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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1週間チュートリアル ―黒ホス計画編―
27/113

第27話 輪る乙女の洗濯機

 風の音を合図に、シャトルランが始まった。

 命は母親直伝の乙女走りで快走をみせる。風に追いつかれるよりも早く、黒髪を流す乙女は、決してスカートのプリーツだけは翻さなかった。


 命は、制服のポケットに手を入れる。

 おはじきを取り出すと同時、前方の目標めがけて弾き飛ばした。


「おいでませ、お犬さま」

「名誉挽回といこうか、ご主人様――ッ!」


 宙を回るおはじきは膨れ上がり、白い毛並みの【犬】へと変貌した。

 本棟前での小競り合いでは日の目を見なかったが、かの柴犬の時速は100kmを越える。


 白い弾丸はリッカの元へ一直線に駆け上がり、一直線に来た道を吹き飛ばされて、壁に直撃。芸術的な早さで出落ちを完遂した。


「ゴパン――ッ!」


 おうちのお米をそのままパンに。

 そんな商標権に引っかかりそうな呻き声が、命の口から漏れた。


 ――反動リバウンド

 内蔵を殴られるような痛みに、命は唇を固く結ぶ。傍から見ればお遊戯でも、この痛みだけは堪ったものではない。二度と【犬】の式神には頼らないと、黒髪の乙女は固く誓う。


「いいのか。のんびりしていて」


 あくび混じりの声が届き、命は即座に床を転がる。

 下半身に意識を割きながらも、その足は止められない。


(……不味い。逃げるので精一杯です)


 リッカは、命が知る風の魔法少女――フィロソフィアとはまるで違った。


 リッカは手から魔力を発するのでなく、大気中に魔力を浸透させていた。手元を離れた媒介を通して、彼女はどこからでも風を吹かせてみせた。


 リッカの魔力が浸透する範囲すべてが魔法発動圏内であり、暴風域になる恐れを孕んでいた。


 命は風の通り道を読み、乙女走りを持続する。


「よく避けるな」

「僅かばかりとはいえ、経験値がありますので」

「ああ、あの金髪のお嬢様のことか」


 魔法を行使するスタイルこそ違うが、風の魔法少女を相手取るコツは同じである。

 透き通る風の魔力の読み方、感覚的な回避方法は身体が覚えていた。


 しかし、どうにも事が上手く運びすぎている気がしてならない。


(これは……遊ばれているようですねえ)


 不甲斐なさから、命は歯噛みする。

 よく避けるどころか、リッカに当てる気があるのかも怪しかった。


 風に遊ばれて、命は道化のように踊る。やがて乙女の健脚が潰れ、ジリ貧に陥るのは目に見えていた。


 フィロソフィアの【突風(ガスト)】に手こずったときと同じ状況だ。命は、無形の風を止める術を持っていない。


 感覚的に理解した相殺も使えない以上、今は耐えて、逃げの一手に全力を注ぐほかなかった。


 その様子をぼんやり眺めながら、リッカは気まぐれに口を開いた。


「手前、東洋魔術師なのに結界を張らないのか」


 返答はない。

 命の無言が答えだと、リッカは判ずる。一介の外部入学生に、使わないなんて贅沢な選択肢はない。


「ああ、使えねえのか」

「その通りですよ――さっきまでは」


 降って湧いたヒントを無駄にすることなく、命は結界を張りにかかる。式神の【(カラス)】も那須の会話を参考に行使した魔法である。使えない筈がないと、早速詠唱にとりかかった。


(その身は鉄壁の壁、眼前にそびえる山。我が身に振りかかる悪しきものすべてを遮断せよ――)


 膨らませたイメージを内から外へ。

 そして、命は声を張り上げる。


「結界!」


 それから……数秒ほどの沈黙は、痛いほど命に刺さった。


(神社の跡取りなのに!)


 テキトーな詠唱でイメージを補うも不発。

 形を成さなかった薄闇色の魔力は、宙に霧散していく。詠唱失敗の証拠が大気を流れる様子を、リッカは無言で見送った。


「出ないじゃないですか!」

「知らねえよ。あたしは西洋魔術師だぞ」


 突然秘めたる力に目覚めたり、特別な大技を閃いたりする展開はない。そんなことは現実主義者の命が、一番よく知っていることだった。


(なら、足で稼ぐまでです)


