第25話 あの日見た、夢の行方
私が魔法少女の夢を諦めたのは、いつのころのことだろう。誰もが夢見るお姫様やアイドルには決してなれないと気づいたのは。
私は、才能のない魔法少女ではなかった。
メイン属性の火属性の魔法にはそれなりの自信があったし、貴重なサブ属性には召喚もあった。
いつかはこの国を守る守護神として、この国を代表するアイドルとして君臨する。中等部の途中まで半ば本気でそう考えていた。
あの実技演習の時間までは、本気で。
――悪いな。少し出力が強すぎた。
そう言って、手を差し伸べられた。
彼女の優しさが憎らしかったし、妬ましかった。
吹き飛ばしを昇華させた風魔法【竜巻】。
螺旋を描く上昇気流に運ばれた私は、校庭を離れて天高く空を舞った。
こんなに空の青さを身近に感じたことはない。
こんなに自分の無力を知った日もない。
その瞬間、私は自分が特別でないことを知った。
蹴散らされる側の大多数の人間だと、気付かされてしまった。彼女の手を取った時点で、大事な夢を投げ捨ててしまった。
風のクッションに落ちたおかげで怪我こそなかったものの、念のためにと保健室に運びまれた。
その判断は実に見事だ。こんなに心が重症を負ったことは未だかつてなかった。
その日、私は白いシーツを濡らした。
「私は……魔法少女には成れない」
この国に生まれた誰もが通る道を、私も遅ればせながら歩いた。
一時は抜け殻となったが、時が経てば少しは気持ちが持ち直した。時が傷を癒してくれることはなくとも、彼女たちの凄さを教えてくれた。
――桃髪の暴君。
――灼熱の貴公子。
――蒼き妖精猫。
――金色の聖母様。
――白銀の女帝。
そして、私の夢を曲げた――翆の風見鶏。
後に災害の世代と呼ばれるこの六人は、化け物揃いだった。
彼女たちに夢をへし折られた人間はごまんといて、私もそのなかの一人だ。周囲を見渡せば仲間がいっぱいいて、少しだけ気が紛れた。
同学年の女生徒は、別の道があると夢を捨てて、明日を迎えていた。
私もそう出来れば良かったが、そうもいかなかった。シンデレラの夢が醒めない子供は、早々に諦めがつかなくて、それ故に綺麗に終われなかった。
私の夢は曲げられただけで、折れなかった。
酷くいびつな夢の槍は何度も心に突き刺さり、淡くて切ない痛みが胸に残る。誰の手も触れられない患部の痛みに耐えかねて、自衛本能が働いた。
あの日、なぜ私はそう言ったのだろう。
「今日を以って、私は悪のカリスマになることにした。来たれ友よッ! 我が覇道に続くが良い」
悪のカリスマと名乗り出したとき、二人の友人は顔をきょとんとさせていた。
怠惰な友人クルト=クルリカは、珍しく純粋に驚いていた気がする。
鈍間な友人ドドス=コメリカは、言葉の意味をよく理解していない風だったが、いつものように褒め言葉を口にしていた。
――やっぱすげえな、ピリカは。
幾度となくコメリンから聞いた言葉も、今となってはお笑い草だ。悪いなコメリン、素直には喜べんよ。顔を取り繕うので精一杯だ。
私は演劇じみた口調で話す。何かを覆い隠すように、何かをさらけ出すように。
「この悪のカリスマの言葉をよく聞くがよい、落ちこぼれ共。私たちはどうしようもないクズだ。だから、人の足を引っ張ってやろうじゃないか。足を引っ張って、証明してやろうじゃないか。……ここに私たちがいることを」
耳を塞ぎたくなるような台詞だが、この下らない提案に二人は付き合ってくれた。
コメリンは私の提案であれば、何にだって乗ってくれる優しい子だ。
クルも何かを察したようで、気怠げながらも乗ってくれた。落ち込んでいた私の姿を見て、何か思うところがあったのだろう。
コメリンに比べて、クルは敏感だった。
早々に自分の才能に見切りをつけて、魔法少女になりたいなどと、誰よりも早く言わなくなった。
今になって私は、毎日をつまらない目で見つめる彼女の気持ちが、少しだけわかった。そんな気がした。
だが私はクルト=クルリカではなく、ルバート=ピリカだ。
他人の気持ちなんて完全に理解できない。
ましてや納得などできやしない。どこまで地平線を駆け抜けても、死ぬまで付きまとう自分は離れない。
だから私は、自分のやり方で人生の歩み直そうとした。他人にバカだと罵られても構わない。
冷めた目で現実を見続けるより、醒めない馬鹿な夢を見るピエロの方が良い。
この日、私が一回死んで、別の私が目を覚ました。
