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14.不運の始まり


 あれから数日。

 エラは変わらずのんびりと仕事をしていた。もちろん、聖獣の仕事はさせてもらえていない。ノエル曰く「まだ匂う」とのことだったので、当分の間は出来そうにない。

 しかし、それ以上に女子顔負けの美しさを持つノエルから「匂う」と言われてしまうと、酷く傷付く。


「姉御ドンマーイ」

「傷心の姉御のためにオレのマッチョを見せてやろう」

「いりません」


他の騎士達もエラに気を遣ってくれていた。その心遣いは嬉しいが、どうも馬鹿にされているようにも聴こえて、あまり嬉しくはない。


「姉御ぉ」

「どうしました?ギル様」


いつものように朝食を終え、片付けをしていると、ギルから声をかけられた。


「姉御に掃除お願いしたいんだけどぉ」

「え?また?」

「うん」

「明日でもいいですか?今日は買い物に行かなきゃ」

「えー……明日はもぉっと凄い事になってるかもぉ」


エラはぎょっとした。前にギルの部屋を掃除した時は酷い目にあったのだ。その時の悪夢を再び繰り返すのかと思うと、そうなる前に掃除してしまいたい。

 エラはチラリと野菜置き場に目をやった。じゃがいもに人参、玉ねぎと、まだ野菜にストックはある。

 ここは優先順位を変えて、掃除をするべきだとエラは判断した。


「わかりました」

「やったぁ!」


ギルは無邪気な笑顔を見せた。そんな笑顔を見せられたらエラも何も言えない。


ーーもしかしたら、気を紛らしてくれようとしてるのかしら。


子どものような振る舞いをするギルだが、結構人を観察している。核心をつかれることも多く、油断ならない相手なのだ。

 エラが聖獣から受け入れてもらえないのを気にしていると心配してくれているのかもしれない。そう考えると、エラは心が少し温かくなるのだった。


 しかし、残念なことにギルの思惑は、少し違っていた。

 エラがギルの部屋を掃除するとなると、基地内から出る事はない。

 ギルは何食わぬ顔で食堂でコーヒーを飲むレオンの横に座った。


「ギル。ダニエルはまだこの辺りを彷徨いているのか?」

「そぉなんですよぉ」

「全く。何をしたいのやら」

「どうもですねぇ、新しい婚約者さんの我儘っぽいんですよ」

「何?」


レオンは眉間に皺を寄せた。そうなるのも無理はない。なんせアリアの評判はすこぶる悪い。

 新しくダニエルの婚約者となったことで、アリアは数日前に王宮にやって来た。ダニエルが公爵子息という事もあり、アリアの紹介にやって来たのだ。その時のアリアの態度があまりにも酷く、王宮ではアリアとの婚約を認めないという話まで出ているほどだった。


「いやぁまさか婚約者の前で殿下に色目を使うとは思いませんでしたねぇ」


王家に婚約の報告に来た二人だったが、何とアリアが殿下に心を奪われてしまったのだ。ダニエルそっちのけで殿下を見つめる姿に、その場の全員が言葉もない状況だった。


「そうか。ギルはその後の王家主催の舞踏会の警護は外れていたな。あれもなかなか凄かった」

「え。マジっすか。もうあれ以上は想像出来ないのにぃ」

「ダニエルを放って殿下にアプローチかけていた。あそこまで慌てた殿下もなかなか見れないと思うぞ」


王家主催の舞踏会にダニエルとアリアは二人で出席していた。そうして縁のある貴族達に挨拶をして回るのが普通である。

 しかし、アリアは挨拶回りをするどころか、殿下を見つけると他のことなどお構い無しにアプローチをかけ始めたのだ。アプローチされる殿下も公爵子息の婚約者という事で無下にも出来ず、紳士的な対応をしていた。

 しかし、それがいけなかった。

 何を勘違いしたのか、アリアは殿下が自分に気があると思い込んでしまい、アプローチはますます過激になっていったのだ。


「ダニエルは何してんですかねぇ」

「ダニエルはダニエルで女性に声をかけていた」

「最悪」


アリアの失態を放置するダニエルも、次第に評判が落ちていたのだ。もともと見た目が良く女性受けするので、女性との噂は絶えなかった。しかしそれはエラという地味な婚約者のせいだと言いふらしていたのだ。そのエラとようやく婚約破棄して新しく可愛らしい婚約者を迎えたというのに、ダニエルの女癖は一向に治る気配がない。しかも婚約者アリアを制御出来てもいない。

 ダニエルにも公爵家の跡取りとしてふさわしくないという意見が出始めていたのだ。


「まさかダニエルの野郎、エラとより戻すつもりじゃないっすよね?」

「それはさせない」


ダニエルが公爵家を継いで、それでいて女遊びが続けられるよう、再び都合の良いエラと婚約しようとしているのは許せない。

 レオンは腹立たしい気持ちを必死にうちに抑えて、拳を握りしめた。


「絶対にダニエルとエラを会わせるな」

「りょー解」


こんなの悪あがきかもしれない。

 けれどもダニエルとエラを会わせたくはない。そう思って、ギルはエラに自室の掃除をお願いしたのだ。


 一方、そんな事など全く知らないエラは朝食の片付けを終えて、今晩のメニューを考えていた。


ーーまずい。やっぱり足りないわ。


じゃがいも、にんじん、玉ねぎはある。しかし、それしかない。肉体労働の騎士達にはこれだけではとても足りない。


「やっぱり行かなきゃ」


今はまだ朝食が終わったばかりだ。今から急いで行けばすぐに戻って来れる。


ーー朝市はもう終わってると思うけど、貴族街なら開いてるお店もあるし、すぐ戻ってくれば支障はないはず。


エラは身支度を整えてバタバタしながら、ギルの配慮も虚しく基地を飛び出したのだった。


 しかし、それはエラの不運な一日の始まりにすぎなかった。


 王城内にある基地を出て貴族街に行くには、必ず門を通らなければならない。来たばかりの頃は敷居が高く緊張していたが、今はそうでも無い。なんせ王宮からは離れているので貴族とすれ違う事はほとんど無いのだ。門番も騎士団の一員なので、第一騎士団の名前を出すと気さくに通してくれる。


 だからエラは油断していた。


 その日も門番に事情を話し、門を開いてもらおうとしていた。


「あら、お姉様」


聞き覚えのある声に、ひゅっと喉が鳴る。いくら貴族とすれ違うことがないと言ってもここは王城。社交シーズンには多くの貴族たちが通る場所なのだ。

 エラに代わり、ダニエル公爵子息の婚約者となったアリアに会う可能性だってあるのだ。


「アリア……」


以前と変わらずにこやかに話しかけてくる妹に、エラはかすかに声が震えた。




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