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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―西高東低のアンビエント編―
107/113

第106話 のろわれたこのせかい

 ポーシャと別れた命たちは、一休憩してから第二女子寮の食堂に向かった。そこは長机と椅子が等間隔に並んだ、洋食エリアの食堂を縮小したような造りだった。


「さっきから気になってたけど、命ちゃんは何で制服なの?」

「それが、妖精猫(ケットシー)運輸に荷物をなくされてしまって。私服を持っていないのですよ」


 という嘘を、命は流れるようについた。さっきまで嘘つきとやり合っていたせいか、舌にずいぶんと油がのっていた。


「ふうん。それは災難だった系。じゃあさ、今度一緒に服買いに行こうよ!」

「……考えておくさね」

「またうつった!」


 嘘も方便とはいうが、嘘は基本的に不便を招くツールである。

 やっぱり人間正直が第一ですね……、命はきれいな乙女に戻るとした。


「それで、茜ちゃんが友達になりたい子はどちらですか?」

「あっ、今話題変えたでしょ! ダメだからね、服買いに行くのは絶対系! 命ちゃんといい那須ちゃんといい、どうして服に関心がないかな」

「そういえば今日、那須ちゃんは?」

「ブルーハワイ研究会。すきあらば会室に入り浸ってるんだよ。ルームメイトとしては、ちょっぴり切ない系…」

「まあまあ。今日は私が一緒ではないですか」


 このところ那須の動向が掴めなくて不安であったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。


(危ないことしてないといいのですが……)


 那須には中学時代、理科室を爆破した前科があるだけに心配だ。

 しかし那須が生き生きとしているなら、ブルーハワイ研究会を存続させた甲斐があったというものである。


「あっ、命ちゃん。服は落ち着いたら買いに行こうね」


(……ダメでしたか)


 連続で話題をスキップしたのだが、根木を欺くことはできなかった。

 命は根木の扱いに慣れた気でいたが、実のところ根木の方が命の扱いに慣れているのかもしれない。


「あっ、隊長! ターゲットを発見しました!」


 根木が指差す先には、三人組の女生徒がいた。食堂の隅を陣取るというより、片隅で縮こまっているという表現がしっくりくる。

 命が第一に抱いた印象は、地味だ。良くも悪くも洒落っ気がない三人組だった。


「あの子たちですか」

「うん。最近、気になる存在なんだ」


 根木にしては大人しい人選だが、濃い味のメンバーばかりだと胃がもたれてしまうので、ちょうど良いのかもしれない。


(山田さんも、ポーシャさんもキャラ濃いからなあ)


 誰かを忘れている気がしないでもないが、それはともかく。命はさっそく気になる三人組にアプローチをかけることにした。


「私は右から行きますので、茜ちゃんは左からお願いします」

「がってんだよ隊長!」


 それからの二人の行動は早かった。


「ねーねー、私も混ざっていいかな」

「……っ!」


 根木が声をかけた瞬間、眠たげだった三人がそろって覚醒した。三人は反射的に退路を確保しようとしたが、


「ふふっ。私もご一緒してもよろしいでしょうか」


 退路遮断。


 奥まった席にいたのが運の尽き。命が反対側から退路を塞ぐと、セミロングの女生徒が「ひえっ」と小さく声を上げた。


(ひえっ、て……)


 悪役(ヒール)みたいな扱いで悲しいが、目をつぶろう。命は三人との心の壁をゆっくり壊すとした。


「大丈夫です。今、私と貴方たちの間には多大な相互不理解があるようですが、話せば直ぐにそれが誤解だとわかります。だからね……ちょっとお話しましょう」

「いやあぁぁぁぁぁぁあ! 完全に美人局(つつもたせ)のあれだあぁぁぁぁぁぁあ!」

「これは財布がすっからかーん」

「あの、私たち何も悪いことしてないんで、その……勘弁して下さい」


(うーん……これは)


