第36話 ふたりきりの誓い
夜、帰った公爵邸で、やっとエリシアは新しくできた夫妻の部屋の椅子に座っていた。
朝までは改装が完成するのが楽しみだったが、昼間のことがあったせいで、今は頭がどこかぼーっとしている。
鳥と花の壁紙が貼られた部屋で、今日のことを思い出していた。
あれから、事件の詳細を知った武門派は大騒ぎとなった。
「王子を宮殿から引きずり出せ!」
「一緒に攫った水晶姫もだ! 相応の罰を!」
そう騒ぎ立てる血気盛んな騎士たちは、そのまま集まった王太子宮を取り巻いて、フェルナン王子とレヒーナが、どこにも逃亡を許さない構えを見せた。
国王は驚いたが、なにしろ宮殿を守っている騎士たちの大半は、レオディネロ公爵の傘下だ。王の直属の兵たちとなると、建国当時よりは増えてはいても、今でもレオディネロ公爵家と比べれば心許ない。
戦うのは無理だと感じた王が、ラウルに直接の面談を申し出たのだが――。王の前へと出たラウルは、この包囲を解くのは王太子の廃嫡が決定した時のみと譲らなかったらしい。
「結局、あれからどうなったの?」
椅子に座ったまま、エリシアは先ほどロラが退出する前に入れてくれたお茶を手に持って、横にやってきたラウルを見つめた。
「言葉どおりだ」
そう言いながら、ラウルはエリシアの隣へと腰かける。
「いくらなんでも、これまで尽くしてきたレオディネロ家を、あそこまで蔑ろにした行為は許すことができない」
「それは、私も同感よ。レオディネロ家は、これまで建国以来王家に尽くしてきたのに――。それに、文官派を率いる父も、今回ばかりは、絶対にフェルナン王子を許すつもりはないようだし」
「バルリアス宰相閣下の考えには同感だ。ただ、レヒーナ姫は、国民の信奉の篤い水晶姫だから、今後、フェルナン王子との婚約破棄を条件に、水晶玉共々騎士たちの目の届く範囲の神殿に移すことになるだろう」
「それは――つまり、監視ね」
これで、レヒーナも今後は自由に動くことはできないはずだ。
国民の反感を買わないための形式だが、これからの行動はすべて側にいる武門派の騎士たちから、元帥家へと報告がされるのに違いない。
脳裏に泣いていたレヒーナの姿を思い出して、ふとエリシアは目を伏せた。
(――あの時、レヒーナは、神託で命じられた私を殺すことを最後まで拒んでいたわ……)
それが、彼女が言い募っていた友情によるものなのかどうかはわからない。ただ、騎士たちに、水晶玉と分けて監視されることによって、これからはもうレヒーナも、本の神託に振り回されることはないはずだ。
「これで、もう二度と、ふたりともレオディネロ家になにかをしようとはできないわね……」
瞼を伏せながら、視線を手に持ったお茶へと移す。
「もうこんなふうに、レオディネロ家の夫人を利用して、武門派を支配するための情報を手に入れようとすることもできなくなるわ――」
やっと、本の中での、エリシアの破滅フラグがすべてなくなった。
目の前のお茶を見ながら、そう呟くと、側にいたラウルがジッとエリシアを見つめている。
「まさかとは思うが――俺が怒っているのは、フェルナン王子が君に、レオディネロ家の内部情報を洩らすように唆したからだと思っているのか」
「え……?」
その真剣な瞳に、エリシアはふと横に顔を向けた。
「だって、武門派にとっては、知られてはまずい情報があるでしょう? 戦略や表向きでない連絡体制について把握されては、いざという時に困ることがあると思うし……」
そう口にすると、ラウルは少しだけ困ったようにエリシアを見つめた。
「たしかに、それらを知られては面倒だが……。俺が一番怒っているのは、彼が君に対して剣を振り上げていたからだ」
「それは……」
予想していなかった言葉に、思わずラウルを見つめた。
「本当に、どこにも怪我をしてはいなかったか? 剣でかすったとか、見えないところを殴られたり傷つけられたりとかしていたのだったら、今すぐに言え。廃嫡する前に、それだけは倍にして返し、後悔を味わわせてやる」
その言葉に、思わず目を瞬いた。
