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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―西高東低のアンビエント編―
108/113

第107話 悪魔のトリル

 第二女子寮探索、二日目……。

 命は昨日と同じく食堂に足を運んでいた。ただ一つ昨日と違う点を挙げるとすれば、それは根木と落ち合う前に紅花(ホンファ)と合流したことだ。


「というか、あいつら本当にいるのカ?」

「恐らく隅っこの方にいると思うのですが」


 昨日の反省を踏まえ、二人はクララたちを探していた。根木が友達になりたがっているグループに加わることで、紅花も一緒に友達にしてもらう寸法だ。


(名付けて、ダッコちゃん作戦!)


 というコードネームは命の胸に秘しておくとして。

 二人は程なくしてクララたちを見つけた。しかしどこか様子がおかしい。隅っこに座るクララたちを囲むように、四人の女生徒が立っていた。


(……まさか)


 命の胸に嫌な予感が走るより早く、紅花が駆けていた。四人の女生徒が勘付いたときにはもう遅い。紅花はすでに手の届く距離にいた。少女たちに驚愕を覚える間も与えず、東の后は不機嫌そうに訊く。


「何の用だヨ」


 瞬時に見極めたリーダー格と思しき少女に、言葉の刃を突き立てる。

 紅花に睨まれた少女は声を出そうとして、


「あ……え」


 言葉にならず、無言で連れの三人と遠ざかっていった。


「大丈夫カ?」

「えっと……大丈夫っス」


 代表してクララが答える。最初は怒気を帯びた紅花に怯えていたが、一転して紅花が優しく微笑みかけると安堵したようだった。


「大丈夫ですか!」と命が遅れて駆けつけた。

「遅いんだヨ、お前は」

「うっ」

「シルスターと比べたら、あんなのどうってことないだロ」

「……簡単に言わないで下さいよ」


 あのコーチマッチは奇跡のようなものだ。そう反論したいところだが、今この場で話題にすべきはそこではない。命はクララたちに向き直った。


「すみません。私のせいで……」


 第二女子寮のなかは安全だと思っていた命が甘かった。クララたちに絡んでいた連中は十中八九シルスターの手の者だろう。どう考えたって原因は自分にある。命が深々と頭を下げると、「いえ、それについては私も安直でした」と誰かも続いた。


「いやいやいや。頭とか下げられると逆にこっちが困るっス。ほら、自分らああいうの慣れっこですし」

「ちょ嫌なこと言わないでよ。まあ……慣れっこだけど。ホントどこにでもいるのよね、ああいう輩」

「ああ、よみがえる暗黒の中学時代」とノエミが芝居じみた素ぶりでうなだれた。


(これは笑っていいものか……)


