
「こんばんは。大変そうですね」
「気にするな、毎日あんな感じだ。目を付けられると面倒だから、早く入れ」
マグナが命を招き入れるのと同時。
部屋の外でリルレッドが、騒ぎ出す声が廊下中に響いた。もう気にすると切りがないので、二人は聞こえない振りをした。
「何の用かは知らねえが、まあ適当に座れよ」
「夜分遅くにすいません」
マグナの部屋は、彼女の破天荒な性格を思えば真っ当な部屋だった。
1DKの一人暮らしにありがちな、玄関から先の通路に台所があり、奥に六畳間ほどの部屋が広がっている、どこにでもある普通の部屋。
そのなかは多少散らかってはいるが、それも書物や書類の山である。初めに命が見た、ガンロックの趣味部屋と比べると相当マシであった。
ベッドに腰を下ろすのは気が引けたので、命は物が散らかっていない場所を探して、絨毯に正座した。
「遠慮するな。ベッドに座っとけ。私の部屋はあまりに綺麗じゃねえからな」
「いえ、こういう言い方は悪いですが、私が想像していたより綺麗ですよ」
「勝手に部屋を掃除する奴がいるからな」
マグナは台所の魔法瓶からお湯を出して、インスタントコーヒーを二つ準備した。彼女はいつもの赤ジャージ姿だが、湯気が立つ濡れた髪は艷やかだった。
「お風呂上がりですか」
「風呂なんて大層なモノじゃねえよ。地下のトレーニング場で一汗かいてから、シャワー室で流しただけだ」
「毎日鍛錬しているのですね」
「出来るかぎりはな。さすがに毎日はしてねえけど」
マグカップを渡すと、マグナは続けて二つの小容器を投げた。命が手にとったそれは、小分けのコーヒーミルクと砂糖だ。
「あっ、ありがとうございます」
「それで、今日の相談とやらは、無駄話を前置きしないといけないぐらい話しにくい内容なのか」
「……鋭いですね。まあそれなりに」
ベッドに腰を下ろし、マグナはコーヒーを啜った。
「大方、演舞場での出来事だろ」
「耳が早いですね」
「一先ず騒動については、情報封鎖しておいたけどな」
「そして、手も早いとはさすがですねえ」
今日は全日学力テストだったため、講義のないマグナはオフだった。
私用を済ませて女学院に帰ったとき、耳に入ってきた話題はまさに寝耳に水といえた。黒髪の乙女が演舞場で、二人の魔法少女を意識不明に追い込んだというのだ。
「私の正体が割れた件については」
「へえ、それについては初耳だな」
そう言いながらも、マグナは落ち着き払っていた。
「それで正体がバレた相手は誰だ。リッカか、ルバートか、それとも他の誰かか?」
「リッカ一人です」
「なら良し。あいつ一人なら別に問題ねえだろ」
膝を叩くと、マグナは尖った犬歯をみせた。
表向きほど落ち着いていない命にとって、その笑顔はなんとも頼もしいが、果たしてどこまで信用できたものか。黒髪の乙女は判断に悩む。
「えっと……火あぶり待ったなしの非常に危ない状況だと、私は認識しているのですが、本当に大丈夫なのでしょうか」
「ああ、本当に火あぶりの話を信じてたのかよ」
「嘘なのですか――ッ!」
「本当は、打ち首獄門だよ」
「……上げて、落としますねえ」
単なる処刑方法の差異だった。
結局、女装バレは社会的抹殺に留まらず、即ゲームオーバーに繋がる。依然そのルールは変わらなかった。
セントフィリアの処刑には伝統的に火あぶりが用いられていたが、早さを尊ぶ場合がほとんどであり、現在の処刑の主流は打ち首である。
火あぶりは過去の処刑方法であり、現在は男性の魔法使いを見つけた目撃者には、その場で首を落とす権利が与えられると、マグナは懇切丁寧に教えてくれた。
マグナの説明は簡潔だ。
お前に命の首を刎ねる権利をやろう。
リッカは首を刎ねる権利を手に入れた!
いつ権利を行使しますか?