 壊れるどころか壁が厚くなった気がする。命がもう一声かければ、東西の国交が途絶えかねない。


「ちがうよ。私たち、遊びに来たんだよ」


 命隊長がヘマしたと見るや、根木隊員がフォローに入った。


「ほら、いつもテーブルに広げてるアレないの? 私、いつもアレ楽しそうだなーって思って見てたんだ」


 命にはアレが何を指すのかわからなかったが、アレの効果は絶大であった。さっきまでの怯えていたのが嘘のように、三人はそわそわし始めた。


「……アレっスか」


 リーダー格と思しき丸っこい女生徒が神妙な顔で問いかけ、


「うん。アレ一つ」


 根木が居酒屋の常連みたいに返した。

 一見さんの命は黙って、丸っこい女生徒の返答を待った。


「アレっスか。いや、でも……アレっスよ」

「うん、アレが見たい」

「うへへ……でも、ホントっスか? ホントのホントにホントっスか?」

「うん、もっと言うならアレがやりたい系」

「あの……タイムもらってもいいっスか?」

「いいよ」

「よっしゃタあぁぁぁぁぁぁあイム! 作戦会議っス」と、丸っこい女生徒はTの字のハンドサインを出す。


 三人は肩を寄せ合って、ひそひそ話の態勢に移行した。


(いいんじゃないっスか。思ったより良い人そうっスよ)

(ダメだって! あんたはホントにさー、もっと考えてしゃべってよ。あれなの? あんたの頭は鳥なわけ? ツバサが生えてアイキャンフラーイなわけ!?)

(賛成の反対のさんせー)

(ほらノエミだって、いやそれどっち――ッ!?)

(じゃあ、決採るっスよ。決! 賛成の人は挙手で……ちっちのちっ!)


 賛成1、反対2。丸っこい女生徒だけが手を高々と挙げていた。


 向かい側で見ていた命は思った。

 果たしてこの会議、ひそめ声でやる必要があるのか、と。


「……待たせたっスね」


 丸っこい女生徒は根木と向かい合うと、笑顔をみせた。


「オーケーっス。アレとってくるんで、チョイお待ちを」

「はあぁぁぁぁああああああ!? おま、ちょ、はあぁぁぁあああ!?」


 根木が反応するより早く、セミロングの女生徒が食いついた。それはもうドーベルマンのような獰猛さで。


「したじゃん多数決。意味ないじゃん多数決!」

「よく考えてみたら、自分らクソナードなんで多数決とか何の意味もなかったというか。ほら、自分ら社会の少数派じゃないッスか」

「少数欠じゃん。それ少数欠じゃん。あんたなに自分ルール発動してんの!?」

「じゃっ、そゆことで。自分はアレ持ってくるんで」

「ちょ待てよ!」


 待たなかった。言うが早いか丸っこい女生徒は離席し、食堂を出ていった。


 あとに残された二人にどう声かけたものか。命は少し悩んだが、思ったままのことを口にした。


「大変そうですね」

「……ありがとう。わかってもらえたみたいで、すっごいうれしい」

「わー、自分ルールで時空が乱れるー」


 いきなり仲良しこよしとはいかないが、残されたメンバーは自然と自己紹介する流れになった。

 苦労人そうな「おま、ちょ、はあぁぁぁあああ!?」がリーゼ=クレーバー。

 発言が意味不明な「賛成の反対のさんせー」がノエミ=ミハル。


「で、さっき飛び出てったバカが、クララ=キルヒマンね。何がクララだっての。アルムの山でダイエットしてこいっての」


 と、リーゼが丁寧に説明してくれた。

 ルバート一味のクルトを見ているときにも同じことを思ったが、きっとリーゼが三人のなかで一番割を食うタイプなのだろう。

 命は、何だかリーゼとは仲良くなれそうな気がした。


「って、ゴメン。何だか私さっきから愚痴ってばっかな気がする」

「いえいえ。溜め込むのは身体に毒ですから、私で良ければ付き合いますよ」

「ふうん……貴方って聞いてたより、いい人なのね」


 命は、リーゼの好感度が上がる音を聞いた気がした。

 いける。苦労人というのは得てしてお人好しである。

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、だ。

 リーゼを落とせばこのグループは攻略したも同然、と命が心のなかでほくそ笑んでいたときだった。


「ビッビー。チョロイン指数上昇中、チョロイン指数上昇中! お股ゆるゆるの女は直ちに警戒せよ」

「ちょ、誰がチョロインよ。というか私、自慢じゃないけどモテないからね!」

「はいはーい、私も非モテ系!」

「同士っ!」


 ガッ。根木とリーゼがグータッチをかわした。根木のコミュ力が功を奏したのか、リーゼのチョロ力が仇となったのかは判然としないが、二人は一瞬で打ち解けた。


「ピピピ…。モテ力きゅ…90000…!? 100000……110000………バ…バカな…まだ上がるだとー」

「そうね。こっちは敵の匂いがするわ」

「そんな!」


 非モテの絆を結んだつもりが、命だけは仲間外れであった。

 異性ならともかく同性にモテてどうするのだ。そんなモテ力は犬にでも食わせてしまえと思うものの、命がそれを口にするわけにもいかなかった。


「えっと、その……私なんか全然モテませんよ」

「ビッビー。嘘100%を検知しました」

「モテ女の自虐ってわりと最悪よね」


(なんか好感度がガンガン落ちています!)


