第18話 火より熱きもの、水より濃きもの
――火刑。
それは、燃え盛る火に人をくべる処刑方法。人は古来から火の恩恵を授かると同時に、火への恐怖を持っていた。
欧州において、異端審問にかけられて魔女認定された人物の多くが、その身を焼き払われた。かの有名なジャンヌ・ダルクもその一人である。
政治的に利用され、あるいは治せぬ疫病の恐怖を逸らすため、魔女は幾度となく十字架に縛り付けられてきた。
欧州式の火刑の場合は、その死因の大半は窒息死である。見物人を集めた屋外において、窒息死に至る理由は一酸化中毒ではない。
灼熱に身を焦がす受刑者の足元の踏み台を抜き取り、首にかけた縄をきつく締めるのが原因だ。死体を燃やす場合もあるが、成れの果ては同じである。
炎が拘束具を焼き払い、黒炭となった罪人がどさりと地面に落ちるのだ。
◆
その一部始終を眺めた命は、感想を述べた。
「何ですか、この茶番」
「知らないのか? 『目で見て学ぶ水晶教材―火あぶり編―』だぞ」
「驚くくらいに不愉快な教材名ですね」
結論から言えば、命が焼き菓子になることはなかった。理事長の火あぶり発言は実行されることなく、命は水晶球を使った火あぶり映像を見せられていた。
さしもの本物の火あぶり映像であれば気分を害するところだが、命が見たそれは低年齢向けの映像だ。
凄惨なナレーションを台無しにする役者と演出。
暗転すると、炎で焼かれた人間が黒い布を被って倒れている。子供向けのものなのか、単に予算がないのか、全体的にチープな作りだった。
「これで分かっただろ。お前は常に死と隣り合わせだ」
「ええ。最後で台無しでしたが、良くわかりました。私が担当教員と理事長に謀れていたことが」
「あら。そのような言い方は、止めて欲しいものね」
微笑む理事長に、命は恨めしい視線を送る。そう、全ては彼女たちが共謀した芝居だった。
マグナに両手足を拘束されたあと。
命は死を覚悟し、全身をガタガタと震わせていた。危うく水分という水分を漏らしかける一歩手前、それは始まった。
『目で見て学ぶ水晶教材―火あぶり編―』上映開始。
来賓用ソファーに横たわった命はなすすべもなく、虚ろな目でエンドロールまで見届けた。水晶球の光がふっと消えてから、数分が経過しようとしていた。
「無礼な真似をしたことは謝りますが、これは避難訓練だと思っていだけると嬉しいわ」
「ばっちゃんの言うとおり。これはお前のことを思ってのことだ。現実で同じことが起こって、ハイ終わりじゃあんまりだろ」
「ええ、もちろんです。可愛い女生徒を虐めて楽しむような真似はしませんよ」
バッドエンドの避難訓練。
そのような物言いをすれば聞こえは良いが、命にとっては許容を超えた恐怖だった。拘束を解かれた今もまだ、全身に力が入らない。
「危うく一生消えないトラウマを抱えるところでした。両親にお伝え下さい。命はひどく怒っていると」
「お前よく主犯が誰か分かるな。さすがは外道の血筋だな」
「私の家族を外道扱いするのは止めて下さい。更に言えば、特に私は清廉潔白です」
今回の一件を見抜けなかったことはさておき。
命も、薄々はある可能性に勘付いていた。母親に女学院の古い小冊子を手渡した人物。その人はこの国に住んでいる、命の協力者なのではないかと。
もっとも、その協力者が思いのほか大物だったのは、予想外だった。
セントフィリア女学院の最高責任者にして、魔法少女の卵の総指揮権を握る者――カルチェット=マーサ。彼女こそが母親の協力者だった。
どのような繋がりかは不明だが、大体の話の流れは命にも掴める。
あのえげつない母さまが「息子の危機感を煽ってほしい」と申し出たのだろう。心配する父親をうまく丸め込み、千尋の谷から息子を放る母さまの絵が、命の頭には容易に浮かんだ。
(息子に嫌われないために、主犯者の名前は隠すとか。質が悪いにも程がありますね)
