第108話 王者のクレーシャ
常識というのは、比較対象があって初めて測れるものである。自分が当たり前だと思っていることが、当たり前のように異常であるというのは、往々にして起こり得る不幸なすれ違いである。
たとえばそれは国家間。
たとえばそれは地域間。
たとえばそれは個人間。
今日もどこかで誰かが線引きを誤っている。しかしそれは何ら珍しいことではない。人は、間違える生き物なのである。
命が幼少のときに体験したそれも同じだ。
よそはよそうちはうち、というローカルルールから生じた小さな悲劇であった。
大人にとっては笑い話かもしれないが、小さな命の小さな世界では、それは大きな大きな大事件であった。
命は、今でも昨日のことのように思い出せる。
その日は雲一つない快晴だった。
抜けるような青空は自分の浮き足立つ気持ちを表すようで、眺めているだけで楽しくなってくる。
命は一人の来客を心待ちにしていた。
――あのね。明日、友達がくるの。
前日、命は両親にそう伝えていた。控えめでいて、どことなく誇らしげな命の姿は、両親にとっても歓迎すべきものだった。
いつの日からか、この家は命を中心に回るようになっていた。命が落ち込んでいるときは家の雰囲気もどこか暗く、逆もまた然り。
命が楽しいのであれば今日は良き日である。
両親はそう信じて疑わなかった。まさかあんな事件が起きるなんて、二人とも夢にも思わなかったのだ。
命と友達は仲良く遊んでいた。そう……途中までは。
「――ッ!」
両親が異変に気づいたきっかけは物音だった。
何かが壁に当たる音。激しく床を叩く音。
耳に入ってきたのは、仲良く遊んでいるとは思えぬ騒音であった。
慌てて駆けつけた両親が見たのは、命が友達と取っ組み合いの喧嘩を繰り広げている光景だった。
どちらかといえば命がやられていたが、どちらが優勢かなどというのはどうでもいい話である。
二人は慌てて仲裁に入った。
片や虎刈りの宮司。片や幻の魔法少女。二人の手にかかれば子供を取り押さえることなど造作もないが、喧嘩の仲裁まで達者とはいかなかった。
結局この日、命と友達は仲直りすることなく別れた。
「どうして喧嘩なんてしたの?」
髪を乱した命は「私は悪くないもん」の一点張りだったが、母親は我慢強く付き合った。
時間を置くと感情的だった命の瞳に理知的な光が戻ってきた。
「……たぶん。私がずっとゲームで勝ってたから」
「あー」
母親は自分の迂闊さを呪った。あとで部屋に戻って確認したところ、命と友達が遊んでいたテレビゲームは、八坂家で愛好されているボードゲーム型RPGであった。
相手から資産を奪うも生命を奪うのも自由という物騒なゲーム。
端的に言うと友情破壊ゲームであった。
「命はどのキャラを選んだの?」
「マジシャン」
「……せめてナイトかファイターになさい」
これはひどい。
カセットをぶん投げられても文句は言えまい。
マジシャンは五人いるキャラクターのなかで、もっとも悪逆無道な存在なのだ。遠隔からの魔法攻撃はもちろん、相手を弱体化する魔法だって得意である。母親が手塩にかけて育てた命が、初心者相手にマジシャンを使えばどうなるかなど、火を見るより明らかだった。
「もう、どうしてマジシャンなんて使ったの?」
「だってママが勝つ気がないプレイはするなって言ったから」
母親は言葉に詰まる。
命にこの世の厳しさを教えようとしたことが裏目に出たようだ。いや本当はそれすら建前なのだが……。
彼女はこの友情破壊ゲームを好いている。いや、愛していると言っても過言ではない。だから単に家族で遊べる理由をでっち上げただけだった。
「……うっ」
後ろから父親の冷たい視線を感じる。彼は子供の教育に良くないと、命に友情破壊ゲームをやらせることに反対する立場だった。
このままでは私が愛する友情破壊ゲームが封印指定を受けてしまう……、母親は悩んだ末に覚悟を決めた。
「命……貴方は悪くないわ。これしきのことで壊れてしまう友情なら、それは偽物だったのよ」
「母さんっ!?」
父親のことを無視して、母親は命を抱きしめた。
「大丈夫よ。命にもきっといつかできるから。貴方の全力を受け止めてくれる友達が」
「……ママ」
二人は抱き合ったまま、おいおいと泣いた。父親はおいおいとツッコミたかったが、おいそれと口を挟める状況ではなかった。この一件は、友情破壊事件として八坂家で語り継がれることになった。
そして月日は流れ……。
命は親友と呼ぶに相応しい存在と巡り合うことができたが、未だに友情破壊ゲームとは一定の距離を取っていた。
冗談半分でプレイすることはあっても、この手のゲームで本気を出すことは二度とないだろう。
命は半ば本気でそう思っていた。
……今日その日までは。
◆
食堂の一角は異様な熱気に包まれていた。
ボードゲームを囲む少女たちは、和気あいあいと遊んでいる風ではない。
むしろ、遊びじゃねえんだよと言わんばかりの熱気を発していた。
ダイスの転がる音がやけに響くのは気のせいではない。少女たちはダイスの一投一投に祈りをこめていた。
「……よし」
ダイスの目を見て、紅花は息をついた。出目があと一つ小さかったら、悪魔の罠にかかるところだった。
そう、あと一つ出目が小さかったら。
「ま、待て! 私が悪かったヨ!」
紅花が嫌な予感を覚えたときにはもう遅い。
すっ、と。
命が魔法カードを切った。
場に出した魔法カードは【神撫手】。
その効果は、プレイヤーを1マス自由に動かすこと。
「ドカーン☆」
大型地雷魔法――【鳳仙花】
強制的に1マス後退した紅花のピースが爆死した。
誰が地雷型の魔法を仕掛けたのかなんて言うまでもないだろう。
紅花を贄にしてレヴェルアップした命は、また一つ地雷型の魔法を仕掛けた。友情破壊ゲームの権化と化した命に情けはなかった。
「バリアー☆」
後方に【結界弾】を放った命を見て、ボトゲ研のメンバーが「あっ」と声を漏らした。この「あっ」が良いものでないことは、他のプレイヤーも声色から察した。
しかしなぜに後方に壁張りを?