 命は戸惑ったが、本人たちが明るい調子で話しているので控えめに微笑んだ。


「あー、いやね。自分らも今日ここに来たら、こういう目に遭うんじゃないかとは薄々思ってたんスよ」


 クララは言いにくそうに、それでいて照れたように続ける。


「でも八坂氏に会えるかもと思ったら自然と足が向いてしまって。何というかその、責任は折半ってことでどうっスか」

「……クララさん」


 胸が温かくなるような答えだ。命は初め彼女たちのことを地味な三人組としか思っていなかったが、根木の人を見る目は確かだった。

 と、感動する命をよそに、空気を読まない紅花は淡々と反論した。


「いや、そもそも責任とかおかしいだロ。あいつらが全面的に悪いヨ」

「なんという正論」

「正論中華キタコレ」


 リーゼとノエミは、畏怖と尊敬の念を綯い交ぜにした視線を送る。クララを含め、彼女たちの紅花を見る目は変わりつつあった。


「ままっ!」


 一段落したところで、クララが手を打ち鳴らす。視線を集めると、彼女は足元の手提げ袋を持ち上げた。


「責任がどこにあるかはこの際いいとして」

「どうでも良くないヨ。責任言ったら訴訟問題になるネ」

「……えー、それでは全面的に非のない自分らの完全勝利を祝して、アレのお披露目するっスよ!」


 クララは早口で前振りを済ませると、手提げ袋から紙のボードや小物を次々と取り出していった。

 地味なお披露目となったが、そこはそれ。クララの燃えたぎりすぎてうっとうしいとまで言われる熱意でカバーするまでだ。


「レデイィィィースエーンドゥジェントルメエェェェェン!」

「ちょうっさい。あと男いないから」

「と言うところまで含めて様式美でございー」

「……ははっ」


 命は、苔の蒸したセントフィリアジョークを乾いた笑みで流した。

 まさか本当に男がいるなんて夢にも思わないクララは、気にせず続ける。


「善き人との出逢いが私たちの世界を広げてくれるように、そう、私たちも善き人の世界を広げることを約束しよう」


 両手を広げて、クララは高らかに宣言した。


「……あれ言ってて恥ずかしくなんないの?」

「人一倍、人目を気にするのに、公衆の面前では奇行におよぶナード特有のアレです」


 同士の非難も周囲の白い目も何のその。

 笑わば笑え。

 人を嘲笑うことでしか自己を確立できない小物たちよ。

 お前たちが青春と嘯くモラトリアムに浸かっている時間がいかに無駄か省みろ。

 反省せよ。

 猛省せよ。

 嘘偽りなく青春を謳歌しているというのであれば、さらに爆発せよ。

 そして知れ。

 地獄からしか生まれ得ぬものがあるように、この世には灰色の青春からしか生まれ得ぬものがあるということを。

 刮目せよ、しかと見よ!


「これがボドゲ研……いや、ボドゲ界のニュぅぅぅーカマぁぁぁー、『ノエミ=ミエル』ブランドが放つ新たな世界」


(本当にブランド名だった!)


 そこで一度区切り、クララは満を持して発表する。


「ナロオォォォオゲエェェェエトオォォォオ!」

「わー」


 紅花は「何言ってんだコイツ」みたいな顔をしていたが、命は申し訳程度に拍手を送っておいた。黒髪の乙女たるもの、人の情熱をバカにしてはいけない。たとえそれが目の前にあって、一目見ればわかるものの紹介であってもだ。


「ナローゲート……直訳すると狭き門という意味でしょうか?」

「そうっス。これは」


 そう言って身を乗り出すクララに、正論中華が待ったをかけた。


「いや、狭き門ならthe strait gateの方が適当ヨ」


 新約聖書に出てくる有名な一節であれば紅花の言い分は正しい。だが、その手の返しが来ることはクララも想定済みだ。


「ふふふ……甘い。甘いっスよ、李氏!」

「李氏って。紅花でいいヨ」

「えっでもちゃんと話したの今日が初めてだしいきなり下の名前で呼ぶのは恥ずかしいっていうか」

「お前図太いのか繊細なのかよくわからないネ。別にもう知らない顔でもないし、紅花でいいヨ」


 紅花が歩み寄ってくれたことがうれしかったのか、インドア三人娘は一斉に食い付いた。


「紅花氏!」「紅花さん!」「ツンデレ中華!」

「ちょっと待て。最後の何だヨ!」

「ツ、ツンデレちゅ……くっ」

「お前もなに笑ってんだヨ」


 紅花は命の頭を叩いたが、それは誰の目から見ても照れ隠しだった。

 仲良きことは美しきかな。クララたちは警戒心こそ強いが、一度内に入ると強く仲間意識を持ってくれる。三人は早くも紅花と打ち解けてきたようだった。


「それにしても、三人とも紅花さんのことはご存知でしたか」

「そりゃ有名人っスから」

「一年の東洋系の魔法少女のなかじゃ、二強の一人だって訊いたけど」

「腕が立つ上に美形とか、こいつ完全に一軍です」

「へえ、そうなのですか」


 目立つ人だとは思っていたが、命が思っていた以上に有名人のようだ。


「私のことなんてどうでもいいヨ」


 もっとも当の本人は、自分がどう思われようがさして興味がない様子だが。


「そんなことより、さっきの狭き門の件はどうなったヨ」

「ああ、あれはthe strait gateが古典的なんで、キャッチャーな方を選んだんスよ。narrowの方が意味もわかりやすいし」


 straitを狭いという意味で用いるのは古い英語である――というニュアンスが命にも通じるのが、言語変換フィールドの妙である。


「それにね、the strait gateだと権利がね……ほら、アレじゃないっスか」

「そっちか本音だロ」


 なら狭き門なんてメジャーなタイトル使われなければいいのに……。

 命はそう思ったが、口に出すのはためらわれた。

 実際、聖書関連の権利はデリケートなので、引用するにあたって細心の注意が必要なのだ(神社っ子調べ)。


「というわけで、紆余曲折を経た上でナローゲートにしたわけっスよ」

「ナローも怪しくないカ?」

「ナロおぉぉぉおゲえぇぇぇトおぉぉぉお――ッ!」


 力業であった。……まあ、趣味人がロハで作っているものだ。この程度のことで目くじらを立てるほどイエスも狭量(ナロー)ではないだろう、と黒髪の乙女は信じておくことにした。