「聡明な娘さんねえ。その綺麗な黒髪といい、楓を思い出すわ」
「確かに、私は母親似と言われますが」
「懐かしいわ。あの幻の魔法少女に、こんな立派な子供がいるなんて。時が流れるのは本当に早いわね」
「この分だと、ばっちゃんも明日あたりには棺桶の中だな」
鈍い音を立てて、マグナの頭にお盆が直撃した。
実行犯は言うまでもなく理事長のマーサである。前のめりに倒れたマグナを気にすることなく、彼女は思い出に浸っていた。
「あの子が、お母さんと呼ばれているなんてねえ。本当によく似ているわ。確かに貴方はお父さんより、お母さん似ね」
「お父さんのことも、ご存知ですか」
「あら、両親の馴れ初めを知らないの?」
マーサは、驚いた顔を見せた。もう昔話に花を咲かせる、優しいおばあちゃんである。
(うーん。マグナ先生は面白半分といった感じだけど、この人は違うだろうし、恨みにくいですねえ)
何より主犯が両親だと判明した今、協力者であるマーサを恨むのはお門違いだ。
命はこのことは一旦水に流して、両親の昔話に耳を傾けることにした。
「そういえば、お父さんが一目惚れしたの知っていますが、それ以上の話は聞いた覚えがありませんね」
「一目惚れですか。そんな可愛らしい話ではありませんよ。貴方のお父さんは一目惚れした楓を探し回って、単身でセントフィリア王国に上陸した男ですよ」
「……お父さんって、魔法使いだったのですか」
「いいえ、どこにでもいる人間よ。ただ恋に盲目な、普通の人間だったわ」
耳を疑うようなトンデモ話だった。
命の知る父親とは、無文紫の袴を着て、いつもニコニコとしている宮司だ。楓大好き人間なのは周知もとい羞恥の事実だが、そこまで危険な橋を渡っていたなど息子の命も初耳である。
「その話、詳しく教えてくれませんか」
「簡単にで良ければ、喜んで」
うっすらと目を細めて、マーサは昔話を語り始めた。
命の母親――八坂楓。
彼女は、箒に乗ることが好きな魔法少女だった。両親からはしょっちゅう怒られたが、それでも性分は変わらない。こっそり箒を持ちだしては、楓は空の模様に溶け込む。
青く澄み渡る穏やかな空。
夕日に染まる力強くも物悲しい空。
ちぎれた雲も、うず高く積もる雲も、空を彩る全てが好きだった。
そんな楓の姿が目撃されてしまうのは、必然だったのかもしれない。
楓が黒髪を風に揺らす様を目撃したのが、後の命の父親――邦命士郎だった。
空を舞う黒髪の乙女を一目見たときから、士郎は恋に落ちていた。
楓の秘密を漏らそうなどと思ったことは、一度としてない。ただ彼女と一緒にいられれば、士郎はそれだけで幸せだった。
「でもね、ある日を境に楓は姿を消したの」
「セントフィリア女学院に入学したのですね」
魔法少女が死に至る病だと、士郎は知らなかった。
これから訪れるであろう別れを、楓は士郎に告げずに日本を発ったのだ。
「別れを告げれば、彼が追ってくると思ったのでしょうね」
「お父さんは、お母さん大好きですからねえ」
「それでね、楓がいないことに気づいた彼は、高校を退学して旅に出たのよ」
「――ちょっ! お父さん何しているのですか」
途中まで美しいお話だったのに、なぜだろうか。物語は急に、恋に燃える男の冒険譚になっていた。
「楓を探して、世界を渡り歩いたみたいでね。ヒントがあれば極寒の地にでも熱帯の密林にでも行って、邪魔立てすればマフィアをも壊滅させたなんていうから、おかしくておかしくて」
「ストップ、ストーップ! さすがに嘘ですよね」
「恐らく本当じゃないかしら。邦命さんは実直な青年でしたから」
突飛すぎて、とてもじゃないが付いていけない。
恋に盲目とか、愛が重いとかでは片付けられない父親の恐ろしい片鱗を、命は味わわされた気分だった。
言葉を失う命を微笑ましげに見つめながら、マーサは先を続けた。
「そうやって三年間世界を回った彼は、その足で集めた情報とわずかな魔法具を使って、とうとうセントフィリア王国に来ちゃったのよ」