 おのれ、ノエミ=ミハル。新進気鋭のデザイナーが立ち上げたブランド名みたいでカッコイイからって……、命は心のなかで歯ぎしりした。

 嫌な予感はしていたが、ズバリである。ノエミは命が苦手とする人種だ。人畜無害のようで内に刃を秘めている。エメロットと似たタイプだ。


 下手に手を出すとズタズタに切り刻まれてしまうので、命は愛想笑いを浮かべて援護射撃を待った。砲兵、砲兵早く。


「うーん。でも命ちゃんって意外と男の影ないんだよね。今日だってほら、制服だし」

「ホントだ。貴方モテ女のわりに、服に無頓着なのね」


(来たっ!)


 命隊長は、根木隊員が作ったチャンスに全力で乗っかった。


「私……昔、電車で痴漢に遭ったことがあって。それから男性不信になってしまい……」

「ビッビー」と、ノエミは警告を出してから驚愕した「……嘘0%を検知しました」


(ええ本当ですとも)


 命だって嘘であって欲しかったが、事実である。何が嫌だったって、とっ捕まえた痴漢に「私は男です!」と告げたところ、「知ってた」と返されたことだ。あの一件は、命の心に癒えない傷を残した。本当に嫌な事件だった。


「大変だったのね、貴方。そうよね、かわいい子にはかわいい子なりの悩みがあるっていうのに、私モテ女がどうとか言って……ゴメン」

「お気になさらないで下さい」


(かわいい子×2)+モテ女=命は心に30のダメージを負った。ぐふー。


「命ちゃん……そんなことがあったなんて、初耳だよ」

「あまり口外することでもないですしね。だから」


 ここが重要である。命は一呼吸置いて、人差し指を唇に当てた。


「これはここだけの話ですよ」


 秘密の共有――親密度をアップするのによく使われる手である。しかも今回は恥ずかしい話も交えているのだ。

 これは完璧。好感度急増待ったなし。


(そう、全ては私の手のひら。一から十まで計算づくなのですよ。ふふ、ふふふ……ふて寝したい)


 自分の恥部をさらすのは諸刃の剣なので今後は控えようと、


「ということは、モテ女はヴァージニアですか?」


 思った矢先にこれである。ノエミの舌先は刃物であった。


「……いや、それはおかしいでしょう。私、彼氏いたことないですし」


 彼氏。自分で言って吐き気がしたが、命は我慢した。


「でも彼氏がいないことが身の潔白につながるとは言えないんじゃない?」

「あっ、それわかる。私の学校にもそういう人いた」

「あわわわ。若者の乱れる性」


 命にはにわかに信じがたい話である。そういうことは結婚するまでしないものだと、母さまから聞いていたからだ。

 命は顔を伏せたが、それが裏目に出た。


「もしかして貴方……」

「命ちゃん……」

「これは、ユニコーンのつのドリルが炸裂する予感」


 えっ、身の潔白を疑われている。性的な意味で?

 混乱する命の肩に、リーゼが手を置いた。


「これは私たち非モテ同盟にとって重大な問題よ」

「いつ結成されたのですか、それ!?」

「私が生まれたときよ」

「もっと自分を大事にして――ッ!」


 リーゼさんには地味さのなかにも光るものがあります、なんて言って済むような空気ではなかった。


「酷なことを言ってるのは百も承知。でも貴方の口から聞かせてちょうだい。貴方は……処女なの?」


(い――)


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だそんなこと口にしたらSAN値が底をつく。

 男の本能は最後まで抗議の声を上げていたが、


「………………………………………………………………処女です」


 黙殺。最後は尊厳より打算が勝った。


「同士よっ!」


 ガッ。命たちはグータッチで四角形(スクエア)を描いた。非モテの儀を通じて、四人は鉄の絆を手に入れたのであった。


(……うう、誰でもいいから布団持ってきて)