【結界弾】は相手の魔法を防御するときの魔法ではないか。根木は腑に落ちないままダイスを投げて、
「あっ」
6の目が出たときに失策を悟る。
命の放った【結界弾】の壁が前進を阻んでいたのだ。
根木は慌てて【土の槍】の魔法カードを切ったが、ダイスの出目が悪い。命の【結界弾】を壊すには至らなかった。
6の目が3の目になったばかりか、バッドマスに止まってしまった。
根木はイベントに従い、渋々魔法カードを一枚捨てる。だが【結界弾】の悲劇はまだ終わっていなかった。
「……っ! ハルちゃん、早く攻撃用の魔法カード切って!」
「え」
根木の忠告は無駄に終わった。
なぜなら命は、青菜が大した魔法カードを持っていないこともリサーチ済みだったからだ。
青菜が出したダイスは5の目で止まる。
しかしその出目に意味はない。
根木と同じく【結界弾】に前進を阻まれた青菜のピースは、根木と同じ運命を辿るしかないのだから。
同じマスに止まった二人は強制的に決闘に突入した。
二人が杖でポカポカ殴り合っているのを横目に、命は気ままな一人旅を続けた。
「追うよ、ハルちゃん!」
「はい!」
「お前、タダで済むと思うなヨ!」
グダグダな決闘の末引き分けになった二人が、魔力枯渇から復活した紅花が、命の独走を許すまじと追いすがる。
結界弾の壁を破壊すると、足並みをそろえてマップの角を曲がる。そうして三人のピースが一直線に並んだところで、命は微笑を浮かべた。
「ドーン☆」
数少ない東洋系の大砲カード【帝釈天砲】。
一直線上のプレイヤーに大ダメージを与える魔法カードが火を吹いた。
「おい、誰か防御カードを使うヨ!」
「え、でも」
紅花の呼びかけに、根木と青菜は目をそらした。
確かに防御カードを切ればダメージは軽減される。それは間違いないが……問題は後ろにいるプレイヤーまで無条件で得をすることだった。
「おさらば!」
最前にいた根木が潔く魔力枯渇を選ぶと、青菜もそれに続く。先の決闘でHPを削られていた二人は半ば仕方ないと割り切っていた。
「ちっくしょー!」
必然、誰の恩恵にも預かれなかった紅花にも【帝釈天砲】が通った。
このダメージは痛いが、まだだ。
復活したての紅花はさっきまで決闘していた二人よりHPが――。
そこまで考えて、紅花は青ざめた。
「ドカーン☆」
命が放った【帝釈天砲】に巻き込まれる形で、大型地雷が誘爆していた。爆発に巻き込まれた紅花は、問答無用で爆発四散した。
死屍累々。
三人のプレイヤーを機能停止に追い込んだ命は、一人黙々とピースを進め、ゴールを決めた。残る三人も必死に後を追ったが、東洋の魔女と化した命には歯が立たず、選定会は阿鼻叫喚をきわめた。
勝者、八坂命。
正規の魔法少女の栄光は、プレイヤーキル数二十を超えるもっとも輝いてはいけないキラーマシンの頭上で輝いた。
「も、もう一回!」
負けっぱなしで終われるものか。紅花は顔を真っ赤にして叫んだ。
「そ、そうっスね。運の偏りっていうか、たまーに極端な結果になることもあるんスよ」
否。断じて否。
クララはもっともらしいことを口にしたが、先の惨憺たる結果が単なるビギナーズラックでないことを理解していた。
あれはむしろ逆。
ビギナーズラックの対極に位置する、圧倒的なプレイヤースキル(PS)にあかせた蹂躙である。
(ヤバくないっスか。八坂氏のPS)
(……ヤバみを感じます)
あれが容易く乗りこなせるピースでないことは、開発者であるノエミが一番良く知っていた。
命のPSははっきり言って異常だ。
チーター疑惑が出てもおかしくないレヴェルである。
開発陣に引けを取らないどころか、余裕で開発陣より強い。
「よーし。もういっかい☆」と笑顔咲く命。
……どうする。
このままゲームを続行することは、三人のビギナーを見殺しにするに等しい。
ノエミとクララは、縋るようにリーゼを見た。
「んー。負けちゃった三人は、相手の持ち札も意識してプレイするといいかもね」
リーゼは……何事もなかったように敗者にアドバイスを送っていた。三人を死地に送り込むと知ってなお、彼女の手は魔法カードを配り直していた。
――やれ。
彼女の目にはただ二文字そう書いてあった。
こんな貴重な機会を逃してなるものか。
PSの鬼とそれに抗う素人たち。彼女たちがプレイするその一秒一瞬が、ナローゲートの糧になるのだ。
ボドゲ研一の常識人にして一番業が深いリーゼは躊躇しなかった。
(ちょリーゼ!)
