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第28話 武門派の認め

 その二日後、エリシアは武門の訓練場にいた。


「元帥閣下が奥方様と……」


 ざわり、とそこに集まった若い騎士たちの姿が揺れる。


「では、この間の夜会で一緒だったという話は本当だったのか」


「あれ、でもあの夜会ではマルティナ様のことで、元帥閣下とアギレラ将軍が揉めたんだよな? それなら、どっちが……」


「だが、元帥閣下は、ご気分が悪くなられた奥方様を気遣って、急いで館に戻られたらしいぞ?」


「それに、マルティナ様は以前からサウロと親しいし……」


 どうやら、あの日の夜会のことが噂になっているようだ。ただ、あの日のラウルは、エリシアを絶えず妻として扱っていた。そのため、アギレラ将軍と決闘をしかけたという噂との間で、どちらにラウルの心があるのか測りかねているようだ。


「この国の若き騎士たちよ」


 その様子を見ながら、ラウルが元帥席から声を張り上げた。


「今日は久々の上級将官との合同訓練だ。その技を教えてもらうつもりで、遠慮なくかかっていけ」


「はいっ!」


 訓練場の中に響いた声に、騎士たちが声を揃えて返事をする。


 その様子を見て、ラウルが隣の席に座るエリシアへと顔を向けた。


「本当に、この訓練を開けば、アギレラ将軍の心を変えられるのか?」


 見れば、参加する将官として立っているアギレラ将軍は、身につけている鎧の上からでも筋骨隆々とした姿だ。その逞しさは、歴戦の猛者であることを感じさせる。


 その姿を眺めながら、エリシアは明るく微笑んだ。


「ええ、きっと。この訓練が必要なのよ」


 本の中では、アギレラ将軍と若い騎士たちがこの訓練に参加したと、一行だけ出てきた。


 主人公であるラウルは、本の中のこの訓練では特にエピソードがなかったから、本来ならば書く必要もないことだったはずだ。


 それなのに、本にはこのイベントが書かれ、そのあとマルティナの結婚が正式に決まった。


 だとしたら、きっとこれはこの場面では直接書かれていなかっただけで、マルティナの結婚には必要なイベントだったのだろう。


「では、それぞれの騎士たちは、自分が教えを乞いたい将官に希望する手合わせの方法を伝えるように!」


 下にいる進行役が、将官と若い騎士たちを見ながら声を張り上げている。


「はいっ!」


 それに、サウロが勢いよく手を挙げた。


「私は、アギレラ将軍に体術戦での手合わせを願いたいと思います!」


 突然の立候補に、周りがざわりと揺れた。


「体術戦……?」


「サウロと、アギレラ将軍が?」


 周りの声が驚いているのは、逞しいアギレラ将軍とどちらかといえば細身のサウロとでは、始める前からその結果が明らかだからだろう。


「ふん、小童が! まだ俺に食い下がってくる気か!」 


 面白い、今度こそ捻り倒してやるとアギレラ将軍が、サウロに顔を向けていく。


 その姿に、エリシアは昨日のことを思い出していた。


『将官との合同訓練では、その力量の差から、ひとつだけハンデをもらうことが認められるでしょう?』


『よくご存知ですね。嫁がれたばかりなのに、まさかもうそこまで武門派のことを勉強されていたとは』


 サウロのみならず、ラウルやマルティナまでもが驚いた顔をしている。だが、まさか本の別のシーンで知っていたとは言えない。


『あー……、嫁いでくる前に、少しだけ勉強をしたのよ』


 苦しい言い訳だ。けれど、どうやら信じてもらえたようだ。


『そうなのですね。文官派の方は、あまり武門派に興味をお示しにならないので……。正直に申せば、エリシア様が武門派に関心を持ってくださって嬉しいです』


 同じ文官派の血を引くエリシアが、政略結婚で嫁いできた武門派で頑張ろうとしている姿を感じたのだろう。サウロが柔らかく微笑んだ。


(あー……、この顔を見れば、なぜマルティナが好きになったのかがわかったわ)


