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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―西高東低のアンビエント編―
106/113

第105話 嘘つき村の住人

 正午の鐘が鳴ると、女生徒たちが次々と廊下にあふれだす。命は邪魔にならないよう壁際に退避し、根木が教室から出てくるのを待った。


「ねえ、見て……」


 何やら女生徒たちがひそひそと話している。なかには自分のことを指差す無遠慮な輩もいたが、命がにこりとすると、あわてて退散していった。


(ふう。あまり目立つのも考えものですね)


 と、ぼやいたところで栓のないこと。

 女の子はアナログなのに光より早い情報網を持っている。友達ゲームのことなんてもはや知らない方が少数派だった。

 ツイートに次ぐツイートの嵐であれよあれよという間に情報は拡散し、ついに命は学内トレンド一位にラーンクイン☆


 命は周囲から「♯全身の骨が反骨」、「♯息をするように御三家に喧嘩を売る女」、「♯リッシュ=ウィーンの再来」などと大変ありがたいタグ付けをされていた。


 日々善行だけ重ねているというのに、どうして悪評ばかり広まるのか。誠に遺憾であると声を大にして言いたいところだが、今の命にとって好感度は二の次三の次である。

 一人でも多く根木の友達を増やす。それこそが目下の課題なのだが、なかなかこれが上手くいかなかった。


 というのも、根木の友達になるということはシルスターに敵対するという意思表示に他ならないからだ。

 案の定というべきか、命と根木は女生徒から距離を置かれるようになった。

 根木もめげずに活動しているが、それが必ずしも成果に結びつくとは限らない。その証拠に、1-Bから出てきた彼女はうなだれていた。


「あーうー」


 どうやら今日もアレをランチに誘えなかったようだ。


(残念なようなホッとしたような……)


 命は複雑な気持ちを抱えつつ根木と肩を並べて歩く。程なくして二人は食堂棟の洋食エリアに到着した。

 洋食エリアは人でごった返すことで有名なのだが、命たちの周りは常にがらがら。何か見えない線が二人と外界を隔てているようだった。

 しかし面白いことに、なかには見えない境界線をひょいと跨いでしまうような子もいる。命たちの側にいるのも、そんな数少ない女生徒の一人。

 山田(やまだ)真実(まみ)――先日、根木が友達になった少女だ。


「そうですか……今日も成果なしですか。山田、残念です」

「ごめんね、山田ちゃん」

「いえ、山田こそすみません。今のは無神経な発言でした。山田、失敬でした」


 それでは、と山田が去っていく。

 先ほどから山田山田うるさいが、特に言語変換フィールドが壊れているわけではない。彼女はいつもああなのである。

 初めこそ命も妙に思っていたが、今や聞き慣れたものである。むしろ山田が山田山田言ってないと物足りないまである。三日という時間は、命を山田中毒にするには十分な時間であった。


「三日で一人……なかなか厳しいペースですね」

「面目ない。私の友情パワーが足りないばかりに」

「いえ、私こそすみません。今のは無神経な発言でした。命、失敬でした」

「あはは。うつってるよ、命ちゃん」


 笑ってはいるものの、根木の周りにはどよーんとした雰囲気が漂っている。どうやら根木は(うつ)っているようであった。

 近づけば避けられ悲鳴を上げられる。こんな扱いを受け続けていれば、いくら根木が鋼に近いメンタルの持ち主だとしても堪えるだろう。鋼であろうと乙女は乙女なのだ。


 根木がしょげている姿を見るのは、命としても辛い。

 どうにかして元気づけられないものか、黒髪の乙女は考える。

 すると、ふと根木の手元にあるパスタ皿が目に留まった。

 そういえば前に洋食エリアを訪れたとき、自分も落ち込んでいたことを命は思い出した。


「大丈夫ですよ、茜ちゃん。まだまだこれからです。私が元気の出るおまじないを教えますから、フォークを左に回してみて下さい」

「え……こうかな?」


 根木が食べようとしていたスパゲッティが皿の上でほどけて広がる。


「では、今度は右回りでパスタを巻き取って下さい」

「えっと……それだとほどいた意味が」

「いいからいいから」


 根木は言われるがままにフォークを右に回す。当然のことながら、フォークの歯にはスパゲッティが巻きついた。不思議がる根木に向けて、命はあの日聞いたフレーズを口にした。