――くくくっ、ひれ伏せ愚民ども。悪のカリスマは生誕した。
んでもって、しょうもない悪事に手を染めた。
最小限の悪事で最大の成果を出すのがモットーである。この最大の成果とは生きる充足感であり、他人の足を引っ張ることだった。
それで付いたあだ名は、小悪党とか不良娘だの。
あの才能の塊共に比べると、全然格好良くないあだ名ではあるが、意外と気に入っていた。実に情けなくて私に相応しい。
もっと悪事を、もっと生きる意味を。
調子に乗った私は【竜巻】にさらわれ、空を舞う。ただの吹き飛ばしが【竜巻】なんてふざけた大技に昇華するのだ。反則も良いところである。
――翆の風見鶏。
他に比べれば可愛いあだ名に思えるが、その由来はえげつない。緑髪長身の彼女は、風見鶏を回すようにクルクルと人を巻き上げ、吹き飛ばすのだ。
あの日のように空を舞った私は、ぼふんと風のクッションに落ちた。
この悪のカリスマ相手に慈悲をかけるか。くくくっ、その親切を後悔する日は近いぞ。……ああ、彼女の親切が痛いくらいに心に染みた。
「別に咎める気はねえけど、手前は何が目的でこんなことやってんだ」
「テメエには一生分からないだろうな。悪のカリスマの気持ちなんて」
彼女の差し出した手を払ったのが、せめてもの強がりだった。私にその手を握れと言うのか。
無論、悪のカリスマがこの程度で懲りるわけがない。翌日も悪事を働き、案の定【竜巻】にさらわれ……
私が懲りない以上に、彼女もしつこかった。
悪事を働く度に、吹き飛ばされての無限ループ。
これがどこに出しても恥ずかしい、私の中等部時代である。
悪のカリスマ、特技は紐なしバンジー。
ただし風のクッションあり。
私はともかく、友人二人には悪いことをした。
コメリンは完全に高度に怯えていたし、クルはアトラクションと割り切った風だが、恐怖を押し隠しているのが見え見えだった。
実に愛すべき高所恐怖症どもである。お前ら大好きである。
一方で私はといえば、安堵していた。
初めこそ怒りが沸いたが、その感情も長続きはしない。根源的な力の差を思い知らされて、嬉しかった。あの風に乗るときが一番心が安らいだ。この風が私が夢を諦めた原点なのだ。
私はただ無我夢中で悪事を働き、幾度となく青空へとご招待された。
風のクッションに柔らかに下ろすと、緑髪長身の彼女は大体一言、二言だけ何か言う。
――何か他にやりたいことはないのか。
――コーヒーに合うケーキでも焼いたらどうだ。
――その行動力を別のことに活かせ。
ぶっきらぼうな言葉で、やんわりと説教するのだ。
毎日の占いみたいで、次は何を言うのか少しだけ期待していた。本当に心揺さぶる言葉を吐いたら、その通りに生きてやろうとも考えていた。
そんな灰色の青春だった。
一応勉学にも打ち込んではいた。
趣向を凝らしてノートを作るうちに、悪のカリスマのノートが借りたいなどという、恐れ知らずの輩も幾人か出てきた。
これが意外と好評だったので、貸出しなんぞも行ってみた。案外勉学の道に生きるのも悪くないなんて、思ったりもした。
――あの変人。ノートだけは役立つのよね。
多少なりとも感じていた満足感を喪失した。
私のノートを借りに来る時点で馬鹿な連中なのだとは思っていたが、本当に馬鹿だった。陰口とは本人のいないところで叩くのが礼儀である。
「私は、何をやってるんだろうな」
誰も答えないし、私も考えない。
私には誰かの足を引っ張って、【竜巻】に乗る以外の生き甲斐がなかった。
三年生最後の三学期。
いつものように彼女の教室を訪れると雰囲気が違った。大事なものがぽっかりと抜け落ちたように、教室の隅にある彼女の席は空席だった。
鷹のように目を尖らせて、嫌味らしく長い脚を組む彼女はいなかった。
翠の風見鶏は煙のように消えたのだ。
職員室に駆け込んだが、教員の口は重かった。
彼女が消えた理由だけは誰一人として教えてくれなかった。
くくくっ、面白い。この悪のカリスマ相手に黙秘権を行使するか。
おい、どこ行ったんだよお前。
ふざけるな、この悪のカリスマに別れの言葉もなしに消えるだと。菓子折り持って挨拶に来てから消えるのが礼儀だろうに。
彼女が消えた日は不機嫌だったが、翌日は打って変わって上機嫌になった。
目の上のたんこぶであった緑髪長身の彼女が消えたのだ。それは自分の天下が訪れたという意味であると、努めて明るく振る舞った。
悪戯放題、やりたい放題、それそれそれそれ!