 使えない打開策を切り捨て、命は終わりの見えない持久走へと戻った。


 状況は依然として悪いが、唯一救いがあるとすれば、それはリッカのやる気のなさだ。狙い撃つ気がない風は、その気になれば容易に避けられた。


 黒い魔法弾でリッカの頬を叩いてから、数分はリッカも怒りに任せて風を吹かせていた。危うく命に【突風】がぶつかりかけた場面もあった。


「あっ」


 だが小さく零すと、リッカの怒りは直ぐに収まった。どこで心境の変化があったのかはわからないが、途端にテキトーな風を吹かせ始めた。


(なら大丈夫かと言えば、そんなこともなく)


 三十分以上のストップ&ゴーを続けた結果、命の脚はとうに限界を迎えていた。板張りの床を蹴る足にはとうに感覚がない。


 リッカが吹かす風は避けられる程度だが、防御手段がない以上は受けて立つ戦法も取れない。


 ただ走って逃げるのみ。

 命に残された道は、一つだけだった。


「まあ、空を飛ばないのは懸命だな」

「褒めても黒い魔法弾しか出ませんよ――っと」


 防戦一方から転じるも、命の単調な攻撃が通る様子はない。間に間に放つ黒い魔法弾は、風で軌道を逸らされ、見当違いの方向へ飛んでいった。


「当たらねえよ。もう諦めろ」

「引くに引けないから、困っているのですよ」


 安易に空へエスケープしても、撃墜されるのが落ちである。全方位から風が吹き荒ぶなかを飛ぶのは、あまりにリスクが高すぎた。


(同じ理由で【烏】も却下。二連続出落ちとか勘弁です)


 喧嘩の腕前を見るに、接近戦の方が勝機が高いだけに、一度距離をとったことが悔やまれた。吹き飛ばしがある以上、恐らく二度目はないだろう。


 リッカが放った右拳は遅く、避けるのは容易だった。その体運びには多少の違和感を覚えたものの、相手に気を使う余裕はない。


 命は、再三となる魔法弾を撃つ。


「懲りねえなあ」


 風で軌道が曲げられたことを確認したのち、命は魔法弾を魔力で引っ張る。強引に軌道を戻すと、弧を描いた黒い魔法弾がリッカに迫った。


「手前、本当に外部入学生かよ」


 惜しくも魔法弾は空を泳いだが、リッカの目を引くには十分だった。


 リッカの足元の本命――命の鞄が二撃目として跳ね上がる。

 

 空中レースの決め手にもなった飛行魔法の応用だ。一度限りの切り札を、命はここで切った。


「魔法の二段仕込みなんて、外部入学生の芸当じゃねえよ」


 だが、それすらも届かない。


 リッカの顎を跳ね上げる筈だった鞄は、唐突に空中で停止する。いくら魔力をこめても動かない。その荷物のコントロール権は、すでに命から離れていた。


「悪いな。こういう魔法は、風の魔法少女の十八番だ」


 風の西洋魔法【浮遊ウィング】によって、命の鞄は宙へと放り投げられた。鞄の中には予備の偽乳こと、透明ジェルパッドも含まれている。


「あー、私の二十万円が――ッ!」


 慌てて、命はコントロール権を奪い返す。鞄の落下速度を殺しながら、緩やかに床へと下ろした。


 

「――ッ!」


 