「ほらね、失敗したって巻き返せます」

「……」

「パスタだけに(ぐっ、と親指をあげる仕草)」


 根木は「ぷっ」と小さく吹き出した。体の揺れに合わせて彼女のフォークも小刻みに震えている。これぞオルテナ直伝、パスタ激励の力である。


「ずるいよ、命ちゃん……最後のパスタはずるいよ」

「確かにパスタはずるいです」と誰かも賛同したが、命は聞き流した。

「ときに勝負とは非情なものなのです。さあ、負けた罰として茜ちゃんには元気を出してもらいましょう」

「もうおまじないでも何でもないじゃん。命ちゃんは本当にずるいなあ」


 そう言いながらも、根木の口元はほころんでいた。やはり彼女には笑顔がよく似合う。根木が笑顔だと、命もうれしい気分になるのだ。


「大丈夫ですよ。茜ちゃんが笑顔なら、友達の一人や二人チョチョイのチョイです」

「はい、私もそう思います」と誰かも命に賛同した。


「そうかなあ」と根木は照れたように頬をかく。どうやら元気が戻ってきたようだ。


「よーし、こっから巻き返すぞ!」

「その意気です。では、巻き返しを図るためのその1として提案したいことが」

「えー、なになに?」

「とりあえず彼女をランチに誘うのはやめません?」

「ダメだよ――ッ!」

「ひいっ」


 ダンッ、と根木がテーブルに手を突いた。どさくさに紛れて根木をアレから遠ざけようという命の目論見は見事に失敗した。


「フィロちゃんとは友達になるの。これは絶対系!」

「……ええー」


 命は露骨に嫌そうな顔をした。もう何度もやめようと提案しているのだが、根木はその度に命の意見を却下してきた。

 フィロフィア=フィフィーと友達になる。

 根木は一貫してこの主張だけは曲げなかった。


「茜ちゃん、悪いことは言いません。彼女だけはやめておきましょう」

「やめないよ。だって私、ずっとフィロちゃんのこと狙ってたんだもん。何がなんでも友達になる所存だよ!」

「すみません。言い出したら聞かない子で」と誰かが申し訳なさそうに謝った。


 命は頭を抱える。根木がフィロソフィアにこだわっていることが、彼女の友達づくりが遅々として進まない原因の一つでもあるのだ。

 フィロソフィアはとにかくなびかない。退かないし媚びないし省みないし愛嬌もないし根木の誘いに応じたことも一度としてない。


 絶対友達至上主義の根木としては、そのハードルの高さが燃えるとのことだが、アンチフィロソフィアの命がその浪漫に共感するのはいささか無理があった。


 不満を隠そうともしない命に、根木は唇を尖らせて抗議する。


「ぶー! これでも私だってじょーほしてる方だよ。命ちゃんの言う通り、並行して他の友達づくりだって頑張ってるでしょ」

「ええ、そこを曲げてくれたことにはとても感謝しています」


 はじめ根木は「フィロちゃんと友達になるまで、他の友達は作らない」の一点張りだった。確かにやり方は根木に任せるとは言ったが、さすがにそれは困る。

 命は苦肉の策として「そうだ同時攻略しましょう、それがいい!」と主張し、なんとか説得に成功したのであった(根木は根木で「同時攻略なんて、命ちゃんは不純だなあ」と少し不満げではあったが)。


「命ちゃんだって、フィロちゃんが私の友達になってくれたら心強いでしょ」

「それは……そうですけど」


 私情を抜きにすれば、フィロソフィアを友達にするというのはそう悪くない案である。友達ゲームに魔法が絡むことを考えると、腕が立つ魔法少女は一人でも大いに越したことはない。


(それに……)


 フィロソフィアは、友達ゲーム攻略のキーになるかもしれない。

 命にはそんな予感があった。


 ――お嬢さまなら置いてきました。あの頭ではハッキリ言ってこの会議にはついていけません。


 あのときエメロットはああ言っていたが、果たしてそれが本当の理由だろうか。あの場に短絡的なお嬢さまがいたら、話がまとまらなかったかもしれないのは確かだ。


 ……でも、本当にそれだけか?


 エメロットは、意図的にフィロソフィアを会議から外したのではないか?