(こいつもヤベーやつです)
ノエミとクララは小声で異を唱えたが逆らえるわけもなく、大人しくリーゼに従うことにした。しかしこのとき彼女たちは、やはり全力で止めるべきだったのだ。
「ドーン☆」
それは全てを無に帰す黒き極光。
「ドドドーン☆」
それは絶え間なく降るブラックレイン。
「ソーレソレソレ☆」
それはかすかな希望さえも黒く塗りつぶす絶望。
ゲームとはいえ、プレイヤーにこれでもかと悪夢を見せた命が正規の魔法少女になるというのは、質の悪い冗談のようだった。
強ければ正義なのか。
そこに品格は必要ないとでもいうのか。
「まだだ……まだやるヨ」
紅花は歯を食いしばってゲームを続行する。先に仕掛けたのは自分だとしても、これはあまりに酷すぎる。こんな夢もキボーもありゃしない結末を認めるわけにはいかなかった。
「もう一回!」
東の后は戦う。それがたとえどんなに分の悪い勝負であったとしても。
「も、もう一回!」
強きをくじき弱きを助く。
「もも、もう一回!」
彼女が信じる強さを貫くた――
「ももも……もあー」
「紅花ちゃん!?」
さすがに貫けなかった。負けが二桁に上り、デス数が三桁近くなるころには、紅花も限界を迎えた。もぅマヂ無理そうだった。
「もあー」
「お願い。気を強く持って!」
紅花は、溶けた泥人形みたいな顔をしている。
根木は慌てて肩を揺すったが、紅花が正気を取り戻す気配はない。
「ごめん!」
根木は一言断りを入れると、紅花の頬を叩いた。
「何するヨ!」
「やった。いつもの紅花ちゃんだ!」
頭が揺れた拍子に意識を取り戻した紅花はハッとする。状況を把握すると伏し目がちに感謝を述べた。
「その……助かったヨ」
「えへへ。どういたしましてだよ」
そうして二人がこそばゆい思いで顔を見合わせていると、
「はっ!」
命もハッとした。びくんと肩を震わせた命は辺りを見回す。まるで意識が飛んでいたかのような挙措であった。
「私は一体……」
そこにいたのは、先ほどまでとは打って変わって落ち着きのある黒髪の乙女だった。
「何だか長い夢を見ていたような気がします」
「ふん。人のこと百回もキルしておいてよく言うヨ」
「百回は言いすぎです。九十五回ぐらいです」
「全部覚えてるじゃねーカ!」
命は「あっ」と小さくこぼす。記憶を失ったフリで通そうと思ったが、バレてしまっては仕方ない。
命はテンアゲだったときの記憶もしっかりと保持していた。
「すみません。途中でやめようやめようとは思っていたのですが、熱中するあまりつい……」
さすがにはっちゃけ過ぎたことは、本人も自覚していた。命はすんごい楽しかったが、周りが逆の感情を抱いていたとしても何ら不思議ではない。
紙とビデオゲームという媒体の差はあれど、全力でボードゲームを楽しむ機会が得られて舞い上がっていたのかもしれない。
「時間も時間ですし、この辺でお開きにしましょうか。私もそろそろ宿に戻って夕食を取らなければいけないので」
……やってしまった。
これからみんなで仲良くやろうというときに空気を悪くしてしまうなんて、言語道断もいいところである。命は自戒の念も込めて席を立とうとしたが、
「待つヨ」
命が退場することを、紅花は許さなかった。
「お前はここをどこだと思ってるネ?」
「どこって……」
第二女子寮の食堂である。ゲームに熱中していて気づかなかったが、辺りには夕食を取りに来た女生徒がぽつぽつと見えていた。
「夕食なんてここで食ってけばいいだロ」
紅花はぶっきらぼうにカウンターを指差した。
女子寮の食堂は通常定額制だが、何ぶん女子高生はルーズな生き物である。
定額制への申し込みもしないし自炊もしない。でも何か食べ物にありつきたいという女生徒の多いこと多いこと。
そんな困ったちゃんの救済措置として、女子寮の食堂ではその日払いの注文も受け付けていた。
「やり方がわかんないなら教えてやるヨ。私もあんま使わないけど、食券の買い方ぐらいなら知ってるネ」
「紅花さん……」
「勘違いするなヨ。私はただお前に勝ち逃げされるのが嫌なだけネ」
ふんとそっぽを向く紅花を見て、ノエミが感嘆の声を漏らした。
「おおっ、それでこそツンデレ中華」
「だから誰がツンデレ中華だ――ッ!」
紅花とノエミがケンカともじゃれ合いともつかぬ諍いを繰り広げていると、クララとリーゼが口を開いた。
「まっ、勝手に抜けられると困るのは自分たちも同じっスね」
「そうそう。ちゃんとデバックしてくれる約束でしょ」
みんなの優しさに思わず目が潤む。青菜の姿がよく見えないのは、視界がぼやけているせいかもしれない。いや元から見えにくかっただけだ、と命は思い直した。
「そうだよ命ちゃん! 夜はまだまだこれからだよ。何なら食券とか賭けちゃう?」
友達とは本当に良いものである。
タダ飯をきれいに平らげた命は、しみじみとそう思った。
「……お前絶対に反省してないだロ」
「山よりも高く海よりも深く反省しております」
ごちそうさまでした。命は手を合わせて、気前の良い紅花に感謝した。
今は手持ちがないが、黒髪の乙女は受けた恩は十倍にして返す主義である。この恩はいつか返そう、と心のメモに書き留めておいた。
そうして命が心のメモ帳を駆使する側で、ノエミは紙のノートをがりがりと書いていた。
システム担当者としては、命の一人勝ちには思うところがあるのだろう。彼女は夕食もそこそこにナローゲートの見直しに没頭していた。
「大変そうですね」
お前が言うのかよ……、ノエミはそう言いたげな目をしていた。
初見で東洋系のピースを乗りこなしたことに目が行くが、命の真の恐ろしさは巧みにシステムの脆弱性を突くところにあった。
「あっ、脆弱性だ。えいえい」と見つけた脆弱性を嬉々としてぶっ叩く命は、システム担当者にとって脅威以外の何ものでもなかった。
「……はあ。何か気になったことがあれば、当窓口まで。前向きに善処することを前向きに検討します」
本当に対処するのか甚だ疑問だが、約束は約束である。
命は正直に感想を述べるとした。
「そうですね。私の方でも怪しいところは一通り洗ってみたのですが」
「あれがデバック……っ!?」
ゼロデイ攻撃の嵐としか映らなかったあれが……。ノエミは恐れおののいたが、命は一切手心を加えるつもりはなかった。
嘘をつくことは容易い。しかしそれは真剣にやっている者に対して失礼である。
「一番気になったのは、運による要素が少ないことですかね」
「運、ですか」
「はい。ナローゲートは私が思っていたよりもずっとよくできていました。だからでしょうか……波乱が起きにくい」
「そこは……っ!」
途中まで言いかけて、ノエミは言葉を飲んだ。
そこは一番気を遣った部分なのに。
ナローゲートはただの運ゲーではない。戦略性に富んだゲームなのだと、今は胸を張って主張できない自分がいた。
「純粋に力を競い合うゲーム、それは素晴らしい理念だと思います。でも、大番狂わせが起きてこそのゲーム。そうも思いませんか?」
「…………」
ノエミも、クララも、リーゼも、一般人から見たらボードゲームオタクと呼ばれる人種であろう。
いいゲームを作ろう。ゲームバランスの取れた運否天賦で決着が決まらない面白いゲームを作ろう。
そんな彼女たちの熱意が悪い面にも出ていた。彼女たちが作ったものはボードゲームオタクのためのゲームであって、みんなのゲームではなかった。無意識の内に間口を狭めていたのかもしれない……。
自分の視野の狭さが歯がゆい。ノエミは机の下で拳を握っていた。
「貴重なご意見ありがとうございます。今後のゲーム製作の参考にさせていただきます」ノエミはボソッと「この性悪女」と付け加えた。
「んっ。最後のタームがちょっと気になりますが、お役に立てたのであれば何よりです。気になった点は、後でノートにまとめてお持ちしますね」
こいつ数十ページに渡って貴重なご意見を出す気か……っ!
