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本日、2話めであります。
ここ数日の闘争の熱気が厚い雲を呼び寄せたのか、夜半から降り始めた雨は陽が昇ってからも、トラッシュの街並みを濡らしていた。街の上空にはどんよりとした雲が覆い被さり、朝方には少し雨足が衰えたとはいえ、霧雨状の雨がトラッシュの街を包みこんでいた。
そんな陽が昇ってまだ間がない頃、街の外壁門には数多くの荷馬車が並んでいた。
その荷馬車の列の傍らには、向き合う二つの人影があった。
「もう行くのか……何もこんな雨の日に」
そう言って声を掛けるのは、この外壁門の警備責任者であるマックことマクベイン。
「商隊の日程を、これ以上遅れさす訳にもいくまい」
答えを返したのは、物憂げな表情を浮かべるガウエン。その視線の先は、外壁門の傍にある詰所に向いている。この商隊を率いるハンスが、その詰所で街から離れる際の手続きを行っていたのである。
「しかし、あれだけの活躍をして、侯爵家の人たちを守り通したのだ。このまま街に残っていれば……」
「俺は護衛の仕事をこなしただけだ。後の事はもう関係ないさ。今からはもう、一介の護衛士が関わるような話でもないしな」
「そうかぁ、俺ならすぐにも護衛士は止めて、侯爵家に士官するけどなぁ。出世も思いのままだろうに……」
「窮屈な宮仕えなど、俺は御免だ。気楽な護衛士が性に合ってるよ」
「ふむ、生き方は人それぞれだが……まぁ、欲のない男だな」
ガウエンの気のない返事に、呆れたように肩を竦めるマクベインだった。
アルト村での闘争から、既に数日が過ぎていた。あの後、反侯爵の旗を掲げる貴族達の軍は、駆けつけた侯爵家の領軍と親侯爵家の貴族連合軍に散々に打ち破られ潰走していた。その後、アルベール侯爵はこのトラッシュに拠点を移すと、方々に密使を飛ばし、事件の収拾を図っていた。侯爵の激に応じた領主たちが続々と軍を率いて集まりだし、街の中は勿論、現在は街の周辺にも各地の領軍兵士が野営を張り、街の内外はかなりの賑わいに包まれていた。
そんな喧騒の最中、ガウエンが護衛する商隊は門前が混雑する前の朝早くに、ひっそりと出立しようとしていた。
「それにしても、ガウエン……殿が、あの十年前のガキ……いや、少年だったとはな」
その言葉に、ガウエンはようやく目の前に立つ男に目を向ける。僅かに歪めた口を開き、何か答えようとした時、馬に跨ったダンカンが二人の前に駆け込んできた。
嘶き棹立つ馬から飛び降りるダンカンが、いささか乱暴に思える調子でガウエンの胸ぐらを掴む。
「おい、ガウエン! 俺に黙って旅立つ積もりか!」
声を荒げるダンカンに、ガウエンが苦笑いを浮かべて応じる。
「湿っぽいのは苦手だからな」
「そりゃないだろう! それに……」
ダンカンがちらりとマクベインに目を向け、その後に大通りの北へと目を向ける。それは、侯爵家の屋敷がある方角。それに対してガウエンの片眉がピクリと動き、こちらもダンカンと同じくマクベインをちらりと眺める。
「なんだよお前ら……もしかして、俺が邪魔なのか」
余人に漏らしたくない話でもあるのかと察したマクベインが、大仰な様子で肩を竦める。
「ち、分かったよ、俺は詰所に行って、ハンス殿の様子でも見てくるさ」
その後マクベインは、胸ぐらを掴むダンカンや、ばつが悪そうに顔を背けるガウエンを眺め、
「おい、お前ら、ここで喧嘩して騒ぎなど起こすなよ。せっかくまた中央に戻れそうなのに、またお前らのお陰で降格人事とかごめんだからな」
そう言うと、豪快な笑い声を残し去っていく。
思わず顔を見合わすガウエンとダンカンの二人。お互いばつが悪そうに、目を逸らしていた。
「……それで、次はいつ帰って来るんだ」
マクベインに毒気を抜かれたダンカンが、胸ぐらから手を離しどこか寂しそうな表情を浮かべて尋ねた。
「さてな……次は……」
ダンカンの視線を避けるように瞼を閉じ、ガウエンは言いよどむ。
「もうここには帰って来ないつもりか?」
「……いや、いつかは」
「そうか……なら、こいつを受け取れ」
