12.聖獣
翌日。
エラは緊張しまくっていた。
見て明らかな様子に、レオンは声をかけずにはおれなかった。
「やけに緊張してるな」
「そりゃあそうですよ。聖獣様ですよ!国民の憧れですもん」
国主催の祭典の時に、たまに姿を見せるくらいで貴族を含めた国民のほとんどが目にした事がない存在だ。国王同様に雲の上の存在なのだ。
ただの伯爵令嬢が緊張しないわけがない。
手足は震え、硬くなっている。
何度も深呼吸して気持ちを整えるが、もうすぐ聖獣に会うのかと思うと、なかなか心が落ち着かない。
聖獣の部屋は、王城の別棟、第一騎士団基地の近くにあった。華美な装飾等一切ない神殿のような見た目をした白い建物であった。
「じゃあ行くか」
「はい」
ぎゅっと拳を握りしめて、レオンの後に続いて、一歩踏み出した。
「失礼します」
レオンが大きな扉を開けると、宝物庫にでも入ったかのような眩い光が漏れ、思わず目を窄める。
『あらやっだ!珍しいぃ!レオンちゃんが掃除当番?何年ぶりかしらあぁ!うれぴ〜!』
光で前がよく見えないが、テンションの高いハスキーボイスが聞こえてきた。耳で聞く、というよりも直接頭に響いてくるような感覚だ。
『よお、レオン坊。貴様が掃除当番とは久しいな』
今度は落ち着きのある老紳士のような声だ。
ようやく光にも慣れて来て、ゆっくりと目を開けてみると、そこには巨大な鷲とイルカがいた。
部屋中を伝う大樹の枝にとまっている大鷲は、人が二、三人は乗れそうな大きさだ。じっと見定めるかのような視線がエラに向けられる。
『何だ。新人か』
『なぁんだ。そういうことなのね』
そして白イルカは大きな水槽の中を悠々自適に泳いでいる。白くて神秘的な雰囲気があるものの、話し方が明るいのでとても親しみを持ちやすい印象だ。しかしこちらもかなり大きい。
「はい、そうです。今日は新しいメンバーの紹介を兼ねて来ました」
レオンに目で促されて、エラは一歩前に出た。
「はじめまして。エラ=エバンスといいます。よろしくお願いします」
『私はフィン。海洋の帝王・白海豚のフィンよ』
『我が名はグリフ。天空の覇王・大鷲のグリフだ』
そう言って頭を深々と下げた。
二匹とも黙ったまま、エラを観察してくる。その視線が何とも居た堪れない。巨大なので目の前にいると威圧感が凄い。
ただでさえ動物がしゃべっていることに驚いているのに、威圧感まであると余計に緊張してしまう。
おどおどするエラに構うことなく、二匹とも黙ったままじっと見つめてくる。
その視線はどことなく険しい。
エラは息が詰まる思いでその視線に耐えていた。
『エラ嬢。そなたから魔法の気配がする』
グリフは険しい表情のままそう告げた。その言葉に、エラは体が強張ってしまう。
ーーそう言えば、ノエル様からもそう言われた。
けれどエラには覚えがない。生まれてこの方魔法というものを見たこともない。「魔法の気配がする」と言われても困る。
『ほぉんと!物凄い黒い魔法の気配じゃーん!』
水飛沫を上げてフィンが水槽から身を乗り出してきた。
『ええ?何で無事なのぉ?』
フィンは遠慮なく尾鰭で水面を叩いてくる。その度に水飛沫がエラとレオンに降りかかってくる。
ーーそれは聞かれても困るなあ。
エラは苦笑するしかなかった。
『レオン坊。もしや彼女はこの部屋の掃除をするのか?』
『え!マジぃ?』
グリフの問いかけにフィンは目を見開いた。
「そのつもりです」
レオンは頷いた。しかし、その答えにフィンとグリフは眉間に皺を寄せた。
『エラ嬢。すまないがそなたをこの部屋に入れる事はできぬ』
「え」
『あのねぇ、エラちゃん。貴方のその魔法は本当に禍々しくってね。私たち逆に気分悪くなりそうなのよ。むしろエラちゃんは何で平気なの?て感じ』
まさかそこまで酷いとは思わなかった。エラ自身、気分も悪くないしおかしなところなんてないと思っている。