ノエミは目が回りそうになったが、存外悪い気分ではなかった。
自分が作ったボードゲームに意見を貰えることも、こうして軽口を叩き合えることも得難い経験である。ノエミはつい緩みそうになる口端を持ち上げた。
「上等です。次は貴方がひんひん泣くようなゲームを作ってあげます」
ノエミの挑発的な発言にいち早く反応したのは紅花だった。
「新作もいいが、さっさと次のゲームを始めるヨ」
そわそわする紅花はすでに臨戦態勢に入っていた。具体的に記すと、早く食べろと周りを急かし、食器を率先してシンクに運んでいたのだ。
おかげで命たちの机は、直ぐにでも次のゲームを始められる状態になっていた。
「あら、何か始まるらしいわよ」
「見たことのない遊び……何やらSレアの匂いがします」
「いや普通にボードゲームでしょ。えっ、ボードゲームってやらないの。どこの家庭にでもあるもんじゃないの?」
気づけば夕食時に増えた第二女子寮の住人が、物珍しさから命たちの周りに人垣を作っていた。
娯楽に飢えた魔法少女たちにとって、それは格好の見世物である。
めいめいが勝手なことを言い合っていたが、彼女たちに唯一共通する点があるとすれば、それは誰もがゲームの始まりを待ちわびていることだ。
これはやらないわけにはいかない……。
命にとっては友達づくりのチャンスであり、ボドゲ研にとっても我が子を宣伝する良い機会である。
紅花は気合が入っているようだし、青菜は……まあいつも通りである。特に気負ったところも変わったところもなく影が薄い。油断すると人垣の一部と見紛いそうになる。
そこまではいい。ただ気になることがあるとすれば、
「…………」
根木がおとがいに人差し指を当てて何やら考え込んでいることだ。人集りができたことを嫌悪する風でもなく、ただ何かを思案していた。
命はてっきり紅花か、青菜が先に辿り着くものと思っていたが、
(もしかすると……)
この分だと根木の方が先にナローゲートの秘策に気づくかもしれない。命はわずかな期待を抱きつつ、ダイスを手にとった。
見世物が見世物として成立するには、一つ条件がある。
それが曲芸であれ演劇であれ、人は心を揺さぶるものにしか興味を示さない。そういった意味でいえば、命たちのナローゲートが見世物として成立していたかは微妙なところである。
命の一人勝ちが続くと、最初は他の三人を応援する声が増えた。
命の一人勝ちがさらに続くと、観衆の興味は命がどれほど圧勝するかに移った。
そして夜は更けていき……。
命の圧勝劇にも飽きて観衆が一人また一人と減ってきたころ。
「もう一回。これで最後ヨ!」
負け続けの紅花は泣きの一回を申し入れていた。その姿は引き際を見失ったギャンブラーのようで、当初の目的を完全に忘れていた。
(うーん……)
命は紅花を連れ出して注意するか悩んだが、ここに至るまでそれはしなかった。夕食時まで目的を見失っていた自分が言えた義理ではないし、紅花の状態は一概に悪いと言えなかったからだ。
今の紅花には隙がある。
シルスターを警戒しているときのピリピリとした雰囲気を身にまとっていない。そこにいたのは東の后ではなく、ただの女子高生の紅花だった。
命は根木の横顔を盗み見る。遊び人は自称するだけあって、彼女は息切れすることなくハイテンションを保っている。
それ自体は珍しいことではないのだが、
(気のせいでしょうか)
紅花と一緒に遊ぶことに喜びを見出し始めているように見える。命の直感が正しければ、あと一押しである。
あと一押しあれば、二人は案外あっさりと友達になれるのではないかと思う。しかしそれは裏を返すと、あと一押しがなければ二人の距離は縮まらないということでもあった。
「ちょ、あと一回って。さすがにそろそろ時間も……ね?」
時間が足りない。命は歯がゆくてならなかった。
二人はこんなに近くにいるのにどうして……。
この機を逃して明日を迎えたとして、根木と紅花が今日と同じ距離を保てる保証はどこにもない。むしろ、空いた時間だけ二人の心が離れる可能性の方が高かった。
(……よし)
命はここが勝負どころだと踏んだ。
「私はどちらでも構いませんが」命は紅花に挑発的な視線を向けた「いいのですか、ここで終わって?」
「良くないヨ――ッ!」
間髪入れずに紅花が食いついた。ダボハゼを釣るよりも簡単な釣りである。あとはもう一人二人――
「そうですね。私もこのまま帰るとモヤモヤしちゃいそうです」
ダブルヒット。声の主は、命の意識外から現れた青菜だった。
「だって私ずっと二番なんですよ。一回ぐらいみーちゃんに勝ちたいです」
ずっと二位をキープしていたのか……。たまに盤上から存在感を消すのが功を奏したのかもしれない。命が失礼なことを考えていると、青菜が根木の方に向き直った。
「いいよね、茜ちゃん?」
「もちのろん系! 私は遊びの誘いにはホイホイ乗っちゃう子だよ」
……あとで厳重注意しておこう。命はそう心に決めたが、まあいい。あとはボドゲ研の了承を得る必要があるが、これは難しいことではなかった。
「すみませーん」
四十八の乙女技の一つ、乙女の美声。
命に呼びかけられて、カウンター奥にいるおばさんが不機嫌そうな顔を上げる。
「あと一ゲームで切り上げるので、もう少しだけ待って貰えませんか」
「まあ、少しなら」
「ありがとうございます。お姉さん!」
命がとびっきりの笑顔を見せると、根木と紅花も「お姉さん」へと感謝を続けた。見え透いたお世辞ではあるが、おばさんの機嫌は目に見えて良くなっていた。これで心おきなく延長戦に入れるといったものだ。
「これであと一ゲームお付き合いいただけますよね?」
「はあ」食堂のおばさんの目を人一倍気にしていたリーゼがため息をついた「寮監生に目を付けられるのは勘弁よ」
「その寮監生の妹がこちらになります」
「虎姉ちゃんのことなら任せて!」
むん、と根木がない胸を張った。
根木の姉役である高虎は妹にはダダ甘なので問題ないだろう。そこまで織り込んだ提案であった。
「……こいつ悪い女です」
「少なくとも善人ではないっスね」
ノエミとクララは感心半分呆れ半分といった様子だが、テーブルから離れる様子はない。要は夜更かしするときに親の目が気になるようなものであって、ボドゲ研の三人も本音ではゲームを続けたかったのだ。
また一つ誤解が生じてしまったことは気になるが、今は良しとしよう。自称優等生の命はダイスを手に取った。
順番を決めるにせよ、ピースを動かすにせよ、ここから先はこれがないと話にならない。
場は整った。夜も更けてきた。
勝ち気な少女も、目を輝かせる少女も、数合わせの少女も、誰も彼女もが今か今かと始まりを待っている。これ以上待たせるのは酷だろう。
――さあ。
ラストゲームを始めよう。
命の手を離れた六面体が転がり出した。
人垣と呼べるほどの数は残っていないが、命の周りにはまだちらほらと人がいた。最後まで残っている物好きのお目当ては、王者の陥落を目にすることだろう。
初めの内は圧勝劇も面白いが、それも長々と続くと単調で飽いてくる。
そうなると、次第に観衆が王者に不満を抱くようになるのは当然の流れであった。
そもそも強い者が勝って何が面白いのか?