 命はそう考えてしまう。

 深読みしているというより、そう考える方が自然だった。

 根木がフィロソフィアと友達になりたがっていたことを、同クラのエメロットは当然知っていただろう。


 根木をプレイヤーに推挙し、フィロソフィアには友達ゲームへの参加権を残す。

 これではまるで、お嬢さまを友達にしろと言っているようなものである。


「……うーん」


 命は葛藤する。あの腐れお嬢さまと関わりたくはない。

 が、彼女を味方に引き入れないと勝機を失うかもしれない。

 命の苦悩は深いシワとなって顔に表れた。


「命ちゃんって、本当にフィロちゃんのこと嫌いだよね?」

「きっと星の巡り合わせが悪いのでしょうね」

「またそういうテキトーなこと言う」


 どうしようもないパートナーである、と根木は呆れる。


「いいよ。フィロちゃんと友達になりたいっていうのは私の個人的なワガママだし、一人でやるよ」

「そう言ってもらえると助かります」

「命ちゃん、今はまだフィロちゃんの友達になれなそうにないし。それにお互いの欠点を補い合うのが理想の夫婦なんだよ!」


 夫婦かどうかはともかく、アホの子の口からこんな正論が出るとは。

 と、命が感心したのも束の間のことだった。


「ということで、命ちゃんは代わりにセロリ担当ね」

「私のごはんに異物が――ッ!」

「パスタにセロリを入れるとか、これは許せない系」


 命が長考している間に、ライスに次々とセロリが投下されていた。


「すみません。私もセロリ無理なんです」と誰かもこっそりセロリを押し付けていたので、命のライスには都合二人分のセロリが混入されていた。


「ああもう! これではセロリライスではないですか!」

「意外と美味しい系?」

「……茜ちゃん? ほら口開けて、あーん」

「開けないったら開けないもん!」

「全く。好き嫌いしていると大きくなれませんよ」と、(のたま)う158cm。


 まだ身長が伸びると信じて疑わない命は、セロリライスを小さな口に運んだ。


「どうどう? 美味しい?」

「……好きな人は好きだと思います」


 味のほどは命の顔が語っていた。

 セロリとライスを組み合わせる料理もあるにはあるが、白米にダイレクトで投入するのはさすがに……。

 命はしばしの間、経口式の地獄を味わった。


「はい、お水」と親切な誰かが横からコップを渡してくれた。


「ううっ」命は最後の一口を水で流し込む「それで、巻き返しを図るためのその2ですが」

「あっ、復活した」

「週末は第二女子寮で友達を探してみませんか?」

「うん賛成! 実は第二女子寮にも友達になりたい子がたくさんいるんだ」


 根木が素直に応じると、命の思いを汲み取ったように誰かが言った。


「良かったですね」

「ええ本当に」

「私も第二女子寮は良いと思いますよ。あそこは姉ヶ崎先輩とリッカさんの城なので、安全に友達を探すには最適かと」

「そうなのです。第二女子寮なら邪魔も入ら……んっ?」


 そこで命はようやく気がついた。さっきからさも当然のように会話に混ざっているこの人は誰なのかと。


「うわっ!」


 命はのけぞるばかりに驚いた。


「どうしました」と誰かが言ったがどうもこうもない。


「……いつからそこに?」


 命が今の今まで空き席だと思っていた隣には、誰かが座っていた。


「いつからですか……えっと、待ち合わせのときからずっといましたよ?」


「嘘だッ!!!」と命は反射的に叫びそうになったが、よくよく思い返してみると、いた。隣の少女は待ち合わせのときもいたし、根木が生ハムとアスパラのパスタを選んだときも同じものを注文していた。


(そんな……馬鹿な)


 身長から声質、髪の長さにいたるまで普通。命の隣にいる少女にはこれといった特徴がなかった。眉の長さも、瞳の大きさも、唇の厚さも、何一つ取っても特筆すべき点がない。

 薄い、あまりにも薄すぎる。

 命が人生で見たなかで一番の塩顔女子が隣にいた。


「もしかして……ハルちゃん?」

「はい、ハルちゃんです」


 塩顔ハルちゃんこと青菜(あおな)小春(こはる)は、薄い笑みを浮かべて答えた。


「思い出してくれましたか?」

「も、もちろんです」


 嘘である。命の目はめっちゃ泳いでいた。


「命ちゃん、それはさすがにドイヒーだよ。もう何回も一緒にお昼してるのに」

「ありがとう茜ちゃん。でも、みーちゃんは悪くないよ。私、影薄いし……未だにクラスメイトにも覚えられてないし」

「そんなことないよー。ハルちゃんは私のなかでは大きな存在系!」

「……茜ちゃん」


 二人が仲睦まじい会話をかわす傍ら、命は自分が"みーちゃん"と呼ばれていることに静かに衝撃を受けていた。いつから"みーちゃん"と呼ばれているのかそれとなく探りを入れようとしたところで、命は異変に気づいた。


「あれ」命は周囲を見回す「ハルちゃんは?」

「ハルちゃんなら、次の教室遠いからって出てったよ」


 もはや幽霊(ファントム)の域である。


(もしやハルちゃんとは、私と茜ちゃんだけが見ている共同幻想では……)


 と、命が妙な心配をしていたときだった。


「見つけたヨ!」


 特徴的な語尾の持ち主が叫ぶ。退くヨ退くヨ、と彼女はネズミの耳みたいなお団子頭を揺らして、命たちの元に歩いてきた。

 つり目のキツイ顔つきのなかにもどこか美を感じさせる。

 紅花(ホンファ)の顔を見ると、命は安心した。


「やっぱり特徴があるっていいことですね」

「何の話ネ。それよりお前、そこのちんちくりんヨ!」


 どうやら命に用はないらしい。シルスターと一戦交えたことを報告しに行ったときは、あんなに心配してくれたのに……。

 最近の紅花は、命でなく根木にご執心であった。


「ちょっと! 私、ちんちくりんじゃないんだけど」


 心のなかではいつだってグラマラス系。乙女とは甘い夢を見る生き物なのである。


「そんなことどうだっていいネ。今日という今日は私を友達にするヨ!」

「お断る! 誰とでもホイホイ友達になるほど茜さんは安い女じゃないんだよ!」

「な……っ! 私がナンパ男みたいな言い方はよすネ。それにお前、さっきの山田とかいう奴とはホイホイ友達になってたヨ」


(あらま。陰からのぞいていたのですか)


 そして紅花の目にも、当然のように青菜は映っていなかったようである。


「違うもん、私ビッチじゃないもん! 山田ちゃんとはきちんと手順を踏んで友達になった仲だもん!」

「手順って何だヨ。詳しく教えるネ」

「それもお断る! 作られた友情なんてものには意味がないんだよ。大切なことはいつだって教科書に書いてない系!」

「ええい。意味がわかんないだヨ、お前はっ!」

「イミフなのはそっちだよ! このわからんちん!」

「――――――っ」

「――――――っ」


 着火。二人は揉めに揉めた。


(ああ、また始まった……)


 根木と紅花の言い争いは、今に始まったことではない。ここ二、三日ずっとこの調子であった。

 シルスターに対抗するためにも私を友達にしろ、と主張する紅花。

 お断る、と紅花の主張を突っぱねる根木。

 命はこの光景をもう何度も見てきた。


 不思議なことに根木は、紅花とは一向に友達になる気配がない。

 友達に一家言ある根木のことだ。さっき口走ったように、彼女は何かをもって相手を友達と認めているのだろう。


(私や山田さんは満たしているけど、紅花さんは条件を満たしていない?)


 何か、クリア条件があるのだろうか。

 命は思案するも答えは浮かばない。


 友達とは何ぞや?