(それにしても……ふむ)


 チープさこそ拭えぬものの、ナローゲートはなかなかの出来だ。根木が興味をそそられたのもよくわかる。セントフィリア王国の風景イラストの上に、曲がりくねった道のように続く升目が描かれている。


「きれいな絵双六ですね。見ているだけでワクワクします」

「お褒めの言葉いただきましたー! うりうり~何か言うことないんスか、イラストレーター」

「ちょやめてよ」


 リーゼは、クララが伸ばした肘を払った。


「これ、リーゼさんが描いたのですか?」

「……まあそうだけど、そんな大した絵じゃないから」

「いやいやいや。大したことありますって」


 一枚の紙にセントフィリア王国の世界観を起こせる技量に、命は素直に感心した。


「一目見ただけでセントフィリア王国だってわかることがすごい」

「それすごいのカ?」

「すごいですって。きちんと特徴を掴んでないと、中世ヨーロッパの風景と差別化できないでしょう」

「むぅ」


 紅花は小さく唸った。

 言われてみればそうである。

 紅花は直感的にそれがセントフィリア王国の風景だとわかった。

 それは、欧州建築の流れを汲みながらも独自色を残すアウロイやナタリーの建造物が丁寧に描かれているからに他ならない。


「確かにそう考えるとすごいネ」

「しかもです。この絵には魔法少女やらドラゴンやら、過度にセントフィリア王国を示す記号がないのです。安易な記号表現には頼らないという、作者の強いこだわりか……」


 がっ!

 そこで命は肩を掴まれたことに気づいた。


「お願い……やめて。私これ以上褒められたら、にやけて変な顔になるから」


 命の正面には、唇の端をひくつかせるリーゼがいた。


「大丈夫っスよ。気にするほど大した顔じゃないっスから」

「ちょ八坂さんや紅花さんならともかく、あんたには言われたくないんだけど!」

「ほほう、高校デビューに失敗した人の言うことは違うっスねぇ」

「それは言うなー!」

「や、やめるんだー。その傷はまだ新しい」とやや棒読みなノエミ。


 キーキー怒るリーゼをあしらいながら、クララは補足する。


「あっ、升目のイベントとかシステム周りはノエミの仕事っス」


 話を振られたノエミは何も言わず、ニタァと笑っていた。

 やればわかるということか。

 好意的に解釈すれば自信の程がうかがえるが、悪意的に解釈すればただただ悪意しか感じられない笑みだった。


(これは……)


 見た目に反して、相当えげつないゲームかもしれない。

 命が警戒心を強めるなか、紅花がぽつりとつぶやいた。


「じゃあ、クララの役割は何ヨ?」

「えっ」


 唐突な問いに、クララとリーゼはケンカを中断する。二人は考えあぐねていたが、少ししてクララが答えた。


「自分は……ハイパーメディアクリエイターってところっスかね」

「それで、ハイパーでメディアなクリエイターであるところのお前は、具体的に何をしてるヨ」

「企画営業にマーケティング、あとは……優秀なクリエイターが過ごしやすい環境をつくるのも自分の仕事っスね」


 ふん、とリーゼが鼻で笑った。


「自分はこれがやりたいあれがやりたいと無理難題をふっかけ、市場調査と称してオタク趣味にふけり、シュペッツィ片手にバームクーヘンを食うことが仕事ですね。わかります」


 ハイパーに面倒なクリエイター気取りであった。モノを生まないクリエイターに価値はない、とリーゼの目は語っていた。


「こいつ、単たるただメシ食らいヨ」

「ちょっと、紅花さん!」


 これから友好関係を築こうという相手に、火の玉ストレートを投げてはいけない。

 たとえクララが本当に無為徒食の徒であったとしてもだ。


「クララさんはその……そう、プロデューサーなのです。頭にある理想を実現するためなら、ときにメンバーに嫌われることすらいとわない。いわば船長のような役回りなのです。必要だと思うなー私、そういう人も」