 ガクンと、命の腰が落ちる。

 頭に響く痛みは、昨日と同じものだった。魔力低下による警告が現れ、命の集中力が乱れる。足の力が抜け、立っているだけで精一杯だった。


「言っただろ。諦めろってな」


 ため息を落とすリッカは、昇降口へと足を向けた。


「これ以上は止めておけ。魔力枯渇パンクでもしたら、目も当てられねえぞ」

「待って下さい!」


 足がもつれ、命は無様に床を転がる。魔力だけではない。とうに身体も限界だった。


 リッカは癖のある緑髪を右手で掻いた。怒りを抑えようにも、こうも縋られては苛立ちを隠し切れない。


「あたしが待ったら何になる」

「私が、貴方に頭を下げさせます」

「手前は頑張ったよ。それで良いだろ。頑張っても届かないこともある」


 リッカの言い分は正しい。

 命が翠の風見鶏に敵う道理などなく、結果として遊ばれただけだった。


 努力しても、叶わないこともある。

 現実主義者として、命はその事実から目を背けることはできない。しかし、それを理由に努力を止めるほど悲観主義者にもなれなかった。


「わかった風な顔で言えれば楽ですがねえ。努力した以上、努力したからこそ簡単に諦めがつかないことだってあります――ッ!」

「そうか……頭が冷めたら、カフェ・ボワソンに来てくれ。そのときは、手前の話を聞いてやるよ」


「あばよ」と後ろ手を振るも、そんな退場を許さない者が、この場にはもう一人いた。


 背中に迫る火を吹き流し、リッカは振り返る。そこに、誰より諦めがつかない者がいた。


「よく聞け、ヘタレ不登校児め。本日二度目のありがたい決め台詞だ」


 膝を折って泣き崩れても、小悪党は終われない。

 目の前の背中に夢を乗せることも叶わず、現実を叩きつけられても、それでも折れないものがある。


「悪のカリスマからは逃げられない」


 ルバートは立ち上がった。

 泣き腫らした目は赤くても、真っ直ぐに標的を見据える瞳に曇りはない。


「……どうやら一杯食わされたようだな」


 投げかけられた視線に、命は唇の端を持ち上げるだけで精一杯だった。


 ようやく、時間稼ぎという美味しくない役目を果たした甲斐が出てきた。他人の物語にでしゃばるほど、命の面の皮は厚くなかった。


(私はもう、これ以上は知りませんよ。後は勝手にやって下さい)


 ダウンする命と入れ替わるように、ルバートが再び立ち上がる。


「ったく、何なんだよ手前らは」


 面倒な状況を前に、リッカはまた緑髪を掻いた。一度立ち上がった人間の足を折るのは難しい。どうやら、すんなりとは帰してくれないようだ。


 退路を塞がれた。

 もうこれ以上、逃げることはできない。


「手前はどうあっても、あたしに引導を渡して欲しいようだな」

「おいおいおい、立場が逆だろ」


 指を揺らし、ルバートは挑発する。

 これだけお膳立てされて寝ていられるほど、図太い神経はしていなかった。


「あたしが……なる」


 声にしてしまえば、もう後戻りはできないだろう。それでも良いと、彼女は覚悟を決めた。


 道化の夢に終わりを告げ、彼女はまた夢を見る。決して冷めることのない熱を帯びた、あの日の夢をもう一度。


「テメエに引導を渡して、このルバート様が魔法少女になる。それがこの世の運命(ディスティニー)だ」


 どんな言葉で飾り隠しても、本質は変わらない。

 胸に秘めていた気持ちを再加熱する。その言葉をルバートはもう引っ込めない。


「……魔法少女、手前が」

「何がおかしい。品行方正、容姿端麗、頭脳明晰、何より際立つ悪のカリスマ。よくよく考えれば、私以上の適任はいないだろ」

「あははは。手前が魔法少女、魔法少女とか」


 ムッとするルバートにお構いなく、リッカは大口を開いて笑う。

 いつぶりか当人にもわからない。まだ腹の底から笑い声が出るのものかと、リッカは自分に感心した。そのとき、すでに彼女は負けていた。


「あー止めだ、止めだ。手前らがあまりに馬鹿すぎて、もう付き合いきれねえ」


 リッカの足は、演舞場の中央へと向かう。

 馬鹿を見て感覚が鈍くなったのだ。後先考えるのが面倒になり、彼女はようやく腹をくくった。


「来いよルバート。あたしが吹き飛ばしてやる」

「舐めるなリッカ。わたしが焼き尽くしてやる」


 そして二人は、計画の終わりへと歩み寄る。


 


     ◆


 


 演舞場に縦横に走るラインは、カラーテープではない。施設を構成する材質と同じ対魔力物質、それを砕いた粉で書かれたラインだ。


 幾重に引かれたラインは組み合わせごとに何通りもの意味を持つが、そのなかで一番使われるのはコート形式である。


 長方形のコートを二分する中央線。

 中央線から前後5mの位置に引かれた開始線。

 シンプルな箱型の魔法仕合用のコートだ。


 開始線にリッカが立つと、ルバートが反対側ラインに着く。


「合図でも出しましょうか」

「要らねえよ。どうせ一発で終わる。代わりに後始末を頼む」


 コート外に避難した命の申し出を断り、リッカは代わりの要求を出した。


(……後始末って、まさか建物ごと壊す気ですか)


「ふん。その余裕を後悔させてやるよ」

「やってみな。やれるもんならだがな」


 腕を組んだまま、リッカは仁王立ちの体勢を崩さない。受けて立つ姿勢だ。


 対するルバートは、深呼吸を続ける。

 相手が先手を取る気がないことを幸いと、集中力を極限まで高めることに余念がない。彼女の深呼吸に合わせて、足元から漏れた赤い魔力が揺れる。


(一発勝負とはいうのは、嘘ではなさそうですねえ)


