16.女癖の悪い騎士
ーー最悪だわ。
エラはアリアからようやく逃れ、町にやって来た。しかし気分は最悪だ。まだ心に澱が残っていて、吐き気がする。
とにかく早く買い物して帰らなければ。
帰ったらギルのゴミ溜め部屋の片付けが待っているのだ。
それを考えるとまた気分が悪くなった。
けれど、エラは不幸はまだ終わらなかった。
朝が早くて人がまだまばらな道の中に、見覚えのある姿を見つけてしまった。
「あれは」
金髪碧眼の美しい騎士が女性を連れて歩いている。その後ろ姿に、エラは目眩を覚えた。
ーーダニエル様じゃない。
それは数ヶ月前までエラの婚約者であったダニエルだった。アリアと本当の愛を見つけたはずのダニエルは今、アリアよりも大人っぽい色気のある女性と歩いている。
「やだわダニエル様ったらぁ」
甘えた喋り方はどこかアリアに似ている。着ているドレスをみると、どこぞのご令嬢に見える。
エラは見なかったことにして、早くこの場から逃げたかった。しかし、残念なことにエラはダニエル達と向かう方向が一緒だった。
なるべく気にしないように、気付かれないようにひっそりと息を潜めた。そしてゆったりと歩くダニエル達に追いつかないよう注意しながら歩いていく。
ーー今日はツイてないわ。
早く帰りたいと思えば思うほど、邪魔が入ってしまう。
そして、聞きたくないのにどうしてもダニエル達の会話が耳に入ってきてしまった。
「最近新しい婚約をされたのではなくて?」
「ああ。仮面夫婦になるための、だよ」
ーー聞こえない、聞こえない。
本当の愛は、やはり婚約破棄するための口実だったようだ。だがもうエラには関係ない。
「まあ前の婚約者より可愛いから、それなりに楽しめそうだけどね」
「悪いお人」
「そんな悪い人と付き合う君も同じだろう」
「そうかもね」
そうして人目も憚らず、熱いキスを交わした。エラはぎょっとしてその場に立ち尽くしてしまった。まさか元婚約者のそんな姿を見ることになるなんて思いもしなかった。
恋愛経験乏しいエラには刺激が強すぎたのだった。
「最近来れなかったのはその新しい婚約者のせい?」
しかも女性の方もアリアの存在を知っていてそういうお付き合いをしているようだ。
エラは遠い目をした。
ーー貴族社会って、すごいのね。
領地にいたら知らなかったこと、知らなくて良かったことを知ってしまった。そういうのがあるというのは噂で聞いていたが、まさか元婚約者もそうだったとは。
エラは婚約破棄して正解だったと心から思った。
「ん?いや。ちょっと仕事がね」
「仕事?」
「近衛騎士団なのに聖獣様の世話もしなくてはいけなかったんだよ。大変だったよ。聖獣様に婚約者を紹介しろ、て言われてさ。わざわざ彼女の家まで行って紹介したよ」
エラはドキッとした。
聖獣の事は守秘事項だ。
それを近衛騎士団であるダニエルは気にもせず話している。ただの家政婦であるエラにだってそれがまずいことだと分かる。
あまりに考えなしのダニエルの言動に、エラは血の気が引いていく。
「あらあら。大変なのね」
「ま。婚約者は新しいドレスでもやっておけばそれで機嫌がなおるんだから簡単だよ」
「まだまだ子どもなのね」
「だから俺は満足できなくてね」
「じゃあ今から大人の遊びをしましょう?」
そうしてダニエルと女性は道角を曲がり、薄暗い路地へと消えて行った。
ーーなんて物を見てしまったのだろう。
きっとこの先にはエラが知らなくていい場所があるのだろう。
殿下と運命の出会いを果たしたらしいアリア。
仮面夫婦になるつもりのダニエル。
ーー何だかんだでお似合いなのかも。
そんな二人のために働かされていることを除けば、これ以上ないお似合い夫婦だと祝福しただろう。
ーー私何で働いてるんだろう、て思っちゃうのに。でも二人が婚約破棄しちゃったら、て考えると、それは嫌だって思う。
アリアと離れられて、第一騎士団の皆とも出会えた。幸せを知ってしまったエラはもう戻る事はできない。
ーーアリアにとっては不幸な結婚のはずなのに、それを望むなんて、私、悪い子だわ。
我慢するのが当然だったエラだが、どんなに悪い子になっても、これだけは譲れないと気付いたのだった。




