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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―西高東低のアンビエント編―
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第109話 るいは友を呼ぶ

 賽子遊びの神(デキウス)の宴から一夜明け、命はひどく怯えていた。

 いつ何時伸びてくるかわからないシルスターの魔手に怯えていた……のではない。


「どうしよう……絶対に引かれましたよね?」


 命は昨日ハッスルしすぎたことを酷く悔いていた。途中持ち直したとはいえ、ナローゲートでの振る舞いは黒髪の乙女らしかぬものであった。


「考えすぎだって」


 根木は弱気な命を何度もフォローしたが、命の怯えは消えない。

 命には、友情破壊ゲームで文字通り友情を破壊したトラウマがある。今回もまた友情をクラッシュしてしまったのではないか……、そう思うと気が気でなかった。


 黒髪の乙女がユークラ(友情クラッシャーの意)だなんて噂が流れた日には、これまで以上に人が寄り付かなくなってしまう。そうなったら友達ゲームの行く末なんて見えたようなものだ。


 命は心に積もった不安を拭いきれぬまま、根木と食堂棟に来ていた。場所は先週末と同じ洋食エリア。人であふれ返るここならば誰かが寄ってくるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて選んだ場所だが、


「……誰も来ませんね」


 命たちの周りは閑散としていた。行き交う人のなかにあって無縁。ここはまるで現代社会の縮図、孤独のスクランブル交差点であった。

 どれだけの人がいても交われない、触れ合えない、心通わない……。

 それは特段変わったことではない。生きていれば誰もが一度は味わう孤独だろう。


(なのに……)


 それを寂しいと思うのは、私の心が弱くなってしまったからだろうか。

 命はスプーンを伸ばす気も起きず、オムライスを眺めたまま考え込んでいた。

 いや、考えるふりをしているだけだ。考えずとも答えは明白である。

 自分の心が弱くなったのではない。これは心を開こうとした結果なのだと、命はわかっていた。


 人好きのする笑顔だけ浮かべて、心を閉ざして生きてきたときには味わうことのない痛みがある。

 剥き出しの心とは、これほどに脆いものなのか。姿形を偽りながらも思うままに生きようなんて土台無理な……。


「命ちゃん!」


 ハッとして顔を上げると、無防備な口にスプーンの皿が飛び込んできた。

 パラパラのケチャップライスと半熟の卵が、じわりと溶けて口のなかに広がる。淡赤(うすあか)を帯びたスプーンが、ゆっくりと口から抜かれた。

 命は動けない。

 根木の瞳が一心に命を見つめていた。


「前にも言ったよね。二人でいるときはちゃんと私を見てって」

「……すみません」


 この遣り取りも二度目だ。この調子だと根木にも愛想を尽かされるかもしれない。

 命がそっと顔色をうかがうと、根木は優しく微笑んだ。


「そんなに怖がることなんてないんじゃないかな。少なくとも私は、ずっと命ちゃんの友達だよ」


 命は小さく息を呑んだ。いつもトンチンカンなことばかり言うのに、根木はたまに核心を突くようなことを言う。


「それに私、うれしいんだよ。最近の命ちゃんは、わがまま言ってくれるようになったし」

「……わがままを言われて、うれしいのですか?」

「うん!」


 根木は大きく頷いた。


「前までの命ちゃんだったら、私に助けてなんて言わなかったもん。なんて言うのかな。上手く言えないけど……対等になれたみたいでうれしかったんだ。命ちゃんは一緒にいても、どこか距離を置いてるところがあったから」

「それは……」


 秘密を守るための自衛行為であった。しかしそれを口実にして、表面的な付き合いばかりしていたのも事実である。


「最近の命ちゃんは感情豊かだよね。シルちゃんに喧嘩売ったり、ボードゲームで熱くなったり、それによく笑うようになった。前までは唇だけで微笑ってたけど、最近はよく歯を見せて笑うもん」


