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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1週間チュートリアル ―黒ホス計画編―
26/113

第26話 挑戦状は風に揺れて

 魔法実技施設――演舞場。

 そこには魔法の応酬をくり広げる女生徒の姿も、絶え間なく空気を震わす魔法音もない。


 板張りの間、その中央で彼女は深呼吸を続ける。

 吐き出す息と呼応するように、地面から吹き出す赤い魔力が揺らめく。ゆらゆらと穏やかに、静かに闘志が顔を出す。


 火の魔法少女――ルバート=ピリカは、来る宿敵との一戦を前にして、粛々と準備を整え、簀巻き状態の命はただ黙って横たわっていた。


 五分前。

 ルバートは約束を違えることなく、那須と根木を解放した。


「クル、コメリン。お前らも一緒に帰れ。ここから先は少し熱くなる」

「お前は大体馬鹿なのに、たまに有能で、それでいてまれにワガママだから困る」

「悪かったな、ワガママで」

「悪のカリスマが謝るなよ。こっちは好きで付き合ってんだから」


 大将の撤収命令を聞くと、忠実な手下Aであるクルトが動いた。解放されたドドスの猿ぐつわを外すと、不安げな顔をする彼女の頭をポンと叩いた。


「帰るぞコメリン。好きにやらせとけ」

「よくわからねえが、ピリカ大丈夫かあ」

「大丈夫だ。負け戦はあいつの十八番だ」


 二人は、騒ぎ立てる人質たちを一人ずつ背負う。

 昇降口を下る手前、ドドスが命を見つめる。クルトは「大丈夫だ」とフォローを入れた。


「悪いな、八坂つったか。約束通り二人は女子寮に返しとくから、お前はうちの悪のカリスマさまに付き合ってくれ」

「丁重に頼みますよ。大事なお姫さまですから」

「あいよ。それじゃあ面倒ごとに巻き込まれる前にトンズラしますか」


 四人が退場すると、演舞場には静寂が満ちていく。

 命とルバートの間に会話はない。

 簀巻きの命が横倒しになっている間、ルバートは変わらず昇降口を見つめ、深呼吸を続けていた。


(うーん。これどういう状況なのですかねえ)


 一時は肝を冷やしたが、事態は最悪から改善しつつある。根木と那須は無事開放され、主犯格のルバートの興味も命には向いていない。


(ひとまずは大丈夫そう……というは楽観しすぎですかねえ)


 命は背中に隠して黒い魔法弾を生成する。

 豆粒サイズのそれは、コンディションを図るためのものだ。発現と同時に魔力を空気に溶かした。


(精神状態は上々。魔法行使速度もまずまず)


 人質にされたときは精神も乱れていたが、今は魔法弾を作る程度の余裕は持てた。ロープを断ち切ることも、相手の背中を狙い撃つことも可能だ。


(那須さんなら出来そうな芸当ですが、精神的に弱っていたのですかねえ)


 魔法は精神面に大きく影響される。その考えは間違いではないが、命は前提に誤りがあることに程なくして気づいた。


(あっ、手元でしか出せないのか)


 思えば魔法弾を特定座標から生成したのは、命だけだった。


(座標指定で魔法を行使するのは、向き不向きがあるのかもしれませんねえ)


 意外な才能を発見するも喜びはない。たとえ座標指定ができたとて、火を揺らめかせるルバートに敵う気は到底しなかった。


(不意打ちは……止めておきますか。お犬さまに続いて、私もこんがりしそうです)


 膠着(こうちゃく)が続くかと思われた矢先、誰かの足音が近づいてきた。


(来ましたか)


