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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
1年生 ―西高東低のアンビエント編―
104/113

第103話 混ぜるな危険

 エメロットの協力を取り付けた翌日……。

 命とリッカは、白亜の城の空き教室にいた。

 教科書を読む声、チョークが黒板を走る音。壁越しに聞こえてくる日常はどこか遠く、命は何をするでもなく黒板の上の掛け時計を眺めていた。

 時刻は十一時二十分。約束の時間まではあと十分ある。


「なあ」


 机の上に座るリッカが命に声をかけた。


「本当にあいつのこと信用していいのか?」

「さあ、どうでしょうねえ」

「さあって手前な……」


 リッカが呆れるのも無理はない。命がリッカの立場なら、自分は藁にもすがる溺れた者に見えたかもしれない。


「信用できるかは怪しいところですが――」


 でも、命は知っている。エメロットの湖沼の瞳には得体の知れないものが宿っていることを。


「期待はできると思いますよ」

「……手前がそう言うならいいけど。単に詐欺られただけじゃないよな?」


「うっ」と命は呻くように言う。


 エメロットの協力を取り付けるにあたって、命はエメロットから二つの条件を提示されていた。

 一つは多少の見返りを要求すること。恐らくこれは金銭的要求だろう。

 アルバイトで糊口(ここう)を凌いでいる身としては痛手であるが、やむなし。命はこれを必要経費だと割り切った。


(お金の問題もありますが……)


 目先の問題としては中間考査がある。四六時中シルスターから逃げる生活を送っていたら、テストを受けることすらままならない。

 単位のためにもシルスターを倒さねば……、命は決意を新たにする。女装潜入して留年するなんて、アホ以外の何者でもない。


「なむなむ」と、命は手を合わせてリッカを拝む。


「何してんだ?」

「エメロットさんが来てくれるようお祈りを」

「アホか」


 しかし黒髪の乙女の祈りが通じたのか、直ぐに引き戸が開いた。まさか、と二人は音がした方を見遣る。

 そこに居たのは、


「やっほー、お・ま・た・せ。待望のお姉ちゃんだよー!」

「あっ、お姉ちゃんだ」

「何だ姉ヶ崎先輩か」

「くう~、呼ばれて来たのにこの扱い!」


 ひどい扱いも何のその。「でも妹から受けるぞんざいな扱いも好き!」と遺憾なく変態性を発揮する宮古だった。


「やあ。私も邪魔させてもらうよ」


 それともう一人、宮古に続いて生徒会長が入室した。


「オルテナ先輩!」

「手前……じゃなくて会長、それ大丈夫なのか」

「ああ、これ」


 目を見張る命とリッカを前にして、オルテナは恥ずかしそうに頬をかいた。


「まんまとシルスター君にやられてしまってね」


 シルスターに執拗に蹴られたオルテナの肌には、まだ癒えぬ傷が残っている。

 心配そうな目を向ける二人に対し、オルテナは微笑を向けた。


「なあに、大したことはない。森にいたときは、この程度の傷は日常茶飯事だったしね」

「そうそう。大丈夫なんじゃない」と、なげやりな宮古。


 これはいけない。命は「お姉ちゃん!」と戒めるように言った。


「だぁって、オルテナのことばっか構うんだもん。お姉ちゃんにはー、いつも構ってくれないのにー」

「はいはい。お姉ちゃんのことはいつも構っているでしょう」


 命は子供をあやすように宮古の頭を撫でた。

 はたから見れば仲の良い姉妹(ソロル)にしか見えないが、姉妹の内実を知るリッカにとっては面白くないわけで、つい悪態をついてしまう。


「だから手前は慕われないんだよ」

「何をう!」


 言うが早いか、宮古はリッカに抱きついた。


「ひゃっ! 何すんだこのHENTAI!」


 黄色い声が空き教室に響く。宮古はリッカをぬいぐるみのように抱きしめているが、これでも引き際を心得ている姉である。一線は越えないだろう。

 オルテナも「君たちは相変わらず仲が良いなあ」なんてのんきなことを言っているし。

 見えてはいけない布地もチラチラと見えていたので、命は目をそらした。


(これで二つ目もクリア)


