第30話 再会
久し振りに訪れた王宮は、最後に見た時よりも春の花が増えていた。
ここに来れば、辛い記憶を思い出してしまうかもしれない――そう危惧していたが、エリシアを取り巻く環境が変わったせいだろうか。
ラウルがつけてくれた多数の護衛に守られながら進んでいく姿は、武門を率いているレオディネロ大公爵夫人そのもので、出会った貴族たちの誰もが驚いて道を空けている。そして、慌てて礼をした。
(結婚式の時は、婚約者に捨てられた女と、あれだけ陰口を叩いていたくせに――)
おそらく武門派でも有名なイサギレ将軍夫妻が、エリシアを認めたことが伝わったのだろう。
それにラウルが「俺の妻」と発言し、アギレラ将軍がエリシアを支える話も、あの日の訓練場の騎士たちから広まっていったのに違いない。
そのため今背後に付き従っている武門派の騎士たちは、みんな前を歩くエリシアを敬うように守っている。
その姿に、エリシアが元帥夫人として認められた話が真実だと悟ったのだろう。
紺のタイトなドレスを纏い、騎士を引き連れて歩くエリシアの元帥家の夫人としての姿を見た周囲の人たちの眼差しには、もうエリシアをからかうような色はどこにもない。代わりに、失礼をしないようにと急いで通路を空けている。
その人たちの視界の中を歩きながら、エリシアは、王宮の廊下をかなり進んだ。
「エリシア」
突然横の通路からかけられた聞きなれた声に首を向ける。すると、その視線の先では、懐かしい父の姿が立っているではないか。
「お父様!」
思わず声が飛び跳ねた。
見れば、結婚式の日に別れた父が、見慣れた宰相の衣を纏いながら、立っていた横の通路から急いでエリシアの側へと近付いてくる。
「どうして王宮に……、なにか用事ができたのか?」
そう不安そうに尋ねる父は、きっとまだ、婚約破棄をされた時のエリシアの心の傷を心配しているのだろう。だから、エリシアは安心させるように、優しく父に微笑みながら話した。
「はい、実は、今日は陛下から呼ばれまして……」
「陛下から? 私はなにも聞いてはいないが」
少し意外なように、片眉を上げている。だが、と父は、すぐに目の前に立つエリシアを、優しげな眼差しで見つめた。
「元気そうで良かったよ。気になってはいても、レオディネロ家の内側では、どう過ごしているのかという情報は入ってはこないし……」
そう話す父は、本当にエリシアのことを心配してくれていたらしい。だから、その姿に、穏やかに微笑みながら返した。
「私は大丈夫ですわ。レオディネロ家で生きていくと心を決めたおかげで、ラウルも家中の皆様も、本当によくしてくださっているのです」
そう明るく言えば、父はホッとしたような表情を浮かべた。
「そうなのか。よかった。お前のその恰好――それに、元気を取り戻した今の表情を見ていると安心できるよ」
それは、きっと最後にエリシアを見た結婚式の時と比べて言っているのだろう。
あの頃のエリシアは、婚約者と親友に裏切られたせいで、精神的にもぼろぼろで、碌に眠れない毎日を過ごしていた。
その姿に比べれば、武門風のドレスを纏い、颯爽と前を向いて歩いている今のエリシアは、なんと生き生きとして見えることか――。
その姿だけで、父は、娘が幸せになれる道を歩き出していると確信したのだろう。
「慣れない武門の家風で、どう過ごしているのかが心配だったんだが……。ここで、エリシアに直接会えてよかったよ」
きっと父は、エリシアが嫁いでから毎日気がかりだったのに違いない。だが、文官派の筆頭である宰相家が頻繁に便りを出しては、武門派に嫁いだエリシアにいらぬ疑いをかけられるかもしれない。そのため、娘のためを思って我慢していたのだろう。
「お父様……」
目頭を押さえる父の姿に、エリシアは安心してほしくて柔らかな笑みを浮かべた。
「夫のレオディネロ公爵は、厳しい面もお持ちですが、誠実なお人柄ですわ。私、彼の側でなら、安心して一緒に生きていけると思いますの」
