第24話 秘密の最終フェイズ
矢文は、時候の挨拶から始まっていた。
書体も綺麗で好感が持てるが、文面まで好感が持てるかは別問題である。
「貴方のお友達は人質として、丁重にお預かりしています」
読み上げてから命は納得する。
結構あり得る話だなと。
(あのお姫様たちは純粋ですから、簡単に人質にされている恐れが)
那須と根木が、東洋魔術師のモニターを受けた話も合わせて考えれば、辻褄は合う。
(どうやら人質がいる前提で、動かないといけないようですねえ)
友人を助けるのが嫌だというわけではないが、気は滅入る。命には、考慮すべき一つの前提がある。
今朝、唯一の下着を紛失した命は、現在下半身が非常に紙装甲である。
(……ハンディキャップ多すぎでしょうに。女装ノーパン姿で苦境に立つ人間を狙うとは、Hentai外道にも程があります――ッ!)
果たして、【犬】の式神を簡単に焼き払うルバートに、ノーパンで勝てるのか。不安は募るものの、まず目を向けるべき問題はそこではない。主犯格の友人であろう魔法少女の処遇についてだ。
「私は友達を助けに行きますが、それで貴方はどうしますか」
「……ええっとお」
狼狽えるドドスの姿を見て、命はため息を落とす。
ルバートの襲撃時からおかしかったが、今の挙動不審さは誰の目にも明らかだ。
「彼女と共謀していた貴方は、どうしますかと聞いているのですが」
「……ごめんなさいだあ」
命が凄むと、ドドスは巨体を縮こまらせた。
「素直に謝られると、困りますねえ」
「まあ悪気はあったんだけど、お前結構良い奴だったからさあ」
「……本当に素直ですね、ドドスさんは」
下手に口を濁されるより、やり辛かった。罪を問うにはドドスの悪意は薄すぎた。
少しの間ドドスの処遇について悩んだ命だが、根木を見習うことにした。
「……仕方ありませんねえ。友達なので許してあげますが、今回だけですよ」
「本当か! この状況で許すとか、やっぱすげえな、八坂は」
嘘が下手なドドスの賞賛だからこそ、命は気恥ずかしくなる。前髪を弄って赤く染まる頬を隠した。
「まあ、貴方は許しますが、彼女はダメですよ。人質を持っていますし」
「……そっか、ダメかあ。ピリカも私の大事な友達なんだが、どうにかなんねえものかなあ。友達同士の喧嘩は見たくねえんだあ」
「うーん。そう言われると弱いですねえ」
ドドスの懇願を虫が良いと一刀両断できないのが、命の良いところであり、悪いところでもある。
厄介事収集家は毎度のごとく面倒事を背負い込み、うんうんと頭を悩ませることになった。
(秘密を守るためにも、喧嘩は避けるのが最も良い選択ですしねえ)
黒髪の乙女の秘密を守る。
安全に人質のお姫様を解放する。
主犯格との喧嘩を避ける。
この三つの問題を同時に解決するため、命は一計を案じた。幸いにも横には協力者がいた。
◆
セントフィリア女学院の訓練施設――演舞場。
その施設の利用目的は踊りではない。魔法を用いた実践講義で使用される施設である。
間口30m×奥行き45mと、全長は標準的な学校にある体育館施設に近いが、地上5階、地下5階と複数の階層が存在する。
その利用目的上、演舞場は対魔力物質で構成されている。攻撃魔法でも簡単には傷付かないのが、この施設の最大の特徴である。
板張りの平面な部屋は、魔法少女が自らの技と力を尽くし、舞うように戦って欲しいとの願いを込めて、演舞場と命名されたのだ。
その願いに沿うように、この施設で研鑽に励む女生徒は多い。普段は満員御礼で魔法をぶっ放している。
しかし、今日は少し状況が異なる。
各階層は時間貸しされるのだが、全日学力テストの本日は予約数が少ない。その数少ない予約者のなかには、達筆で書かれた名前がある。
5階演舞場 17:00~19:00 ルバート=ピリカ
予約者は、階段を登って5階演舞場に到着した。
ここまで走ってきたため、その額には玉のような汗がある。
「ふはは、王の帰還だ。首尾はどうだ、手下Aよ」
「誰が手下Aだよ。首尾についてはご覧の通りだ」
演舞場の壁際には、二人の魔法少女が座り込んでいた。根木と那須は、ものの見事に縄に巻かれた状態だった。ただ、単純な簀巻き状態ではない。
「……少々結び方が扇情的すぎないか」
「知らねえよ。結んだの私じゃねえし」
悪の親玉の帰還に気づくと、根木は身をねじらせたが、固く縛られた身体は身動きが利かない。
「よくも騙してくれたな系だよ!」
「あの……すいません。私が縛ってしまったばかりに」
呆れ顔のクルトは、一応ここに至るまでの経緯を話し始めた。
時を遡ることおよそ三十分。