 布団でジタバタしてからふて寝したい。命の布団愛は募る一方であった。

 これだけ恥をさらしたのだ。命もタダでは帰れない。何が何でもこの三人と良好な関係を築きたかった。


「ところで先ほど仰っていたアレとは何なのですか」

「んっ、同士は知らなかったのか。別に言っても構わないんだけど……恥ずかしいんだよね、アレ」

「恥ずかしい?」

「数年前に綴ったポエム級の恥ずかしさです」

「ちょっ、変にハードル上げないでよ」


 アレとは見せるのが恥ずかしいものなのか。命にはさっぱり見当がつかなかった。


「まっ、そろそろクララが持ってくるでしょ。おっ、噂をすれ……ば?」


 影が来るというが、大股で歩いて来た影はクララのものではなかった。


「やっと見つけたヨ!」


 こちらに着くなり、紅花は命の首根っこを持ち上げた。


「にゃっ!」


 武闘派系魔法少女だけあって淀みのない動きだ。命は急に持ち上げられた猫の気分を味わいながら立ち上がった。


「……何ですか急に。女の子は壊れものなので丁寧に扱って下さい」

「はん。シルスターとやりあうような女は壊れものとは言わないヨ」


 紅花は命の抗議を無視して続ける。


「まあいい。行くヨ」

「行くって、どこに?」

「どこにって、私の部屋に決まってるヨ」

「……決まっているのですか」


 どうやら本人もあずかり知らぬスケジュールがあったようだ。しかし急に来いと言われても困るし、命以外だって黙っていなかった。


「ちょ待ってよ!」


(リーゼさん……じゃない!)


 根木だった。命といい根木といい周りに影響されやすい子だった。


「今、私たち楽しくやってたのに、どうしてそういうのわかんないかな!」

「んっ、それは悪かったネ。ならお前たちも一緒に来るカ?」

「ひえっ!」


 本日二度目の「ひえっ!」が出た。

 命たちは普通に接しているが、紅花は上位カーストに位置する女生徒である。ナードのリーゼたちにとって、近寄りがたい相手であった。

 そのはいともいいえともつかぬ返答を無視して、紅花は根木に向き直る。


「なら命とちんちくりんの二人だ。それでいいカ?」

「だーかーらー」


 全然良くないし私はちんちくりんじゃないし。言いたいことはたくさんあったが、根木はそれらを一言に引っくるめた。


「私は行かないからね」

「別にいいヨ。なら命を連れて行くだけネ」


 えっ、私は確定なの。命が至極真っ当な疑問をはさむ余地もなかった。


「待ってよ。なんでそこで命ちゃんが出てくるわけ。ホントにイミフだよ!」

「意味不なのはお前だヨ。命を連れてくのにお前の許可がいるのカ? 命はお前のものなのカ?」

「私のものだよ!」

「違いますから!」


 不意打ちで私のものとか言われるとドキッとするのでやめて欲しい命であった。


「ほら見ろ。命はみんなのものヨ」

「それはそれで公園のブランコみたいで嫌ですね」


 みんなのものと言えば響きは良いが、実際にはどの公園にもガキ大将がいて、遊具は平等に使われないものだ。

 そして悪いことに、紅花は典型的なガキ大将だった。


「ブランコなら話は早いネ。チンチクリンはいつも乗ってるから、今日は私の番ヨ」


 紅花は、ブランコチェーンを持つように命の腕を引いた。


「ちょっと、乱暴に……」

「わかってるヨ」


 紅花は言葉をかぶせると、


「へっ?」


 目にも止まらぬ速さで命の足を払った。綺麗に縦回転する命を、紅花は横抱き……俗に言うお姫様抱っこで受け止めた。


「丁寧に扱えばいいんだロ!」

「えええええええー!」


 違う、これ私の求めている丁寧と違う、なんて訂正する間もなくハリーゴーラウンド。


「あっ!」と根木が短く叫ぶときには、もう遅い。

 シルスターに力及ばないとはいえ、東の后の名は伊達ではない。命一人の重さをものともせず、紅花は一瞬でアクセルを開けた。


「せめてアレを……アレを見た後にして下さあああい!」


 声は遠ざかる。怪物に捕らわれたヒロインのように、命は連れ去られた。


「命ちゃあああん!」


 基礎体力で劣る根木にできたことは、


「こ……このっ……ブランコ泥棒おぉぉぉ!」


 そう叫んで紅花の影を追うことだけだった。食堂から飛び出す途中、人にぶつかりそうになる。相手が戻ってきたクララだと認めると、根木は手短に「ごめんまた明日!」と去り際に伝えた。