……なあ私よ、本当に楽しいのかい。
くくくっ愚問よ、楽しいに決まっておろうが。
日々エスカレーションする行為は、私の心の飢えそのものだった。今思い返すとそれが良くなかった。足りない足りないと欲をかいたせいで、危ない奴を呼び寄せてしまったのだ。
「燃ーえる女の大・打・撃!」
鼻歌交じりに実験室ごと焼き尽くしたのは、灼熱の貴公子と呼ばれる女生徒だった。あれは確か、実験室の薬品に手をつけようとしたときだった。
灼熱の炎が、悪のルバート一味を包み込む。
これが本物の炎なら焼死体が三体できあがりだが、火属性の魔法とは擬似的な火である。術者の魔力を燃やすものであり、見た目とは裏腹にかなり安全な部類に入る魔法だ。
――その瞬間までは、本気でそう思っていた。
赤髪ベリーショートの女生徒の火力は段違いだった。魔力を一瞬で蒸発させる火力の危険性に気づいたときには、時すでに遅し。
コメリンもクルも一瞬で魔力枯渇した。急激な魔力蒸発に耐えかねて、意識ごと根こそぎ持ってかれたのだ。
三日三晩寝込んだ彼女たちは、正直死んでもおかしくなかった。
その一方で、同属性で火魔法への耐性があった私だけは、そこまでの状況に陥らなかった。
人を本気で殺そうと思ったのは、多分これが最初で最後だ。
赤髪のあんちくしょう。
テメエの火力は確かに圧巻だよ。
テメエの火力は、私の心に火をつけた。
翌日、魔力が全快した私は、怒りのままに赤髪ベリーショートを殴りかかった。
そして十分と保たずに実力の差をまざまざと見せつけられ、地面に這いつくばった。憤ったくらいで勝てるなら、現実はイージーモードよ。
私の魔法を火遊びだと嘲笑うように、赤髪ベリーショートの炎は容易く飲み込み、食い尽くす。なまじ火属性の耐性がある私は、サンドバッグ代わりに魔法をぶつけられた。
自分と同じ属性の魔法少女に手も足も出ない。それは才能なしだと宣告された気がした。
適度に火だるまにすると、赤髪ベリーショートは身を引いた。明日には魔力が全快する状態で、ご丁寧にボコるのを止められたのだ。
遊ばれていることはわかったが、それを認められなかった。それを認めれば、両の足で立てなくなる。
二日目も三日目も、私は赤髪ベリーショートに挑んだ。精神はボロボロで、もはや意地だけで身体を動かしていた。
しかし、最後にはその意地すらも簡単に踏みにじられた。
「テメエ、何の恨みがあって私たちに突っかかる」
「えっ、特に恨みはないけど。ただ何か合法的に殴れそうだなと思って」
笑わせることに、理由などなかった。
その燃える瞳には、私など映っていなかったのだ。私はただの玩具でサンドバッグ。魔法少女としての存在価値すら認められてすらいなかった。
くくくっ……もう立てねえ。
寝込んだ友人が回復したとの報せを聞いて、いよいよ私は心を折られた。それから先は、ただ静かに、残り短い中等部生活を送った。
高等部に進学しても、状況は変わらない。
この国の進学先はただひとつだ。同世代である限り、彼女たちの影は離れない。
どうせ高校生活も詰まらないと、判を押そうとしたときだった。学食棟4階のファーストフードエリアで屯していると、クルとコメリンが一枚のプリントを差し出してきた。
「魔法少女の選抜合宿ねえ」
「そうなんだあ。これにあいつら参加するから、ピリカも思う存分暴れられるぞお」
「最近ご無沙汰だったし、たまには良いだろ」
馬鹿な親友二人は馬鹿なりに、もっと大馬鹿な私を気遣っていたのだろう。
ならば踊らせていただこう、私が馬鹿筆頭だ。さあ宴を始めようではないか。血のサバトを。
「くくくっ……貴様らは押してはいけないスイッチを16連射してしまったな。後で後悔するなよ。悪のカリスマ復活祭だ――ッ!」
久々の悪事が始まり、ターゲットは簡単に見つかった。入学式で馬鹿騒ぎを起こした黒髪の魔法少女――八坂命である。
……何こいつ、超美人。
悪のカリスマが軽く嫉妬する程度の美貌の持ち主であった。
もう一人の主犯格、金髪の魔法少女――フィロソフィア=フィフィーは私の好みではなかった。御三家の癖に前評判通りの弱さだった。あんな汚い風に乗るほど、落ちぶれた覚えはない。