 命は二人の言い争いを眺めながら、そんな答えのない問いについて考える。

 うるさい雨音も、二人の口喧嘩の前では静かなものである。

 地固まる前に土砂崩れなければ良いのですが……、窓の外を眺める命は、完全に塩の子の名前を忘れていた。




     ◆




 週末……。

 外に出るには少し気だるい雨風のなかを歩き、命は立派な門扉をくぐった。


(来てしまった)


 大正ロマンを感じるレトロモダン調の集合住宅の前で、命は所在なさげに立ち尽くす。というか所在があったら困る。ここは女子寮なのだから。

 遠目から見ると一つの巨大建造物に見える女子寮も、近くに寄ると6つの建物が寄り添うように造られていることが見て取れる。

 なんだか奇抜なトリックのためだけに建てられたミステリー小説の館みたいだ……、命はそんなことを考えて気を紛らわせていた。


 ここに来るのは二度目だが未だに慣れない。

 女子寮にはセントフィリア女学院とはまた違った近寄りがたさがある。女の子の私的な空間にお邪魔するというのは、あまり心臓によろしくない行為なのだろう。

 しかしいつまでも足踏みしてはいられない。不審者とは、挙動が不審だから不審者なのである。堂々としていれば怪しまれることはないのだ。


(落ち着くのです私。準備は万全なのです)


 メイクよし。髪型よし。制服よし。やはり前日にフロントで火熨斗(アイロン)を借りておいたのが良かった。スクールシャツもシワ一つなくて美しい。どこに出しても恥ずかしくない優等生スタイルである。


 いざ――命は胸パッドを張って第二女子寮に突入した。


 吹き抜けのエントランスは開放感にあふれているだけでなく、人目を引く趣向を凝らしている。命は、ついついアンティークな壺や色鮮やかなステンドグラスに目を奪われてしまう。


(いけない、いけない)


 浪漫建築にめっぽう弱い黒髪の乙女としてはこのエントランスだけでも小一時間は過ごせそうだが、目的は見失ってはいけない。

 命は泣く泣くエントランスを抜け、エレベーターに乗った。

 初めて来たときは驚いたが、女子寮にはしっかりとエレベーターが完備されている。

 どうして近代の産物が懐古主義の王国にあるのか。命は不思議に思ったが、自分の認識が誤っていたことを後に知った。


 エレベーターの歴史というのは意外に古い。コロッセオで動物を運ぶときにも使われていたという雑学を、那須が目を輝かせながら教えてくれたのだ。


 フンスフンス、と鼻息荒く。那須の話は滑車とロープで動くエレベーターから始まり、果ては宇宙エレベーターにまで及んだ。

 二人の話を横で聞いていた根木の「ウチの近所にもできるといいな、宇宙エレベーター」という発言が、命の頭に妙に残っていた。


 なんて近未来のエレベーターに思いを馳せていると、旧時代のエレベーターがピンポーンと間の抜けた音を立てた。

 6階に到着したようだ。

 根木と那須の部屋は、階段で上るには少し高い位置にあった。


 途中、何度か女生徒ともすれ違ったが、命を怪しむ者はいなかった。

 命の来訪に驚く女生徒もいたが、それだけ。こちらを一瞥するだけで遠ざかっていった。


 一分の隙もない女装(ピッチ・パーフェクト)


 今日も今日とて命の女装は神っていたのだが、


(これはこれで……)


 複雑な気分である。

 隠れるのが上手すぎて見つからないかくれんぼというか……いや、見つかりたいわけではないのだが。


「ん?」


 命が得も言われぬ気持ちで廊下を歩いていると、ある人物が目に入った。

 根木でも那須でもない女生が616号室――二人の部屋の扉の前に立っていたのだ。


「茜ちゃんの友達……かな?」


 少なくとも那須の友達とは思えない、奇抜な格好の女性だ。

 頭にはペイズリー柄のバンダナ、真んなか分けの金髪を腰までたらし、顔にはラインストーンをあしらっている。一度見たら忘れられないタイプの人種だ。

 一語で言うなら、怪しい。

 二語で言うなら、とても怪しい。

 その女性は、およそ常人が醸し出せるとは思えないうさん臭さを身にまとっていた。


(あまりお近づきになりたくないタイプですが……)


 行き先が同じである以上避けては通れまい。恐る恐る近寄ると、例の女性と目が合った。


「おやま、お前さんもこの部屋に用かい」

「ええ。貴方も?」

「そうさね。ちょうど荷物をお届けに上がったところでね」

「お届け……貴方まさか妖精猫(ケットシー)運輸の方ですか」


 すわ、遅配紛失当たり前のあの悪徳企業か。命は入学初日に荷物が届かなかったことを思い出し身構えた。

 すると、女性は大口を開けて笑いだした。


「あっはっは! まさか妖精猫運輸に間違えられるとはね。ウチは安心安全がモットーなんだ。あんな悪徳企業と一緒にされたら困るさね」


 どうやら命の勘違いのようであった。気を悪くした風ではないが、あらぬ疑いをかけたのは事実だ。命はあわてて頭を下げた。


「し、失礼しました。これはとんだ勘違いをば。妖精猫運輸には前に痛い目に遭わされていたもので、つい警戒してしまって」

「なあに、良くない話だがよくある話だ。妖精猫運輸の荷物が届かないのは、外部入学生にとって通過儀礼みたいなもんさね。あそこは昔っから本当に酷くて」


 うんうん、と女性は頷いた。


「大変だったろう。あんな思いは二度とごめんだろう。それなら、次からはウチを使うといいさね」


 はあ、と命は曖昧な返事をする。確かにあんな思いをするのは二度とごめんだが、ここで素直にはいと頷くのは危険なスメルがした。


「あの、妖精猫運輸は独占企業だから、あんなにひどくても許されていると聞いた覚えがあるのですが……」

「ああ失礼。誤解を招くような言い方をしたさね。私のところは物を仕入れるのが本業だけど、物を運ぶのも仕事の内でね。良ければ」と名刺を差し出す女性。

「これはご丁寧に。ちょうだいいたします」


 個人商社……というよりは商人といった類だろうか。

 命は差し出された名刺を両手で受け取り、硬直した。


 安心安全をモットーに、あなたに荷物と笑顔をお届けします

 アガルタの闇商人 ポーシャ=マルティーニ


(こ、これは……)