学力テストの後、東洋魔術師のモニターとしてお呼ばれした二人は、演舞場に顔を出していた。
「お呼ばれしたモニター1号、根木茜だよ。特に技には秀でていない系!」
「あの……同じく2号の那須照子です。別に力の二号と呼ばれるほど、大した人物ではありません」
「……ああ、宜しく頼むよ」
モニター二名は、変な人物だった。
自分を含めたルバート一味も大概変だが、また違ったベクトルで変な子たちだと、比較的まともなクルトは考えた。
(初めは何からやらせっかなあ。別に何のモニターとか考えてねえし)
基本的にルバートの計画は穴だらけで、失敗することが常だった。
なので、クルトも深くは考えない。それなりに楽しめれば、彼女は失敗しても別に構わないのだ。
「あっ、あそこに何か心揺さぶるアイテムがあるよ、那須ちゃん!」
「何ですかね、茜……ちゃん」
愛称を変えた二人は、目聡く床に置かれたそれを見つけた。『縛る用』とタグ付けされたロープだ。クルトは、焦りを覚えるよりも先に呆れ果てた。
(こりゃあ今日も愉快に失敗して、退散の流れだな)
「すごーい。ロープだよロープ」
「これは……胸躍るアイテムですね」
うひょうと謎の雄叫びを上げながら、根木が丸められたロープを撒き散らすと、反対端から那須が巻き取っていた。彼女たちにかかれば何でも玩具である。
クルトが想像していた以上に、本日の人質候補は阿呆だった。
「あのさあ、君たち何してるのかなあ」
「あっ、すいません。お仕事道具だった系かな。直ぐにうちの那須ちゃんが巻き取ります」
根木が言い終えるよりも早く、那須は全てのロープを巻き取っていた。乱れのない輪をつくるロープは、散らかす以前よりも綺麗だった。
変な子スキルを発揮した那須は、無言ながらも少し誇らしげな顔で主張する。キランと顔の端では綺羅星が瞬いた。
「それで……これを使ってどうするのですか」
「あれだよ、縛るんだよ。東の国の人間の緊縛スキルを調査してんだよ」
「なるほど。面白い調査だね。私の華麗な蝶々結びが火を噴く系!」
飽き性なクルトの言葉を鵜呑みにし、二人は好き勝手にロープの縛り方を披露し始めた。
数えきれないほど突っ込みどころはあったが、もう何も言うまいと、クルトは口を閉ざす。行動的な馬鹿を見るのは嫌いではなかった。
「――という流れで、今に至った」
「……あれか、あの娘たちはアホの子星のアホの子王国出身者なのか」
「誰がアホの子か! 私は自分の馬鹿さをチャームポイントだと思ってるけど、アホは認めない系!」
妙な拘りを主張するも、根木は芋虫のように動くのが限界だ。ロープは完璧に極まっていた。
「あの……無駄だよ茜ちゃん。それは私が縛ったロープなんだよ」
「そして、あのおかっぱ頭は何でちょっと苛つくドヤ顔なんだ。何で、私良い仕事しましたみたいな職人みたいな顔してるんだ」
「さあ。自分の緊縛スキルの高さに酔ってんじゃねえかな」
ルバートは改めて人質を観察する。
両手足を見事に押さえた芸術的な結び方だ。単純にグルグル巻きにするのでなく、各所で結び目を作って網目を意識していた。
「これって、おかっぱ頭の方はクルが結んだのか」
「まさか。こんなエロい結び方、私にはできねえよ。おかっぱ頭の自縄自縛だ」
エロの言葉に那須が赤面する。
緊縛方法を熱心に勉強した結果、知らぬ間にアレな方面に足を踏み入れただけである。
「むう、確かに高い緊縛スキルだ。この才能は伸ばさねばならない」
「伸ばしてSM女王様にでもなるのか」
「まあ確かに、見た目がえっちいのが難点だ」
度重なるエロ評価に墓穴を掘ってでも穴に入りたい那須だが、皮肉にも縛りは完璧に極まっていた。
「ふはははー。人質捕獲完了! 正しく計画通り、全ては私の手のひらよ」
「こいつらのアホさまで計画内なら、私はピリカを尊敬するね、マジで」
アホという単語を呟くことで、クルトはこの場に一人足りないことに気づいた。
「そういえば、コメリンはどうした」
「それについては……回収し切れなかった」
「全然計画通りじゃねえな!」
「まあ、ときには想定よりも、良いことが起きることもある」
意味深な笑みを浮かべながら、ルバートは続ける。
「どうやら、コメリンと八坂は友達になったようだ」
「マジかよ。あのコメリンに私たち以外の友達ができたのかよ」
「私が見る限り、その様子だったな」
ルバートは目を閉じて、矢文を撃った瞬間の衝撃を思い出す。
二人に付き従うばかりだったあのドドスが、身を挺して友達を庇う光景である。あの矢は、吸盤使用の安全使用ではあったが。
「ならもう今回は止めねえか。私もあそこの二人、そんなに嫌いじゃねえし」