 エメロットが課したもう一つの条件――リッカ、宮古、オルテナを招集することも難しくはなかった。三人とも二つ返事で応じてくれるとわかっていたからだ。


 でも……命としては、この三人には頼りたくなかったというのが本音だ。

 心に病を抱えるリッカはもちろん、宮古とオルテナだって本当は表舞台には立たせたくなかった。

 三年生コンビがシルスターに手を出せば、彼女たちの進路(ゆめ)が断たれる恐れだってある。それは命の望むところではなかった。

 親友でも、姉でも、生徒会長でもない誰かを……。

 そういう思いがあって、命はモモの勧誘に乗り出したのだが、結果は大惨敗であった。


 不甲斐ない……が、いつまでも打ちのめされてはいられなかった。背筋をしゃんと伸ばしていなければ、黒髪の乙女として失格である。

 自らの弱さを認めてでも前に進まなくては。

 命は恥を忍んで三人に同席をお願いをすることにした。

 かくして『第一回シルスターのことをどうにかしよう会議』の開催が決まったわけだが、


(……会議)


 一発逆転を狙うにしては地味な手である。エメロットなら自分をあっと言わせるような妙手を打ってくれるのではないかと期待していただけに、命はちょっと拍子抜けした気持ちになってしまう。


(無駄な集まりにならないといいのですが)


 命はこの年にして知っている。世には会議とは名ばかりの会議が存在することを。その筆頭こそが、実家で行われている会議であろう。

 毎年、神事の時期が近づくと八坂神社(誤解のないよう補足すると片田舎の分社)に人が集まり、会議をすることが慣例となっているのだが……。


『わはは! 命ちゃん酒持ってきてよ酒!』


 その実態は単なる酒席。日も暮れぬ内から飲めや歌えの大騒ぎである。これが一度や二度なら多めに見るが、会議の大多数を酒が占めているのはさすがにコミュニケーション過多ではなかろうか?

 酒、酒、会議、酒、酒、酒、酒、思い出したように会議。

 もはや会議が酒の口実となっていた。お酌を強要されたり、酷いときにはセクハラを受けたりしたので、命の会議に対する信頼度は著しく低かった。


 酒はないにせよ、この会議もグダグダ進行で終わってしまうのでは……。エメロットに期待したい反面、命はそんな不安を拭えずにいた。


「おや、何か不安そうな顔をしてますね」

「わっ!」


 考えにふける命の背後には、いつの間にかエメロットが立っていた。命は驚くと同時に周囲を見渡す。メイドといえばお嬢さま。となると、彼女がいるかもしれない。


「あれは?」

「あれ……ああ、お嬢さまなら置いてきました。あの頭ではハッキリ言ってこの会議にはついていけません」

「賢明な判断といえるでしょう。味方を巻き込んで自爆されても困りますからね」


 命がほっと胸を撫で下ろしていると、エメロットが「ああ、でも」と言い足す。


「あと二人参加する予定です。一人は遅刻確定なので、もう一人来たら始めましょうか」


 一方的に告げると、エメロットは面識がない宮古とオルテナの元に向かった。軽く挨拶しているようだ。オルテナは「もう一人とはマイアのことか?」と尋ねていたが、「マイア? 知らない名前ですね」とエメロットは首をかしげていた。どうやらあと二人は自警団の面々ではないようだ。


(腐れお嬢さまでもないとすると……)


 一体誰なのだ?


 見れば宮古から解放されたリッカも思案顔になっていた。誰も深くは追及しないが、その二人が会議のキーマンであることは想像に難くなかった。

 エメロットのことだ、とぼけた顔してあっと驚くゲストを連れて来るのかもしれない。もしかしたら才媛の誰かでは?

 命が淡い期待を抱きながら本日の議題を板書していると、一人目のサプライズゲストが扉を開けた。


「ほう。余をどうにかしよう会議か」


 ポロッ。命が落としたチョークが砕け散った。


 強い敵意が宿る黄玉の瞳、刺々しい銀の長髪に、銀の軽鎧とボレロの制服を合わせた奇抜なファッション。見れば見るほどシルスターに似た……というか、シルスターだった。


(元凶来ちゃった――ッ!)