「思ったよりもラウルって激しい性格なのね?」
「当たり前だ。俺は、荒くれ者の多い武門派の頂点だぞ? 普段は冷静になるように努めてはいるが、大切な者を傷つけられたら、誰よりも怒る」
そうエリシアを覗きこんでくる瞳は激しいが、手つきは優しくエリシアの髪に触れている。
(――ああ、きっとみんなラウルのこんなところに惹かれているのね……)
誰よりも自分たちを大切にしてくれる。それがわかるからこそ、武門派のみんなもラウルが好きなのだろう。
エリシアと同じように。
そう確信する前で、ラウルは、そっと目を伏せて亜麻色の髪に口づけた。そして、もう一度緑の目を開き、柔らかくエリシアを見つめてくる。
「だが、あの時、間に合って本当によかった――」
「わっ!」
その表情に思わず真っ赤になってしまう。なんて、ホッとした愛しげな笑みなのだろう。
こんな瞳で、見つめられるなんて――。
(そうか、私は本でエリシアが処刑された理由が、情報を洩らしたことだったから、てっきりラウルはそれを一番怒っているのだと思っていたけれど……。本当は、ここにいるラウルは、私が殺されそうだったことに一番怒ってくれていたのね……)
それには、今まで気がつかなかったから、顔が真っ赤になってくる。
「だ、大丈夫よ。あの時、ラウルがすぐに駆けつけてくれたし……。本当に、ほかにはどこも怪我なんて」
そう照れてうつむいた顔に、ラウルがそっと近寄ってくる。
「ああ、だが、傷つけられたのは、体だけとは限らないだろう? もし、あの王子たちがまた君の心を傷つけるような、なにかを話しでもしていたのだったら……」
「ラウル……」
心配そうなその声に、エリシアも伏せた顔を上げた。
「以前、君は彼らに傷つけられた。だから、本当は俺のいないところでは会わせたくはなかったんだが……」
そう呟く顔は苦しそうだ。そういえば、事件の直後もそれをひどく心配していた。
その姿に、そっとラウルの頬へと手を伸ばす。冷たい。もう春だというのに、その肌はまるで不安でたまらないかのように冷えている。
「ううん、本当に私は平気よ。たしかに、ふたりは言葉を弄して、私をまた利用しようとしたわ。でも、毅然と断ることができた――それは、ラウルが私を好きになったと言ってくれたからよ」
エリシアは、もう本の中のような孤独な存在ではない。自分が好きになった二度目の恋の相手から、同じように愛情を返してもらえる。それがどれだけ幸せで、心を強くしてくれることか――。
「ラウル、あなたのおかげで私は強くなれたのよ」
あのふたりの言葉にも、傷つかないぐらい――と、そっと頬に片手を添えながら笑いかける。
すると、ラウルもその頬にあるエリシアの手を握って微笑み返した。
「ああ――。俺も、君がその彼らの申し出を断ったという話を聞いて、すごく嬉しかった」
「え?」
「レオディネロ家を守ってくれたからだけではない。君が――もう、本当にフェルナン王子との婚約を吹っ切れているとわかったからだ」
思いもしなかった言葉に、目を見開いた。
その前で、ラウルは優しくエリシアを見つめている。
「俺は、君がフェルナン王子の婚約者だった頃に、挨拶で会ったことがある。その時の君は、本当にあの王子が好きみたいで、心の底からその姿に笑いかけていた」
「あ……」
そういえば、ラウルとはたしかに結婚するより前に、フェルナン王子の婚約者として挨拶をしたことがあった。かなり前だったので、エリシアにとっては朧気な記憶だったが、ラウルのほうは、かなりはっきりと覚えていたのだろう。
「その時の君は、とても幸せそうだった」
視線を外せない先で、ラウルは、エリシアの手を握ったまま、静かに話し続けている。
「ラウル……」
「だから、俺と結婚させられた時、泣いている君がどれだけ傷ついているのかがわかったんだ」
「それは……」
違うとは言えない。たしかにあの時のエリシアは、フェルナン王子とレヒーナに裏切られたことがひどくショックで、深く傷ついていた。