 チラチラ。命が視線を送るとクララはすかさず乗っかった。


「そうっス! 私のエゴあってこそのナローゲート。むしろナローゲートは私のエゴそのものだと言っても過言じゃない!」

「は?」


 撃沈。

 リーゼの一言で、船長もろとも泥舟クララ号は大破された。

 海に落ちたクララはたまらず救援を求める。


「ヘルプ、ノエミヘえぇぇぇルプ! リーゼに何か言ってやって下さい」

「は? おいそこのデブ、シュペッツィ買ってこいよ」

「……うっス。いつも大変お世話になっております。シュペッツィは今度ダース単位で買ってくるんで、二人そろって退会するとかはマジ勘弁して下さい」


 ボードゲーム研究会(通称、ボドゲ研)の代表は頭を下げて懇願した。クララは絵も描けないし、システムを構築することもできない。

 でも、ボードゲームを作りたいという気持ちだけは誰にも負けない、熱意に満ちたクソナードであった。


「ったく、ほんと調子いいんだから」

「ハリボーも買ってくるなら許してやります」


 クララがこういう人間であることは百も承知二百も合点である。良いところも悪いところも引っくるめて、二人はクララとつるんでいるのだ。この程度のことでこじれるようなら、とうに三人は友達ではなかった。


「うっス。それじゃ二人からお許しもいただけたところで、さっそく――」

「ちょーっと待ったぁ!」


 私をさしおいてゲームを開始するなんて許されない系。

 命たちの元にダッシュで向かってきた遊び人が待ったをかけた。


「根木氏!」

「はぁはぁ……根木氏はやめて欲しい系。根岸と判別が付かなくなるから」

「えっでもまだ知り合って日も浅いしいきなり下の名前で呼ぶのは」

「もういいだろ、その下り」


 正論スキップ。

 クララが「茜氏!」と呼ぶと、根木は笑顔で応えた。


「もう、みんなズルいよー。先にお披露目会しちゃうなんて」

「すまないっス。この子を一秒でも早く自慢したくて」


 根木は腰を下ろすなり隣の命に顔を向けた。


「もしかして私、遅刻しちゃった系?」

「いえ時間通りですよ。私たちが早めに来てしまっただけです」

「よ、よう……ネギ」とぎこちなく紅花。


「私も混ぜてもらっていいカ?」

「いいよ。一緒に遊ぼう」


 根木は紅花の申し出を快諾すると、ふたたび命を見遣った。


「そっかー。二人はここに来る途中、偶然会ったんだね」


(あっ……)