 けろりとしたリッカはともかく、ルバートの残存魔力が少ないのは明らかだ。暴走気味に火を起こし続けたこともあり、確実に一発を狙いに来ていた。


 ――大きく息を吐き出し、火が揺れる。


 ――大きく息を吸い込み、火が揺れる。


 静かに呼吸をくり返す度に、演舞場の緊張感が高まる。空気は熱く、張り詰めていた。


 やがて、ルバートは詠唱を口ずさんだ。


「汝契約の元に我が燃える血となり、付き従え。その身体は流動するマグマ。焼き尽くし爆ぜ尽くせ」


 中央線の上空で成形された火球は体積を増すも、リッカは一瞥しただけだった。


「忠実なる我が下僕、マグマスライム――ッ!」


 火球は姿を変え、赤い巨大プリンとなる。

 火属性と召喚属性の複合魔法――【マグマスライム】が空中から落下し、ぷるんとその軟体が震えた。


 命が【マグマスライム】の姿を視認し、たゆんだ軟体が元の形に戻るとき。


 ルバートが放つ最大級の魔法が発動していた。


 ――カチリ。

 その音が起爆音だと、命が気づいた次の瞬間。

 演舞場の中心に紅蓮の花が咲き誇り、その身は綿のように爆風にあおられた。壁に衝突すると、わずかな時間だけ呼吸が止まった。


(痛――ッ! 背中打った)


 むしろ、それだけで済んだとも言えた。

 爆心地である演舞場のコート中心では、黒煙混じりの炎が天井近くまで上がっている。喉を焼くような熱気が空気を満たす。


 サウナ状態の演舞場であっても、命の冷や汗は止まらない。


(……中心地は)


 最悪の想像が頭を過るなか、命の身体が吸い寄せられた。外に弾かれた身体が今度は急激に内側へ。熱風がコート中心へと吹いた。


 引き寄せる強風に気付くと、とっさに命は箒に跨った。踏ん張りが効かない脚を頼るよりも、外側へ飛行魔法を使うのが良いとの判断だ。


(――ッ! 全く動く気配がない)


 命はからっけつの魔力でガソリンを蒸かすも、箒の制御は利かない。

 あまりにも暴風域の引き寄せが強い。後ろに流れる黒髪から、小柄な身体は徐々に暴風に飲まれていく。


「惜しかったな」


 ぱちぱちと音を立てる灰や火の粉ごと、リッカは全てをかき混ぜ引き寄せる。踏ん張りが利かない命も例外の範疇ではなかった。


「……ちくしょう。私のとっておきを簡単に吹き流しやがって」

「簡単にじゃねえよ。人のこと煤だらけにしやがって」


 爆心地は、たちまち燃える風の中心地へと変わる。熱気を含んだ多量の空気が、リッカの手元に吸い寄せられた。


 ――(みどり)風見鶏かざみどり

 まるで風見鶏を回すように、人を巻き上げ飛ばすリッカの十八番。

 力加減では災害級とも評されるその魔法は、とうに前準備を終えていた。


「今日のところは吹き飛んでこい」


 赤灰混じりの【竜巻(トーネード)】が吹き荒れた。吸い込み、巻き込み、吹き飛ばす。不可避の螺旋の柱が演舞場の天井を突く。


 その覚悟の一撃はルバートを巻き上げ、ついでに文字通り命も巻き込まれた。


「私もですかああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!」


 洗濯機に巻き込まれた衣類のように、空を回る二人に自由はない。

 急回転に耐えかね、命の手元から箒が離れた。目まぐるしい竜巻の世界は、視界をごちゃまぜにする。


 数十秒の猛威が消え去ると、リッカは風のクッションを作る。

 【竜巻】で飛ばした際のアフターフォローである。ボフンと一度跳ねてから、二人は寝そべった。


 久々に飛ばされた常連客は気絶していた。最後の大技を使った時点で、ルバートは事切れていた。


「ふん。悔しそうな顔もできるじゃねえか」


 ルバートの無事を確認すると、リッカはもう一人の新客へと目を遣る。

 本当は命を巻き込む必要はなかったが、一杯食わされて腹が立ったのでやった。特に後悔はなかった。


 

 ――その光景を見るまでは。


 

「…………」


 目を回して横たわる命のスカートはめくれている。ノーパンの肌色部分には、リッカが見慣れないものがぶら下がっていた。

 まさか一杯食わされた上に、この様な仕打ちまで受けるとは、さすがの翠の風見鶏も想定外であった。


「あっ、えっと……これはですねえ」


 回転酔いで意識が付いていかない命は、弁解もまともにできなかった。

 たっぷり数十秒眺めてから、リッカは青褪めた顔で吐き出して気絶した。


 先の約束通り、この不祥事も含めて、命が後始末をすることになった。女学院生活二日にして、命の秘密は早くも割れた。

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