「そうか――うん、たしかにレオディネロ公爵の真面目な性格は有名だ。彼ならば、きっとお前を幸せにしてくれるだろう」
「お父様」
今のエリシアの姿を見て、父は少しだけ浮かんだ涙を指で拭い、それから明るい表情で笑った。
「お前を元気にしてくれたレオディネロ公爵には、一度私からも礼を言わなければいけないな。よかったら、また挨拶に伺ってもいいか訊いておいてくれ」
「はい、でもきっと大丈夫だと思いますわ。今では、ラウルも文官派だからというだけでは、もう目の敵にはされないようですし」
「それは、お前が結婚してから、向こうの家で重ねてきた努力があるからだろう。それをレオディネロ公爵は、きちんとわかってくれる人だったんだな……」
そう微笑む顔は、宰相としてのものではない。エリシアを心から慈しむ眼差しで、前のように頭を撫でるために手をかざそうとして止めた。
「結婚した貴婦人に、人前ですることではないな。では、またレオディネロ公爵に伝えておいてくれ」
「はい」
そう笑顔で挨拶を交わすと、父は背を翻して仕事へと戻っていく。
どうやら、エリシアの件で、父もラウルのことを認めたようだ。
武門派と対峙する文官派筆頭家門の長なのに、ラウルへの感謝を示していた。
(これで、少しは武門派と文官派の対立がなくなっていくといいのだけれど……)
その背を見送りながら、エリシアは武門派の筆頭夫人としての考えを浮かべる。
(あら、だけど)
ふと気がつく。
(物語の中では、ラウルにエリシアを殺されたお父様が、武門派への憎しみを滾らせていたわよね?)
物語の筋とは、だいぶ状況が違ってしまったが、大丈夫なのだろうか。
物語では、それが王家の策略だったと気がついた父が、やがて、エリシアが死んだ恨みをすべて王家へと向ける筋書きだったが――。
「レオディネロ公爵夫人様」
「あ、はい」
その声に我に返る。
「どうぞ、陛下の元へご案内いたします」
いつの間にか、ひとりの男性が後ろへと来ていた。その声に、そちらへと体を向ける。
「今日はいつもの謁見室ではないのですか?」
「はい。エリシア様のことがお気にかかり、今回はくだけた場所でお話ししたいということです」
侍女とお供の方たちは、決まりにしたがい、この少し横のホールでお待ちくださいと言いながら、案内の者は礼をしている。
国を守る武門とはいえ、その力は王家にとっては諸刃の剣だ。
だから、決まりにしたがって、ロラと護衛の者たちにはそこで待っいてもらうと、エリシアは案内のあとについて歩き出した。
だけど、なぜだろう。
案内が進んでいくのは、王がふだん休憩をする時に使う茶話室でも、散歩の時によく歩く庭への道でもない。
(この方向は――)
昔、何度も歩いた見覚えのある通路に、心臓がドンドンと嫌な音を立て始める。
白いアーチ型の天井。壁にかけられた絵。過去に見たことのあるものが増えていく。
そして、通路の幾つかの扉をくぐり、現れた王太子宮のホールに、ドクンと心臓の鼓動が大きく鳴った。
その瞬間、口を開く。
「待ってください、こちらは王太子宮のはず。私は陛下に呼ばれてきたのですが」
フェルナン王太子になど、会いたくもない。たとえ王がいるのがここだとしても、どうしてそこへエリシアを案内するのか――。
そう思いながら尋ねると、案内の者は困ったように頭を下げた。
「申し訳ありません。私は、ただそう言って案内するようにと命じられただけでして――」
「命じられた? 誰に?」
嫌な予感を抱きながら口にすれば、王太子宮のホールの先にある白い扉が開く。
「それは、僕が命じたからだ。久し振りだな、エリシア」
見れば、白い扉のほうには儀礼以外では、金輪際会いたくなかった姿があるではないか!
(嵌められた……!)
現れたフェルナン王子とレヒーナの姿に、エリシアは愕然とした。