 うさんくせえええええええええええええええ。

 嘘つきの匂いがプンプンする。

 命は激しく動揺したが、それを表には出さなかった。

 静かに、そして冷静に、黒髪の乙女は断定した。

 この人は嘘つき村の住人だ、と。


「欲しいものがあったら、いつでも連絡するといい。24時間365日受け付けてるから。あっ、そうそう、もし注文するなら私はブラック会員になることをオススメするさね。ブラック会員はなんと送料無料! 時間帯指定で荷物を受け取れるし、購入できる商品も増えるさね。まあ月額四〇〇〇イェンほどかかるけど、なあに、日割りにしたらコーヒーたったの一杯分! それだけのお金で快適な暮らしが送れると考えたら安いもんさね」


(……どうしよう)


 単に世間話しているつもりだったのに、いつの間にか宗教勧誘を受けているような気分だ。いや、宗教勧誘の方が幾分かマシだった。ウチ神社なので、で断れるから。


「あのですね」

「……ああ、そういうことか」


 ポーシャが何かを察したように言う。


「お前さんは田舎から上京してきた口かい。なあに誰にだって初めてはある。闇商人を見たのが初めてだからって気後れすることはない」

「都会にもいませんからね闇商人――ッ!」


 法治国家で、大っぴらにブラックマーケットが開いていてたまるか。

 穏便に済ませるつもりだったが、命はつい我慢ができなくってしまい声を荒げた。


「第一、日割りでコーヒーたったの一杯分という売り文句が怪しいのです。日割りだろうと月額は月額です! そんな売り文句を付けるぐらいなら、松竹梅の三つのプランから選ばせた方がお得感があります」

「おおっ」

「それにセントフィリア王国は鎖国国家でしょう! 欲しいものがあったらなんて怪しすぎます。外の商品はどうやって仕入れているのですか? そこはきちんとメリットとデメリットの両面を説明すべきです。その方がまだ信用がおけます」

「おおー!」


 拍手。ポーシャは素直に感心していた。


「お前さんはあれか、同業者かい?」

「違います!」

「あれま。嘘つき村の住人の匂いがするのに」

「どの口が言う――ッ!」


 女装という最大の嘘を棚に上げれば、自分は正直村の優等生である、と命は自負している。自負と自称は乙女の自由である。


 と、嘘つき同士が言い合っていると、616号室の扉が開いた。


「あっ、茜ちゃん」


 なかの人こと根木が、扉の隙間からひょいと顔を出す。


「二人ともどうしたの?」

「どうしたもこうしたもありません。この人が――」

「私がどうした?」


 命はそこで言葉に詰まる。言われてみれば、何かをされたわけではない。ポーシャという女が、ただただ怪しいというだけの話だ。


「私は荷物を渡しにきただけさね」


 ポーシャは足元に置いていた紙袋を持ち上げると、根木に差し出した。


「そら、こちらが注文の品だ」

「わーい。いつもありがとー!」

「いつも!? いつもって何ですか!」


 根木は、いつもこんな怪しい人から物を買っているのか。

 アホの子……もとい純粋だった茜ちゃんが、このままでは道を踏み外してしまう。

 命は剣呑な表情で根木に詰め寄った。


「いけません茜ちゃん! こんな怪しい人から物を買っては!」

「あっ、いや! なか見ちゃダメ!」


 もしや本当に危ない物が入っているのでは。

 白い粉か、乾いた葉っぱか?

 命は紙袋を没収する。根木を思えばこその行動だったのだが、


「……あれ?」


 なかに入っていたのは、セントフィリア王国では見かけないアルミの円柱だった。


「いやん。だから見ないでって言ったのに」


 桃缶。それも黄桃だけというこだわりのオーダー。

 命は期せずして、根木の桃缶入手ルートを知ってしまった!