 命は察した。根木はアホの子だが、バカの子ではない。

 命が根木と紅花をくっつけようとしていることは、すでにお見通しのようだった。

 しかし、ここで弁解するのも悪手である。


 根木やリッカは「友達の友達は、友達じゃない」なんて言うけれど、命の見解は違う。大好きな友達同士を引き合わせようとして何が悪いのか。

 命は開き直って薄い胸を張るとした。

 ……根木の笑顔が心なし怖い気がするが、それは気のせいだろう。


「ナローゲートは多人数プレイを想定したボードゲームなんスけど、4、5人で遊ぶのがオススメっスね」


 三人の間にそんな複雑な事情があるとは露知らず、クララは我が子を自慢するようにナローゲートの説明を始める。命には、クララのそのKY加減がありがたかった。


「各プレイヤーの目的は、正規の魔法少女(レギュラー)になることっス!」

「先にゴールに着くことが目的じゃないのカ?」

「ふふふ、紅花氏。そこがこのナローゲートの面白いところっス」


 クララの説明はこうだ。

 ゴールに着いた者には先着順で特典があるが、勝負はそこで決まらない。

 全員がゴールに到達したときに起こるイベント"選定会(セレクション)"で勝つことこそが、このナローゲートの目的である。

 各プレイヤーは自身の分身である魔法少女を強化して選定会に挑み、正規の魔法少女になるという栄光を掴む。

 ナローゲートとは、まさにセントフィリア王国の世相を反映したゲームなのだ。


「まあ習うより慣れろの精神っス。困ったときはサポートするんで、まずはプレイヤーの分身になるピースを選んで欲しいっス」


 一通りの説明を終えると、クララは女学生の形を模したピースを前に出した。火・風・水・土の四元素、それに東洋系を加えた五体のピースが並ぶ。


「わあ。宝石みたいだね!」

「さすが茜氏、お目が高い。これは魔法石を加工して作った珠玉の一品なんスよ。いいっスよね、これ」


 火は赤、風は緑、水は青、土は黄色、東洋系は黒。各属性を象徴した色で輝くピースを、テーブルにつく女生徒はうっとりした顔で見つめていた。

 命だって美しい品だとは思うが、男と女ではモノの感じ方が違う。

 彼女たちは、命の目には映らない光の波長を魔法石から感じ取っているのだろう。それこそクオリアとしか呼べない何かを。


「ねーねー。これ誰が作ったの?」

「これは私のルームメイト作。きまぐれ細工師の一品でございー」


 根木が興味津津に尋ねると、ノエミがいつもの調子で返した。


「いいなー。私もその人に会いたい系! 今度紹介してよ」

「……機会があれば」

「やった!」


 根木のことである。機会がなくても作ってしまうのだろう。これがコミュ力お化けの怖いところである。

 近々魔法石の細工師と顔合わせをすることになりそうだ、と命は予感した。


「むむむ。これはどれにするか悩む系」

「1個カ……1個だけカ」


 世間話をしつつも、根木と紅花のピースを見る目は真剣そのものだ。ここでお目当ての品をとってしまったら顰蹙(ひんしゅく)ものだろう。紅花が赤、根木が黄色のピースを取ったのを見届けてから、命は不人気そうな黒のピースを選んだ。


「ほほう。そう来たっスか」


 ボドゲ研の三人は、命たちの選択を見てにやけていた。


「あれ、三人は参加しないのですか?」

「参加したいのは山々なんだけど……その、ね」

「自分たちは自分たちのゲームをプレイする人を見て、ニヤニヤしてたいんスよ」

「ああ……」


 その気持ちはわからなくもない。「友達がやってるゲームを後ろから眺めるのは最高だぜ」とノエミが付け加えた言葉には、命も共感できた。


「というわけで自分たちのことは気にせず、三人はデバ……ゲフンゲフン。何も考えずに楽しんで欲しいっス」

「今、デバックって言いましたよね?」


 余計なことを言いやがって。リーゼとノエミは、クララの頭をペチペチ叩いた。


「ちょ待って。今のは失言というか……まあ本当のことなんだけど」


 今さら取り繕ったところで仕方ない。リーゼは浮かない顔で打ち明けるとした。


「そりゃ私たちだって調整ぐらいしたわよ」


 ボードゲームに限らず、ゲームと名の付くものの作業の大半は、調整が占めているといっても過言ではない。

 テストプレイをしてバグを修正して、ゲームバランスを調整して……これを途方もない回数こなして初めて、ゲームはゲームとしての体を成すのだ。

 そんなことはボドゲ研の三人だって知っていたが、それはあくまで知識としてだった。


「初めの内はやればやるほど、ナローゲートが良いものになっていく実感があったの。でもね、ある日を境にわからなくなっちゃったの。もしかして、私たちはナローゲートを改悪してるだけなんじゃないかって……そう思うようになってからはあっという間よ。このゲームが面白いのかどうかもわからなくなって……」