 状況がつかめないクララは、ポカンとした顔で食堂に入る。

 席に戻ると直ぐに、リーゼに訊いた。


「何があったんスか?」

「……うーん」


 どう答えたものか。リーゼは逡巡したのち簡潔に答えた。


「略奪愛?」

「おおっ、モテ女を巡る愛憎渦巻くスペクタル!」とノエミが芝居がかった声を出すが、それでおしまい。スペクタルは舞台ごと移ってしまったので、続きは妄想するしかなかった。

 興味がないと言えば嘘になるが、インドア三人娘は人の色恋を足で追えるほどアクティブではなかった。


 誰とはなしに食堂に居座り、三人はアレの調整をするとした。




     ◆




「帰ったヨ!」


 超特急で5階に着くと、紅花は第二女子寮の一室の前で大声を上げた。

「はいはーい。鍵でも忘れたのー?」とゆるい応答。紅花の同居人である小喬(チャオ)は、微苦笑を浮かべて二人を出迎えた。


「友達連れてくるとは言ってたけど、そういう感じかー」


 小喬が思う以上に無理やりだったが、


「まっ、いっか」


 その一言で気を取り直す。


「命ちゃん、いらっしゃーい。美味しいお茶あるよう」


 お邪魔します、と命は上から返した。恐らく生涯で二度とないであろう経験だ。


「そら」


 先ほどのやりとりを気にしていたのか、紅花は命を丁寧に下ろした。

 ようやっと地面に足が着く。視点が低くなると、自分がお姫様抱っこされていたことを否応なく意識してしまう。命の頬はほんのり赤く染まった。


「何してるヨ? 遠慮せず入るネ」


 そこまで言ってハッとする。紅花は付け足すように言った。


「大丈夫ネ。お前思ってたよりずっと軽かったヨ」

「……それはどうも」


 軽かった。女の子にお姫様抱っこされた挙句、軽かったと言われた……。

 ときに心ある言葉の方が心ない言葉より人を傷つけるのか。

 一つ賢くなった命は、これは特殊な訓練を受けた魔法少女だからできることであって良い子は絶対に真似しないでねと思うことにした。


(よしっ!)


 メンタルリセットを済ませた命は、紅花に続いて中華組の部屋に上がった。

 女子寮はどの部屋も同じ造りとなっているが、家には持ち主の心が映る。二人の部屋は、根木と那須の部屋より片付いていた。


「部屋きれいですね」

「小喬がしょっちゅう掃除してるヨ」


 やっぱり、と思ったが口には出さなかった。紅花がしょっちゅう部屋を掃除するようには見えなかった。


「まあ部屋はどうでもいいヨ」


 紅花に促されて、命は居間の椅子に腰を下ろした。


「お前に折り入って頼みがあるヨ」

「頼み……ですか」


 命の表情は自然と強ばった。

 紅花に助けを求められたのは、これが初めてではない。シルスターに対抗するために手を貸して欲しい、そう言われたとき以来か。


 もしもあのとき、紅花が差し出した手を取っていたら、今とは違う未来が待っていたのだろうか……。


 命は考える。数多に広がる無数のゼロに別れを告げて、白紙の未来を。


(私は……)


 今度こそ、彼女の手を取れるのだろうか?