 それは、指摘されるまで命自身も気づいていない変化であった。


「よく見ていますね」

「……うん。そりゃね」


 きっとこの世界にいる誰よりも私は貴方のことを――声にならない想いは淡く儚く、少女の胸のなかで消えた。


「大丈夫だよ。私は命ちゃんの良いところ、いっぱい知ってる系。命ちゃんのせいで誰も近づかなくなるなんてこと絶対ないよ!」


 根木はどこか寂しげな笑みを浮かべた。不謹慎かもしれないが、もう少しの間、二人だけの時間が続けばと願ってしまう。

 でも、二人だけの時間は直に終わりを迎えるだろう。根木が命に惹かれるように、きっと他の誰かも命に惹かれることはわかっていた。


「ほら来た」


 雑踏を縫うようにして、二人の前に姿を現したのは、


「じゃじゃーん。呼ばれて飛び出て山田です!」


 山田。まごうことなき山田であった。


「山田さああああああん――ッ!」


 山田というありふれた名字がこれほど愛おしいと思ったのは生まれて初めてかもしれない。命は山田を精一杯もてなした。


「うわっ、なんだか山田めっちゃ歓迎されてます。こんなに歓迎されたのは、ライブでアンコール受けたとき以来です」

「おおっ、山田さんはバンドガールでしたか!」

「ええ。この山田、数いる山田のなかでもかなりロッキンな山田だと自負しています。前にアンコール受けたときなんて、勢い余ってギター壊しちゃいました」

「ロックは死んだ――ッ!」

「いえ、死んだのは山田のレスポール・ジュニアです……」


 初めて買ったエレキのことをどうして忘れられよう。あの日、アドレナリンとともに魔力があふれるようなことがなければ、山田はセントフィリア女学院でもバンド活動を続けていたかもしれない。

 しかし、たらればの話はしない。

 山田はロックの女。前しか向かねぇ振り向かねぇのである。


「まあ、山田のことはいいとして。聞きましたよ、お二人。昨日はずいぶんとお楽しみだったそうじゃないですか」

「言い方――ッ!」

「えっ……命ちゃん、昨日楽しくなかった?」

「いや、とても楽しかったのですが」


 命が口をもごもごしていると、通りすがりの女生徒が百合の花のように美しい笑顔を見せた。

 命は慌てて「楽しかったですよ、ボードゲームが!」と付け加えた。通りすがりの女生徒は、寂しげな表情を浮かべて去っていった。


(……何ですか、今の)


 命は深く考えないことにした。黒髪の乙女は、他人の趣味嗜好には寛容なのである。


「失敬。今のは誤解を招く発言でした」

「もう、言葉遣いには気をつけて下さいよ。山田さん、ジャーナリストなのでしょう?」

「うーん。山田、タブロイド紙のライターみたいなもんですから」

「意図的に誤解招くやつだ――ッ!」

「冗談ですよ。山田これでも社会派ライターですよ」


 元ロックンローラーの社会派ライターとは、一体何なのだ。命は困惑したが、山田の言うことはあながち間違ってもいなかった。

 山田は、シルスターを頭文字(イニシャル)で批判した学生新聞、プレススクール(通称プレスク)を発行する新聞部の駆け出し記者である。山田と友達になったのも、彼女の突撃取材がきっかけであった。


 ――山田、お二人のロックな姿勢に感銘を受けました。ぜひとも山田に取材させて下さい!