「前から不思議には思っていましたが」


 ここで買っていたのか。

 命は一人納得したが、当然納得できない人もいるわけで。

 ポンポンと、後ろからポーシャに肩を叩かれた。ラインストーンをあしらった顔には「何か私に言うことがあるんじゃないかい?」と書いてあった。


「重ね重ね失礼いたしました」

「まあ、いいさね。私もこんなナリだし、勘違いされることはよくあるんだ。良くないことだけどね」


 人を見かけで判断してはいけない。見かけで判断されることがどれだけ辛いことか自分はよく知っていたはずなのに……、命の薄い胸は申し訳なさで一杯だった。


「いい、いい。早く顔を上げてくれ」


 ポーシャは優しい声で諭した。


「粉と葉っぱが欲しいなら、他の闇商人を紹介するさね」

「見かけ通りの人だ――ッ!」

「私は健全な闇商人さね、私はね」


 やはり油断ならない。命は解きかけていた警戒心を堅結びした。


「気をつけてください、茜ちゃん。この人、嘘つき村の住人です!」

「いいえ、私は正直村の住人です」

「いっそ清々しい――ッ!」


 道を聞いたら、絶対に反対の道を教えるタイプだった。


「でもポーちゃん、商売には誠実なタイプだよ。私が頼んだもの、ちゃんと届けてくれるもん」

「そりゃそうさね。金の上の約束を破る奴は商人じゃない。ブラック会員さまとの約束を破ろうなんてのはもってのほかだ」

「ブラック会員の方でしたか」

「うん。三年契約で超お得なんだよ。命ちゃんも、やった方がいいって!」


 ……こういう人がマルチとか引っかかるのか。

 命は切ない気持ちになった。

 あまり正直者なのも考えものである。


「んっ」そこで、ポーシャははたと気づく「もしかして、お前さんが八坂命かい?」

「ええ。存じ上げていましたか」

「そりゃもう。耳が早くないと闇商人はつとまらないからね。そうか……お前さんが噂の陰険姑息貧乳か」

「誰ですかそんな噂を流したのは――ッ!?」


 怒り心頭に発するとは、まさにこのことだ。

 もし噂を流した当人がいたら、命でも女装したまま殴るレベルの暴言だった。

 その暴言の威力たるや凄まじく、根木までダメージを受けていた。


「……やつらだよ、命ちゃん。こんな暴言を吐けるのは、おっきなおっぱいと引き換えに人の心をなくしたやつらしかいない」


 どうやらAAA(トリプルエー)カップの世界では、おっぱいと人間性は等価交換らしい。命と根木では怒りを感じるポイントが違うのだが、命はそこについては深く触れないことにした。


「陰険姑息貧――」根木の目が怪しく光ったので、命は言葉を濁した「こほん。ともかく、それはいわれのない暴言です。私はその……陰険姑息ではありません。品行方正だとご近所でも評判な学生ですよ」

「うーん」ポーシャは首をかしげる「あの辺の連中は嘘しか言わないからなあ」

「近所という名の嘘つき村――ッ!」


 どうやら嘘つき村の名誉村民として認定されてしまったようである。とても腑に落ちないが、命はもうそれでいいとすら思っていた。

 今、命が一番に考えるべきことは、


「そっか……全部嘘だったんだね。その貧なんとかも全部」


 地雷(タブー)を踏まないことだった。

 根木の目の色がやばい。いつも爛々と輝く目が闇色に染まっていた。


「え、ええ! もちろんですとも。ねえ、ポーシャさん?」


 陰険姑息貧乳なんて暴言を吐いた人はいなかったのです、それでいいですね――合点さね、郷友!

 命とポーシャの意思疎通は光の速さを超えた。

 共謀とアイコンタクトは、嘘つき村の必修科目なのだ。


「そうさね。私が勘違いしてただけ、ただそれだけ! いやあ、変なこと口走って悪かった。お詫びとして、二人の一ヶ月分の会費をタダにするさね」

「え、ホント! やったあ。得したよ、命ちゃん」

「……ええ、本当に良かった」


 根木の目に光が戻ってきて。

 金で場を収めたポーシャに、命は商売人の姿を見た気がした。

 ほっ、と黒髪の乙女は薄胸をなでおろしていた。

 だから脇が甘かったのかもしれない。


「ブラック会員って本当にお得なんだよ。命ちゃんもせっかくだから、何か頼んだ方がいいよ!」

「そうさね。せっかくだから、ね」


(しまった……っ!)


 どうしてポーシャが二人分の会費を負担するなんて言い出したのか、考えを巡らせるべきだった。タダで泥をかぶるなんて真似はしない。商売人というのは損して得を取る生き物なのだ。

 はあ、と命は観念して注文することにした。


「わかりました。それで、ポーシャ商会では何を売っているのですか?」

「何でもはないけど、お客さまが欲しいものは大体売ってるさね」


 これまた胡散臭い。命は懐疑的であった。


「本当ですか? お醤油とかお味噌とか売っているのですか?」

「それぐらい余裕さね。濃口薄口、赤味噌白味噌、何でもこいだ」

「えっ」


 命は我が耳を疑った。今、ポーシャは何と言ったのだ。

 醤油と味噌がある?

 命はこの国で魚醤(ぎょしょう)こそよく見るが、醤油はほとんど見た覚えがない。味噌に至っては影も形もありやしなかった。


「嘘でしょう」

「言ったはずさね。金の上の約束を破る奴は商人じゃない、って。ブラック会員さまとの約束を破ろうなんてのはもってのほかだ」

「では、味の素や味覇(ウェイパァー)も買えるのですか!」

「味……ウェ? よくわからないが一般に手の入る調味料なら問題ないさね。まあ、ちょいと値は張るがね」


 醤油なら大体こんなものさね、とポーシャが指で相場を示した。

 ここが日本なら、命は絶対にそんな値段では買わない。

 しかし場所が変われば相場は変わる。

 山頂の飲み物が高くても買う人がいるのと同じだ。

 ましてやここは()つ国で、魔法少女の国だ。それを考えれば安い。破格と言っても差し支えない価格であった。


「大変です、茜ちゃん。ポーシャ商会がとってもお得です!」

「だからさっきからそう言ってるじゃん」

「正確にはアガルタ商会だが、まあいいさね。本当にこんなにお得なのに顧客が増えないのが不思議で仕方がないさね」


(……ああ)


 ふう、と大仰に息を吐くポーシャを見たときに、命は確信した。

 全てはこの不審感が原因なのだろう。

 一挙手一投足が不審な人物を、人は不審者と呼ぶのだ。


「それで、何か頼むのかい?」

「ま、待って下さい。欲しいものがいっぱいあって。調味料も欲しいけど、調理器具も欲しくて。ティファールの鍋フライパンセットは鉄板として……ああ、お掃除グッズも欲しい!」

「最初に欲しがるのはそれなんだ」

「……お前さんは主婦みたいだね」


 ああ、悩ましい! なんという贅沢な時間なのだろう!

