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第29話 王宮へ

 合同訓練から数日後。


 春の穏やかな日差しを浴びながら、エリシアは出かける用意を整えていた。


「今日は出かけるのか?」


 もう元帥服に着替えたラウルが、準備をしているエリシアの後ろから声をかけてくる。


「ええ、陛下からのお呼び出しがあったの。結婚後のことをご心配されているみたいで――」


 国王からすれば、息子の不始末で義理の娘になると思っていた令嬢を、突然敵対派閥に嫁がせたのだ。しかも武門派に王家の威信を示す機会として利用までしたのだから、多少は罪悪感があるのかもしれない。


 エリシアが、鏡の前で纏った武門らしい紺色の動きやすいドレスの様子を確かめていると、ラウルが心配そうに近寄ってきた。


「用事があるのは、王の宮殿だけだな?」


「ええ」


「それなら、今日は俺も王宮での仕事がある。終わったら、向こうで合流しよう」


 そうすれば帰りは一緒に戻れると言いながら、右腕でエリシアの体を抱き寄せてくれた。


 ぽすんと、紺色のドレスを纏った体が、ラウルの胸に倒れ込む。


「わわっ!」


 背中に触れてくる逞しい胸には、ドキドキとしてしまう。


 あれからラウルとはいろいろと話し、別れていた寝室もひとつにすることになった。


『本当に、かまわないのか?』


 それを尋ねてくる意味は明白だ。それでも、赤くなりながら頷いた。


『ええ、だって私は、これからはあなたの妻として生きていきたいと願っているのですもの』


 そう言えば、ラウルの顔も赤くなってくる。


『わかった。早く改装を進めるように言うから――』


 元々、この館で、レオディネロ公爵夫妻の部屋はきちんと別にあったらしい。


 ただ、あまりにも急な結婚話で、前公爵夫妻の持ち物が残ったままになっており、慌てて整頓して改装しようにも時間がなさすぎたのだ。そのため、取り敢えず近くの公爵夫人個人の部屋だけが、急いで調えられたそうなのだが――。


「夫婦の部屋が、今日には完成するらしい」


 その言葉に、ドキンとしてしまう。


「壁紙は、エリシアが好きだと言っていた花と鳥の模様にした。絨毯は温かな煉瓦色の予定だ。帰ってくる頃には、きっと新しい内装も完成しているだろう」


 それは、これからエリシアとラウルが夫婦として過ごしていく部屋だ。


 だから、できるだけラウルの気持ちが穏やかになるような色彩を選んだ。


 軍の仕事で、疲れて帰ってきても、そこでエリシアと過ごして、少しでも心が癒やされていくように。


 これからふたりで過ごしていく部屋が、間もなく完成すると聞くと、やはりドキドキとしてくる。


「そうなのね、帰ってくるのが楽しみだわ」


「ああ、戻ったら、一緒に入ってみよう」


 そう言いながら、そっとエリシアの頭を抱き寄せてくれる。


 優しいその手つきに、それだけでエリシアの心に幸せが広がっていく。


 ラウルの手を感じながら、はにかんでいるエリシアの様子に、周りも微笑ましく感じたのだろう。


 いつもきびきびとした動きのメイドたちも、今日は見守る眼差しが、どことなく柔らかだ。


 その中で、ラウルの手に包まれたまま、エリシアはそっとその胸に寄り添った。


「わかったわ。では、私は先に行って、陛下にお礼を伝えておくわね」


「お礼?」


 その言葉は、どうやら意外だったらしい。きょとんとしたラウルの表情に、ふふっと腕の中から笑いかける。


「ええ、だって私を、あなたと結婚させてくれたのですもの――」


 あのままフェルナン王子と結婚することになっていても、きっと違う場面で、自分は利用されているだけだと気がついただろう。


 政略と王家の威信のためとはいえ、国王がエリシアの押しつけ先として誠実なラウルを選んでくれたのは、今となっては感謝ばかりだ。


 たとえ本のストーリーに沿ってだからだとしても――と思いながら伝えると、今度はラウルの顔が真っ赤になった。


「あ、ああ、そうだな。俺も君と出会えてよかった。人への見方が広がったし、肩書きや過去よりも、ありのままの姿を見ることが大切なのだと気づかせてくれたから――」


 お互いに、この結婚がよりよい方向に作用したのだ。


「それに、俺も元帥としてではなく、まっすぐにぶつかってきてくれる君が嬉しい。だから、俺もその件については、陛下に挨拶をしておこう。君との縁を結んでくれたのだから――」


「そうね。では、あなたも行くことを陛下に伝えておくわ」


 そう微笑むと、ラウルがそっと頬にキスをしてくれた。


「唇は、帰ってくるまでは我慢をしておく」


 そうでないと、自制がきかなくなりそうだからなという言葉は、あまりにも突然すぎて不意打ちだ。


「わわっ!」


 思わず赤くなると、抱き締めていた手を離された。


「では、また王宮で会おう」


 そう言って、マントをはためかせて歩いていく姿は、あんなことを言ってはいても、まさに元帥閣下そのものだ。


 威厳のある黒い軍服がよく似う。後ろ姿を見ているだけでも、惚れ惚れとしてしまうような凜々しさだ。


「もう、本当に奇襲がうまいのだから」


 そう先ほどのことを呟きながらも、幸せで笑みがこぼれてくる。こんなところは、これからもかなわないような気がする。でも、なんて甘くて、幸せでたまらない気持ちなのだろうか――。


 赤くなっている頬を必死に鎮めながら、側で待っていたロラから帽子を受け取ると、玄関へと足を進めた。


「ご無事でのご帰還をお祈りしております!」


 ぴしっと黒手袋の手を額に揃えたメイドたちが見送りをしてくれる。その姿に、エリシアは同じように敬礼をして「留守を任せます」と挨拶をすると、馬車へと乗り込んだ。


 エリシアとロラを乗せて、馬車はカラカラと王宮へ向かって進んでいく。


 結婚式の日にも通った道を、今度は逆に向かって進んでいく。しかし、反対なのは道だけではない。


(まさか、ラウルとこんなにも幸せになれるなんて!)


 あの結婚式のあとでは、予想もできないことだった。形式だけの結婚と言われて、冷えた夫婦関係になるかもしれないと覚悟していたのに――。


「エリシア様、今日はとてもお美しいです」


 以前とは違い、服装も武門の衣装を意識しているからだろう。体に沿ったラインで作られたドレスのエリシアを見て、ロラが嬉しそうに微笑んでいる。


「ありがとう。私もこのデザインの服が、最近気に入ってきたの」


 これからは、実家で身に纏っていた服とは別れて、このドレスで生きていく。纏うものの覚悟ひとつで、ここまで人生が変わっていくとは。


(いいえ、それはきっと、私がそれを選んだからだわ)


 自分でラウルを愛すると決めた。それが、すべてを拒否して破滅する運命から、エリシアの未来を変えたのだ。


(あら、でも)


 そう微笑んだが、頭の中では、ふと別の考えがよぎる。


(このまま進めば、悪妻エリシアの破滅ルートからは逃げられるはずだけれど……。その場合、この物語はどうなるのかしら?)


 ――ラウルは、エリシアを殺さなくてはならなかったことで抱いた王家への恨みを、まだ持ってはいないはず――。


 それだと、今後は物語の展開が変わるのかしらと思いながら、エリシアは馬車に揺られ続けた。


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