久々の悪事の割に、前準備は滞りなく進んだ。
この辺りはさすがは悪のカリスマであると、自画自賛しておこう。誰も褒めてくれないし、自分で自分を褒めてやろう。
……誰か褒めてくれ。
かくして、黒ホス計画は完成した。
1-F所属のコメリンを斥候にして、カフェ・ボワソンにいる獲物に因縁を付けることにも成功。実にグレイトフルな開幕だ。久しぶりの悪事に、気持ちは高揚していた。
「そうじゃねえだろう。本当に申し訳ないという気持ちがあるなら、即座に退出するのが礼儀だろうが」
バンと、机に何かを叩きつける音が、カフェ・ボワソンの店内に響いた。人の決め台詞中に、全く行儀の悪い輩がいるな。初めはその程度の認識だった。
「……ぅあ」
カツカツと長い脚を魅せつけるように歩く。その緑髪長身の女を、私が見間違るわけがなかった。真昼に亡霊を見たような気分だった。
翡の風見鶏が、そこにいた。
その姿に胸を躍らせた自分もいたのに、そいつは直ぐに顔を引っ込めた。
「いいご身分だな、ルバート」
自然と目を伏せていた。
おかしい。こんなはずではない。彼女の目付きの悪さなど百も承知なのに。
「へえ、あたしがいなければ、手前はカフェ・ボワソンで好き勝手できる権利があるのか」
お世辞にも態度が良い奴ではない。
だが飲み込まれるほどではなかった。何がそんなに私の恐怖を駆り立てるのか。
「なあ、ルバート。学食棟4階の高さって知ってるか」
震える上下の歯がカチカチとぶつかり合い、ようやく私は答えに辿り着いた。
「手前、ちょっと飛んできて測るか」
そこにいたのは、私の知る彼女ではなかった。
問答無用の【竜巻】で吹き飛ばし、その後に不器用な小言を言う魔法少女ではない。
ただ力で制圧するそのやり口は、全てを焼き払う赤髪の貴公子を思い起こさせた。
恐怖が背中を這い上がり、冷や汗が背中を滴り落ちる。なあ、お前本当に――なのかよ。
「冗談だよ。別の場所で茶をしばきな」
最後の一言に、昔の彼女を垣間見た。
不器用な優しさでコイントスされた500イェン玉を受け取ると、私はわからなくなった。
人は変わる。私もそうだった。
だから、卒業を目前に消えた彼女を責めてはいけないのかもしれない。
だが、それではあんまりではないか。
私の夢をひしゃげたお前はどこにいる。力で制圧するお前と、優しく諭すお前。どちらが本物なのか。
その答えをどうしても確かめたくなった。
尊大な言い方をすれば、私には彼女を値踏みする資格がある。その背中に私の夢を乗せたお前には、責任があってしかるべきだろ。そうでなければ、私の夢は行き場がない。
このときから、黒ホス計画の標的は彼女に変わった。コメリンとクルに言えば反対されるかもしれないので、水面下でたった一人の悪事は進め、そうやってここまで漕ぎ着けたのだ。
期待と不安は混ざり合う。
もし彼女が、私が知る彼女じゃなかったら。赤髪ベリーショートと同種の人間だったらと思うと、足の震えは収まらない。
くくくっ、これは足の震えではない。
武者震いであると、そう言い聞かせる。
演舞場5階にて、静かに待つ。
必ず来るという確信がある。あいつはいつだってそうだ。私の甘い計画など安安と看破して、風のように現れるのだ。
カツカツと昇降口を上がる足音が聞こえた。
息巻く小悪党をこらしめにきた証拠だ。
私はそのとき未来を見ていた。訪れたのは寸分違わぬ現実だった。
「ようルバート。相も変わらず悪党ごっこか」
にやけた口元を不敵な笑みに修正する。悪党はふぬけた笑顔など見せない。
なあ、そうだよな。
お前は変わらないよな。
一学期分も待たせやがって。
お前のせいで私の悪事は終わらないんだぞ。中学三年の三学期から引き続き継続中だよ。この馬鹿野郎、少しは責任を感じやがれ。
いつだって私の悪事の終わりはテメエだ。
最終フェイズは伝統芸なんだよ。お前に吹き飛ばされなきゃ、私の悪事は終われねえんだよ。
「待ち侘びたぜ、リッカ」
そして今日も終わらせてくれ。
夢の終わりを教えてくれ。