 ものまね紅白歌合戦で本人が来るどころの騒ぎではない。これには命が招集した三人も少なからず驚いていた。


「ずいぶんと面白いことをしておるではないか……のう、命」

「ええー、それでは『第一回シルスターさんと和解しよう会議』を開きたいと思います」


 命はさっと黒板を消して書き直したが、どうやら許されそうな空気ではなかった。


「何が和解じゃ。これだけの面子を揃えて、余のことを袋叩きにでもする気じゃったのか。ええどうなのじゃ、フィロソフィアの狗?」

「袋叩きなんてとんでもない。私はただみんなに幸せになって欲しいだけで」

「そうか。なら勝手に幸せになっていろ」

「おや、もうお帰りですかお嬢さま」


 退室しようとしていたシルスターが足を止める。

 真意こそわからないが、命はエメロットの意に沿うことにした。


「つれませんねえ。あまり逃げ腰だとあらぬ噂が立ってしまうかもしれませんよ」

「……貴様」


 シルスターは体を震わせる。ここで退室したら「シルスターは尻尾を巻いた」、「銀の女帝は臆病者だ」と触れ回るつもりなのだ。

 陰険……っ! しかし間違いなく彼奴(きゃつ)はそれをやる。威厳なき者に恐怖政治は敷けないことを、命もシルスターもよく理解していた。


「どうです? 話だけでも」


 エメロットが再度問うと、シルスターは手近な席にどっかと腰をおろした。


「話だけは聞いてやろう。余は寛大だからな」


 これで六人。先の言葉通りエメロットは会議を開いた。


「皆さん、お忙しいなかお集まりいただきありがとうございます。早速ですが『第一回みんなで幸せになろうよ会議』を始めたいと思います。司会は不肖わたくしエメロットが務めさせていただきます」


 なんと『第一回シルスターをどうにかしよう会議』は『第一回シルスターさんと和解しよう会議』のようでいて、その実『第一回みんなで幸せになろうよ会議』であった!


 ……もう、わけわかめの意味とろろである。

 命の横に座るリッカもやはり、さっぱりサラダという顔をしていた。

 早くも泥沼の予感がしてきた。命は不安で仕方ないが信じるほかない。3Aから連れてきた選手が使い物になりませんでした、ではスカウトは許されないのだ。


(……本当に頼みますよ)


 私の下駄は預けた、と命が不安げに見守るなか。


「それでは早速なんですが――」


 振りかぶったマイナーリーガーは、


「この不毛な争いもうやめません?」


 暴投。それも限りなくデットボール寄りのインハイ。喧嘩の火種になりかねない危険球であったが、幸いにも争いには発展しなかった……というより誰も即応できずにいた。


「…………」


 浮かんでは消える思考のあぶく。命たちは今、混乱のただなかにいた。


「……主は何を言っているのじゃ?」


 それな。

 命もシルスターと全くの同意見であったが、当の司会は首をかしげている。


「何を……ですか。そんなの決まってるじゃないですか。これから始まる消耗戦のことです。ぶっちゃけ双方とも手詰まりでしょう?」


 散漫になっていた集中力が戻る。ノーコンかと思っていたピッチャーが急に良いコースを突いてきたものだから、命は虚をつかれた。

 気になるのはシルスターの出方だが、銀の女帝は毅然として反論してきた。


「余が手詰まり? 主は本当に何を言っているのじゃ? ……頭が幸せなのも大概にしろよ、フィロソフィアの狗。余が本気なら、ここにいる連中だって直ぐに潰せる」

「ここにいる連中なら、ね」


 一瞬、シルスターの顔色が変わった。ここにいる面々はそれを見逃すほど甘くはない。特にLOVE妹の宮古は、いつだって(こうはい)の一挙手一投足に注目しているのだ。


「だよねー。シルちゃん頑張ってるけど、先週の内に1-Fと1-Eを陥落(おと)せなかったのは痛かったね。大丈夫? お姉ちゃん手貸そうか?」

「要らぬわ! 主の助けなど!」


 シルスターは声を荒らげる。取り繕ったところでもう遅い。エメロットと宮古の指摘通り、シルスターもまたこの争いに閉塞感を感じる一人だった。

 計画は着実に進んでいたはずなのに……、シルスターはぎろりと命を睨む。


 ――八坂命……この女が全てを台無しにした。


 紅花(ホンファ)とリッカを叩いたまでは良かった。しかし、命の存在が予想外だった。黒髪の乙女が予想外の奮戦を見せたことで、シルスターの計画は大きく狂ってしまった。


 命との一戦で名声を落とし、勢いを無くし、得たものは罰則だけ。シルスターに対する女学院の干渉も日に日に強くなってきている。

 この状況で一体何ができる?

 よしんば数クラス制圧できたとしても、必ずどこかで息が切れる。


 長期戦に臨んだとしても、長雨が上がればユメリアが、怪我が治ればアレクが戻ってくる。モモだって興が乗れば攻めてくるかもしれないし、ウィルに至っては何をするか見当もつかない。


 ……なぜだ。ユメリアもアレクもいない。リッカは故障しているし、邪魔な担任たちも排除した。才媛たちを各個撃破できる最大の好機だったはずなのに、なぜ自分が追い込まれている?