なので平気かどうか聞かれても困惑してしまう。
すると、エラを庇うようにレオンが出てきた。
「エラは何も悪くありません」
その一言でグリフもフィンも黙って顔を見合わせた。
『気を悪くしたならすまない。だが我らは聖獣。禍々しいそなたの気配は我が身に毒なんだ』
「いえ。仕方ありません」
心当たりはないが、聖なる彼らには不相応な身なのだろう。エラは大人しく引き下がるしかないと感じた。
『やだやだ!レオンちゃんってばそういうこと!?ねえそういう事なの!?嗚呼!本当その魔法さえなければお話したいのに!!』
フィンはもどかしそうに水中をぐるぐると泳ぎ回っている。
だが何がそういう事なのか、エラには分からなかった。
「ノエルにでも頼んでみます」
レオンはため息をついた。その答えにフィンは喜び、またぐるぐると泳ぎ回るのだった。
「ひとまず今日はこれで失礼します」
『ああん!レオンちゃん行っちゃうのお?』
『今度は土産を持ってきてほしい。肉を所望するぞ』
『私、イワシ〜』
レオンはため息をつきつつ、「承知しました」と言った。そうして、エラはレオンと共に部屋を後にしたのだった。
まさか断られるとは思ってもいなかった。
エラが自覚している以上に、ショックだったらしい。
話しかけられるまで、ノエルの存在に気が付かなかった。
「お疲れ様でした、レオン団長。姉御」
「ノエルか」
「浮かない顔ですね。やはり聖獣様達は受け入れませんでしたか」
「予想していたのか」
「……なんとなく、ですけど。姉御の魔法の匂いに反応があるかなとは思っていました」
「そうか」
「では今日の掃除は私がやっておきますね」
「ああ。頼んだ」
ノエルはいつもと変わらない表情のまま、聖獣達の部屋へと入って行った。エラはそんなノエルを少し羨ましそうに見つめていたのだった。
「エラ」
「は、はい!」
「ごたごたしてしまってすまない。少し、説明しよう」
レオンは申し訳なさそうにそう言った。エラは素直に頷いたのだった。
◆◆◆
『ノエル坊。彼女は魔女の手先等ではなかろうな?』
『そうよぉ。騎士のみんなって恋愛経験少ないからコロッといっちゃった可能性もあるわ』
ノエルが部屋に入ってくると、グリフもフィンも不安そうに問いかけてきた。
確かに二匹が不安になるほど、エラの魔法の気配は強い。ノエルは魔力が強くない。そんなノエルでさえ感じ取れるほどなのだ。
「本当に違いますよ。しばらく様子を見ていましたが、第一騎士団の皆から好かれています。魅了とは違います」
ノエルは自信を持って言い切った。これは決して贔屓目で言っているわけではない。
ノエルは出会った時からエラをずっと監視していた。魔法の気配が分かるのは第一騎士団の中ではノエルだけだ。
少しでも不審な様子があればすぐに捕らえるつもひだった。
だがエラが作る料理も掃除も洗濯も、どこにも禍々しい魔法の気配はなかった。
むしろ丁寧な作業でご飯も美味しいし、掃除も洗濯も完璧だ。以前よりも居心地が良くなったほどである。
そうなると、残されるのはーー。
「おそらく、彼女の家族・妹のアリアか、ダニエルだと思われます」
ノエルはエバンス伯爵と会ったことがある。その時はエバンス伯爵から魔法の気配を感じたことが無かった。そしてエラは長らく使用人達からも見放されていたと聞く。エラの父親と使用人を除くと、エラと深く関わってきたのはアリアとダニエルしかいない。
『ダニエル……あのウォーカー家のせがれか』
ダニエル=ウォーカー。
ダニエル自身はどうしようもない女癖の悪さだが、彼の家は公爵という高位の身分だ。しかもウォーカー公爵家は、ノエル同様聖女の家系の末裔でもある。
「私の家でも調べてみます」
『頼んだ』
「なので、早めに姉御を受け入れてやってください」
そんなノエルの願いに、フィンとグリフは思わず目を合わせるのだった。