 開口一番そう言った山田と、命たちは直ぐに意気投合した。今では記者と取材対象であり、友人同士でもあるという奇妙な関係を築いていた。


「それでは早速ですが」


 山田は飴色のショルダーバッグ(これまたジャーナリストが愛用していそうな本革のバッグ)を開くと、メモ帳と万年筆を取り出した。


「昨日のことを教えてもらえますか? ボードゲームを使って、上を下への乱痴気騒ぎだったと聞きましたが」

「……乱痴気騒ぎって」


 きょうび聞かない言葉だが、ハメを外したという意味であれば間違っていない。

 根木は「いいよー」と快諾したが、命としては己の恥を晒すようであまり気が進まない。口を開くことを躊躇していると、急に右肩が重くなった。

 何ごとかと横を見ると、


「昨日はひどかったネ。夢のなかでもこいつにキルされたヨ」

「紅花さん!?」


 そこには、命の肩に顎を乗せた紅花がいた。

 不意打ちのスキンシップに心臓が早鐘を打つ。どうして女の子は、こんなに良い匂いがするのだろう。桃のような甘い香りが命の鼻腔をくすぐった。


 引き剥がすか、いや、それは失礼か。

 命が即応できずにいると、


「やめなさい」


 紅花の隣にいた女生徒が、紅花の頭を持ち上げた。


「いいだろ別に」

「距離が近いんだって。ごめんねー、命ちゃん。紅花って、ちょっと仲良くなると直ぐ馴れ馴れしくなるの。鬱陶しかったら引っぺがしていいからね」


 そう言って会釈した女生徒を見るなり、根木は顔を輝かせて喜んだ。


小喬(チャオ)ちゃん!」

「茜ちゃーん!」


 紅花と連れ立って現れた小喬は、根木とハイタッチを交わした。

 出会ったのは一昨日のことだが、この二人はやけにウマが合った。それこそ放っておけば、ずっと喋っているのではないかと思うほどだ。


「おい、小喬」


 と、紅花は言いかけたが止めた。今話しかけたところで右から左だろう。

 紅花はあきらめて、命の隣に腰を下ろしたが、


「おい、命」


 今度は命がお尻をずらして距離を取った。半ば空気椅子状態の命に対し、紅花は怪訝な目を向けた。


「何の遊びだ、それは」

「……怒っていませんか?」

「はあ?」


 想像だにしない言葉に、紅花は眉をひそめる。


「何にだヨ」

「昨日、私が紅花さんのことをけちょんけちょんにしたことにです」


 何を言うかと思えば……、紅花は頭を掻こうとして、右手をテーブルに戻した。お団子ヘアを崩すと小喬が怒るのだ。


「別に怒ってないヨ。勝負ごとに負けたからといって、勝った相手を恨むのはお門違いヨ」

「……本当に? 本当の本当に?」

「しつこいな」


 幼いころから中国武術を習っていた紅花にとって、勝つも負けるも兵家の常であった。だから怒ってなどいない。

 ……そうさらっと言えれば良かったのだが、紅花は口下手であった。

 かてて加えて、自分が平時でも怒っているように見えることは本人も自覚していた。

 くそっ、父親譲りのつり目がいけないのだ。母親はあんなにたれ目なのに。

 紅花は心中で悪態づいてから、彼女なりに言葉を選んだ。


「怒っている相手の肩に顎を乗せると思うカ?」

「……紅花さん」

「そういうことだヨ」


 紅花は顔を背けたが、命の真正面には赤く染めた耳が向いていた。


(ツンデレだ。ツンデレ中華がいます)


 命は失礼なことを考える一方で、胸をなでおろしていた。過去を美化されるものもあれば悪化するものもある。命にとって友情破壊事件は後者で、心の底にたまった真っ黒な澱であった。

 その澱が今、すうっと胸から消えたような気がした。


 ――大丈夫よ。命にもきっといつかできるから。貴方の全力を受け止めてくれる友達が


 不意に、幼き日に聞いた母親の声が頭をよぎった。


(お母さん……命はやりました)


 命は、遠い地にいる(と思う)母親に念を送った。

 届かなくても構わない。

 小さな命にとって大きな事件だった過去に、踏ん切りをつけたかっただけだ。大きな(158cm)にとって、こんなことは大したことないと。

 心を剥き出しにすることはまだ怖いけれど。

 お尻ひとつ分ぐらいは距離を詰めることができる。

 命は居直って、久しく口にしたことがなかった言葉を口にした。


「それでは……また私と遊んでくれますか?」

「当たり前だ。今度は私がけちょんけちょんにする番ヨ」


 紅花の笑みは好戦的でいて、それでいて友好的なものだった。つられて微笑んだ命には、もう迷いはなかった。

 これでやっと、心置きなく、声を大にして言える。


「やった! それでは次は本気を出してもいいですよね?」

「ゑ」


 紅花の声が裏返った。危うく「もあー」しか言えない廃人にされるところだったのに、あれで手加減していた……だと。


「ちょ、ちょっと待つヨ! けちょんけちょんにしてやるとは言ったが、それは売り言葉に買い言葉というやつで」

「うわー、楽しみだなあ。私、思い付いたはいいけど、躊躇して使わなかったコンボとかあって。あっ、紅花さん、今日の夜とか空いています?」

「聞けヨ――ッ!」


 紅花の必死な声も、浮かれた命には届かない。黒髪の乙女の頭は、ナローゲートのえげつない戦術でいっぱいだった。

 あれもこれもみんな試してみようと奸計を巡らせていると、


「あの!」


 山田が意を決して挙手した。


「山田、色々と聞きたいです。何だかとても面白いことになってる気がします!」


 山田は、数いる山田のなかでもかなり察しが良い山田だと自負している。集まった面々の会話の端々から、友達ゲームの局面が大きく動いたことを嗅ぎ取った山田は、目を爛々と輝かせて万年筆を走らせていた。