 シルスターはもう何度目になるかわからぬ自問を繰り返した。


「互いに苦しいから停戦協定を結ぼうとでもほざく気か?」


 銀の女帝は苦悩にまみれていた。だが、それでも威圧的な態度を崩さない。


「舐めるなよ」


 ここで立ち止まることは、シルスターにとって死に近しい。長い人生でもそうはない好機を……闘争の向こう側を見る機会をやすやすと手放すわけにはいかなかった。


「たとえ手足が千切れようと……余は闘うことを止めぬ」


 シルスターの鬼気迫る形相とは対照的に、エメロットの顔は人形然としていた。雷に怯えていたあの日の彼女が嘘のようだ。

 命は怖かった。

 一切の感情を悪感情に傾けたかのようなシルスターが。

 一切の感情を無くしたかのようなエメロットが。

 そのどちらもが。


「もちろんわかってますとも。私は貴方を止めようなんて、これっぽっちも思ってません。ですから私は別の戦いの形を提案しに来たんです。私の案に乗れば不毛な消耗戦は避けられるし、二週間で決着が着きますよ」


 それに、とエメロットは勿体ぶったように続ける。


「勝てば大きなリターンがあります」

「リターン?」

「貴方の傘下に入りましょう。ここにいる全員が」


 命は思わず息を呑む。

 ここにいる全員が傘下に入る? 何のことだ?

 そんな話は一切していない。


「ちょっと――ッ!」

「おや、こっちから物言いがつくとは予想外」

「予想外なのはこちらの方です。私はともかく、ここにいる人たちは――」

「あっ、お姉ちゃんは別にいいよ」


 宮古がさらっと会話に混ざった。


「どうせ私、妹には手を上げない性分だし。妹たちが怪我しないならそれに越したことないんじゃない……って思うけど、どうかな?」


 バトンを受けたリッカは、逡巡したのちに答えた。


「うーん、あたしもいいかな」

「リッカまで!」

「そんな非難がましい顔で見んなよ。そりゃ、あたしも出汁(だし)にされるのは癪だけどさ……ずっとカカシでいるよりはマシだ」

「――ってリッカちゃんが男前なこと言ってるけど、あんたは?」

「むう。ここで私に振るのか」


 議会が命を無視して進むなか、オルテナは中立的な立場をとった。


「一応聞くが、私が嫌だと言ったらどうする?」

「簡単よ。あんた山と川どっち好き?」

「だから私は森育ちだから森が好きだと……いや、もういい」


 過激派組織アネガサキの思想に呆れるも、オルテナは異議を唱えなかった。宮古がやるときはやる女であることを、オルテナはよく知っていた。


「すまない、八坂君。全てを委ねるようで心苦しいが……やはり君が決めたまえ。君の決断であれば宮古くんもノーは言わないだろうし、それにこれは元々君が始めたことだろう?」


 視線が命に集中する。笑顔であることを常とする黒髪の乙女もこの状況ばかりは笑えなかった。


 ……イカれてる。


 この会議の参加者は自分を除いて誰も彼女(かれ)もが。

 女装している自分が一番常識人というのはどうなのだろう……。迫る決断のときを前にして、命はシルスターに目で問うた。貴方はやる気がお有りか、と。


「最初に言ったであろう? 話だけは聞いてやる、と。余は寛大なのじゃ」

「わかりました」


 シルスターの返答を聞いた瞬間、命の心は決まった。


「私も話を聞きましょう……まずは話を」


 ヘタレた。

 こいつ逃げたのじゃ。

 先送りにしたか。

 命らしいっちゃ命らしいが……そこはスパッと決めてくれよ。

 でもそんな命ちゃんも好き。


 エメロット、シルスター、オルテナ、リッカ、宮古の順で押し寄せた幻聴に、命は耳を貸さなかった。

 あーあー、何も聞こえなーい。

 逃げるは恥だが役に立つのだ。伸るか反るかはエメロットの提案を聞いてからでも遅くない、と黒髪のヘタレ乙女は胸を張った。


「エメロットさん、議事を進めて下さい」

「……はあ」

「はあ、じゃないでしょう! どうして私が苦しんでいるとお思いですか!」

「はーい、プリント配りまーす。皆さん回して下さーい」


 この……っ! 自分で仲間に引き入れておいて何だが、命は久々にマジのガチでキレそうになった。こんなに怒りを覚えたのはリッカがシルスターに侮辱されたとき以来、実に二日ぶりのことだった。


(……あれ私、キレやすくなっているのでは?)