富も名誉も持ち合わせている者が勝つ物語なんて現実だけで十分である。
私たちは圧勝劇が見たいのではない。
私たちは夢のある逆転劇が見たいのである。
「三人とも頑張れー」「四、四!」「ああ、何でそこで!」
自然と応援にも熱が入る。盤上のピースの動きを我がことのように捉えて、ダイスの出目に一喜一憂する。
全ては王者陥落……打倒命のため。
観衆は最後の最後に起こるドラマを待ちわびていた。
その瞳に夢を、希望を映していた。
しかし、
「…………」
夢が悪夢に、希望が絶望へと変わるまでにそう長い時間はかからなかった。
王者とは頂に立つ者。もっとも強い者を人は王者と呼ぶのだ。それを嫌というほど思い知らされた観衆は口を閉ざした。
キル数、魔法カードの枚数、ゴールまでの残りマス数……全ての面において一位。命の強さは王者と呼ぶにふさわしいものだった。
ゲームは半ばといったところだが、勝負はもう決まったようなものだ。例のごとく命はプレイヤーを蹴散らしながら独走していた。
(それはそうでしょうよ……)
ナローゲートは、プレイヤーの力量(ボドゲ研風に言うならPS)がもろに現れるゲームである。
相手がリッカや宮古であるならまだしも、根木と紅花には負ける気がしない。
命は二人のことをまだ脅威だと思っていなかった。
(このなかだと、一番筋がいいのは彼女でしょうか)
永遠のナンバー2だけあって、青菜はあの二人より上手である。派手さにこそ欠けるが堅実なプレイが随所で光っている。
直ぐに博打に走る根木と紅花とは対照的といえる。
コツコツと稼ぐ青菜が、勝手に転落する二人を追い越す。それ自体は別段おかしくもないのだが。
(この人……)
本当はもっと強いのではなかろうか?
命はそんな疑念を抱いてしまう。
本来なら根木と紅花は、命ともっと差が付いていてもおかしくない。二人が崖っぷちでも留まれるのは、青菜が影から助けているからに他ならない。
青菜のデス数は根木と紅花に付けられたものであって、命は一度たりとも彼女をキルしていない。
これより前のゲームではどうだったか……。うろ覚えではあるが、青菜をキルした回数は他二人より圧倒的に少なかった……気がする。
命の視線に気づいた青菜は、薄い笑みを浮かべた。
ゲームを始める前、最後ぐらいは勝ちたいと言っていたが、恐らく彼女は……。
(勝つ気がない?)
どうやら青菜が本当にアシストしているのは、自分のようである。
命は感謝の微笑みを返して、魔法カードに視線を戻した。
理由は定かでないがありがたい話である。この好意は甘んじて受け取っておくべきだろう。ただでさえ命と二人の間には力量差があるのだ。
あと問題があるとすれば、
「あああああああー! どうしてそこで1が出るんだヨ――ッ!」
ドンケツ争いをしている二人であろう。
運に見放された紅花が発狂したように叫んでいた。
1以外の目を出せば良い場面でどうして1の目を出してしまうのか。
「あは、あははははっ! どうしてそこで1出しちゃうの。紅花ちゃんおもしろーい!」
「うっさい黙れ!」
大ウケしている根木を、紅花がキッと睨んだ。
紅花と大差ない根木がどうして彼女のことを笑えるのか。命にはよくわからなかった。
根木はぷるぷると肩を震わせながらダイスを転がした。
「あっ」
1以外の目を出せば良い場面で、根木が出した目は……1。
今度は紅花が大笑いした。
「あは、あははははっ! おま……おまえも1じゃないカ!」
「あはははは! 私も1だ。おそろいだね」
根木が笑い出したものだから、紅花は急に真顔になった。バツが悪そうに「お、おう……」と返す。
これには命も内心驚いたのだが、根木は紅花の不幸をこれっぽっちも喜んでいなかった。ただゲームで起きたイベントを純粋に楽しんでいるだけ。
彼女は、このテーブルにいる誰よりもナローゲートを楽しんでいた。
「よーし。次こそは良い目を出しちゃうぞー」
目を輝かせる遊び人の生態を目の当たりにした瞬間、命は軽く震えた。彼女は無欲なのに貪欲な……何か得体の知れないものを持っていた。
得体の知れないとしか表現できないのは、それを命が持ち合わせていないことの証左でもあった。
その一巡後……。
根木は宣言通り会心の出目を出した。
「キタキタキター! これは茜ちゃんの時代きちゃうかも!」
本当にきちゃうかもしれない……。根木のラッキーパンチはそう思わせるに足る何かを感じさせた。
静かに、ゆっくりと、それでいて着実に。
盤上の潮目が変わろうとしていた。
「紅花ちゃん」
「何だヨ」
「次のターンでダンジョンに入れないかな?」
「はあ? ダンジョンってお前」
セントフィリア王国をモチーフにしたナローゲートには、地上と乖離したダンジョンマップがある。
が、ダンジョンに潜るのは悪手だというのが、この場における暗黙の了解だった。
なぜならダンジョンは、命が唯一調子を落としたゲームで通過したルートだからである。
「あそこはダメだロ。モンスターが強すぎる」
「ううん。強すぎるなんてことないよ。あそこはそもそも一人で潜るマップじゃないんだよ」
紅花はハッとする。根木が言わんとしていることがわかったからだ。
「……そうカ」
命が早々にダンジョンマップを見限ったのは、旨味がないからではない。
「潜れないのカ、こいつ」
誰も追いつけない。ゆえに誰とも交われないというジレンマ。
「ぼっちだから!」
「……せめてお一人さまと呼んでくれませんか?」
言葉のチョイスはともかく。紅花の指摘は的を射たものだった。
強いということが必ずしもプラスに働くとは限らない。現に命は、独走しているからこそ孤独を強いられている。
命と並び立つ者がいれば手を結ぶこともできるだろうが、この場には命と水を開けられた者しかいない。
こうなると、水を開けられた弱者が取るべき戦略は一つ。
手を結ぶ。ただその一択である。それはわかっているつもりだ。でも、
「…………」
本当にダンジョンに突入していいのか?