「もしかして東の后も友達になったんですか。山田、気になります!」

「お、おう……まあ何というか」


 紅花は歯切れの悪い返事をした。山田がグイグイ来たことも要因の一つだが、それ以上に友達という単語を口にすることが恥ずかしかったのだ。

 口にしてしまえば、それが陳腐な――


「そだよー。紅花ちゃんとも友達になったんだ。えへへー」


 人の悩みも地の文もブッちぎる。それが根木茜という女である。しかも、そこに能天気仲間である小喬まで加わってきた。


「もう、紅花ったら恥ずかしがっちゃってー。昨日は、茜ちゃんと友達になったって、うれしそうに報告してきたくせにー」

「おまっ……このバカ小喬!」


 紅花は反射的に叫んだものの、何だか怒る気すら失せてきた。さっきまで紅花に猛アタックしていた山田も根木に食い付いているし、私は一体……。

 紅花は、些細なことで悩んでいた自分のことが馬鹿らしく思えてきた。


「……なんであいつら、恥ずかし気もなく人のこと友達とか言えるんだヨ」

「私にもわかりません」と命。


 人のことを友達と呼ぶことに抵抗がある二人にとって、根木と小喬は信じがたい感性の持ち主であった。


「でも、友達になれて良かったじゃないですか」

「ああ……そう言えばあいつ、手順を踏んで友達を作るとか言ってたが、私は条件を満たしたってことカ?」

「友達認定されたということは、そういうことでしょう」


 命は曖昧な返しをするに留めておいた。実のところ、根木の言う友達の条件について、おおよそ当たりはついていた。


(根木さんが友達だと認める条件は恐らく)


 ――お互いに心の底から笑い合うこと。


 言葉にすれば簡単だが、血の繋がらない相手と成し遂げるには難しい条件だ。

 友達にしろと迫っていたときの紅花がそうだったように、調子を合わせて作り笑顔を浮かべるだけの相手には、根木はなびかないだろう。

 自分と相手が楽しめることを、あの遊び人は心の底から望んでいるのだ。


 だから、命は黙っておくことにした。根木が大事にしていることをつまびらかにする必要はない。世の中には胸に秘しておいた方がいいこともあるのだ。魔法少女育成施設に女装潜入していることとか。


(しかし、そうすると……)


 一つ疑問が残る。私は一体いつ茜ちゃんと友達になったのだろう。彼女は、私が唇だけで微笑っていることを早い段階から見抜いていた。

 ということは、お互いに心の底から笑い合うという条件を満たしていないことになる。

 あれ?

 私と根木さんって、ついさっき友だちになったのでは? いやいやいや、友達でもない相手を友達ゲームのパートナーに指名するか?


 命がそんなことを考えていると、洒落っ気のない三人組が近寄ってきた。


「八坂氏、茜氏! いやー、昨日の夜は熱かったっスね。おかげさまでナローゲートも目に見えて良くなって!」

「……あんたは横から口出してただけでしょ。あーねむい」

「ツンデレ中華もチャオ」

「だから誰がツンデレ中華だ!」


 無駄に声が大きいクララ、目の下に隈を浮かべたリーゼ、そして半ばお決まりとなった文句を言うノエミ。ボドゲ研の三人組がフレンドリーに接してくると、ワンテンポ遅れて小喬が反応した。


「チャオ……え、誰か呼んだ?」

Ciao(イタリア語)だヨ! お前は黙ってろ!」

「えー、今のひどくなーい?」

「わかる。でも素直じゃないところも紅花ちゃんの味だよね」と根木。


 それな、とノエミが大きく首肯した。


「ツンがあってこそのデレです。ツンの部分も積極的に愛でていきましょう。紅花ちゃーん、世界一かわいいよ!」

「どうもありがとっ。えへへー。あのお団子、私が毎日作ってるんだよー」と我がことのように照れる小喬。

「うぉおおおおおおおおお。紅花ちゃんテラコズミックかわいいぃぃぃいいい――ッ!」と人目も憚らず叫ぶクソナード。


 ノエミの発言を契機に、かわいいコールがカオス的インフレーションを起こした。

 かわいい! かわいい! 紅花ちゃんかわいい! スーパーノヴァかわいい! マイクロブラックホールかわいい! ビックバンかわいい! 宇宙プラズマかわいい! ツングースカ大爆発かわいい ガンマバーストかわいい――


 宇宙規模の褒め殺しに、ついに紅花の羞恥は許容量を超えた。決壊した羞恥は耳のみならず紅花の全身を真っ赤に染め上げた。


「やめろおおおおおおおおおおお――ッ! 何の嫌がらせヨ!」

「お、落ち着いて下さい、紅花さん!」


 命は、今にも【方天戟】を抜きかねない紅花を取り押さえた。東の后が本気で暴れたら重軽傷者多数は必至。間違いなく命も巻き込まれるだろう。

 はいしどうどう。

 命は紅花を落ち着かせると、周囲に目を向けた。


「紅花さんをかわいいと褒めそやす気持ちはわかります。ですが、私は何度でも言いますよ」


 命は、一貫して主張する。


「いいですか、みなさん……紅花さんはかわいい系よりキレイ系です」

「お前もカ――ッ!」

「ひいいぃぃごめんなさごめんなさいちょっぴり調子に乗りました」


 抜槍。命の頭上を【方天戟】が通過した。艷やかな黒髪が数本、はらりと床に落ちる。直ぐ近くにある死を予感した命は、慌てて両手を突き出した。


「おおお、落ち着いて下さい。いくらボードゲームで勝てないからって、リアルファイトに持ち込むのは禁止です。暴力反対っ!」

「ナローゲートは関係ないだロ!」

「あります。あるったらあるのです! 仮にここで私が凶刃に倒れたとして、世間の人はどう思いますか? ああ、あの子はボードゲームで勝てないから、ついカッとなって刺したのだと思いますよ!」