 それはデバックの、ひいてはクリエイターの闇である。

 修正すればするほど質が上がるという妄執にとらわれ、小さなバグと引き換えに重大なバグを生み出し、果てはその物が持つ本質すら殺してしまう。

 そして行き着く先はアップグレードとダウングレードの堂々巡り。

 外にいる者には奇行にしか映らないだろうが、彼らは考えた過ぎたゆえに壊れてしまったのだ。


 作り手は脆い。

 行く先も戻る先も直ぐにわからなくなり、作っているものの本質すら見失ってしまう。

 だからこそ冷静な第三者の視点が必要なのだ。

 クリエイター(あるいはプログラマー)とデバッカー(あるいはテスター)を分けるというのは、人類がモノづくりの過程で得た叡智であった。


 しかし、ボドゲ研は日陰のギーク集団である。自作の、それも処女作のボードゲームを人目に晒すのは自らの恥部を晒すに等しい行為だ。

 さらにもっと悪いことに、彼女たちは内向的であった。

 自らの恥部を晒しても良いと思える相手は内にしかおらず、三人は苦悩に喘いだ。


 そんな折、ボドゲ研の前に現れたのが命たちであった。

 シルスターの影に怯えながらも、彼女たちが命たちとまた会いたいと願ったのは、単に二人の印象が良かったからだけではない。


 渡りに船だったのだ。この機を逃せば、ナローゲートが日の目を浴びる機会は永久に失われてしまうかもしれない。その打算に、その予感に、三人は突き動かされていた。


「お願い! 虫の良いことを言ってるのは百も承知だけど……貴方たちにこの子で、ナローゲートで遊んで欲しいの」

「自分からもお願いするっス。代わりに自分ができることなら何でもするっスから、このとーり!」


 リーゼ、クララに続いてノエミも無言で頭を下げた。

 まさかデバックの一言でこんな込み入った話になるとは、命も紅花も予想外だった。

 二人の反応が遅れるなか、


「いや、そんなこと言われても困る系」


 真っ先に口を開いたのは根木だった。


「私は遊びたいから遊ぶだけだもん。頼まれなくたって遊ぶし、頼まれたって遊ぶことをやめないよ」


 それが遊び人の粋であり、根木が選んだ道である。


「デバックっていうのはよくわからないけど、命ちゃんなら何とかしてくれるよ。だって命ちゃん器用だもん」


 根木の目配せに対して、命は自信たっぷりに応えた。


「任せて下さい。私この手の細かい作業は大の得意です」

「なら決まりヨ。デバックは命に任せて、私たちは勝手に遊ぶとするカ」

「ええー。紅花さんも手伝ってくれないのですか?」

「おあいにくさま、私は細かい作業が苦手ヨ」

「そだねー。紅花さんって見るからに細かいこと苦手そうだもん」

「……お前に言われたくないヨ」


 紅花はしかめっ面を浮かべていたが、やることは決まった。命たちは早速ナローゲートで遊ぶとしたが、進行をつとめるボドゲ研の方が上手く切り替えられなかったようだ。

 まつ毛をうっすらと濡らすリーゼ。どこかしおらしいノエミ。特にわかりやすかったのはクララだ。彼女は滂沱の涙と鼻水を流していた。


「うおおぉぉぉぉお! 心の友よ、三人とも好きだぁぁぁぁあ。何なら三人ともボドゲ研に入らないっスか!」

「それは遠慮します」

「それはお断る」

「それはやだヨ」


 命、根木、紅花の順で拒否した。三人とも職人気質の人間ではないので、軽い気持ちでモノづくりの苦悩を味わうのは御免であった。

 クララは軽くショックを受けたようだが、命たちは気にせず話を進めた。


「あっ、でも三人だと推奨人数に届かないですね」

「三人だと遊べない系?」

「いや、遊べないことはないと思いますが」

「そうネ。デバックも兼ねるなら、あと一人は欲しいヨ」

「じゃあ、入ってくれるかな?」と根木があらぬ方向を見て問う。

「はい。私でよければ」

「――ッ!」


 根木を除く五人が思わず肩を震わせた。今の今まで空き席だと思っていた椅子に、影の薄い女生徒が座っていたのだ。

 命は金魚みたいに口をパクパクさせた後、彼女の名前を呼んだ。


「もしかして……ハルちゃん?」

「はい、ハルちゃんです」


 塩顔ハルちゃんこと青菜小春は薄い笑みを湛えて、紅花に頭を下げた。


「先ほどは危ないところを助けていただき、ありがとうございました」

「えっ、ハルちゃん危ない目に遭ってたの!?」

「ああ心配しないで。何ともなかったんだけど、茜ちゃんが来る前にちょっとしたいざこざがあって、紅花さんが助けてくれたの」


 またもや仰天した。シルスターの手下に絡まれたとき、青菜が同席していたことに誰一人として気づいていなかったからだ。


 感謝の言葉を送られた紅花も「お、おう」と曖昧な返事をした。

 恐らくシルスターの手下も、青菜をマトにかけた覚えはなかっただろう。

 単に居るだけ。そこに居るのにどこにも居ない。それがハルちゃんであった。


「そっか。ハルちゃんのこと助けてくれたんだ……ありがとね、紅花ちゃん」


 どさくさまぎれに根木の好感度が上がったが、紅花としては当惑するほかない。

 本当に助けた覚えがないのだ。


「えっと、その、ハルちゃんさん? も一緒にやりますか」

「まあ! 私、ボードゲームってやったことないので、とても楽しみです」


 リーゼがおどおどした調子で誘うと、青菜は胸の前で手を組んで喜んだ。


「それと、もしよろしければ私のことはハルちゃんとお呼び下さい」


 ボドゲ研の三人は目で会話する。楚々とした態度に、柔らかな物腰。どうやら害意はなさそうだと判断し、彼女たちは青菜を迎え入れることにした。ボドゲ研としては、数が多い方が良いサンプルが取れるという下心もあった。