 命が固唾を呑むなか、紅花が蚊の鳴くような声で言った。


「どうやったらあいつと……ちんちくりんと友達になれるヨ」

「ぶふっ!」


 噴いた。せめてもの礼儀として袖で口を押さえたが焼け石に水である。命は水彩フラワー柄のハンカチで袖を拭いて一言。


「失敬」

「本当に失敬だヨ!」


 紅花はテーブルを叩いて叫ぶ。


「人が真面目に話してるっていうのに、お前は酷いやつヨ!」

「だって、真面目な顔して急にかわいいお悩み相談始めるから」

「かっ……かわっ!」


 頬を紅潮させた紅花はカミカミであった。

 命は先ほどのお返しとばかりに続けた。


「おっと、これまた失敬。紅花さんはかわいい系ではなく、キレイ系でしたね」

「……お前は直ぐそういうこと言う」紅花は耳まで真っ赤にして命を睨む「こいつ、絶対に友達少ないヨ」

「ご名答」と命はシニカルな笑みを浮かべる。


 紅花の嫌味は命の本質をついていた。

 命の対人関係は仮面をつけるところから始まる。

 嘘も方便と人を欺き、いい顔をして、しかして踏み込まず、適度に距離を取る。

 対岸を眺めるようにただ一人、離れ小島に立っていた。


 そこに大きな喜びはなく、代わりに絶望するほど深い悲しみもない。

 時おり起こる小さな波に耳を澄ませ、不意に吹く弱い風を肌で感じる、おだやかな暮らしであった。たまに人恋しくなるときもあるが、家族や玖馬(きゅうま)がボートを漕いで小島まで来てくれることだってある。


 なら、上等な暮らしではないか。

 精神衛生上級民である。

 精神的な健康バンザイ!

 過度に干渉しない閉じた社会バンザイ!


 そうしてこもっていれば、女子から牛乳をかけられることも、親友だと思っていた男友達から好きだと言われることもない。


 ……だったら、それで良いではないか。


「私、知り合いは多いのですが、友達は少ないタイプです」


 深く付き合って傷つけ合うぐらいなら、初めから深入りしなければいい。人間関係なんて、浅瀬でちゃぷちゃぷ水遊びする程度で十分ではないか。


 そう、思っていた。


「でも」


 無傷(むしょう)で何かを得ようというのが、虫の良い考えだったのかもしれない。

 結局のところ、リスクを取らねば本当に欲しいものは手に入れないのだ、と。

 今ならそう思える。


「私は」


 人は見た目が9割だというなら、とうに呪われている。

 全ての始まりはこの容姿で、全ての終わりはこの容姿に帰着する。

 呪い呪い呪い。

 八百万もいるはずの神さまは一柱たりとも助けてくれないし、最近はずっと雨続きだし、ちょっと良いことがあっても直ぐに悪いことをかぶせて私の顔を曇らせる。

 報われない。救われない。優しくない。甘くない。夢がない。

 私どころか世界そのものが呪われているのかと思うほど、世界には悪意が満ちている。


 嘆いたところで、憤ったところで、全ては無為。壁に向かって叫ぶようなものである。

 世界はあまりにも強大で、残酷だ。

 全人類はただちにシェルターにこもって悪意をやり過ごすべきである。


 八坂命は断言できる。

 それが次善である、と。

 もっともやってはいけないのは、呪われた世界と対峙することだ。

 生きる権利を主張し、力の限り戦ったところで勝てるわけがない。

 相手は悪意の塊なのだ。


 ……最悪だ。

 何が最悪かって、最悪と最善が切っても切り離せない関係だということが、だ。

 毒が裏返って薬になるように、どこかで都合の良い逆転劇が起こることを期待している自分が嫌になる。


 最近ではそんな自分が嫌いでないことが、もっと嫌になる。

 ああ嫌だ嫌だ。こうなったら、やることなんて、二つに一つである。

 尻尾を巻いて逃げる?

 ご冗談を。

 ここで尻尾を巻けるなら苦労しないし、苦しんでいない。


 結局のところ、一つに一つなのだ。

 どこまでも現実主義者として、どこまでも悲観主義として、そしてどこまでも理想主義者として戦うしかない。


 世界に、目に物見せてやる。

 一発いいのをくれてやる。

 一発当てたら逃げてやる。

 華麗なヒットアウェイで何度も立ち向かってやる。


 それでも。

 ちまちま殴っても、世界の自動回復の方が早いというならそのときは、


「私は、少ない友達を大事にするタイプでもあります」


 手をつなごう。

 一人で足りないというなら、みんなで殴ればいい。

 伸ばしたこの手は(はた)かれるかもしれないけれど、それでもいい。


「……回りくどいんだヨ、お前は」


 半ば呆れながらも、紅花は柔らかな表情を浮かべる。

 そして二人はあの日から宙に浮いたままだった手をようやっと取り合った。


「お茶になりまーす」


 時至れりと見て、小喬がお茶を運んだ。


「……何ヨ?」

「別にー。仲良いなあって、思っただけだよー」


 ニヨニヨする小喬はお盆で口を隠した。

 このままだと紅花が照れ隠しに物でも投げそうだったので、命は先手を打った。


「もう、茶化さないで下さいよ。私と小喬さんだって仲良しじゃないですか!」

「えへへ」小喬は命の腕に抱きついて言う「だよねー。私と命ちゃんだって仲良しなんだからー。ダメだよー紅花、命ちゃんのこと独占しちゃ」


 仲良し、仲良し、と小喬はうれしそうだが、命はそれどころではなかった。


(近い近い近いいい!)