紅花は手の平でダイスを転がしながら思案する。
ダンジョンに入るのに出目は影響しない。分かれ道でどちらに曲がるか選ぶような気軽さで入れるのだ。
裏を返せば、それだけにプレイヤーの意志が問われた。
共闘するという案は悪くない。紅花と根木が抱えている問題を一挙に解決できる裏技かもしれない。
それはボドゲ研の反応からもわかる。彼女たちは中立を保とうしているようだが、残念ながらその試みは失敗に終わっている。
彼女たちの顔には隠しきれない興奮が表れていた。
ナローゲートには共闘という要素がある。これは間違いないだろう。しかしダンジョンに突入するという選択は、正答にも誤当にもなり得る可能性を秘めていた。
仮に、ダンジョンに突入した紅花に、根木が続かなったらどうなる?
これは最悪中の最悪である。
紅花は来た道を引き返すこともできず、死の迷宮を歩くことになる。
信頼と裏切りが表裏一体。実にナローゲートは悪趣味なゲームであった。
「どうしましたか?」
紅花が見遣ると、命がとぼけた顔で返した。
もしも共闘を持ちかけた相手が命だったら、紅花は120%応じない自信があった。この女狐は、嬉々として梯子を外すに決まっている。
命は勝ちたいと思った勝負には執着する。そして勝つためには手段を選ばない人種である。それは今日一日だけでお腹いっぱいになるほどわかった。
では、根木はどうだ?
「これはこーして、これはこう……」
根木はそもそも勝敗に執着しない。はっきり言って勝負ごとに向かない人種である。ただ彼女には、勝つも負けるも楽しむ度量があった。
勝負ごとで負けて何が楽しいのカ?
紅花には心底理解できない。
だが。
もうダンジョンに突入した気になってカードを整理する彼女は面白い……っ!
紅花はダイスを転がす。出目がいくつであっても関係ない。彼女の心はもう決まっていた。
「私はダンジョンに入るヨ」
行く先は自分で決める。セントフィリア女学院に編入したときだってそうだったし、これから先だってそうである。
沸き立つ観衆を無視して、紅花は根木を見つめる。
「交換条件ネ。半分はお前の流儀に従ってやる。だからお前にも半分は私の流儀に従ってもらうヨ!」
「交換条件って言葉は好きくないけど、いいよ」
「私はこれ以上負けるなんて御免ヨ」
――あのときの無様が頭から離れない。
許せなかった。
誰一人守れなかった挙げ句、小喬を危険に晒したことが。
自分の不甲斐なさが。
東の后という二つ名は好きではないが、自分に助けられた誰かが付けてくれたものだ。だから自分にはそれに応える責務があった。
とにかく必死だった。シルスターに一矢報いようと、大して興味もない女の元に足しげく通って、どうにか友達ゲームとやらに参加しようとしていた。
全ては、私のことを東の后と呼んでくれた名も知れぬ誰かのために。
五徳を欠いてはこの世を渡れぬ、とあのバカ殿に思い知らせるために。
だが今になって思う。そんなあれやこれやを見透かされていたのだろう。だから目の前の女は頑として首を縦に振らなかった。
どんな大義名分があろうと、それのために友達になることを嫌ったのだ。
シルスターだけカ?
果たして私は五徳を欠いてなかったといえるのだろうカ?
「私はお前と全力で遊ぶ。けど私にとって、全力で遊ぶってことは勝ちを狙いに行くこと。それだけは譲れないヨ!」
初めからこうすれば良かったのかもしれない。胸の内を晒した紅花は清々しい気持ちだった。
しかしバカ正直に打ち明けたことはマイナスに働くかもしれない。もしも根木がダンジョンに入らなかった場合、それは絶交を宣言されたに等しい。それはナローゲートの1ゲームよりも深い意味を――
「茜隊員いっきまーす! ザッザッザッザッ(階段を降りるときの音)」
地の文を遮ってダンジョンに突入。茜隊員はフリーダムであった。この即断には「お、おま」と紅花隊員も困惑していた。
「うん。ない頭使って考えようとしたけど、ない頭だったから無理だった系」
頭ないのか……。この場にいた全員に戦慄が走った。何がすごいって、本当に頭がないかもと思わせるところが、だ。
どこかに頭を落としたアホの子デュラハンは言う。
「難しいことはわからないけど、遊び方は人それぞれ違うから良いと思う。でもね」根木はむっとした顔をする「一個だけど~しても許せないことがあるから聞いて!」
「な、なんだヨ」
たじろぐ紅花に対して、根木が出した要求はシンプルだった。
「私のことを、ちんちくりんって呼んだことは謝って。人の身体的特徴をあげつらうのは、茜さんとても良くないと思うの」
すとーん。根木は一度うつむいたが、そこに視界を遮る凹凸はなかった。
胸もないのか……。この場にいた全員が深い悲しみに覆われた。何がすごいって、本当にないところが、だ。これでは栄養が全部胸にいったという言い訳もできないではないか。
「わ、悪かったヨ、ネギ。これでいいだロ」
「ううー。紅花ちゃんの発音だとベジタブルっぽいけど、許す」
根木は屈託のない笑顔を浮かべた。
「よろしくね、紅花ちゃん」
「おう……ネギ」
二人の少女が友情を育むさまというのはいいものである。命がつい頬を緩めて眺めていると、紅花が牽制するように睨んできた。
「……何だヨ」
「いえ別に」
命は、ツンデレ中華が本領を発揮しているなーと思っただけである。
「ふん。そうやって余裕かましてられるのも今のうちヨ」
紅花が魔法カードを整理する姿を見て、命も意識をナローゲートに戻した。
命はダイスを転がそうとして……自分のピースが倒れていることに気づいた。
「はっ!」
突然の死。それは命が目を離したすきの犯行であった。
「一体誰が……」
「はい、ハルちゃんです」
誰何の声に下手人はあっさりとゲロった。
ハルちゃんDEATH――それは首を切られたことにも気づかず鼻歌まじりに三丁歩いたあとに知覚する死。
命は首提灯の落語を体感した気分だった。
「もしかして江戸の剣豪……平井権八ですか」
「いいえ、ハルちゃんです」
イエスハルちゃんノー権八である。