 一方、青菜を初めて認識した紅花はまだ混乱していた。彼女は命にしか聞こえない声量で耳打ちする。


「おい何なんだあいつ。全く気配がなかったヨ!」

「何だと申されましても」


 ハルちゃんはああいう種類の怪異だとしか、命には説明できなかった。


「もしかして武術の達人か何かカ?」

「ああ、なるほど」


 中国武術に精通した紅花ならではの見方だ。武道の心得がある者は立ち居振る舞いが、他の人と異なるとはよく言う。命は面と向かって聞いてみることにした。


「もしかしてハルちゃんって、武術とかかじってますか?」

「武術と言いますと、ほあたーという感じでしょうか」


 達人感ゼロの発言だった。


「武術については詳しくないのですが、どうかなさいましたか」

「いや、ハルちゃんの立ち居振る舞いがきれいだったので、何か理由があるのかと」

「そうですね。強いて挙げるとすれば……」

「挙げるとすれば?」


 周囲が固唾を呑んで見守るなか、青菜は大真面目に答えた。


「母の教えが良かったのでしょうね」

「うん。大事ですよね、母の教え」


 四十八の乙女技とか教えてくれるし。

 脱力した命は探りを入れるのをやめた。青菜の影が薄い理由を解明したところで誰が得するわけでもないし、たぶん青菜が傷つくだけである。

 それに命の周りは、ナローゲートを早く始めたくてウズウズしていた。

 なかでも最もウズウズしていたクララが、真っ先に痺れを切らした。


「して青菜氏、もしナローゲートに参加する気があるならピースを選んで欲しいっス」

「ハルちゃんです」

「……小春氏?」

「ハルちゃんです」

「その……ハルちゃん。ピースを選んで欲しいっス」


 意固地な青菜を前にして、クララが先に折れた。

 青菜の妙なこだわりはさておき。彼女が名字にあやかって青い魔法石――水属性の魔法少女のピースを選ぶと、ようやくナローゲートを始める準備が整った。


 参加者は、命、根木、紅花、青菜の四名。

 四名のプレイヤーには、ステータスカードと魔法カードが配られた。

 ステータスカードには各プレイヤーの依代である魔法少女の能力値が記載され、その魔法少女が使える魔法が魔法カードだと、クララが説明した。


「今回は1年プレイなんで、各プレイヤーは3年生からスタートということで」

「正確には、1年プレイしかできないが正しいけどね」

「2年プレイ、3年プレイができるようになるかは神のみぞ知るところ。お客さまは神さまだー」

「……そんなプレッシャーかけないで下さいよ」


 デバックは請け負うが、さすがにナローゲートの生殺与奪の権までは預かれない。命は深く考えずゲームに集中するとした。


「どれどれ。三年生ということは、それなりに経験を積んだ魔法少女なのでしょう……んっ?」


 命はステータスカードを凝視する。ステータスカードには、RPGでお決まりのHPやMP、STRなどの項目が並んでいた。項目自体は珍しいものではなかったが、


「思ったより強くありませんね」


 命が選んだ東洋系の魔法少女は、3年生にしてはステータスが低い。すべての項目が半分にも届いていなかった。


「ウチのお姉ちゃんはもっと強いですよ?」

「……あんな頭おかしいのと比べるなヨ」

「あー、八坂さんが思い浮かべる東洋系って姉ヶ崎先輩なのね」


 リーゼの説明によると、東洋系の魔法少女は西洋系の魔法少女と比べると魔力総量が少なく大成しにくいのだそうだ。

 他プレイヤーのステータスカードも見せてもらったが、やはり命の魔法少女が一番弱かった。


「でも東洋系は器用だから。ほら、魔法カードの数は西洋系より多いでしょ」

「確かに」


 西洋系はパワープレイを、東洋系はトリックプレイを得意とする。

 東洋系は玄人受けすると言えば聞こえは良いが、要はそれ相応のプレイングスキルが求められるわけだ。


「どうする? 風の魔法少女なら余ってるけど」

「いえ、このままでいいです」


 風の魔法少女という単語は、命にリッカのことは想起させた。

 リッカが味方なら百人力だが、いつまでも彼女に甘えてばかりもいられない。命は自分の生き写しとも思える、東洋系のピースで戦い抜くことを決意した。


「初心者には難しいかもしれませんが、これはゲームですから。それに」命はノエミに目を配る「立ち回りさえ上手ければ、この子もちゃんと戦えるのでしょう?」


 ニッ、とノエミは不敵な笑みを返す。システム担当者の自信の程がうかがえるが、彼女に負けず劣らず不敵な笑みを浮かべる人物が命の横にいた。


「いい度胸ヨ。ハンディを背負って勝てるとでも思ってるのカ?」


 幼少のみぎりから勝負の世界に身を置いていた紅花は、勝負ごとには燃える質であった。

 たとえそれがゲームであっても変わらない。

 手札を見る彼女の目は常よりも釣り上がっていた。


「すごい気迫だね」と根木。

「当たり前ヨ。お前も相手が命だからって手を抜くなヨ」

「任せて! 私も全力で遊ぶから」


 自分の意図が伝わっているのか怪しいものだったが、紅花はそれ以上何も言わなかった。ひとたびゲームが始まれば、参加者はすべて敵と化すのだ。


(うーん。ゲームを楽しんでくれるのはいいのですが)