 心の距離が近づくということがどういうことか、命は身を以て味わった。


「紅花さん紅花さん早く茜ちゃんと友達になる手を考えましょう!」

「別にいいけど、そこまで前のめりにならなくても……」

「善はハリー! ハリーダッシュです!」

「わ、わかったヨ」


 紅花が「何言ってんだコイツ」みたいな顔していたが、命は勢いで押し切った。勢いは大事である。さっきまで命の腕に抱きついていた小喬も、いつの間にか離れていた。


「茜ちゃんって、紅花がちんちくりんって呼んでる子のこと?」

「……それ本人の前で言っちゃダメですよ」


 あれで本人も幼児体形であることを気にしている節がある。

 同じぐらいの身長ながらも女性らしい身体つきの那須が同居人であるというのも、根木のコンプレックスに拍車をかけているのかもしれない。


「本人がどこで聞いているか」


 ガンガン、と玄関扉を叩く音が響いた。


「ほら来たっ!」

「さすがに違うんじゃないカ?」


 いくら何でも早すぎる。部屋番を知っているならまだしも、六棟ある女子寮からそうピンポイントで自分の部屋を当てられるものか。

 ……そう高を括っていた紅花が甘かった。


「返せえええ! 命ちゃんを返せえええ! それと私のことちんちくりんって言ったことは絶許系!」


 まごうことなき根木だった。


「ここが、李=紅花の家だってことはまるっとお見通しなんだよ!」


「なぜなら」一拍おいて根木は吠える「部屋番の情報は一〇〇〇イェンで買った!」

「怖すぎる!」


 命は、根木の手際の良さに戦慄する。

 この早さ、間違いなくポーシャが一枚噛んでいる。目的のためなら闇商人さえ従える恐ろしい女が外にいた。


「……どうするヨ?」

「と、とりあえず」


 居場所が割れているからといって、玄関扉を開けたらダメだ。無策のまま応じると、根木と紅花の関係がもっとこじれる公算が高い。小喬とも協力して……


「あれ?」


 そこで命は初めて小喬が居間から消えていることに気づいた。


「はいはーい。ちょっと待ってねー」

「待」


 った、をかけるより早く錠が落ちる音がした。


「お邪魔します。んっ……お邪魔なのは、わたしなのかなー?」


 このあと滅茶苦茶揉めたが、遅ればせながら状況を理解した小喬の助力もあり、どうにかこの場は収めることができた。

 結局この日、命と根木は日が暮れるまで中華組の部屋で過ごした。

 第二女子寮探索初日は予定通り進まなかったものの、予期せぬいいこともあった。


「なにこのお茶! とっても美味しい」

「でしょー、これね東方美人って言うの」

「なにそれ美人になりそう」

「なるよー、超なるよー。これ飲むとお肌の調子めっちゃ良いもん」

「……お、おかわりしてもいい?」

「うん。お菓子もいっぱいあるから、おかわりしてねー」


「紅花がね……でねー紅花がねー」

「命ちゃんだって負けてないんだよ!」


「前の台風で花壇がダメになっちゃってさー。どう再生させようか、みんなで考え中なの」

「ほへえ。ボラ部ってお花の世話もしてるんだ。新発見かも。私は黒百合会っていう、乙女を磨く会の会長なんだけど、お花もいーなー」

「なら一緒に活動しよーよー。私も黒百合会、興味あるし。もしかして、命ちゃんも会員なの?」

「んーん。命ちゃんは終身名誉顧問」

「終身名誉顧問!?」


「えー、二人とももう帰っちゃうのー。明日も休みだし泊まってきなよー」

「せっかくですが私、朝には宿にチェックインしてしまったので今回は……。次の機会があったらぜひ!」

「えー、絶対だよ命ちゃん」

「そうだよ。絶対の絶対の絶対だよ」

「……はい」


 根木はこの日、小喬と友達になった。


「何でだヨ!」


 雨月に向かって吠える紅花。

 命も全力は尽くしたが……根木と小喬の相性が良すぎた。紅花が間に割って入れなかったのも無理からぬ話である。


「それじゃあ命ちゃん、また明日」

「ええ。また明日」


