第27話 みんなの幸せのために
翌日、朝陽が顔を出して、食事の時間が終わった頃。慌ただしくマルティナが、レオディネロ公爵邸を訪ねてきた。
「エリシア様! 昨夜は申し訳ありませんでした!」
そう言って、床に身を投げ出したマルティナの顔は泣き崩れている。
「私が元帥閣下に、父との仲裁をお願いしたために、あんな騒ぎになってしまって……!」
床に両手をつきながら謝っているマルティナは、昨日の騒動を心から申し訳なく思っているようだ。
「私からもお詫びいたします。私に苛立った将軍を止めるために、レオディネロ元帥閣下のお力をお借りしてしまい、元帥夫人様には本当に申し訳ありませんでした」
見れば、帽子を手に取って軍隊式の謝罪をしているのは、二十代半ばの男性だ。落ち着いた黒褐色の髪を持ち、栗色の目を半ば伏せながら、ホールに出てきたエリシアとラウルに丁寧に身を屈めている。
「あなたは――」
「申し遅れました。私は中央第三部隊で大尉をしておりますサウロ・オルティスと申します。私のせいで、元帥夫人様には、大変なご迷惑をおかけしてしまいました」
「いいえ、私のせいなのです。私が幼馴染みの気安さで、結婚を反対している父について元帥閣下に相談をしていたから……。昨日も私のパートナーとして来た、彼の姿を見て怒った父を止めるために、つい元帥閣下に頼ってしまって――」
どうやら、話の内容とあの後ラウルから聞いた言葉をあわせて考えると、昨日の夜会では、マルティナがサウロをパートナーとして連れてきたらしい。当然周りからも、そういう仲なのかと見られている姿をアギレラ将軍が目撃し、「彼との仲は許さないと言っただろうが!」と怒り出す事態になったようだ。
よく見れば、側にいる彼は、たしかに昨日マルティナの側にいた男性のうちのひとりだ。
「その場にいた兄にも止めてくれと頼んだのですが、兄だけでは父を止めることができなくて……。そのままあの場で、父とサウロが決闘になりそうだったので、慌てて公爵様に止めてもらうように頼んだのです」
(それは、また……。いくら娘がかわいいからって……)
さすがに、アギレラ将軍も血気盛んすぎるだろうと思ってしまう。だが、エリシアのような場合はともかく、世間一般の父親は娘が結婚相手を連れてくれば、自分の元から取られていくような気持ちになるのだろうか。
(そういえば、恋愛結婚の場合は、父親を納得させるのが一番難しいと聞くわよね……)
ラウルのように幼馴染みで、父親にとっても気心のしれていた相手ならばともかく――。
突然現れた、しかも武門内でも身分の低い敵派閥の血を引いた者が、娘の恋人だと言われれば、泥棒猫を見ているような気持ちになるのかもしれない。将軍としても、父親としても、絶対にその仲を阻止したい気分だったろう。
だからこそ、マルティナは昔から父親をよく知っていて、今では上司にあたるラウルに、説得してくれと相談していたのだろうが――。
思わず、うーんと考えこんでしまう。
(それは、ラウルにしてみれば、なんて哀れな時間だったのかしら――)
まさか、想像していたようなマルティナとの甘い雰囲気ではなく、相談の間中、ただひたすら失恋の傷口に塩を塗りまくられていたとは――。
さすがにかわいそうになってくる。
(それは、ラウルも詳しくは口にしたくないわけだわ……)
思い出しただけでも、気分が落ち込んだだろう。自分が心の中でいつか結婚するだろうと思っていた相手が、恋人とふたりがかりで相談してきて、そういう対象としては見られてはいなかったと痛感させられていたのだから。
「ということは、この間のマルティナの家に行った時も、ふたりで相談していたの?」
「はい。あの日も、元帥閣下は私たちの相談に乗って、夜明けまで父を説得してくださっていたのです」
それでも聞き入れられず、諦められないマルティナが、強引に父親の反対を押し切って昨日の夜会にサウロと一緒に行ったために、それを見たアギレラ将軍の怒りが爆発したらしい――。
おかげで、もう少しで、サウロと流血沙汰の決闘になる寸前だったそうだ。
(それを止めるために、マルティナがラウルを呼びに来て、結果的に説得を聞き入れないアギレラ将軍に、ラウルのほうが怒り、あの喧嘩沙汰になったみたいだけれど……)
失恋した相手のために、その結婚の説得を頼まれて決闘寸前にまでなった。そう聞けば、物語ならば、切ない展開だ。
本にはそのシーンはなかったが、そういえば結婚相手と実家との関係で、マルティナがラウルに相談していた描写は少しあったような気がする。
(当時は、ラウルの置かれた立場に、なんて切ない初恋……と、胸を高鳴らせたけれど……)
今は、聞けば聞くほど、ラウルが不憫になってくる。
ちらりと横にいるラウルを見つめた。
「だから、相談に乗っていただけだ」
しかし、今のラウルはなにも感じていないのか、エリシアをジッと見つめている。
その眼差しに、心が温かくなった。
――エリシアを見つめてくれている。
マルティナではなく、側にいる自分を。ただ、それだけなのに、どうしてそれがこんなにも嬉しいのか。
だから、明るく微笑んだ。
「ええ、わかっているわ」
浮気はしないと誓ってくれた。もう捨てられる心配はないだろう。
だから、自分も安心してラウルを信じればいいのだ。
穏やかに微笑んだエリシアの姿にホッとしたのだろう。
「今回のことは、俺から周囲に誤解しないように伝えておく」
「私も、みんなにこのことはきちんと説明しておきます」
――エリシアの立場が、誤解されたりしないように。
ふたりのその言葉に、エリシアは嬉しげに微笑んだ。
「でもね、肝心のアギレラ将軍をなんとかしなければ、マルティナの結婚問題はこれからも続くのよね……」
ラウルの気持ちを疑ってはいない。だが、これが本のストーリーどおりの展開ならば、なにか解決方法があるはずだ。
マルティナは、結局この時現れた相手と結婚した。
(それならば――)
「ああ、俺もこのふたりのことは、なんとかしてやりたいのだが……」
呟いたラウルの言葉に、少しの間考える。
そういえば、本の中では、このあたりで戦い専門だったアギレラ将軍が、なぜか後進の指導を始める描写があったはずだ。
双頭であるイサギレ将軍の行動に、てっきり合わせたものだと思っていたが、もし同じくらいの歳であるアギレラ将軍の心の中で、ここでなにか変化が起こったのだとしたら――。
「アギレラ将軍は、武勇も戦術も優れた戦士だったわよね?」
「ああ、今でも彼に並ぶのはイサギレ将軍だけだ」
(だとしたら――)
将軍の心に変化が起こった理由として、思い当たるのはひとつしかない。たしか本の中では、一行だけだが、この辺でイベントがあったはずだ。ひょっとしたら、その中に書かれていないアギレラ将軍の変化の理由があったのかもしれない。
「そうね、だとしたら、この方法ならば、なんとかできるかもしれないわ」
「うん?」
意外そうにラウルが見つめてくる。その顔に、エリシアは明るく笑いかけた。
「折角、ラウルが相談に乗っていたのですもの。私たちでマルティナの恋を成就させてあげましょうよ」
マルティナが、本通りに結婚できるように――。
そうすれば、自分たちから破滅はさらに遠ざかり、幸せがここにいる全員に訪れてくるはずだ。
だから、そう笑うエリシアの顔を、ラウルは不思議そうに見つめた。