 命は困ったように微笑んだ。

 ナローゲートはあくまで手段であって目的ではない。紅花と根木が友達になること。それこそが命たちの目的なのだが、


「このカードを……いや、こっちカ」


 どうも手段と目的を取り違えている気がしてならない。紅花はぶつぶつと独り言を漏らしながら手札を整理していた。


 思うところはあるが、命は黙っておいた。

 自分が上手く立ち回れば問題ないだろう。あくまでも今回の主役は、根木と紅花である。彼女たちを楽しませることが第一で、勝負は二の次であった。

 よくできているとはいえ、しょせんは素人制作のゲーム。こんなゲームにマジになってどうするのだ。


「それじゃあ、私からいっくよー!」


 一番手の根木が元気よくダイスを振る。ダイスの目に合わせて、黄色のピースが6マス進んだ。


「山から下りてきたアウロイタイガーを退治する、だって。やったー。いきなりレベルが上がった」

「良かったね、茜ちゃん」


 ダイスの目といい、幸先の良いスタートである。

 二番手の青菜もこの勢いに続けとばかりに6の目を出した。


「まあ、私も同じマスです」

「ウェルカムトゥようこそ青菜ちゃん。一緒にアウロイタイガーを討伐だ!」

「いや。同じマスに止まったんで決闘っスね」

「……えっ」


 声を重ねる二人をよそに、クララは淡々とルールを説明した。


「正規の魔法少女を目指す者が同じマスに二人。何も起きないわけがないでしょう……。あなたたち二人には今から殺し……ゲフンゲフン。血で血を洗う決闘をしてもらうっス」


 ピース風情がこの世界のルールに逆らえるわけもなく。

 先ほどまで喜びを分かち合っていた二人は、決闘することを余儀なくされた。

 一分に及ぶ激闘の末……。


「…………」


 根木のピースは魔力枯渇(パンク)に陥った。

 水属性の魔法【追い水(チェイサー)】で顔を覆われるという決着。

 その光景を想像するだけでも悲惨だというのに、根木は経験値を奪われ3ターンの休みまで課せられた。


「ごめんね、茜ちゃん」

「……あはは。いいって、いいってー、これはゲームなんだから」


 二人の会話がどこかぎこちなく聞こえるのは、気のせいではないだろう。

 これは……。

 命は辺りに立ちこめる危険なスメルに気づいた。ナローゲートの説明を聞いたときに覚えた違和感。あのとき感じたものは間違っていなかったのか……いや、まさか。

 命は努めて笑顔でゲームを進めようとした。


「次は紅花さんの番ですよ?」

「いや、私は後でいいヨ」

「……そうですか」


 妙な胸騒ぎを覚えたが、命は勧められるままにダイスを振った。

 ジャンケンに勝った者から順番を決める。

 うん、何も間違っていない。


「3ですか」


 ダイスの目を見て、ホッとする。ここで6の目を出していたら目も当てられないところだった。止まったマスにイベントはなかったが、それでいい。人間、平穏無事が第一なのだ。


 そうして命が安堵した次のターン。


「えっ」


 射程距離4マス、範囲内の敵にダメージを与える魔法カード【噴火(イラプション)】が、命のピースを焼き払った。


 それはダイスロールする前に、紅花が切った魔法カードである。しかも追加判定で火傷を負った命は、次の順番が来ると同時に魔力枯渇に陥ることとなった。


「……紅花さん?」


 命は一縷の望みをかけて紅花を見たが、


「悪く思うなヨ」


 返ってきたのは無慈悲な一瞥であった。

 命は確信した。今の一撃は事故でなければ冗談でもないのだと。


(ふふっ。もう紅花さんったら)


 こいつ、やりやがった……っ!


 命だって、ピースが密集する初手から魔法カードを切る戦法を考えなかったわけではない。HPの低い命がいれば、なおのことやりたくなるだろう。


(落ち着け。クールになるのです私)


 しかし。


(私が二人の仲を取り持たないでどうするのですか)


 しかしだ。


(今の一幕でゲームが荒れることは必至。私が調整しないと)


 心臓が熱い。心のなかの悪魔がやり返せと囁いている。


(私が……)


 二巡目。

 紅花と青菜の決闘を目の当たりにし、


(よーし。みんなまとめてやっちゃうぞー☆)


 命は全てのしがらみをぶち切った。

 盤上に黒い悪魔が降臨したのはその直ぐ後のことだった。

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