 根木たちと別れた命は、宿屋アミューズへの帰路を歩く。

 雨夜(あまよ)の空は変わらず暗く、月明かりも星明かりも乏しいが、それもまた風情がある気がした。


「あっ、いちばんぼし、みっけ!」


 自分の星を見つけた命は、小喬から借りた傘をくるりと回す。弾いた雨粒が街灯に照らされて、ほんの一瞬輝いて夜に溶けた。


 行く道を覆う闇を、頰を濡らす雨を。黒髪の乙女は、悪意に満ちたこの世界の彩りを楽しんだ。

 ◆オマケ:反省会◆


「反省」


 その短い言葉には有無を言わさぬ圧があった。

 命たちが帰ると小喬は態度を一転し、紅花に正座を命じた。


 どうして私は正座をさせられているのだ。私は何かしたのカ……、紅花は困惑する。

 小喬が茶会で習ったという正座は、二人の間では反省の意を示すポーズとして浸透していた。それを強いるということはつまり、小喬は怒っているのだ。


「どうして私が怒ってるかわかるよね」


 わからない。でもわからないと言ったら、もっと怒るということぐらいは紅花にもわかった。

 小喬はよく1-Fの良心だなんて言われるが、そんなことを言っている連中の気がしれない。彼女は意外とわがままだし怒ると怖いことを、紅花はよく知っていた。


「…………」


 ゆえに沈黙。これが正しい答えなのだ。下手なことを言って大火傷するより余ほどマシである、と紅花は判断した。

 重い空気のなか、数十秒の沈黙を破ったのは小喬だった。


「命ちゃんのこと拉致ってきたでしょ。しかも他の友達と遊んでたところだったって聞いたけど」

「それは――」


 紅花にだって言い分はあるが、今それを口にしたところで小喬の怒りをかきたてるだけである。紅花は口から出かけた言葉を飲み込んだ。

 それに対して、小喬は深く追及しなかった。彼女もまた紅花が言わんとしていたことを理解していたからだ。


 紅花はシルスターに対抗しようと必死なのだ。誰に頼まれたわけでもないのに、1-Fを、銀の女帝に虐げられている人々を守ろうとしている。

 この人は本当に……初めて会ったときから何も変わらない。

 小喬はため息をついた。

 強きをくじき弱きを助く姿勢には好感を抱けるが、それはそれ。駄目なところは駄目だと言ってあげるのも同居人の務めである。


「そんなんだから、茜ちゃんがなびいてくれないんだよ」

「そ、それは関係ないだロ」

「あるよ。言っとくけど大ありだからね」


 小喬は根木と会ってみて確信した。根木は頭よりも心で物を考えるタイプだ。いくら紅花に大義名分があろうと、それを理由に友達になれというのは通用しないだろう。


「茜ちゃんと友達になりたいなら、あんまり難しいこと考えない方がいいよ」

「難しいこと……カ」

「それと、ちんちくりん禁止。ああ、あと拉致ももちろん禁止だからね」

「わかったヨ」

「わかったなら良し。反省(せいざ)はおしまい」


 足が痺れる前に終わって助かった。一息ついて紅花が立ち上がると、小喬がすり寄ってきた。


「んっ」

「なんだヨ」

「抱っこ」

「……は?」


 怪訝そうな顔をする紅花に引くことなく、小喬は主張した。


「だーかーらー、抱っこ! 命ちゃんは抱っこできるのに私はできないって言うの? それって私が重いってこと?」

「…………」


 できないことはないし、小喬が重いなんてこともない。でも……どうして抱っこしないといけないのだろうか。

 小喬の行動は不可解であったが、せっかく直った機嫌をまた悪くするのは得策ではない。紅花は身をかがめて、一気に小喬を持ち上げた。


「これでいいのカ?」

「うむ。苦しゅうない!」


 紅花の腰に抱きつく小喬はとても満足げであった。

 よくわからないが小喬の機嫌が良いならそれでいいか。

 結局、紅花はどうして小喬が怒っているのかわからずじまいだった。

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