15.襲来
「お久しぶりですわ、お姉様」
「アリア、どうしてここに?領地にいるんじゃなかったの?」
「ふふ。お姉様ったら。今は社交シーズンでしょう?私、ダニエル様と舞踏会で婚約の挨拶をして回っていますのよ。日中はダニエル様がお仕事なのだけど、私、寂しくって、つい荷物を届けるって言って来ちゃったの」
出ていこうとするエラと逆に、アリアは王城の中に入ろうとしていたらしい。
アリアとしては可愛い婚約者の我が儘のつもりなのだろうが、それでは王城には入れてもらえないだろう。ここはあくまで王族の家であり、国を支える人々が働く職場なのだ。決してダニエルの私邸などではない。
門番も対応に困っているだろう。
「そうなのね」
しかしエラにはもう関係ない事だ。深く詮索をせず相槌を打つだけに留めた。
「ねえお姉様。ちょっとお話いたしませんこと?」
「え」
「なかなか私の入城が通りませんの。だから暇を持て余していたところですの」
エラはアリアの相手をするほど暇ではない。むしろこの上なく急いでいる。
「さあ、座ってくださいませ」
「え、ええ」
しかしアリアに逆らうことが出来ず、促されるまま座った。
「エラ嬢。許可が降りましたよ」
その時、門番が声をかけてくれた。エラはほっと胸を撫で下ろし、笑顔をこぼした。
「ありがとうございます。今行きます」
門番についていこうと腰を上げたその時。
「あら。私の許可は降りまして?」
「いえ。アリア様はまだです」
「もう!いつまで待てばよろしいのかしら。お姉様、お話しいたしましょうよ」
アリアからそう言われてしまい、エラは表情を暗くして腰を下ろした。エラの様子に、門番も何も言えず、席を外した。
「エラ嬢、終わりましたらいつでも声をかけてください」
「ありがとうございます」
門番の憐れむような視線をエラに送った。
「そう言えば私、殿下に謁見しましたのよ。もう殿下ってば本当に美しい方で、素晴らしかったですわ!」
「よかったわね」
ダニエルと本当の愛を見つけたと言っていたアリアだが、殿下のことを話す姿はまるで恋する乙女のようだった。
そんなアリアに、エラは胸騒ぎを感じた。
「この前王家主催の舞踏会がありましたでしょう?私、そこでたくさん殿下とお話しできましたの!本当夢見心地でしたわ」
アリアの話にエラは首を傾げた。婚約者であるはずのダニエルはどこにいったのだろうか。
「アリア幸せそうね」
エラはアリアを刺激しないような言葉を選んだ。それに満足したのかアリアは満面の笑みを浮かべた。
「ええ!私、殿下とお会いして確信しましたわ」
「え?何を?」
「私と殿下は愛し合ってるんだって」
「え?」
アリアの言っている事が分からない。何故そんな突拍子もない考えになるのだろう。
「だあってそうでしょう?あの殿下が伯爵令嬢を相手にすると思う?きっと私に運命を感じたのよ!」
あまりの言い分に、エラは慌てて周囲を見渡した。こんな妄想話を他の人に聞かれたら大変だ。婚約したばかりの令嬢が殿下に恋したなんて。殿下もそんな不誠実なことはするまい。
アリアの妙な思い込みだとエラは確信していた。
むしろ、アリアが殿下に無理やり話しかけて行く姿が目に浮かぶ。
「あ、アリア?貴方、ダニエル様と婚約したのよね」
「ええ。そうよ」
さすがのエラも黙っているわけにはいかなかった。
「そんな事を言っては、ダニエル様はいい気分ではないのではないかしら」
このままではアリアのためにもならない。エラは勇気を振り絞ってそう注意した。
しかしアリアは一瞬にして笑顔を消した。
「え?お姉様のくせに私のことにケチをつけるの?」
不機嫌を隠そうともせず、エラに噛み付くように睨みつけた。不機嫌なアリアを見て、エラは慌てて首を横に振った。
「そ、そうじゃないわ。あのね、アリア」
「自分がダニエル様に捨てられたからって、私に口出ししないでくれる?」
エラの言葉はアリアには届かない。エラが何か言おうとしても、アリアが口を挟んで話させてもらえない。