 自分の心に従うのは良いが、キレる10代になってはいけない。黒髪の乙女的にも。

 命は深呼吸を一つして配られたプリントに目を落とした。まず目に入ったのは上段中央に書かれた――


「友達ゲーム参加合意書?」


 という、いかにも怪しげなタイトルであった。プリントを一瞥した出席者は、次々とエメロットに胡乱な目を向けた。


「おや……皆さん、友達ゲームのことをご存知ない?」


 命が代表して答えた。


「全く知りません」

「でしょうね。私が昨日考えたゲームですし」

「そりゃそうでしょうね――ッ!」


 初耳でなかったらびっくりだ。命はプリントごと机を叩いた。

 こうなればヤケだ。のってやる。

 それが泥舟であろうとレッツゴー喜望峰だ。途中で降りるぐらいなら、命は鼻からエメロットを同じ船に乗せていない。


「そう――」


 エメロットは待ってましたとばかりに、打てば響くように返す。


「誰も知らないからこそ、公平なゲームだと思いません?」


 溜めること三秒。

 場の沈黙を味方につけたエメロットは再度問う。


「もう一度言います。不毛な争いはもうやめて、代わりに公平なゲームで決着を着けませんか?」


 命が無言で首肯すると、助っ人の三人も追うように頷いた。


「公平かどうかは判断しかねるところじゃが……」


 シルスターは命のことをまじまじと見つめたが、命が微笑を浮かべると目をそらした。


「まあよい。受けるかどうかはこれから決めることじゃ」


 あくまでも慎重な姿勢を崩さないが、シルスターの答えは悪くない。命がこのゲームを知っていると疑われること、それを理由に参加を拒否されることこそが最悪だった。


(なるほど。私に求められる役割がわかってきました)


 案内役(ナビゲーター)――たとえこちらに不利が生じようと、シルスターのゲーム参加を第一に動くこと。それこそが自分に求められる役割だと命は理解した。

 怪しい動きを続けていれば疑われるだろうが、むしろ好都合。命は友達ゲームなんてものは全く知らない。疑われれば疑われるほど身の潔白を示せるといったものだ。


(でも、私すら知らないゲームのどこに優位があるのか?)


 命にはわからないが、今はエメロットを信じて役に徹した。


「……そうですね。その友達ゲームとやらの内容がわからないことには、私も何とも言えません」

「お二人の意見はよくわかりました。それでは、改めてお手元の資料を御覧下さい。そちらに友達ゲームの内容を記載してますので、皆さんが読み終わってから質問を受けるとしましょうか」


 異議がないことを確認し、一同は再びプリントに目を落とす。 

 以下が、友達ゲーム参加合意書の内容であった(読み飛ばし可)。




     ◆




 友達ゲーム参加合意書


 『プレイヤー1』(以下、「甲」という)と『プレイヤー2』(以下、「乙」という)は以下の内容をすべて理解・同意した上で、王国歴602年5月30日10時に開催する友達ゲームに参加します。


 1.友達ゲームに参加するにあたり、全ての責任は甲と乙にあることを承諾する。

 2.友達ゲームに参加するにあたり、運営の指示に従うことを承諾する。

 3.甲と乙は、本同意書に不明点があった場合、運営に質問をする権利を有する。

 4.運営に寄せられた質問、運営からの回答はすべて開示される。

 5.甲もしくは乙が合意書に違反した場合、その者は失格とする。

 6.甲、乙は、必ず友達ゲームに参加しなければいけない。

 7.甲と乙は、友達ゲーム開催日時までに『外部入学生の友達(以下、「丙」という)』を募る。期日までに演舞場の1階に到着し、かつ、甲もしくは乙の友達である宣言した者を丙と認める。

 8.丙は、友達ゲームへの参加資格を有するものとする。

 9.甲と乙は、友達ゲームで競い合い、敗者は如何なる理由があろうと勝者の命令に従わなければいけない。

 10.勝者の命令は一つ、かつ、敗者の生命、資産を脅かすものであってはならない。

 11.甲と乙は、丙を集めるに際し『パートナー』(以下、「丁」という)を一名付けられるものとする。

 12.丁を付ける場合、甲と乙は合意書に署名した時点で、誰を丁にするか宣言を行う。

 13.甲と乙は、如何なる理由があろうと丁を変えてはいけない。

 14.丁は、丙の立場を兼ねることができる。

 15.甲と乙は、第三者から丙を紹介された場合、これを断らなければいけない。

 16.甲と乙に暴力行為を働いた者は、即時失格とする。

 17.失格した者が更なる違反行為を重ねた場合、運営が罰を課すことができる。

 18.甲と乙は、運営が認めた場合のみ追加事項を設けられるものとする。


 《追加事項》


 以下の通り合意したことを証するため、本書二通を作成し、各自署名押印の上、各自一通を保持する。


 王国歴602年5月16日


(甲)氏名:

(乙)氏名:




     ◆




「つまり、こういうことかな」


 いち早く参加同意書を読み終えたオルテナが、黒板に簡潔にまとめた。


挿絵(By みてみん)


 右下の生首こそ気になるが、難解な同意書に比べれば断然わかりやすい。こういった文書を読み慣れていない命にとってもありがたかった。


「同意書と銘打ってはいるが、これは広義の意味での同意書だな。半分ぐらいは契約書としての内容が含まれている……という認識でいいかな、エメロット君」

「ええ、その認識で合ってます。私も何ぶん不慣れなもので、細かい点は大目に見てくれると助かります」

「はっはっは。まあ、今回は内輪で使用するものだからいいんじゃないか」


 オルテナの言う通り、命も書類の形式についてはさして興味はない。むしろ妙に法務書類に明るいオルテナの方が気になる。


「オルテナ先輩はこういうのお詳しいのですか?」

「一般的な女生徒よりは詳しいかな。生徒会長なんてやってると書類仕事もそこそこあってね。先生から契約書のチェックを頼まれることも多いし」

「……おい、それ大丈夫なのか」と訝るリッカ。


 命も全面的に同意であったが、セントフィリア女学院がおかしいのなんて今さらである。


「ふん、生徒会の雑事などどうでも良いわ。そんなことより次は質疑応答じゃったな?」

「ええ。質問があれば遠慮なくどうぞ」


 エメロットは人形めいた笑みを浮かべて質問を待つも、参加者からはなかなか質問が挙がってこない。それも当然といえば当然である。


 ――4.運営に寄せられた質問、運営からの回答はすべて開示される。


 同意書によれば、質問と回答は敵味方問わず知られてしまう。質問をすることで敵にヒントを与える恐れがある以上、遠慮なくというわけにはいかなかった。


「エメロットさん」


 沈黙を破ったのは命だった。互いに牽制し合うようになると、ゲームが不成立に終わる可能性が高くなるからだ。


「同意書にある運営とはどなたのことですか?」

「それは私のことですね」


 エメロットがこともなげに言う。想定内の答えではあるが、命にとってはあまり歓迎できない答えでもあった。

 私は中立的な立場を取る、とエメロットは堂々と宣言しているのだ。命は暗い笑みを向けたが、エメロットは相変わらず人形のように笑っていた。


「主が運営じゃと?」


 シルスターが不満げな声を上げるも、エメロットは動じることなく応える。


「ご安心を。私だけだと公平性を疑われることは重々承知してます。ですから」エメロットは三年生コンビに目配せする「オルテナさん、宮古さん、お二人は運営に回ってもらえませんか?」


「私は構わないよ」

「オッケー。妹のためなら何だってやるよ」


 二人は間を置かずに快諾した。


「そやつらも運営か……」シルスターは顎に手を当てて考えた末「まあ良い」と返した。


 正義を愛し公平を重んじるオルテナ。

 妹に対しては常に誠実である宮古。

 恐らくこの二人でなかったら、シルスターが首を縦に振ることはなかっただろう。


(……なんという役者ぶり)