「……クル。それとこれは別の話だ。悪いが計画はもう動き始めた。この計画は誰にも止めさせない」
提案を却下するルバートの言葉には、普段にはない重みがあった。
ルバートは相手の発言を尊重し、頭ごなしの否定を避ける傾向がある。それを知るクルトだからこそ、その様子に戸惑いを覚えた。
「なあ、ピリカ。お前何を――」
そこで言葉は途切れた。
疑問を投げかける前に、クルトの目は昇降口に釘付けになった。
「……おい、ピリカ。友達同士って話じゃなかったのか」
5階演舞場に足を踏み入れる者がいた。
本日のメインターゲットである黒髪の乙女――八坂命だ。いや、正確には一人だけではなかった。
命の前には、両手を上げて歩くドドスの姿があった。予備のさらしによる猿ぐつわを噛まされ、頭上付近に黒い魔法弾が浮いている。この様子を見れば、彼女の役割は言わずもがなだ。
「私の友達を解放してもらいましょうか、このHentai外道魔法少女!」
人質を盾にした、平和交渉が始まりを告げた。
当然、全て演技である。これは命がドドスに提案した共謀策だ。人質交換が速やかに済めば、わざわざ無駄な戦闘をする必要もない。
「……私の友達を盾にしておいて、外道はないだろ。この悪のカリスマが選ぶ悪人百選に、見事ラーンクインできる悪役ぶりだな」
「お褒めに預かり、光栄の至りですねえ。で、無駄話をするつもりはないので、早々に人質交換タイムといきませんか」
人質交渉を持ちかけると、クルト周辺の大気がわずかに揺れた。風魔法を使う前兆に気づいて命は身構えるも、先にルバートが右手を伸ばして制止した。
「止めておけ。平和的に人質交換できるなら、それに越したことはない」
「ありがとうございます。話が早くて助かります。なら私の友達二人を解放して下さい」
この場にいる誰もが肩をなで下ろした。
その結末は、誰もが望むものだった――ただ一人、ルバートを除けば。
「……二人ねえ。お前は何寝ぼけたこと抜かしてんだ。数が足りないだろ」
「――ッ! 人質を数で語りますか」
「なるほど。人の命は尊いとか、この悪のカリスマに説く気か。お前、危機感が足りねえな」
ルバートの足元を踊る灼熱が空気を熱し、蜃気楼を起こす。黒水晶の瞳に映る景色は曲がった。
「で、どっちが焼かれても良い人質だ」
どちらも焼かれて良い筈がない。
震える那須と、盾になろうと懸命に身を揺する根木。その光景を見て、命のなかで足りなかった危機感が一気に膨れ上がる。
熱で火照る頬を、嫌な汗が伝った。
「なあ……さすがにやり過ぎだろ」
「気にするな。基本原理は忘れん。最小の悪事で最大の成果だろ」
隣の友人の言葉に抑止力はない。ルバートは火力を弱める様子は微塵もなかった。
(この人……本気に燃やす気です)
燃える瞳の色は、本気の証だった。
ぶれないその視線に、命は恐怖を覚える。人を燃やす覚悟がある以上、何か目論見があるのは確かだが。
(もし、彼女が望むものが)
――命に関する秘密であった場合。
その身を灼熱が焼き尽くす。
火あぶりの刑。その言葉が頭を溶かしていた。
「……貴方の狙いは何ですか」
「簡単な算数の話だ。お前も人質になれば良い。そうじゃなければ不公平だろ」
「私が人質になれば、二人を解放するのですね」
「するね。悪のカリスマは嘘をつかない」
壁際の人質たちは暴れて、命の身を案じた。
「馬鹿なこと言わないでよ、八坂さん。私は大丈夫だから早く逃げてよ!」
「止めて下さい。こっちに来ないで下さい!」
命は不安を押し殺し、精一杯の笑顔を浮かべる。よく見れば、二人は扇情的な結び方をされていた。
(ああ、こんなときにあの二人は)
何度も計算したが届かない。
お互いの魔法行使の速度は段違いだ。命が黒い魔法弾を整形させた瞬間、ルバートは人質を燃やす。
人質のドドスを活用する案も浮かんだが、それも棄却した。不安げにこちらを伺う、優しい彼女を傷つけるわけにはいかない。それは選んではいけない手段だと、善意の壁がシャットアウトする。
(……すいませんねえ。私が不甲斐ないばかりに)
天井に向けてため息をつき、命は覚悟を決めた。不自由ながらも選択肢は存在する。
「わかりました。私が人質になります」
人質交渉の結果、命はその身と引き換えに二人の友達を救い出した。
差し出したモノの価値は分からない。ただ彼女たちが救えて良かったとだけ思う。
――黒ホス計画ver1.8。
その計画は第三フェイズを飛ばして、ルバートのみ知る秘密の最終フェイズに移行した。
この計画の結末を知るのは、ルバート一人だけだ。




