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第25話 本の展開

 突然の知らせに、驚いてエリシアたちはホールから飛び出す。


(どうして、ラウルがアギレラ将軍と?)


 なぜ――という思いが湧き出てくる。


 たしか、ラウルは先ほど、マルティナからアギレラ将軍の揉め事の仲裁を頼まれて行ったはずだ。それなのに、どうしてそういう事態になっているのか。


 庭に駆け出して人が集まっているほうに近付くと、そこでは木の幹にもたれながらアギレラ将軍が蹲っているではないか。暗くてよく見えないが、微かに頬が赤くなっているようなところからすると、おそらく拳で殴り合ったのだろう。ラウルのほうにも、少しだけ服に土埃かついている。


「いいか! これ以上、マルティナの思いに異議を唱えるのなら、俺が代わりに決闘相手になってやる!」


「くっ……」


 殴られた勢いで、木の幹に体があたったのか。アギレラ将軍は、背中を木につけながらも悔しそうにラウルを見つめている。


 周囲には、多くの若い武門派の貴族たちとマルティナの姿も見える。友人か兄弟なのだろうか。ふたりの男性が、その側についているようだ。


「いったい、なにが――」


 どうして、ラウルがマルティナのために決闘しようとしているのか。


 目の前の光景の意味がわからなくて、足下がふらついた時だった。


「ほう、これはまた――」


 面白そうなフェルナン王子の声が、エリシアの立っているすぐ後ろで響く。


「まさか、妻を連れてきた夜会で、ほかの女のために決闘しようとしているとは」


「しかも、娘の恋に父親が反対しているからって――。それは、やっぱりアギレラ将軍の反対している娘の思い人が、レオディネロ公爵閣下ということなのかしら?」


 続けて響いたレヒーナの声に、思わず体がびくっとした。


 その様子に、レヒーナが後ろの暗闇の中から、そっとエリシアの肩に白い手を伸ばしてくる。


「わかるわ、ショックよね。よりにもよって、妻の前で、ほかの女性との仲を続けるために、決闘までその父親に宣言されたのですもの。でも、私たちはいつでもエリシアの味方だから――」


(ふたりの仲を続けたいから、反対している父親に決闘を申し込んだ――)


 ――まさかという思いと、やはりという思いが駆け巡る。


「ショックを受けたのね。体が震えているわ。でも、今見たことは現実だから受け入れないと――」


 私たちが、あなたを支えてあげるからと、甘美な声を響かせながら、後ろからレヒーナが白い腕をエリシアの両肩へと添えてくる。


 思わずその手を振り払った。


 そして、今見た光景を忘れたいかのように、必死で門へと向かって走り出す。


 途中で、こちらに向かってくるイサギレ将軍夫妻とすれ違った。


「申し訳ありません。少し気分が悪くなって――お先に失礼させていただきます」


 震える手で敬礼をしながら言うと、顎が震えているのに気づかれたのだろう。


「大丈夫ですか? なんなら、少し奥で休んでいかれても」


「いえ……、これ以上のご迷惑をおかけするわけにはまいりませんので。後日、改めて本日のお礼に伺います」


 そうエリシアが言うと、フェルナン王子とレヒーナの登場で夫妻もなにかを察したのだろう。


「わかりました。すぐに馬車をお呼びいたします」


 来てからふたりがずっとエリシアに絡んでいた姿を見ていたからか。イサギレ将軍夫人は、すぐにメイドに馬車を呼びに行かせると、乗るところまでエリシアを送ってくれた。


「元帥閣下には、すぐにお伝えしておきます。こちらの招待者の不手際で、不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした」


「いいえ――王子とレヒーナの行いこそが、常識から外れたものですから」


 将軍夫妻のせいではございません、と告げて馬車に乗ると、人目がなくなるのと同時に、一気に心の枷が外れてしまった。


「どうして……!」


 走り出した馬車の窓の外で、将軍家の館が遠くなっていくのとともに、我慢していた涙がこぼれてくる。


「――やっぱり、マルティナなの……?」


 わかっている。マルティナは本のストーリーの中でも、ずっとラウルにとって忘れられなかった女性だった。


 悪妻エリシアとの結婚のために、初恋を絶たれ、ほかの人のところに嫁ぐのを見守るしかなかった相手。どんなにラウルが活躍しようとも、その心の傷は消えず、折にふれては思い出していた。


 本を読んでいた時は、その切なさに心を打たれたが、今目の前で見ると、なんてエリシアにとっては残酷な関係だったのか――。


(たしかに、ラウルは、ずっとマルティナのことを思い出していたわ)


 初恋を諦めきれないからだと思っていた。しかし、それがもしエリシアと結婚してからも、違う形で関係が続いていたのだったとしたら。


 こちらの世界では、てっきりラウルはマルティナに振られたのだと思っていたが、もしもそうではなかったのだとしたら。


「もし、ふたりの間が続いているのだったら……どうしよう……」


 本の中で、あれだけ好きだったのだ。それならば、どれだけエリシアが頑張っても、ラウルの心に自分が入る余地はない。


 実際に、今、ふたりの披露目の席だと思っていた夜会で、ラウルはマルティナの恋心を守るために、その父親と決闘することさえ厭わない姿勢を見せていたではないか。


「どうしても、マルティナが好きなの……?」


 やっと少しずつでも、ラウルに近付いていると思っていたのに――。


 結局は、エリシアの独り相撲だったのか。


 ガラガラと馬車は涙をこぼすエリシアを乗せて走り続ける。やっと公爵邸に着いた時には、もう泣きすぎて、瞼が赤く腫れてしまっていた。


「奥様……」


 時間よりも早い帰宅に、敬礼したアルバが心配そうに声をかけてくる。


「ごめんなさい、ちょっと嫌な客と会ってね。これ以上話したくはなかったから、先に戻ってきたの」


 ひょっとしたら、身勝手な妻だと思われるだろうか。


 しかし、今はそんなことも考えられないほど疲れていた。


 もし、今まで頑張ってきたのがすべて無駄だったとしたら――。


 そして、やはりラウルに捨てられる運命なのだとしたら。


「疲れたから、少し部屋で休んでいるわ」


 もう枯れ果ててしまった涙の奥からは、どうすればいいのかという考えすら浮かんではこない。ただ、本当に、言葉のとおり疲れてしまっていた。


 だから、人払いをして、部屋に戻り休もうと階段をのぼっていく。


 そして、かちゃっと部屋の扉を開けた時、後ろから急に階段を駆け上ってくる音が聞こえた。


「エリシア!」


(え!? どうして、ラウルがもう帰ってくるの!?)


 ――まさか、馬を借りて追いかけてきたのだろうか。


 突然現れたラウルの姿に、エリシアは驚いて、思わず部屋の中へと飛び込んでしまった。



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