 命よりも判断が早い。

 エメロットに求められた役を、二人は淡々と演じていた。

 シルスターは二人の役者の前を素通りして、次の質問を投げる。


「肝心の友達ゲームとやらの内容が書かれていないが、これはどういうことじゃ?」

「それは当日のお楽しみということで。面白いでしょう?」

「面白くないわ。それが有りだというなら、運営がプレイヤーの状況を見てゲームをすり替えることができる。それのどこが公平なゲームだと言うのじゃ!」


 シルスターの言い分はもっともである。そして、もっともであるということは、当然エメロットも対策を用意していた。


「大丈夫ですよ。ちゃんとこれを用意しましたから」


 そう言ってエメロットは三通の封書を【小袋(ポケット)】から取り出した。


「友達ゲームの内容は、すでにこのなかの便箋に書いてあります。これを運営三人で分けて持てば……どうです、偽りようがないでしょう?」


 将棋やチェスで言う封じ手といったところか。これであれば、簡単に中身をすり替えることはできないが、それはあくまでも簡単にだ。


「どうかな? 運営が結託すればできぬことはない」

「そこについては私も最大限の配慮はしたつもりです。ほらここ」


 エメロット指した封書には、蝋で固めた判子が押してあった。


封蝋(ふうろう)ですか。洒落ていますね」

「でしょう。それにお見せはできませんが、便箋は外の国のものです。同じものを用意するのは難しいでしょうし、真似できますか私の筆跡?」


 すり替えはほぼ不可能というわけだ。シルスターもああは言ったが、宮古とオルテナが約束を破るとも考えにくかった。あの二人は異端だからこそ信用がおける。


「なら事前に中身を知っている可能性については、どうじゃ?」

「うーん、そこを突かれる痛いですね。最終的には信用の問題になってしまいますが、私は誓って誰にも教えてませんよ?」


 ……胡散臭い。一人残らずそう思ったが、エメロットの言葉に嘘はなかった。シルスターは周囲に疑わしい目を向けていたが無駄である。本当に誰も知らないのだから。


「ふむ。本当に誰も知らぬようじゃな」


 シルスターは得心したように頷いた。


「余からの質問は以上じゃが、チキンからは何かないのか?」

「……」


 ご指名を受けたリッカは頭を巡らす。下手なことを言うわけにもいかないが、自分の立ち位置がわからないので、無難な質問をするとした。


「これってさ、集めた友達が多いほど有利なゲームなのか?」

「その通り。集めた友達が多ければ多いほど有利なゲームですよ」


 当たり前といえば当たり前の答え。でも、命はどこか引っかかりを覚えた。何がとは言いがたいが、命はその違和感を頭の片隅に置いた。


「他に質問はありますか? なければ打ち切りますよ」


 どうやら二巡目はなさそうだと命が思った矢先、シルスターが待ったをかけた。


「質問はもうよいが、追加事項というのがあったじゃろ」


 ――18.甲と乙は、運営が認めた場合のみ追加事項を設けられるものとする。


 目ざとい。命としては見落として欲しかったが、そこを見落とすほどシルスターも甘くなかった。


「余はいくつかの追加事項を要求したいのじゃが……構わぬよな?」


(構うも何も……)


 命たちには拒否権(ノー)がない。わざわざ追加事項が設けてあるのは、シルスターをその気にさせるための餌でしかなかった。


「一つ目は、手紙の開封の件をきちんと明記せよ。これは当たり前じゃな?」

「わかりました。追加事項に加えましょう」


 最初は小さな要求を飲ませる。そして次は。


「二つ目は、外部入学生だけでなく内部進学生も友達として認めることじゃ」


 やはり仕掛けてきた。黙って見守るしかない命は、全ての判断をエメロットに委ねた。


「……内部進学生ですか」

「当たり前じゃ。これが公平なルール? とてもじゃないが、余にはそうは思えぬ。まずは集められる友達が外部入学生に限定されていること。これはどう考えても余には不利な条件じゃ」

「さすがに全員を認めるわけには」

「それぐらいわかっておる。今度は外から来た者が不利になるからな。ハンディとして、互いに外部入学生を十人集めなければいけない、でどうじゃ」

「……十人は難しいですね」

「八人」

「……五人なら」

「良かろう。その辺りで手を打ってやろう」


 シルスターはそれが当たり前というように続ける。


「ただし、代わりにもう一つ。そこのチキンの参加は全面禁止にしろ。そいつが信者を連れて来たら、ゲームが成り立たん。無論、余が怪しいと思った者に関してはチェックを入れさせてもらう」

「……手前、さっきからあたしに喧嘩売ってんのか?」

「チキンをわざわざ鶏小屋に入れてやってるのじゃ。むしろ感謝して欲しいぐらいじゃ」


 命とリッカ――考えうる限り一番勝率が高いペアを組めなくなったのは痛いが、命は無言は貫いた。


(恐らくこれが……)


 リッカの役割なのであろう。

 シルスターの目を釘付けにするための、いわば囮役(デコイ)

 二人が言い争うなか、エメロットは静かに裁定を下した。


「シルスターさんの言い分を認めましょう」

「おい――ッ!」


 リッカが怒号をあげて立ち上がる。こんなもん認められっかと食ってかかったが、今度は横からシルスターが釘を刺してきた。


「どうも勘違いしているようだから言っておくが、主らに拒否権はない。余が首を縦に振らんことにはゲームが成り立たんのだろう? ならあまり余に逆らうのは得策ではないぞ?」


 盛大に舌打ちする。

 リッカは行き場のない怒りをぶつけるように、荒々しく椅子に腰を下ろした。


(……演技ですよね?)