青菜は武闘家でなければ剣豪でもない。真相は単に、一ターン前に青菜が魔法カードで命を攻撃しただけだった。
(だけって……そんな。F-35も真っ青のステルス性能なのですが)
とにもかくにも命はキルされてしまったので、三ターンの休みを課せられた。命にとっては手痛い休みだが、これは根木と紅花にとっては絶好の追い風であった。
「今のうちに」
「レッツラゴーだよ!」
紅花と根木は息を合わせてダンジョンの攻略にかかる。
ダンジョンマップには、特定のマス目を通過しようとするだけでモンスターと遭遇するシンボルエンカウントが採用されていたが、二人にかかれば何のその。
「えい。【蜂鳥の彫刻柱】のカード!」
「あとは任せるヨ。【紅蓮弾】のカード!」
一ターンで決着がつかなかった根木の戦闘に、紅花が割って入る。灼熱の魔法弾がモンスターにとどめを刺した。
同じマス目に止まると決闘が発生するゲームの性質上、シンボルエンカウントは決闘を誘発する装置にもなる。そこに着目した紅花は、シンボルエンカウントを根木との共闘に利用したのだ。
(本当はそこで、モンスターを狙うか、プレイヤーを狙うかの駆け引きが生まれるのでしょうが……)
ハイタッチを交わす二人を前にして、それを口にするのは野暮であろう。二人の頭には裏切りなんて考えはなさそうだった。
ここから二人の快進撃が始まった。
ダンジョンの難敵をバッサバッサと切り捨てては宝箱をトレジャーする。根木と紅花の胸おどる冒険は、半ば惰性で観戦し続けていた者の目にも輝きをもたらす。まさに目覚ましい活躍といえた。
「わー、なんか宝箱からすごい魔法カードが出てきた! さっそく使っちゃおうかな」
「待て待て待て。それはもったいないヨ。次は私がこのカードを使うから」
根木と紅花は肩を寄せ合って戦略を練る。魔法カードをシェアする二人の間には、もう垣根はなかった。
共闘――これもまたナローゲートの遊び方の一つである。
一馬力の命に対して、根木と紅花は二馬力。必然、両者の差はターンの経過とともにどんどん縮まっていった。命は不味いと思うものの、手が出せない。ダンジョンマップに潜った二人は、命の魔法カードの射程外にあった。
オマケに、命の後ろにはピッタリと青菜がつけている。サイレントアサシンに気を配りながら全速前進するのは、PSの鬼にとっても難儀なものであった。
命が徐行運転を続ける間にも、根木と紅花はレヴェルアップを繰り返し、どんどん前に進んでいく。
モンスターを倒しては強力な魔法カードを入手し、それを元手にもう一段強いモンスターを倒しては、さらに強力な魔法カードを入手する。
そんな好循環を繰り返した二人は遂に、
「GRUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――ッ!」
地下迷宮の王――ギルスケアドラゴンと相まみえた。
咆哮が肌を打ち、尻尾が地を揺らす。根木と紅花は打ち震えた。白銀の鱗をまとう竜の巨大さ、美しさに二人は圧倒されていた。
「ど、どうしよう」と慌てふためく根木。
「落ち着くヨ!」
紅花が一喝した。
「ビビったら負けネ。敵は強大だけど、二人なら負けないヨ」
「二人なら……」根木は噛みしめるように言うと、覚悟を決めた「うん。行こう、紅花ちゃん!」
「その意気ネ。私の後に続くヨ!」
【溶岩の泡沫】
オレンジの高温が薄闇を揺らす。紅花が放った無数のあぶくが、ギルスケアドラゴンに当たると同時に弾けた。
じゅう、と鱗が焼ける音が聞こえたのも一瞬のこと。
ギルスケアドラゴンが猛るような咆哮を上げる。
一斉に破裂するオレンジ色のあぶく。溶岩が飛び散ると同時に、巨竜と魔法少女の戦いは激化した。
「……っ!」
観衆が息を呑む気配が、命にも伝わってきた。
ボドゲ研はテーブルトークRPGにも精通している。臨場感あふれる語りもお手のものだった。
そこには紙とダイスしかないはずなのに……。
少女たちは確かに竜の幻を見ていた。
「い……行けぇー!」
誰かがポツリとこぼす。もう止まらなかった。熱気を帯びた観衆が、次々と声援を飛ばし始めた。
根木と紅花の魔法が炸裂するたび、歓声が上がる。竜の猛攻が二人を脅かすたび、嘆声が漏れる。
この戦いが長くは続かないことを、手に汗握る少女たちは知っていた。
根木と紅花に出し惜しみをする余裕はなかった。大攻勢をかけた代償として、二人は大量の魔法カードを消費していた。一枚、また一枚と魔法カードが減っていく。
まだか……まだなのか。みなの焦燥感が募るなか、そのときは訪れた。
「やあっ!」
【審判の大岩】
根木が切ったカードはとっておき――宝箱から出てきた大砲カードだった。
女神の加護を受けた大岩が飛ぶ。
迎え撃つ巨竜は火炎を吐いたが、大岩は止まらない。
間髪入れずに大岩が竜の腹を叩いた。
「GU……」
砕けた大岩の破片が地面を叩く。
口の端から涎を垂らしたギルスケアドラゴンは、
「GU、GU……GUGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――ッ!」
怨嗟の叫びとともに地面に落ちた。
激闘の末、ついに二人は地下迷宮の王を倒した。
「や、やったああああああああああああああああああああああああああ!」
「よくやったヨ!」
根木と紅花は熱い抱擁をかわす。数々の苦難を乗り越えた二人に、観衆は惜しみない歓声と拍手を送った。
竜の秘宝、莫大な経験値、そして、かけがえのない友情。
多くのものを手にした二人は、巨竜の背後に隠されていた石階段を上っていく。やがて暗闇に慣れた瞳に一条の光が射した。
「地上だ!」
根木と紅花は自然と早足になる。まぶしさに目を細めながらも光の射す方へと急ぐ。暗闇を抜けた二人を待っていたのは、
「ドーン☆」
闇より暗き人の悪意であった。
【帝釈天砲】――純黒のレーザー光が二人を撃ち抜いた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――ッ!」
「お前に人の心はないのかヨオオオオォォォォ――ッ!」