確かにエラは婚約破棄された。
そして元婚約者は妹を選んだ。
アリアからすれば、エラは捨てられた側であり、負け組なのだろう。そんな自分より劣っている人間の意見なんて聞きたくないと言わんばかりの態度である。
しかしエラはアリアがダニエルと結婚するための持参金を稼ぐためにここに働きに来ている。なのに今更「これは本当の愛じゃなかったです。間違えてました」なんて言われたらエラは何のためにここに来たのか分からない。
ーーでも、うちの家計が苦しくなかったら、私はみんなとは出会えてなかったんだ。
そう思うと、嫌なことばかりではない。
むしろ、今アリアとダニエルが婚約破棄したら、またあの家に戻ることになる。
そう考えると、エラは複雑な気持ちになった。
しかし、今のアリアには何を言っても通じない。
それは長年一緒に暮らしてきたからこそわかる。
「ごめんなさい」
ここはエラが謝るしかないのだ。だがアリアはそれでも不満なようで、腕を組んでツンとそっぽ向いた。
「家でもいらない子だったお姉様に声をかけてあげたし、ドレスのお下がりだってたくさんあげたのに!」
「……ごめんなさい」
嗚呼、気分が沈んでいく。
アリアの言葉が、重い鎖のようにエラに絡まって、優しく縛り付けていく。
「お姉様ってば昔からそう。もう少し身の程をわきまえてくださいませ」
「そうね」
ずっしりとした重みがエラの体を蝕んでいく。いつでも解けそうなほど緩い鎖なのに全身に巻き付いて取れそうにない。
そうだ。
アリアから怒られるといつもこの感覚に陥る。
縛り付けられて、自分では解けない。足元はまるでヘドロのような泥に捕らえられて、気持ち悪いのに動けない。
でもこちらが折れればすぐに解放されるのだ。
それの繰り返し。
「アリアの言う通りだわ」
エラの言葉に満足したのか、アリアはぱっと笑顔を見せた。
こうしていつもアリアのことを肯定する。どんなに間違っていてもあの鎖がある限り、アリアを止めることは出来ない。そこまでわかっているのに、どうすればいいのか方法が分からない。
エラはそれが歯痒かった。
「私、こんなんじゃお姉様が心配だわ。だってお姉様には私がいなくっちゃ。そうだわ!私がダニエル様と結婚したら、私の侍女になるのはどうかしら!」
「え」
「それがいいわ!ね?そうでしょう?」
キラキラした目で問いかけてくるアリアが、ひどく邪悪に見えた。
ーー嫌だ。
アリア中心だった世界からようやく離れられた。今の第一騎士団はみんな助け合っていて、エラのことも助けてくれる。
エラのことを受け入れてくれている。
あの暖かな空間を知ってしまったら、もうアリアのそばにはいられない。
ーー私はここがいい。
アリアのために追いやられたはずのこの第一騎士団は、エラにとってはなくてはならない大切な場所になっていた。
だがエラが断れば、またあの鎖がエラに絡みつく。
震える手をぎゅっと握りしめて、エラは立ち上がった。
「ご、ごめんなさい。アリア。私、お仕事があるから」
そして逃げるようにアリアのそばを離れた。アリアは少し不服そうだったが、エラの着ている服を見て、クスリと笑った。
「あらそう。大変ね」
煌びやかなドレスを見に纏う自分と比べて、エラは侍女のような質素なドレスを着ている。それが、アリアの優越感を満たしたようだった。
なんとか逃してもらえたエラは、足早に外へと向かった。
早く。早く。
少しでも早くアリアから遠くへ。
ーー逃げよう。早く、あの子から。
どろどろとした気持ちが自分を覆い尽くす前に。
9.15 誤字脱字報告、ありがとうございます。修正いたしました。色々と指摘していただき、本当にありがとうございます。
また、数ある作品の中からこの作品を読んでいただき、本当にありがとうございます。ブクマやいいね、評価が増えるたびにがんばろう!と思っています。
読んでくださる方には感謝ばかりです。
ありがとうございます!