 リッカの怒りは真に迫るものがあった。半分は本気で怒っているのだろう。

 とにもかくにも、これで命が集めた三人は役割を果たしたといえる。


(あとは私が……)


「最後じゃ。命の参加を禁止しろ」

「――ッ!」


 絶句。ここまで入念に潰しにかかるのか。言葉をなくした命は代わりに叫んだのはリッカだ。彼女はとうに頭にきていた。


「はあ!? 手前、何のためにあたしたちがここに集まってるかわかってんのか!」

「別に余は構わぬぞ。そやつが出るのであれば余は受けぬ。ただそれだけの話じゃ」


 これには運営に回った二人も黙っていなかった。


「さすがに八坂君の参加まで禁止にするのは」

「うーん、それはお姉ちゃんもちょっとなー、って思うけど。どうかな、エメロットちゃん?」


 どうも何もない。エメロットは用意した答えをそのまま投げるだけだった。


「全面的には飲めませんが……プレイヤーとしての参加は禁止するというので、どうでしょう?」

「それは、そやつがパートナーとして参加するということか?」

「さあ? それはプレイヤーの判断にお任せします」

「いるのか、プレイヤー候補が?」


 ――11.甲と乙は、丙を集めるに際し『パートナー』(以下、「丁」という)を一名付けられるものとする。


 エメロットには隠し玉がある。彼女は初めから命をパートナーに、そして七人目をプレイヤーに据えるつもりだった。


「ええ。遅刻してる子が一人いまして。その子がプレイヤーということでどうでしょう? 私も何回も説明したくないですし」

「……よかろう。余もこれ以上の注文はつけぬ」


 銀髪同士の舌戦は終わり、これにて交渉終了。


(この人は……)


 正しいのかはわからない。でも確かなことがあるとすれば、それはただ一つ。エメロットはセントフィリアの女学院に束の間の平和をもたらした。口先一つで、誰にもできなかったことをやってのけたのだ。


(あの腐れお嬢さまが重宝するわけです)


 十二時の鐘の音とともに会議が終わる。命たちも早く教室を抜け出したいところであったが、そうもいかない。いくら口約束をかわしたとはいえ、七人目が同意書にサインを済ませないことにはゲームは成立しないのだ。


 六人だけの教室には妙な緊張感が満ちていた。七人目が遠からず来るであろうことは明らかだった。

 七人目が遅刻したわけではない。

 エメロットが、七人目にはお昼に来るよう指定したであろうことは容易に想像できた。


 命がパートナーに入れる可能性を残した以上、七人目は十中八九、命の知り合いであろう。もしくは本当に才媛を連れてきたのか。


 廊下には生徒たちの声と足音があふれている。そのなかで命がいの一番に気がついた。才媛ではない。こちらに向かってきているのはよく見知った少女だ、と。


「ふふんふんふーん♪」


 調子外れの鼻歌交じりでスキップを踏んでいる。姿形が見えずとも、命の頭には彼女の顔が鮮明に思い浮かんだ。


(……まさか)


 命も、その可能性を全く考えなかったわけではない。

 なぜなら彼女はエメロットと同クラ……クラスメイトだからだ。

 しかし、それでも、と命が続けていた自問自答は、彼女が扉を開けると同時に終わった。


「エメちゃーん、ハンコ持ってきたよー!」


 第二のサプライズゲストは、判子と一緒に混沌カオスを持ってやって来た。

 驚き、戸惑い、不安、そして絶望の裏に常に存在する淡い期待。

 さまざまな情動が綯い交ぜになる教室のなかで、ただ一人シルスターだけが高笑いしていた。


「へっ、どゆこと?」


 目をキョロキョロさせる根木茜はまだ知らない。

 その肩にセントフィリア女学院の未来を預けられたことを。

《追加事項》

 19.友達ゲームの内容が記された封書は運営が保管する。期日までに内容の改ざんがあった場合、本同意書は無効とする。

 20.友達ゲームの内容が記された封書は開催日時に開示するものとする。

 21.甲と乙は、友達ゲーム開催日時までに外部進学生を五名集めなければいけない。期日までに演舞場の1階に到着し、かつ、甲もしくは乙の友達である宣言した者だけを例外的に丙として認める。

 22.ウルシ=リッカは、甲乙丙丁いずれの立場もとってはいけない。

 23.甲と乙は、丙にウルシ=リッカの肖像画を踏ませる権利を有する。丙がこれを拒んだ場合、その者は友達ゲームへの参加資格を失うものとする。また丙がこれに応じたとしても、ウルシ=リッカの関係者と疑わしい場合、友達ゲームへの参加資格を剥奪することがある。

 24.八坂命は、甲乙の立場をとってはいけない。

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