 武門派の猛々しさとは違う、穏やかな笑みだ。きっと育てた彼の母親も、よくこういうふうに笑っていたのだろう。


 その柔らかな印象と、武門派で一生懸命に頑張っている姿に、マルティナは惹かれたのに違いない。


 しかし、アギレラ将軍が娘の婿に求めているのは、武官としての雄々しさだろう。だとしたら、それをサウロがアギレラ将軍に示すしかない。


『だから、明日の合同訓練では、これをハンデとしてお願いしてほしいの』


 そう言って、エリシアは彼にひとつの作戦を授けたのだが――。


「うまくいくかしら?」


 意識を訓練場に戻し、並んでいくふたりの姿を見つめる。そのエリシアの様子に、側にいるラウルも同じように見つめた。


「案としては、悪くないと思った。なにしろ相手は、剣でも弓でも、体術や戦略でも優れたアギレラ将軍だ。サウロが敵う可能性があるとすれば、正直それだけだろう」


「そうよね。ほかのでは、あまりにも力量が違いすぎるし――」


 アギレラ将軍に、サウロをマルティナの婿として認めさせる方法があるとすれば、おそらくこれだけだ。


 その方法を、サウロは進み出たアギレラ将軍の正面に立ちながら、大きな声で叫んだ。


「いただけるハンデとして、時間無制限でお願いいたします! 勝敗は互いにまいったと言うまで!」


「面白い、どちらかが根負けするまでやるつもりか!」


 ならば、その根性を試してやると鎧を脱いだ将軍が、「始め」と叫ぶ進行役の言葉とともに猛然とサウルに掴みかかってきた。


 がしっと両腕で、サウロも迎え撃つ。しかし、力量の差は明らかだ。腕を組み合わせている間に、足を蹴られ、あっという間にサウロは地面に転がされてしまう。


「なんだ、口ほどにもない!」


 やはりマルティナの婿には認められないなと、転がったサウロの姿を見て、アギレラ将軍は豪快に笑っている。だが、その前ですぐにサウロは立ち上がった。


「まだまだ!」


 そう叫ぶと、猛然と掴みかかっていく。


 なにしろ、体術戦だから、直接武器で戦うわけではない。防御と寝技さえきちんとできれば、致命傷を負うのは避けられる。


 そうなると、戦いは必然的に長時間となっていく。


 さらに、どちらかが「まいった」と負けを宣言するまでなので、尚更今回の手合わせは長丁場が確定だ。


 エリシアとラウルの目の前で、サウロは自分よりも戦い慣れているアギレラ将軍に、幾度も拳を浴びせられ、隙を見つけては地面へと転がされていく。


 それでも、さすがは大尉だ。基礎的な護身術はしっかりと身につけているおかげで、気を失ったり、致命傷になったりするような傷は負うことがない。アギレラ将軍の猛攻も、両腕と体術でかすり傷ですむように躱している。


 そのうち、アギレラ将軍の動きが少しだけ鈍ってきた。


 拳の勢いが衰えたわけではない。ただ、体の向きを変える動きに、少しだけ俊敏さが欠けてきたのだ。


「今だな」


 そうラウルが呟いた時、サウロもそれを感じたのだろう。


 一瞬の体当たりで、その体を倒した。咄嗟に、アギレラ将軍が、頭が衝撃を受けるのを防ぐために、地面へと左肘をつく。その瞬間、体の左側が完全に無防備になった。


 そこへサウロが右手を伸ばし、がら空きになった片側から首へと添える。


「戦場ならば、致命傷ですね」


 首に手を置きながらのサウロの言葉に、くっとアギレラ将軍の顔が歪んだ。


「もっとも、戦場ならば、ここまでに私のほうが何度も死んでいますが――」


「若造が。歳をとっていなければ、ここでお前如きに不覚をとることなどないものを――」


「そうですね。ですが、歳は誰でも取るのです」


 そのサウロの言葉に、ますますアギレラ将軍は悔しげに顔を歪めていく。


 だが、自分の体力がもう若い時のように無尽蔵にはないと痛感したのだろう。実際、無制限ではない、技の数で競う体術戦ならば、間違いなくアギレラ将軍の勝利だっただろう。


 しかし、もう昔と同じ自分の体ではないと悟った将軍が、悔しそうに目の前のサウロを見つめている。


 その姿に、エリシアは声をかけた。


「アギレラ将軍」


「元帥夫人様――」


 まさか、ここで自分に声をかけられるとは思ってもいなかったのか。驚いたように、アギレラ将軍が目を見張っている。


 その姿に、エリシアは元帥席の隣から声をかけた。


「アギレラ将軍。私とそこにいるサウロは、共に文官派の血を持ちながら、この武門派の中で生きていきたいと願っております。そこで、どうかあなたのお力を貸してはいただけないでしょうか」


「それは――」


「私たちは、たしかに若く、将軍から見れば、武門の者としてはまだまだでしょう。ですが、学ぶ時間はあるはずです。だから、将軍には、どうかその手助けをしていただきたいのです」


 敢えて、マルティナのことは出さず、武門派として認めてもらえないかと切り出してみる。


 すると、将軍は悩むように眉を寄せた。


 文官派出身の者を、武門派として認める。それは、彼のこれまでの生き方では、ありえなかったことなのだろう。


 その眉を寄せている姿に、ラウルが声をかけた。


「アギレラ将軍。将軍は、俺が幼い頃立派な武人となるように教えてくれた」


 だからと、緑の瞳で見つめる。


「今度は、その力を俺の妻に貸してほしい。そして、将軍のもつ力を、その青年にも分け与え、血統だけではないより強固な武門派の絆を作っていこうではないか」


 そう太陽に照らされながら話すラウルの姿は、まさにこの本の主人公だ。


 荒くれ者の多い武門派を束ね、やがてこの国すらも統率していく物語の主人公の姿に違いない。


「ふ……元帥閣下と奥方様からの申し出ならば、お断りすることはできませんな。儂は、この武門派を誰よりも大切に思っております。その武門派の未来のために尽くせというのならば、将軍としては受けるしかありません」


 それは即ち、エリシアを認め、そしてサウロを今後は将軍の弟子として扱うということだ。


「あ、ありがとうございます!」


 ガバッとサウロがその場で身を伏せた。


「だが、マルティナとのことは別だからな! 時間無制限ではない試合で、最低二本は儂から技を取れるようになるまでは認めないからな!」


「はいっ! 頑張ります!」


 サウロが、顔中に笑みを浮かべている。きっと彼にすれば、初めて武門派としてきちんと認められたのが嬉しいのだろう。


 それでも、今まで彼が武術を頑張ってきたことは、アギレラ将軍の攻撃のすべてに手痛い傷を負わなかったことで示されている。


 きっと、誰にも認められなくても、ずっと鍛錬を続けていたのだろう。


「父上、ありがとうございます!」


 マルティナも嬉しそうに声を張り上げている。


「よかったわ……」


「ああ、どうにかアギレラ将軍も彼を認めてくれたらしい」


「それは、きっとアギレラ将軍が今回の手合わせで、自らの老いを悟って、自分を一度でも追いつめたサウロに新しい武門派への未来を感じてくれたからだと思うわ」


「それは、君のおかげだ」


 君が考えて、この訓練を開くように言ってくれたから、すべてがうまくいったとラウルが優しく微笑みながら見つめてくれる。


 きっとこれで、みんなが幸せになれる。そう思いながら、エリシアもラウルを見つめて微笑み返した。




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