▶いますぐはねる ▷じらしてはねる
と、現状はここで止まっている状況だ。
処刑の権利を国に売るという、第三の選択肢もある。
「お前の親父も、火あぶりなんて話じゃなかっただろ」
「言われてみれば処刑としか聞いていませんね。では何で火あぶりの恐怖を」
「その方が面白……死に対しての恐怖感を教えられるからだ」
命は非難の視線を向けたが、マグナは笑って流した。昨日ならまだしも、さすがに死の淵にいる今、黒髪の乙女は笑えなかった。
「冗談だよ。気を悪くするな。あっ、打ち首獄門は本当だからな」
「本当ですかねえ。実は、もっとえげつない処刑方法だったりしませんか? たとえば、牛の股裂き刑や鳥葬とか」
「……大分きてるな、お前。元司法系魔法少女として嘘は言わねえよ。その法律、昔少しだけ弄ったこともあるんだぞ」
「前職は、司法関連のお仕事だったのですか」
「つっても、たった二年間の話だ。大した仕事はしてねえよ」
それだけで、マグナはこの話題を終わせた。元魔法少女が法の番人だったころの話は、本人も笑って話せるほど、愉快な話ではなかった。
「ともかくだ。お前は十中八九死なない」
「何で言い切れるのですか」
「相手が良かった。どの道あたしは、お前らを鉢合わせるつもりだった」
「私と……リッカをですか」
聞き覚えのない話だったが、マグナの言動を顧みれば、あり得ない話ではなかった。命は確かにその台詞を覚えている。
――もしカフェに行くなら、4階のカフエ・ボワソンがオススメだ。
「正直、あたしやばっちゃんの協力だけってのは厳しいだろ。立場上こっちも24時間協力できるわけもないしな」
「元から生徒の協力者を募るつもりだったのですね」
だんだんと、命にもマグナの考えが飲み込めてきた。ただそうなると、今度は納得がいかない点も出てくる。
「それなら、そうと言って下さいよ。初めから聞いていれば――」
「その心積りでリッカに接触するだろ」
「……そうですね」
「それじゃダメなんだよ。お前が計算高く近づいて、それで気付かないと奴だと思うか」
「リッカなら……気付くかもしれませんね」
リッカは、優秀な魔法少女である。
一緒にいた時間こそ短いが、そこは疑う余地がなかった。
ルバートの罠も看過した上で、苦もなく命を救い出す手腕。彼女が協力者になってくれるのであれば、これほど頼もしいことはなかった。
「どうせ共犯者として迎え入れるのなら、優秀であればあるほど良いだろ。場合によってはお前の正体に気付くほどにな」
「ですが、私がもしリッカを嫌だと言ったらどうするおつもりで?」
「当然別の人間を紹介するつもりだったさ。お前が信頼できる人間じゃなければ、パートナーにしても何の意味もねえからな」
マグナの言葉には、妙な説得力があった。
二手、三手先の未来を読む教員が、自分の背後には控えている。そう考えると気が楽になり、命のなかで生存の希望が湧いてきた。
「八坂、お前から見てリッカはどうだ」
「私だけの意見ならば、リッカは信頼できます」
「そうか。駆け足になったが、あいつを選んだのは正解だったな」
候補者は何人かいたようだが、再選考は不要だった。一体どういう選考基準があるのか、命としては気になるところだ。
「もし良ければ、先生がリッカを推す理由を教えてくれますか」
「今なら話しても構わねえか。あたしがあいつを選んだ理由は――」
マグナが途中で言葉を切る。
コンコンと扉がノックされていた。
「エリツキーだ。明日のカリキュラムについて話がある」
しぶしぶ腰を上げると、マグナは玄関扉まで歩いた。
このとき、すでに彼女は罠にかかっていた。
扉を開いた瞬間、マグナは酔っぱらいから抱きつかれた。
赤みがかった頬を擦り付けられ、マグナは心底面倒そう見つめるが、酔っぱらいは気にも留めていなかった。
「わーい。マグナちゃん、引っ掛かった。うへへ、グイグイ行こうぜ、良い酒あるぜ。その上、良い女つき」
リルレッドを無視し、マグナはその後方に佇むエリツキーを睨みつけた。
「……エリツキー、テメエやりやがったな」
「同じクラスの担当教員だ。一蓮托生だろ」
日頃の恨みを晴らすと、エリツキーはマグナの部屋を目で探る。
そこには、唐突な酔っぱらいの訪問に困惑する命がいたが、エリツキーは別の受け取り方をしていた。
きっと女生徒が困っているのは、担当教員が不甲斐ないからだと。
「貴様、受け持ちの女生徒が困っているぞ」
「いや、それはお前らが」
言い訳する間も与えず、エリツキーが怒鳴りつけた。
「けしからん! お前にはな、常々教員としての心得をだな」
「あっ、私帰るわ。じゃあねマグナちゃん」
君子危うきに近寄らずのスピリッツを遺憾なく発揮し、リルレッドは転進した。先ほどまでの酔いどれ感はない。冷めた表情で、彼女はすたすたと遠ざかる。
「おい、ちょっと待て。リルの姉御」
追いすがる声も虚しく、リルレッドはすでに自室へと避難した。
先ほどまでの千鳥足が嘘のような歩き方だ。
リルレッドは自由自在に酔える、酔いどれ独身乙女なので、見た目ほど酔いが回っていないタイプである。
「ひっく。覚悟は良いか。……私の説教は重いぞ」
一方、エリツキーはリルレッドとは正反対だ。
白人の彼女は、酔いを一切顔に出さないタイプであった。
「もしかして、エリツキー先生、酔っていますか」
「……言っただろ、目を付けられると面倒だって」
(ああ……こちらでしたか)
泥酔教師が乱入すると、マグナの自室はエリツキーの説教部屋へと早変わりした。本日のゲストは問題教師のマグナさんと、問題児の八坂さんです。どうぞこちらへ――と、朝までコースなのは疑いようがない。
酔った副教員は見境がなく、命もマグナ共々説教を受けた。
月が沈み、東の空が白み始めても、エリツキーの熱弁は止まらない。命の一日は、なかなか終わりそうになかった。