「それだけに、君が翌日には気持ちを切り替えて、俺の妻になろうとしているのが、最初は信じられなかった。だけど、運命を恨むのではなく、受け入れて前向きに頑張ろうとしている君を見ていたら――だんだんと俺もそんな生き方ができるようになりたいと、思えるようになっていったんだ」
「それは――この家のおかげだわ。私が、前向きに頑張ろうとした時、最初は、みんな怪訝げではあったけれども、否定をするようなことはしなかったもの」
疑いながらも、協力をしてくれた。エリシアは、敵派閥の出身だったのに。
破滅したくなかったからとはいえ、きっとその迷いながらもエリシアの行動を見守ってくれたこの屋敷の人達のおかげで、ここまでエリシアは頑張れたのだろう。
「そうか、それならば、この家のみんなにも感謝だな。おかげで俺は、そんなふうに頑張る君の姿を見ていたら、自分の心も癒やされていって……いつのまにか好きになっていたんだ」
突然された告白に、顔が熱くなってくる。
「それは……私も、だんだんとラウルの側にいるのが、好きになっていたから……」
頭では破滅したくないからだと呟いていたが、エリシアの服が汚れた時も、ほかの令嬢たちから心のない言葉を浴びせられた時も、いつもラウルは守るような行動をしてくれた。
一緒に馬に乗って、その腕に包まれているだけで、いつの間にか安心するほど。その誠実な人柄に惹かれていったのだ。
「だから……そんなラウルの側にずっといたくなって……」
気がつけば、好きになっていた。
最初こそ、破滅を回避するために頑張っていたが、途中からはラウルと少しずつ距離が縮まっていくのが嬉しかった。
そう話すエリシアの顔に、ラウルが優しく微笑んでいる。
「ありがとう。そんな君が、俺は誰よりも好きになった。だから、今では君の中で、俺が一番になれたことがわかって本当に嬉しい」
そして、今度は、ラウルが両側からエリシアの頬に手を添えてくる。
「元帥である俺に恋愛で切り込んできたのは、君ぐらいだぞ。結婚してから、気がついたら、君のことばかり考えるようになっていたんだ。君が嬉しそうだったらホッとするし、悲しそうな顔をしていれば、いつまでも頭から離れていかない」
だからと、ラウルは優しくエリシアを見つめている。
「この責任はとってもらうからな。君が、もう過去を完全に振り切ったのだったら――これからは、俺が伴侶として一生涯君の側にいたい」
「ラウル――」
まさか、ここでもう一度生涯を誓ってくれるなんて。
結婚式では、悲しい思いで交わした誓いだったのに――。
だから、こくりと頷く。
「私も――あなたが好きよ。私も、一生あなたを守りたいわ」
ラウルの一生消えない心の傷になるのではなく、ふたりで未来まで歩いていきたい。
どうせ生涯をともにする関係ならば、そのほうがずっとハッピーエンドだ。
だから、そう囁くと、ラウルが嬉しそうにエリシアを抱き締めてきた。
「では、今日からは、真実君は俺の妻だな。これからは、俺が絶対に守る。もし、君に手を出そうとする者がいれば、全力で戦うから――」
「元帥閣下が相手では、誰もかなわないわね」
そう微笑みながら口にすると、座っていたエリシアの体が、ふわりと抱き上げられた。
そのままベッドの前へと歩きながら、そっと優しく額にキスをされる。
「だから、どうかこれからは安心して、未来永劫俺の側にいてほしい」
「うん、私もよ。一生側にいて、ラウルを幸せにするから――」
そう囁いて、抱えてくれているラウルの体を優しく抱き締め返す。
きっと、物語はこれからもいろいろな出来事が起こるだろう。
だけど、ふたりで笑い合えるこの瞬間が、最高に幸せだ。どんな展開が待っていても、必ずハッピーエンドにしてみせる。それを信じられる夫に抱えられながら、エリシアは結婚式ではしなかったキスを、今は嬉しそうにラウルと交わした。
エリシアとラウルの話を、ここまでお読みくださり、ありがとうございます!
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