 人質として捕われた以上、縁のある人物が助けに来ると考えるのが妥当である。

 それも、女学院生活二日目の命の知り合いとなると、その数はかなり限られてくる。半ば誰が来るのか、命は当たりをつけていた。


「ようルバート。相も変わらず悪党ごっこか」


 予想通り、緑髪の魔法少女が昇降口から現れた。

 少し癖がある髪質に、長身細身のシルエット。学食棟にあるカフェ・ボワソンをこよなく愛する少女――ウルシ=リッカが、ルバートの待ち人だった。


「待ち侘びたぜ、リッカ」


 不敵な笑みを浮かべるルバートは、やはり命の知らない人物だった。昨日、リッカに呑まれていたのが嘘のように堂々とした態度だ。


「それで、手前は何してんだ」

「見てわかりませんか。絶賛人質中です」


 呆れ顔でため息をつくと、リッカは小悪党へと向き直る。


「久々に会ったかと思えば、随分とガッカリさせてくれるな」


 リッカの1m手前で赤黒い魔法弾が弾け、砕けた火の粉が流れる。


 突然の出来事に、命は目を丸くした。


 ルバートが火の魔法弾を撃ち放し、リッカが直撃寸前で防ぐ。高速で展開された攻防は、その単純さ故に、命の背筋を寒くした。


「……ガッカリだと」


 歯を食いしばり、ルバートは容赦なく二発目、三発目を放つ。


 わずかに逸れた魔法弾は、リッカを避けるように飛び、演舞場の壁に当たる。荒々しいノック音とともに、真っ赤な粘着物質が壁に張り付いた。


「それはこっちの台詞だ。勝手に人の前から消えやがって」

「手前の恋人でもあるまいし、勝手に消えるのに理由がいるのかよ」

「いるね。悪のカリスマにお暇しますと言って、菓子折りを渡すのが礼儀だ」

「……なあ、いつまでこんなことを続ける気だ」

「いつも、いつでも、いつまでもだ」


(どうやら複雑な関係そうですねえ)


 リッカの魔力が、大気をかき混ぜる。

 風をまとうフィロソフィアとは違う、広範囲を網羅する柔らかな風だ。


(臨戦態勢に入った。早く逃げなくては)


 一も二もなく、命は逃走を試みる。

 主犯は今、人質への興味が薄れている。カフェ・ボワソンの女神の協力も得られるというのなら、この千載一遇の好機を逃す手はない。


 気取られぬよう、命は後ろ手のロープを黒い魔法弾で削る。意外と切れ味が悪くて時間がかかるが、問題は時間だけだ。蚊帳の外にいることを良いことに、黒髪の乙女は静かに逃走の態勢を整えていった。


(あとは若い二人でごゆっくり)


 ふわりと、熱気で黒髪が揺れた。火の魔法弾が頭の真横を駆け抜け、黒髪の先端がちりちりと焼ける。


「悪のカリスマからは逃げられない」


 視線も寄越さぬ射手に、命は沈黙する。


「おい、命は関係ないだろ」

「関係あるね。こいつを解放すると、不登校のヘタレも一緒に逃げそうでな」


 ――不登校のヘタレ。

 その言葉が、リッカの逆鱗に触れた。


「相も変わらず、お空を飛ぶのが好きなようだな……吹き飛ばずぞ手前」


 リッカが、風の魔法少女の常套句を告げると、演舞場の大気が荒れた。

 【竜巻(トーネード)】を起こす前兆を察知すると、ルバートは饒舌にしゃべる。待ち望んだ結末が直ぐそこまで迫っていた。


「そうだよな、そう来なくちゃな。今までの黒ホス計画も、全てはこの時のためだ。来いよリッカ、私とテメエの最後の勝負だ」


 演舞場の床から四本の【炎尾(テイル)】が生える。【炎尾】はルバートを中点に置き、円を描いて走った。


 酸素を燃やす燃焼音と、口笛にも似た風切り音が混じる。ごくりと、命が次の展開につばを飲むも、緊張の糸は直ぐに切れた。


「……止めた。馬鹿らしくて付き合えねえ」


 リッカが、早々に匙を投げたのだ。

 演舞場を渦巻く風は勢いを失い、空気へと溶ける。それは、あまりにも呆気ない幕切れだった。


「はっ?」


 ただ一言。

 ルバートの口から疑問符が零れた。


「ちょっと待てよ、何だよそれ」

「こんな茶番に付き合えるか。さっさと帰るぞ命」

「……私は別に良いですけど」


 戸惑いを覚えている間に、命は自由の身になっていた。リッカが器用に吹かせた風は、命の手首、足首のロープを断ち切っていた。


 もう、命を縛るものは何もない。

 鞄を拾い上げれば、今直ぐにでも帰れる状態だが、後ろ髪を引かれるのも確かだ。命の後ろには、悲痛な表情を浮かべるルバートがいた。


「リッカ、貴方強いのでしょう。なら軽くひねってあげたらどうですか」


 なんとなしに、命はルバートを擁護していた。


 ルバートは悪役を自称する割には抜けていて、どこか憎めなかった。

 そして何より、彼女は必死だった。雨に濡れた子犬のような女生徒を、命は見捨てられずにいた。


「手前まで、何寝ぼけたこと抜かしてんだ」

「第三者が差し出がましいかもしれませんが、きっとこのままじゃダメですよ」


 二人がいがみ合う様は、親友との喧嘩を思い起こさせた。目に映らぬ何かに無性に苛立っていた、あの日々のなか。命が曲がらなかったのも、玖馬が道を誤らなかったのも、互いの存在があったからこそだ。