「来ちゃった! お父さんが来ちゃった――ッ!」
命の父親は、常識を覆す、前人未到の偉業を成し遂げていた。一般人にして、ついにセントフィリア王国に上陸したのだ。
恋は障害が多いほど燃えるというが、士郎の熱は異常だった。さながら世界を焼きつくす力を持った、レーヴァテインより熱い男だった。
「けどね、時期が悪かった。楓は卒業を間近に控えた魔法少女だったの」
「うわあ。後少し待てば、お母さん帰ってきたのに」
「さあ、それはどうかしらね」
語り手は、真相を知らない命の反応を楽しんでいるようだった。
「楓はね、正規の魔法少女になる道を選んだのよ」
「お母さんが……正規の魔法少女」
それもまた、命には聞き覚えがない話だった。
昔魔法少女だったことは知っているが、まさか上位1%以下の難関を潜れるほど優秀だったとは思いもよらなかった。命の知る楓は、自分を美魔女とか言って憚らない人物である。
優雅に紅茶を啜り、マーサは話を士郎へと戻した。
「セントフィリア王国に密入国した彼は、アウロイ高地へ踏み込んだのよ。何も知らない人にとっては、あの高地を踏破する以外に道はないものね」
「あの……アウロイ高地って魔物がいますよね」
迎えのバスに乗れなかった命も、その話は小耳に挟んでいた。
命とフィロソフィアが空中レースを繰り広げるさなか、バスに乗車した女生徒は「キャーキャー」言いながら、魔物を窓から見下ろしていたらしい。
根木が言うには、アウロイタイガーというゼブラ模様の虎が現れたときが、車内の興奮がピークだったとか。もうサファリパークのノリである。
「虎が棲む場所を歩くのは、かなり危険では」
「あら、ここまで来た貴方のお父さんが虎に負けると思う?」
「……勝ってしまうのですか、そこで」
「ええ。こうバッサバッサと切り捨てたみたい」
理事長はお歳のわりに豪快に、見えない刀を振るっていた。片田舎の宮司だと思っていた父親は、どうも虎狩りの剣士だったようだ。その事実はあまりにも衝撃的すぎて、命は何も反応を返せなかった。
(それにしても、虎ですよ虎)
話に誇張があると思う反面、完全に否定できない命もいた。実際に命は実家で父親から剣道の指南を受けたこともあるし、和室には大太刀が飾られてもいる。
もはやどこまでが真実なのか。悩ましげに首をひねる命の姿を、マーサは面白そうに眺めていた。
「そうしてアウロイ高地を越えたのは良いのだけど」
「あっ、そこは余裕で通過したのですか」
恋路を突っ走る士郎にとって、魔物など敵ではなかった。ただこの国には、虎よりももっと恐ろしい存在が後ろに控えていた。
「そこを越えると平地があるでしょ。クリッグ盆地が広がっているから」
「あそこは開けた土地ですからね。お父さんも目についたのではないですか」
「そう。それで魔法少女に捕らえられて、彼の死刑が確定したのよ」
「展開はや――ッ!」
セントフィリアは、男子禁制の王国である。
リッシュ=ウィーンと同じ魔法使いでないにしても、士郎の行動は常軌を逸し過ぎた。
魔力を持たぬ者には踏み込めぬ土地に足を入れ、アウロイ高地の王者アウロイタイガーすらも切り伏せてみせたのだ。これでは、魔法使いと疑われても仕方のない話だった。
「嫌疑の方は、楓がきちんと払ったのだけどね」
「さすがはお母さん」
思わず拳を握る命とは対照的に、マーサの顔はどことなく憂いを帯びていた。
「けどね命ちゃん、その代わりに楓は大きな代償を負うことになったのよ」
「……大きな代償ですか」
「正規の魔法少女になる夢を捨てて、楓はこの国を去ることになったの」
深く聞かずとも、命はその光景を有り有りと浮かべられる。父親を庇うことで、母親はひとつの道を閉ざされたのだ。
命のなかに湧き上がるのは、父親への失望だった。
そこに行き着くまでは、命は父親をすごい人物だと思っていた。