「……ぐっ」


 紅花は苦い顔をして、【方天戟】を宙に溶かした。

 命の言うことは一から十まで屁理屈だが、周囲の人がどう受け止めるかは別の話だ。命がわざとらしく叫んだことで、このテーブルは注目を集めている。紅花も不用意な真似はできなかった。


 ……小狡い手を使いやがって。紅花のつり目はそう糾弾していたが、命はどこ吹く風だ。話題をすり替えた命は、そのまま続けた。


「ボードゲームの勝負は、ボードゲームでしか精算できません。もしも私のことをけちょんけちょんにしたいと言うなら、ナローゲートで勝負です!」

「誰がやるカ!お前はそうやって自分の得意分野に持ち込もうと――」

「おや、逃げるですか?」


 おや、逃げるのですか……オヤ、ニゲルノデスカ……OYA NIGERUNODESUKA。

 紅花の頭のなかで安い挑発がリフレインした結果。

 ――着火。

 紅花は元より気の長い方ではないのだ。


「上等だ。ぎったんぎったんにしてやるヨ!」

「望むところです。返り討ちにして差し上げましょう!」


 命が「クララさん!」と呼ぶと、彼女は困り顔で目を伏せた。


「八坂氏……目に見えて良くなったとは言いましたが、昨日の今日っスよ」


 ボドゲ研のメンバーは、命が昨日の内に律儀に渡してきたデバッグシート(ノエミ曰く、鬼畜の所業)の対応に追われていた。

 寝る間も惜しんだ代償として、リーゼなんかはわかりやすく目がトロンしている。

 そう、彼女たちは徹夜明けなのだ。


「さすがに改良版のナローゲートがあるなんてこと……あるえぇぇぇえ? なんだこれえぇぇぇえー。足元に何かあるぞおぉぉぉおー!」


 白々しく驚くクララに対し、リーゼは眠た気に「ちょうっさい」と非難したが、当人はお構いなしだ。徹夜明けにおねむになるリーゼと違って、クララは一周してテンションが上がるタイプだった。

 彼女は昨日そうしたように、せっせと荷物を広げて準備を整えた。

 果たしてそこにあらわれたのは。


「なななんと、改良版ナローゲートっス」

「わー」


 知ってた。命は昨日そうしたように申し訳程度に拍手を送った。これに気を良くしたクララのボルテージはさらにあがった。


「レデイィィィースエーンドゥジェントルメエェェェェン! エーンドゥ犬エンドゥ猫エンドゥこの世に生きとし生けるものおおぉぉぉぉお――ッ!」

「……ツッコミどころ多すぎ」

「徹夜明けにクソナードのハイテンションとか、生き地獄かよ」


 クララはツッコミを放棄し、ノエミももはや疲労の色を隠そうとしなかった。ゾンビと化したボドゲ研に命たちは若干引き気味だったが、ここまで来たら引き下がれない。


「生きとし生けるものー!」


 一人クララに共鳴してハイテンションになった根木に先導される形で、命たちは新生ナローゲートで遊ぶことした。

 ゲームを始める段になると、クララがひらめいたという顔つきで言う。


「あっ、せっかくこんだけ人数がいるんなら、チーム戦にしないっスか?」

「まーたあんたは思い付きで変なこと言って」

「でも面白そうだよ、チーム戦!」

「さすが茜氏。わかってるうぅぅぅう!」


 リーゼは、はあ、とため息を一つ。好きにすればとでも言いたげな態度だった。昔なじみとはいえ、クララの相手をするのは疲れるのだ。

 賛成2、反対ゼロ、他サイレントマジョリティーで可決。

 新生ナローゲートの記念すべき一戦目は、チーム戦となった。


「はいはーい。そしたら私、命ちゃんと組みたい!」


 早いもの勝ちだとばかりに、身を乗り出したのは根木だ。命の隣に座った少女は、人知れず机の下で拳を握りしめた。


「んー、そしたら私は順当に紅花とかな」と、顎に手を当てる小喬。

「順当って何だヨ。私は命以外だったら誰でもいいヨ」

「……へえ」

「小喬がいい! 私は小喬と組むヨ!」


 一転して紅花は小喬と組むことを主張した。

 今の「……へえ」には、一体どれだけの意味が込められていたのだろう。

 命は、小喬から目をそらした。

 目を合わせてはいけないと本能が訴えていた。

 一瞬、命たちの長机には不穏な空気が流れたが、常にも増して空気の読めないクソナードは気にも留めなかった。


「むむむっ、なら自分はリーゼと組むっス! ヘイヘイヘーイ。見せてやろうぜ、自分たちの幼なじみプゥワアー」

「パス」


 マジ眠いしマジダルいし「パワー」のこと「プゥワアー」とか言うのマジイラッとするし、リーゼは幼なじみを軽くあしらった。手をひらひら振ると、おやすみなさい。リーゼは机を枕にした。