 あのとき、命には玖馬がいた。ルバートにも誰かが必要なのだと、命は確信していた。


「事情は良くわかりませんが、このままでは、貴方たちは綺麗に終われません」

「終わるも何も、最初から何も始まっちゃいねえよ。あの甘えん坊を終わらせる義務なんて、あたしにはありゃしねえよ」


 一呼吸入れて、リッカは吐き捨てる。


「もうあたしは、興味ねえんだ。魔法少女なんてどうでも良いんだよ」


 その一言が引き金だった。

 ルバートのなかで、何かが壊れる音がした。湧き上がる黒く粘ついた感情が燃料となり、彼女の足元の炎が燃え盛った。


 鮫のヒレにも似た四つの【炎尾】が床を走る。赤いヒレはリッカの足元で次々と誘爆をお越し、爆炎が波状に重なり合った。


「……ふざけるな」


 ルバートの怒りは、すでに振りきっていた。仇敵に向けて、彼女は容赦なく火の魔法弾を投げつける。


「ふざけるな、ふざけるな」


 赤い速射砲は止まらず、回転し続ける。ルバートの手元が燃えると同時に火炎の礫が飛んだ。


「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな――ッ!」


 ルバートの猛攻が途絶えたときには、前方の空間は燃え盛っていた。しかし、リッカの後方にいた命は、火の粉ひとつすら被らなかった。


 たとえ背中を不意打とうと、いくら魔法弾を連射しようが無駄だ。リッカの風は全てを受け流す。彼女にルバートの魔法は届かなかった。


「はあ……はあ……じゃねえぞ」


 一気に魔力を放出し、ルバートは肩で息をする。

 ペース配分なんて考えてはいない。あの言葉を受けて、先を考えられるほど冷静ではいられなかった。


「ふざけんじゃねえぞ!」


 ルバートは叫ぶ。

 その行き場のない熾き火のような想いを。


「ならどこに行くんだよ。私の……私たちの夢は。魔法少女になれなくて、それでも無理やり諦めつけて、誰かに預けた夢の行き場はどこなんだよ――ッ!」

「人の背中に勝手に荷物を載せておいて、甘えるな。それに、少なくとも手前の夢なんぞ背負った覚えはねえ」

「リッカああああああああ、テメエえええ――ッ!」


 ルバートの怒りの崇は、そのまま燃える【火波(ウェーブ)】へと還元された。赤い絨毯は、人を丸呑みする高さになって襲いかかった。


「届かねえよ。まだわからねえのかよ」



爆風(ブラスト)



 空気の塊が破裂すると、赤い高波に風穴が開いた。雨となって降る【火波】の一滴すら、リッカにはかからなかった。


「覚悟もねえ奴が、半端なことすんじゃねえ。手前は見苦しいんだよ」


 背を向けるリッカへの追撃はない。

 ルバートが膝から崩れ、頬を濡らしていたからだ。


(あーあー。さすがに見ていて気分の良いものではありませんね。やだなあ、面倒事ばかりが増える一方で。早く帰りたい)


「気にするな。泣きたいだけ泣かせとけ」

「はいはい。貴方がそう言うなら、そうしますよ」


 箒と鞄を抱え、命は小走りでリッカに近寄る。

 妖精猫ケットシー運輸の再配送の行方や、今日の宿場探しなどに気を巡らせる。今日も明日もやることは沢山あるのだ。


「お手数おかけしましたね、リッカ」

「大したことじゃねえよ。気にするな」


 命は心中でため息をついた。

 どうしてこうも、自分はお人好しなのかと。


「いえ、悪いですが――気にしますよ」


 命は平然とだまし討ち、黒い魔法弾でリッカの頬を叩いた。


「――ッ!」


 片足が宙に浮くも、リッカは体勢を立て直す。前に戻る勢いを利用して、勢い良く右腕を振りきった。


「おっと」


 鞄を捨て、命はバックステップで避ける。

 担当教員の殺人クロスカウンターに比べれば、大したことはない。


「おい……何の真似だよ」

「そうですねえ。一言で言うなら、余計な真似ですかねえ」


 目の前で女の子が泣いていたら、もう立ち上がるほかに選択肢がない。たとえ恩を仇で返すことになろうが、命の知ったことではなかった。


(増援……なんて都合良く来ませんよねえ)


 もう引くことはできない。

 黒い魔法弾とともに、命は無謀な挑戦状を叩きつけたのだ。

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