根木は発狂したように叫び、紅花は怒りに燃えるあまり涙を流し、命はすっと竜の秘宝を盗った。
世は無常、盤上は無法、しかし人は非情ではない。
「人は……心あるがゆえに苦しまねばならぬのです」
そう言って、命は寂しげに微笑う。
愛ゆえに、憎しみゆえに。
「場の空気にそぐわない行動をとった私にも非はあります。ですが、お二人にだって非はあります!」
「非?」
「私をのけ者にした罪は重い!」
「無罪だヨ――ッ!」
紅花被告は上告したが、命最高裁はこれを棄却した。
「有罪です! だって私がお二人を引き合わせたのに、私のことを無視して! これ見よがしにイチャイチャイチャイチャ……二人ともズルい!」
「さびしんぼうカ――ッ!」
その通りである。命は口では「人は生まれるときも死ぬときも一人」などと嘯いているが、本当は人一倍、親愛の情に飢えている。
どれだけは強がっていても一人は寂しい。
人は、一人では友情破壊ゲームで遊ぶことすらできないのだ。
「三人組なのに一人余る私の気持ちが、紅花さんにわかりますか!?」
「わかるカ! 勝手に一歩引いてるお前が悪いヨ!」
「あのう……私もいますが」と青菜。
命と紅花は、友情破壊ゲーム名物『リアルファイト』に突入しかけたが、未然に取り押さえられた。二人の勝負は選定会までもつれ込んだが、最後はPSの差で命が辛くも勝利を収めた。
「……結局、最後までお前の一人勝ちカ」
「まあまあ。そこは私に一日の長があったということで。私、この手のゲームは得意なので」
命はダイスを手で弄びながら、少なくなった観客の一人に視線を向ける。
「ああ、そこの貴方。帰ったらシルスターさんに伝えてくれますか?」
この手のゲームなら負ける気がしないって――と、命は笑顔で釘を刺した。
「な、何のこと?」
不意を打たれた女生徒は空とぼけたが、彼女が動揺していることは誰の目にも明らかであった。周囲が不信感を持ち始めると、彼女は逃げるように去っていた。
「……いつ気づいたヨ?」
シルスターが放った間者の背中を見送ったあと、紅花は命に訊いた。
「確信を持ったのは最後のゲームですね」
一人また一人と減っていく観客のなかに異物が残っていたことを、命は見逃さなかった。それはゲームに熱狂する風でもないのに、ずっとゲームを観戦しているおかしな存在であった。
第二女子寮が絶対安全でないとわかった今、おかしな存在をシルスターの回し者だと断ずるに迷いはなかった。
同じ卓につく者の一挙一動はもちろん、観客の顔色すら利用するのが勝負師というものである(実際、命は観客の反応を頼りに相手のカードを類推する行為を繰り返していた)。
根木も紅花も青菜も……三者三様ではあるが、三人とも勝つための努力は尽くした。しかし、この場で勝つために最善を尽くしたのは間違いなく命であった。
「……勝てないわけだヨ」
紅花がボソリと漏らした。
今宵のゲームは命が勝つべくして勝ったといえたが、
「次はわかりませんよ……次は」
その顔に勝利の余韻はない。
黒髪の乙女はすでに次を見ていた。
◆オマケ:そのとき、おかっぱ少女は◆
数ある部活塔の一室……。
そこに、雨音を子守唄にして眠るおかっぱ少女がいた。
すやすやと寝息を立てる彼女の周りには無数のビーカーが置かれ、なかには毒々しいまでに鮮やかな青い液体が満たされていた。
見るものが見れば「これは悪魔の液体、ポーションの研究じゃないか!」と彼女のことを糾弾するかもしれない。
だが彼女は毅然とした態度で……は無理だろうが、汗ばんだ顔でこう言い返すだろう。
「あの……これはブルーハワイです」と。
ここはブルーハワイ研究会の会室。日夜ブルーハワイの研究に没頭する、イカれた奴らの根城である。
「……また寝てる」
そんなイカれた奴らを束ねる会長――ハロル=フラメルは、会室の扉をくぐるなりため息をついた(奴ら、と言っても、会長は除くと会員は一人しかいないのだが、この一人が大人しそうな顔して大層な問題児であった)。
スヤァ。
イカれた会員、那須照子は気持ちよさそうに寝ている。
ブルーハワイ研究会の会室を、自分の部屋と間違えているのではなかろうか。
再三注意したというのに、那須の寝落ちグセは一向に直る気配がない。
本当にこの子は……、ハロルはアンダーリムのメガネのブリッジを指先で押さえた。
好奇心旺盛なのは結構だが、寝落ちするまで熱中するのは勘弁して欲しいものである。あまり他人に興味がない質とはいえ、後輩のことぐらいは心配するのだ。
「……よし」
いつも心配をかける罰として、ハロルは那須をケミカルに起こすことに決めた。
薬品棚の下段から取り出だしたるは、ハロルキャノンMk-II……と名付けた空気砲である。
ブルーハワイ研究の片手間に作ったものだが、侮ることなかれ。
安っぽい大筒に見えるが、なかには酸素とブタンを仕込んである。
着火すると、酸素とブタンが化学反応を起こして燃焼。そのときに生じたエネルギーが空気の弾丸をお見舞いするという仕組みである。
ハロルキャノンMk-IIを肩に担ぐ。照準を根木の頭に合わせる。
「……ここだ」
そのきれいなおかっぱを吹き飛ばしてやる!!
ハロルが発砲する直前。
「……ッ!」
那須が跳ね起きる。危険を察知した小動物めいた挙動だった。右に左に、顔と一緒に切りそろえた黒髪を揺らすと、那須はようやくハロルの姿を認めた。
「あの……私、寝てました?」
寝てた、とハロルは端的に答えた。那須はブレーカーが落ちたように眠るので、寝たことすら覚えていないことが多々あるのだ。
それはもう慣れっこなので構わないが、
「あんた大丈夫? 顔色悪いけど」
那須の顔色がすぐれないことが気にかかる。この後輩は寝落ちするまで研究を続けるくせに、身体は貧弱そのものなのだ。
「えっと……大丈夫です。ちょっと怖い夢を見ただけで」
「夢?」
「はい……三人組なのに一人余るという恐ろしい夢を」
なんじゃそりゃ。
――発砲
ハロルが空気砲を放つと、那須が「わふっ!」と鳴いた。きれいなおかっぱが風に吹かれて乱れ舞う。ブルーハワイ研究会は今日も平和であった。