「そ、そんな!」


 クララは呆気に取られて口を開けている。リーゼにあしらわれたことは一度や二度ではないが、なぜか彼女は幼なじみには絶対の信頼を寄せていた。

 徹夜明けのテンションも一時(いちじ)に冷める。

 クララはすがるような目で「リーゼ、リーゼ」と彼女の肩を揺すったが、返ってくるのは安らかな寝息だけだった。


「ノ、ノエミ」


 クララは助けを求めるようにもう一人の仲間を見遣ったが、ノエミと目を合わせてくれない。ノエミはノエミで、キープちゃんとして扱われるのはごめんであった。

 彼女は目を背けた先にいた、万年筆を走らせる女生徒に目をつけた。


「そこの山田さんとやら。私と組みませんか」

「ほう……この山田に目をつけるとは、なかなかの慧眼の持ち主ですね」


 山田という名字だけで軽んじられることが多い山田は、自分のことを褒めてくれる人のことが大好きだった。

 人のことをキープ扱いしたクソナードに目に物見せたいノエミ。

 もっと褒めて欲しい山田。

 利害の一致した二人は固く手を取り合った。


「……あれ、自分は?」


 必然、ポツンと取り残されたクララ。彼女は頭を抱えて身震いした。


「ください……やめてください。誰っスか、最初に二人組作ってーとか言い出したのは」

「今回に限ってはおめーですが、同情はしてやります。(ナオン)のペアすらキチーのに、男女ペア組ませるとか、人類史に残る罰ゲーム」

「……海外でもあるのですか」


 最初の人類(アダムとエバ)が誰かはともかく、命は深く同情する。彼もまた二人組にトラウマを持つ一人であった。

 可憐な容姿が災いし、二人組が組めなかったことは数知れず。命を男として扱うか女として扱うかという議論で、体育の授業がまるまる一時間潰れたことすらあった。


 これはいけない。和をもって尊しとなす黒髪の乙女として、余りもの事案は見逃せない。命は誰か適当な人がいないか周囲を見渡すが、そんな都合良く目につく人が……いた。


 頭に巻いたペイズリー柄のバンダナに、腰までたらした真ん中わけの金髪ロング。何よりも顔にあしらったラインストーンが目立つ。

 奇抜な女生徒が集まるセントフィリア女学院でも、群を抜いて奇抜。

 ふらふら歩いていた闇商人を、命は手を振って呼び寄せた。


「ポーシャさん、グッドタイミングです!」

「そりゃ奇遇。私もお前さんから金を取り立てようと思っていたところさね」

「あっ、やっぱり帰ってください」


 和をもって尊しとなす。ただし金の切れ目は縁の切れ目。だって切れ目ができたら、和は作れないでしょう。そうでしょう。

 命は、ポーシャには早々にお引取り願うことにした。


「お引取りしないでえええぇぇぇ! ちょっと待って欲しいっス!」


 ポーシャは引き止めたのはクララだ。自分を救ったくれたゲームにすら裏切られたとあっては、彼女はボドゲ研すら辞めたくなってしまう。


「どこのどなたか存じませんが、私と一緒に遊んでくれないっスか。ほら、顔見知りの八坂氏もいるっスよ!」

「うーん。せっかくのお誘いだが、わちゃわちゃしているのは苦手でね。他を当たってくれないか」

「……そんな」


 クララは目に見えて落ち込んだが、ポーシャは薄っぺらい笑みを浮かべるだけだ。彼女は拾う神でもなければ慈善事業家でもない。闇商人が拾うのは、金目のものだけと相場が決まっている。


「……んっ」


 だから、それがポーシャの目に入ったのは偶然ではなかった。


「これはなかなかどうして。立派なもんさね」


 新生ナローゲートの出来栄えにポーシャは感嘆した。闇商人は耳が早い。昨日、命たちがナローゲートなるもので遊んでいたことは知っていたが、その現物は闇商人の想像よりよくできていた。