しかし蓋を開けてみれば、彼はただのすごい馬鹿だった。自分の恋路をひた走った結果、母親の夢路を踏みにじった。その身勝手さが命には許せなかった。
「あの時は国中で騒いだものです」
「……お父さんは馬鹿なのですかねえ。信じられない」
父親への軽蔑を覚え始めた命に、マーサは尋ねた。
「命ちゃん、貴方の家には大太刀がないかしら」
「ありますよ。どうせ虎狩りの一品として飾っているのでしょう」
父親の自室を思い浮かべると、ひしひしと怒りが湧いてきた。今までなんとも思わなかった大太刀が、まるで母親の夢を奪った象徴のように思えてきたのだ。
「全く、お父さんったら。そんな物を後生大事に飾っておくなんて」
「ふふふ、違うのよ。あれは士郎さんなりの覚悟の証なのだから」
マーサが口にした言葉は、まさしく士郎の真剣の覚悟だった。
「もし楓を不幸にしたら、彼は腹を切って死ぬと約束してくれました」
「……冗談でしょう」
「冗談ではありません。彼の言葉は、今でもちゃんと覚えていますから」
――君の夢路を踏みにじったことは、謝っても謝りきれない。だから、俺についてきてくれ。何の才能もない男だが、誰よりも君を幸せにすることができる男になると誓う。約束を違えるときは、この大太刀で腹を斬ろう。
父親の言葉の衝撃は、計り知れない。どのような相手であれば、そこまでの覚悟と誠意を見せられるのか。命には、全くわからなかった。
「命ちゃん。今、楓は幸せですか」
「母親は――」
命の頭に浮かぶ母親の顔は、笑顔ばかりだった。泣いた顔も怒った顔も見たこともあるが、それは誰かを思いやるときの顔だ。
父親と喧嘩をする姿も見たことがない。どちらかと言えば、いつも父親が尻に敷かれていた。
時には息子をほっぽり出して、デートに出かける日こともしばしばである。
また、父親が記念日も忘れたこともなかった。いつも高価な品をねだられては、父親は弱った顔を見せる。命が家計を考えて注意しようと、無駄である。
父親はプレゼントをこっそり買ってきて、命は知らん顔するのが慣例になっていた。
命は知っている。
記念日を一つ経るたびに、母親の宝石箱が充実していくことを。ついでに言えば、出費はきっちり父親のお小遣いから差っ引かれていることも。
それでも、父親はニコニコしていた。
炊事洗濯、家事掃除。
暇さえあれば、父親はいつだって手伝っていた。むしろ母親より働いていたのではないかと、命は思う。
大変だと言いながらも、やはり父親は笑みを浮かべていた。
(……おかしい。お父さんが可哀想に思えてきた)
両親と揃って買い物をするとき、父親はいつも真ん中を歩きたがる癖があった。右手に母親の手を握り、左手に命の手を握るのが、八坂家のお出かけだ。
子供のころは良かったが、物心つくころには命も恥ずかしかった。クラスメイトにからかわれた日には、母親にも相談したこともある。
「本当にしょうがない人ね」
そう言って、母親はいつも微笑んでいた。
きっとそうやって、二人はこれからも歩いて行くのだ。たとえ隣に命がいなくても、たとえ年をとっても、笑顔で手を取り合って歩いていくのだ。
そんな姿が容易に想像できるのに、言えるはずがない。母親が幸せじゃないなんて、命には口が裂けても言えなかった。
「母親は――魔法をかけられたように幸せです」
「そう、なら良かったです」
理事長の温かい笑顔を見ればわかる。
あの日、国を出た魔法少女の行く末を案じていたのだ。心配が杞憂であることは、誰よりも命が知っていた。父親は約束を違えるような真似はしていない。
「命ちゃん。なら二人のことも許してあげなさい。あの二人は、誰よりも男性がこの国に足を踏み入れる恐ろしさを知っているから。だから、不安で不安で仕方ないのよ」
このタイミングで切り出すのはズルいと思ったが、命は両親を許してあげることにした。初恋の物語でゆするぐらいで勘弁してあげようと決めた。