 日々つまらないことに費やされてきた思考リソースが、今とても楽しいことに注がれている。

 楽しい。考えることが楽しい!

 あれとあれを組み合わせたら、ざっと数万イェンで……んっ、数万イェン?


 そんな金はない。

 雨露をしのぐのに精一杯の黒髪の乙女に、ショッピングを楽しむ権利などなかった。

 人はこの世に生まれ落ちた瞬間から平等ではない。現実はシビアなのである。


「……納豆と梅干しを下さい」

「急に冷めたさね!」

「お願いします。せめて納豆はひきわりに、ひきわりに」

「わかったわかった。梅干しもいい塩梅のを仕入れてくるさね」


 納豆と梅干しの良し悪しがわかる闇商人は、いい人に違いない。

 命はついでに、つまらない注文をすることにした。


「それともう一つ、買いたいものがあるのですが」

「今度は何さね」

「シルスターさんの情報を売っていただけませんか。闇商人は耳が早いのでしょう?」


 命が出し抜けに口にした言葉に、ポーシャは目を鋭く細めた。

 嘘つきは嘘つきを知る。

 だからこそ彼女にはわかる。

 今、目の前にいる嘘つきの言葉には嘘がない。


「……これは参ったさね。私は語り屋じゃないだ」


 ――金の匂いがする。


「いい商人っていうのは、総じて口が堅い。なぜだかわかるかい? 商人って奴が、何より信用を大事にする生き物だからだ。人さまの情報を流すなんてとんでもない。まともな商人ならそんなことは絶対にやらない、絶対にね」


 ――金の匂いがする。それも深みのある金の匂いが。


「けど私は闇商人だ。いいさね。お代は結構、お礼も結構。初回サービスとして、私が知ってる限りのことは教えて進ぜよう」


 闇商人は笑う。暗い笑みを浮かべて。


「と、世間話のつもりが長くなってしまったか」

「そうですね。続きはなかでゆっくりお話しましょう……って、私が決めちゃいけませんね。茜ちゃん、お邪魔しても構いませんか?」

「う、うん。大丈夫だよ」


 根木の複雑そうな顔が心に引っかかったが、命は彼女の優しさに甘えることにした。

 あとで陰険だ姑息だ貧乳だと罵られるかもしれないが、それでも構わない。


 友達ゲームのテーブルには、上限一杯のチップが置かれている。

 負けたときの支払い分は命だけでは済まない。根木も、リッカも、宮古も、オルテナも、全ての賭け金がシルスターの手に渡ってしまう。それだけは是が非でも避けなければいけない。