 この褒め言葉に即座に反応したのは、クララだ。自分が作っているものが褒められるのというのは、何物にも代えがたい喜びなのである。


「そうなんスよ。ほら、見て下さい。この赤煉瓦の街並みとかクッソ最高じゃないっスか。昨日、描き直したんスよ」

「……やめて」


 リーゼが、かすかに残った意識を総動員してクララの裾を引っ張ったが、熱くなったクソナードはこの程度では止まらない。


「システムだって昨日全面的に見直して……なんか、こう……ナロおぉぉゲえぇぇぇトおぉぉお超エキサイティン! って感じなんスよ」

「ほう。それは面白そうじゃないか」


 ドヤァ。システム担当のノエミは腕を組み、ここぞとばかりにドヤっている。命が鬼のように見つけたバグを改修した彼女には、ドヤる権利があって然るべきである。

 正直命も、あの量のバグを一夜で直してくるとは思っていなかった。

 気を良くしたノエミは「あれ一夜で直したの自分なんすよ」と山田にアピールし、山田は山田で「さすがマイフレンド。山田ぐらいすごいです」と褒め言葉なんだか自画自賛なんだかよくわからない言葉を返していた。


「どうっスか。だんだん遊びたくなってきたんじゃないっスか」

「ああ、これは万人が遊びたくなるゲームだと思うよ。これなら遊び相手の一人や二人直ぐに見つかるさね」

「あるぇー?」


 てっきり一緒に遊んでくれる流れだと思っていたクララは、首をひねる。どうやら万人のなかに闇商人は含まれていないようだった。

 クララをすかしたポーシャは、自然な足取りで命の後ろに移動した。


「お前さんお前さん」

「何の用さね」


 命はおどけて返したが、後ろに取り立て屋がいるのは落ち着かない。シルスター問題の裏に隠れているが、命の極貧生活もこれはこれで深刻な問題なのだ。

 命はいつ納豆と梅干しの代金を督促されるかと構えていたが、クララから耳打ちされたのは予想外の言葉だった。


「あれが欲しい」

「……はい?」


 あれとは、ナローゲートのことだろう。ポーシャの熱い視線が、ナローゲートに向いていた。

 しかし欲しいと言われても、命も困る。

 ナローゲートはボドゲ研の資産である。命の一存でどうこうできるものではない。ナローゲートはたった一つしかないのだ。

 そこまで考えて、命ははたと気づいた。闇商人が欲しがっているのは、たった一つしかないナローゲートではないのだと。


「……版権ですか」

「察しが良くて助かるよ」


 暗い笑みを浮かべる闇商人。ポーシャの狙いはナローゲートの量産および独占販売にあった。


「お前さんが連中を上手く説得してくれるなら、それなりの見返りは約束するさね」


 金の上の約束は、死んでも守るのが闇商人である。そのことについては、命もポーシャのことを信用していた。

 命はひそめ声でポーシャとの会話を続ける。


「見返りはともかく、売れるのですか?」

「売れる。この国の女はみんな娯楽に飢えてる。魔法少女を題材にしたボードゲームなんてあつらえ向きな商品が売れない訳がないさね」


 ポーシャは小声であったが自信満々に断言した。割に合わないので数をしぼっているが、アガルタ商会ではボードゲームも取り扱っている。

 今は一部の好事家にしか需要がない品だが、安価なプライベート商品があれば売り方も変わってくる。勝算は十二分にある、と闇商人は踏んでいた。


「どうだい。お前さんにも旨味がある話だと思うが」


 命が金に困っていることはすでに知っている。必ず食い付いてくるはずだと、ポーシャは確信していた。

 命は数秒ほど黙考してから答えを出した。


「説得できるかは保証しかねますが、前向きに検討しましょう」


 ですが、と命は前置きする。


「二つ条件があります。一つ、版権は売りません。売るのはナローゲートの製造と販売をする権利だけです」


 長期的な視野に立てば版権ごと欲しいところだが、ここで議論しても始まらない。ポーシャは無言で先を促した。


「もう一つは、私をエージェントとして間に挟むこと。クララさんたちと直接契約することは認めません」

「……なるほどなるほど」


 同じ嘘つき村の住人だと思ったが、お前さんはそちら側の人間か。ポーシャは珍しいものを見る目で命のことを眺めた。

 あれほど弁が立つ者であれば、クララたちを丸め込むことはそう難しくないだろう。しかし命は彼女たちを騙すことを是としなかった。

 自作のボードゲームを世に広めたいというボドゲ研の夢を尊重した上で、彼女たちに最大限利益をもたらすよう話を運んでいた。


 ポーシャと手を組み、版権を買い叩いた方が甘い蜜を吸えるというのに、大したお人好しである。

 ……いや、単にお人好しと称するのも違和感がある。

 命は、ポーシャとクララたちが契約を交わした暁には、きっちりと仲介手数料をいただく腹積もりであろう。あるいは命個人にもロイヤリティーが入る契約を交わす気かもしれない。


