17.ネコ?
ーー今日は疲れた。
たった数時間ほどの買い物だったはずなのに。エラは精も根も尽き果てていた。
幸いだったのは、帰りに門を通る時にはアリアに会わなかったことだ。彼女が王城に入る口実にしていたダニエルがいないのだと分かり、追い返されたのだろう。
エラは王城の中、第一騎士団の基地に向かって歩いていた。
ーーというかギル様の部屋の掃除も残ってるんだった。
それを思い出すと、余計にげんなりする。いっそギルの部屋にあるものは全て捨ててしまおうかと思ってしまう。それにこれから昼食の準備をしなければならない。
やる事ばかりだ。
「みゅい」
ふと聞き慣れない鳴き声が聞こえた。動物っぽい声だが、何の動物かは分からない。どこから聞こえてきたのか分からず、足を止めてよくよく耳を澄ませてみた。
「みゅ〜きゅるるる」
今度はどのあたりから聞こえたか分かった。エラは声のする方へと足を向けた。見落とさないよう、ゆっくりと、足元を確認していく。
カサカサという物音がして、エラはそこをじっと見つめた。
するとひょっこりと小さな生き物が顔を出した。いやそもそも生き物なのかも怪しい。耳の辺りから白い綿のような物が出ているし、糸がほつれているところもある。
一見ネコのように見えるが、ネコと断言できない。
「あれ?ネコ?」
しゃがみ込んで、ネコに手を振ってみる。するとネコは警戒して後ずさった。
しかし見れば見るほどボロボロだ。
「怪我?」
血が出ているわけではないが、ヨタヨタと歩いている様子は怪我しているように見える。
「おいで。なおしてあげる」
そう言って微笑んで見せると、警戒しながらもネコは歩み寄って来てくれた。
そしてエラの手の匂いを嗅いで、一瞬ぶわっと毛を逆立てたが、すぐに落ち着き、頬擦りしてきた。懐いてくれる様子に、エラはきゅんと胸を高鳴らせた。ネコの可愛い仕草で今日の疲れが全て吹っ飛んでいく。
「可愛い〜!」
汚れているが、ふわふわもふもふのネコが可愛くて仕方ない。エラはすっかりネコに夢中になっていた。優しくネコを抱き上げて、満面の笑みで基地へと向かう。その足取りはとても軽かった。
ーーギル様には申し訳ないけど。掃除はやっぱり明日しよう!ネコの方が大事!
今はネコの方が大事だ。ギルには我慢してもらうしかないだろう。
エラは基地に戻ると、濡れたタオルで軽くネコを拭いてあげた。目に見える汚れをとって優しくふわふわのタオルに包んだ。ネコも満足そうに鳴き声を上げた。エラは優しくネコの頭を撫でた。
「お腹減ってるでしょ?ご飯作るから待っててね」
「みゅう」
そう言うとネコが相槌を打ったかのように鳴いた。それが微笑ましくてエラはクスクスと笑いながら厨房へと入って行った。
ーーん?そもそもあれって本当にネコ?猫のご飯をあげていいのよね?
ふとあの生物がネコで良いのか頭を捻った。なんせ綿のような物が出ているのだ。あれこそ魔法のかかった何かではないだろうか。
そんなことを考えつつエラは黙々とご飯を作った。白身魚を潰してすり身にした簡単なものだ。何事もものは試しだ。エラは猫のご飯を与えてみることにした。
「ほらご飯だよ」
ネコはふんふんとご飯の匂いを嗅ぎ、ぺろりと舐めた。警戒されているのだろう。エラは緊張した気持ちでネコを見守った。
舐めた後、ネコはゆっくりと少しずつご飯を食べ始めた。その様子を見て、エラはぱあっと表情を明るくした。
「よかった。これできっと元気になるね」
次はお風呂の準備をしよう。軽く拭いただけだからまだちょっと埃っぽいのだ。その後は怪我らしいところをなおして。
そう考えると楽しくてしょうがない。
「ここでしばらく預かってもいいか、レオン団長に相談してみないとね」
そんなことを話しかけながら、優しくネコの頭を撫でた。ふわふわもふもふで気持ちが良い。エラはついつい頬が緩んでしまった。ネコはよほどお腹が減っていたのか黙々とご飯を食べている。
そんな至福の時間に、水を指すようにギルが戻って来た。
「姉御ぉー」
「あ。ギル様」
まだ昼前だというのに戻ってきたギルにエラは驚いた。そして思わず時計を見た。しかし時間はまだ昼食には早い。
ーーよかった。まだ昼食の時間には早いわ。
エラはほっと胸を撫で下ろした。
「どうしたんですか?」
「いや姉御こそ。探したんだよぉ」
ギルはどこか疲れた表情をしていた。掃除は昼からと言っていたのに、何か用事があったのだろうか。エラは首を傾げた。
「すみません。ちょっと外に出てて」
ギルはそれを聞いて今度は悲しそうな表情を見せた。
「出たのぉ?」
「ええ。食材、やっぱり足りなくて」
ギルはがっくりと肩を落とした。何か悲しくなることをしてしまったのだろうかとエラは頭を悩ませた。
ギルとしてはエラのために掃除を頼んでいたのに、まさかその思惑が外れてしまうとは。
ーーあーあ。まあ、姉御元気だし。ダニエルとアリア嬢には合わなかったんだろうなー。
残念ながらギルの予想は外れていた。会わせたくなかったダニエルとアリアに、エラはばっちり遭遇している。
ギルはため息をついて、下を向いた。
「え。何あれ?」
下を向いた時、ギルは足元で黙々とご飯を食べているネコを見つけた。ギルは目をパチクリさせてじっとネコを見つめている。
エラもネコを見て、少し首を捻った。
「多分ネコです」
「え?ネコ?」
「さっき見つけたんです」
ご飯を食べ終わったネコは顔を上げた。そして丸い瞳でギルを見上げた。口の周りにご飯が付いているのが愛嬌があって可愛い。
『なわけないじゃろうが。ギル』
しかし、そのネコの声はおじいちゃんのようにしゃがれていた。
「へ?!」
エラはあまりの驚きに素っ頓狂な声を上げた。けれど、ギルは予想していたようで複雑な表情を見せた。
「あ。やっぱり?」
ギルとこのネコは知り合いらしい。けれどそれ以上にエラは驚きで言葉が出てこない。
ーーネコが、喋った?
いや、正確には頭に響くような声だ。この感覚にエラは身に覚えがあった。
『娘よ、助かった。そなたのご飯で力が少し戻った』
「い、いえ」
礼儀正しいネコに、エラは動揺が隠せない。無理もない。ネコだと思っていたら喋り出したのだから。
しかも頭に響くような話しかけ方。
それはまさに。
ーーえ?え??
いやだがそんなわけがない。エラはまとまらない頭でただギルとネコを交互に見つめた。
「あははー。姉御どうしたらこうなるわけ?」
「え?」
「このネコみたいなの、ミリウス様じゃーん」
やはり。
「えぇ!?」
あまりの衝撃にエラは気を失いかけた。