 この大勝負に勝つためなら、命は鬼にでも悪魔にでもなるといったものだ。

 根木、命に続いて玄関に入ると、ポーシャは足を止めた。


「ここでいい」

「そんな遠慮しないでよ」

「気にしないでくれ。昔っからのクセみたいなもんでね、奥には立ち入らないようにしてるんだ」

「……美味しいお茶あるのに」

「それはなんとも魅力的なお誘いだけど、遠慮するさね」

「でも美味しいお茶だよ!」

「あ、いや……だから」

「なら、お茶持ってくる。玄関なら良いんだよね!」


 返事を聞くより早く、根木は靴を脱ぎ捨ててドタドタと走っていった。

 呆気にとられたポーシャは命を見る。


「いいのかい、お前さん?」

「先に始めましょう。お話は私の方で聞くので」


 根木のきかん坊は今に始まった話ではない。命は話を先へと促した。


「それじゃあ、どこから話したものか。まずは御三家の成り立ちについてでも話そうか」


 ポーシャは世間話でもするような調子で話を始めた。


 盟友戦争後に頭角を現した三家を、御三家と呼ぶこと。

 そのなかで地下資源の採掘や製造、製品を生業(なりわい)とした家が、ヴァイオリッヒ家であること。

 ヴァイオリッヒ家が代々鋼属性の魔法を扱う、錬金術師の家系であること。

 またヴァイオリッヒ家は王都で職人街と呼ばれる七区の元締めであり、過酷な搾取を行っているため職人連中や洞窟探検隊(モールス)から不興を買っていること。

 一時期は御三家の頂点にいたが、ここ数十年は魔法石の産出量が減ってきて、ずっとハイルフォン家に後れを取っていること。

 そのため、ヴァイオリッヒ家の次期当主であるシルスターに寄せられる期待が大きいこと。

 幼少のころから英才教育を施されていること。

 魔法少女として超一級であり、シルスターの【銀の剣(アゾット)】の腕前は歴代随一とも言われていること。

 銀の女帝に名に恥じぬルックスの持ち主であること。

 気性が荒いのが玉に瑕だが、滅多に本気を出さないこと。

 本気を出すと人も建物も紙を裂くように切れてしまうことを、ポーシャは淡々と説明し、聞き終えた命は頭を抱えた。


「……何ですかそれ」


 もはや主人公体質としか思えない。お家再興のために戦う魔法少女『アルケミー☆シルスター』で、小説が一本書けそうな性能(スペック)を誇っていた。


「もっとこう、アキレウスの弱点はかかとクラスの情報はないのですか」

「そんな情報があったら、アキレス腱どころかお家が断絶してるさね」


 嘘つき村の住人Aに魔王の倒し方を聞くのが間違いである、とポーシャの顔は言っていた。


「いや……でも、ないこともないさね」

「あるのですか!」命の目が黒く輝いた「かかとですか、黒い噂ですか!?」

「どちらにせよぶっ叩く気満々なのがすごいさね……。お前さんの期待するほどのものじゃないが、ほれ、シルスターは学校にまで愛馬を連れて来てるだろう」

「ああ、ファルシオンのことですか」


 1-Fの教室前に繋がれた白馬のことである。

 目元がキリッとした育ちの良さそうな馬で、命も実はこっそり愛でていた。

 もしゃっもしゃっと飼い葉を食べる姿が、命の琴線に触れたのである。

 人でも馬でも、美味しい美味しいとご飯を食べてくれるタイプが黒髪の乙女は好きなのだ。


「……なるほどペットですか」

「ダメだよ命ちゃん!」

「どうしたのですか急に。私は馬刺しだなんて一言も言っていませんよ」

「語るに落ちるとはこのことだよ命ちゃん――ッ!」

「冗談ですって」


 どうどう、と命は興奮した根木を落ち着かせた。命もファルシオンのことは好きだし、シルスターの倒したあとの裏ボスが動物愛護団体なんていうのは御免であった。


「それにしても……馬が一番の友達ですか」


 命も友達が多い方ではないが、きっと自分とシルスターでは根っこから違うのだろう。命はエメロットがどうして友達ゲームなんて勝負を提案したのか、少し理解できた気がした。

 それを孤高ととるか孤独ととるかは主観の問題だが――


「そっか。シルちゃんは友達が少ないんだね」


 根木はしんみりとした口調でつぶやいてからお茶をすすった。

 恐ろしいというよりは恐れ知らず。もしかしたらこの子が一番の大物かもしれない……、命とポーシャは唖然たる面持ちで根木を見ていた。


「うん。なんだか私いけそうな気がしてきたかも」


 何が? どうして? なんて問いただすだけ無駄だろう。

 根木の発言はきっと根拠レスだ。

 具体的な勝機なんてものは持ち合わせていない。

 そうとわかっているのに、不思議と信じてしまえるのは何故だろう?

 上手く言葉にできないけれど、思っていた以上に自分は根木と友達なのかもしれない。命は素直にそう思った。


 それから、命はポーシャからいくつかシルスターの情報を訊いたが、それはオマケに過ぎなかったのかもしれない。


「すまんさね。あまりお役に立てなかったようで」

「いえ。そんなことありませんよ」


 収穫はあった。命は少なくともそう感じていた。


「色々とお世話になってしまいましたね。正直、最初は怪しい人だと思っていましたが、今日ポーシャさんに会えて良かったです」

「そう面と向かって言われると照れるさね」

「いっそのこと、ポーシャさんと友達になってはどうですか?」


 と、命は冗談半分で口にしたのだが、


「えっ。ポーちゃんとはもう友達だよ」


 根木が真顔で返したので、ポーシャが呆気に取られていた。

 友達。商いに精を出すようになってから、久しく聞いていない響きだった。


「……これはまいったさね」


 これには命も驚いた。どちらかといえば、ポーシャが高校生ということに。


「えっと、失礼ですがポーシャさんっておいくつですか?」

16(タメ)さね」

「え、ええええええええええええ――ッ!」

「……さすがにその反応は傷つくさね。これでも華の女子高生だ」


 華があるのに、闇商人とはこれいかに。知れば知るほど謎の深まる人物であった。


「それじゃ、そろそろお暇するとしようか。ずいぶんと長居してしまったさね」


 ポーシャはお茶を飲み干すと、カップを根木に手渡した。


「ごちそうさま。たしかに美味しいお茶だった」

「お粗末さまなんだよ! 次は居間でゆっくりお茶したい系」

「……考えておくさね」


 商人は約束を重んじる。だから、ポーシャは首を縦には振らなかった。


「ああ、ポーシャさん」


 命は玄関を出ようとするポーシャに声をかけた。


「何さね?」

「お急ぎのところすみませんね。ブラック会員って時間指定の他に、場所の指定もできるんでしたっけ? 私、住所不定なもので……」

「近場なら問題ないさね。お前さんの泊まってるところに送ろうかい?」

「でしたら」命はそっと耳打ちして「……でお願いします」ポーシャの肩をポンと叩いた。


「……ああ、承ったさね」


 ポーシャは一拍遅れて応答した。玄関扉を出て廊下を歩きエレベーターに乗ったところで、闇商人はぽつりと漏らした。


「やられたさね」


 ――5月30日の10時に演舞場の1階でお待ちしています。


 命が指定したのは、もろに友達ゲームの会場、時間帯であった。

 ポーシャが事前に得ている情報では、会場にいても友達だと宣言しなければゲームに参加しなくてもいいのだが……さすがにそうもいかない。商人とは約束を重んじる生き物なのである。


「なるほど。(あね)さんが買うのもわからなくない」


 わざわざ偶然をよそおって接触した甲斐があったというものだ。

 一期一会。商人とは物の仕入れと同じぐらい人との出会いを重んじる生き物である。たとえそれが誰かに仕組まれたものだとしても、だ。


 脇が甘いところもあるが、転んでもタダでは起きない。命はポーシャにとって親近感のわく嘘つきであった。


 せいぜい利用するといい/せいぜい利用してやる。


 建前と本音の間を行ったりきたり。

 闇商人は暗い笑みを浮かべて落ちていった。

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