 卑怯である。姑息である。だが悪人ではない。

 かと言って善人と呼べるほど澄み切ってもいない。

 闇商人の前にいたのは、世のなかには白と黒より灰色が蔓延っていることをよく知っている俗物であり、偽善者であった。

 自身とは似て非なる同郷の士を、ポーシャは楽しげに眺めていた。


「ねえねえ。二人とも何の話してるの?」

「いや、ちょっとした世間話さね」


 根木の問いかけかわすと、商談モードを解除する。ポーシャは胡散臭い女に戻り、ただそこにいることにした。


「直接参加できないのは心苦しいが、私は人がプレイしているゲームを見る方が好きな質でね。後ろから見学させてもらってもいいかな?」


 わかる、と昨日同じことを言ったノエミが首肯した。特に反対意見もなかったので、ポーシャは賑やかしとして席に加わった。


「ほら、ポーちゃんもやらないって言ってるし、遠慮することないって」


 ポーシャが不参加を表明すると、根木は明後日の方向に向かって話しかけた。遠慮がちな友達を諭すような口調。そう、まるでそこに誰かがいるような――


「えっと、もしご迷惑でなければ、私が参加してもよろしいでしょうか」

「――ッ!?」


 そのとき、テーブルに衝撃が走った。冬の影のように曖昧なものが、急に何もない空間から現れたのだから驚きを禁じ得ない。


「もしかして……ハルちゃん?」

「はい、ハルちゃんです」


 塩顔ハルちゃんこと青菜小春は、薄い笑みを浮かべて答えた。これには、いつもは飄々としているポーシャですら瞠目していた。


「これは驚いたさね……一体いつから」

「驚かせてしまって、すみません。でも私、ずっと前からいました」


 命はまさかと思って記憶をたどると……いた。彼女は命が食券を買っているとき、同じくオムライスを選んでいた。


「むむむっ、この山田の目をもってしても見抜けませんでした」

「えー。それはみんなドイヒーだよ」


 根木の非難に対して、同じテーブルにつく者は苦笑するしかなかった。


「ねえ、紅花。ねえねえ、紅花……今の何?」

「慣れろ。ああいうもんなんだヨ」


 前は命に説明を求めていた紅花も、もはや理解することをあきらめていた。この世には説明のつかない摩訶不思議がいっぱいあるのだ、と彼女は自分に言い聞かせた。

 すると、どうだろう。青菜のことをすんなりと受け入れられるではないか。

 ボドゲ研のメンバーも理解することをあきらめた口だった。


 クララはいつもの調子で「青菜氏」と言いかけてから、言い直した。


「ハルちゃん! もしかして自分と組んでくれるんスか」

「はい。私でよければ」

「うおおぉぉぉぉぉぉおん! いいに決まってるじゃないですかああぁぁぁあ!」


 クララは青菜の手をつかんで上下にブンブンと振った。影は薄いけど、とても良い子である。自分だけでも青菜のことを覚えていようと、彼女は強く心に誓った。


「さあさ。紆余曲折ありましたが、これでやっと役者が揃ったっス!」

「……役者ねぇ」


 青菜の突然の登場に驚き跳ね起きたリーゼは、皮肉っぽく言った。彼女の言わんとすることは、命にもよくわかる。

 右を見ても左を見ても、変な人。こんな役者ばかり集めた一座があれば、それは相当な物好きであろう。


 行き交う女生徒の目だって好意的なものばかりではない。むしろ悪目立ちする集団に対し、非難の目を向けてくる者の方が多いかもしれない。

 命もこの集団に交じることに気恥ずかしさがないといえば嘘になる。

 今だって、赤がいいだの青がいいだの言って魔法石のピースを奪い合っている。


「ねえ何あれ」「騒ぎすぎ」「百合の波動を感じる」などと、通行人から後ろ指をさされることもしばしば。


 お恥ずかしい限りである。黒髪の乙女としては、もっとお淑やかであって欲しいとも思う。けれど、


「楽しーね、命ちゃん」

「そうですね」


 隣の根木に問われれば、素直にそう答えてしまう。


 誰も彼女(かれ)もが一癖も二癖あって、妙なこだわりを持っていて、けれど全くの他人とも思えないどこか鏡写しのようなところがあって。


(ああ……そうか)


 こういうのを"類は友を呼ぶ"というのか。命は唐突にその言葉の意味を理解できたような気がした。

 先週この場で感じた寂しさは、もうここには残っていなかった。


 少女たちは遊ぶ。昼休みの寸暇すら惜しむように。

 辛いこと、苦しいことが遠くない未来で待っていたとしても、楽しいことを見失いたくはないから。


 明日のことはわからない。

 でも。

 淑女にはまだ遠い少女たちは、今を生きていた。

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