ようやく瞼を開けたガウエンの視線の先で、ダンカンが懐から小さな布に包まれた物を取り出した。
「ん、そいつは?」
布の中から現れたのは小さな短剣。だが、その柄頭には、しっかりと侯爵家の家紋が刻まれている。まだ自由に動けぬアルベール侯爵が、ガウエンに授けるためにダンカンに託した短剣だった。
「俺には必要のないものだな」
「おいおい、こいつの意味が分かってるのか」
「あぁ……だが、俺は侯爵家とは関係ない男。今回の事も、ただ依頼された仕事をこなしただけだ。それ以上の報酬は受け取る積もりもない」
ガウエンはそれ以上の言葉を拒絶するかのように、背を向け歩き去ろうとする。しかし、すぐにダンカンが腕を掴んで引き止めた。
「待てよ、ガウエン……いや、トマス。これがあれば、この先何か困った時にも……」
「断る。そいつは返してこいよ」
「まぁ、待てまて。こんな簡単な仕事が出来ないようなら、今後の俺の出世にも影響するだろう。だから、受け取れ!」
尚も拒絶しようとするガウエンに、ダンカンが無理やり押し付け握らせる。
「トマス、お前には貸しがあっただろう。それを、ここで返してもらおうか」
「ちっ!」
ダンカンの貸しとは、ダンブル邸での一件。そのことを思いだし、舌打ちと共に露骨に顔を歪めるガウエン。
「それと、もうひとつ……」
「なんだ、まだ何かあるのか。これ以上は本当に……」
そこでガウエンの言葉が途切れた。
何故なら、ダンカンが差し出したのは、赤い組紐に繋がる魔除けの鈴だったからだ。
今度はダンカンが顔を背け、言いにくそうに言葉を続ける。
「こいつはユラさまから……もう必要ないそうだ」
「……そうか」
ガウエンは鈴を握り締め、天を仰いだ。
「今度は兄として訪ねて来てくれと」
ダンカンの声が遠く虚ろに聞こえるガウエンだった。
おりしも、小雨だった雨足が大粒に変わり、ガウエンの全身をしっとりと濡らしていく。
同じ時刻、トラッシュの北区に有る領主館では。
バルコニーに佇むユラが、雨に濡れるのも構わず門のある方向を眺めていた。
生憎の雨模様に、都市の外縁部は見えない。それでも、一心に見つめるユラであった。
「ユラさま、風邪をひきますよ」
ユラが外にいる事に気付いた侍女が、慌てたように声をかけた。
振り返るユラの目には、侍女に抱かれた我が子の姿が映る。そこでようやくため息と共に、「そうね」と頷き部屋へ戻ろうとする。が、途中でもう一度、門の方向に目を向けた。
「……トマスにぃさま……」
ユラの口から吐息と共に呟きがもれた。
しかしその後は、もう振り返ることもなく部屋に戻ると、侍女から赤子を受け取り我が子をあやすユラだった。
トラッシュの街を離れる商隊の馬車群。
その最後尾に位置する荷馬車に、ガウエンの姿はあった。
「ちぇ、この雨は段々と酷くなってきやがる」
御者がぶつぶつと文句を言ってる横で、ガウエンは後方へと離れていくトラッシュの街を眺めていた。
その手の中には、ユラから返された魔除けの鈴が握られていた。
ちりん――
寂しげな鈴の音に誘われ、ガウエンは視線を手元へと向けた。
「そうか、ユラはもう……」
それは、兄トマス(ガウエン)からの訣別。幼い頃の約定そのものを反故にする事を意味したもの。もはや、トマス(ガウエン)の助けは借りず、別の者、アルベール侯爵が代わりをするのだと、その決意の顕れでもあったのだ。
奇しくも馬車が差し掛かるのは、十年前にも街を見下ろしていた丘の上。
そこから眺めるトラッシュの街並みは、降り注ぐ雨の勢いに煙り霞んで見えた。それはまるで、雨水の底へと沈むかのようだった。
――この街にはもう……。
そして、ガウエンの心の中にも、街の姿が深く深く染み込んでいくのであった。
そこへ、御者のしみじみとした声が届く。
「しかし、寂しくなりましたね。街に到着した頃は……」
御者の言葉が途切れる。途中で気付いたのだ。不用意な呟きだったと。街に着いたときにはいて、今はいない人物に話が及びそうな事に。
僅か二十日ほど前、同じ御者の左右にはガウエンとゴーグが座り、ゴーグが陽気な声をあげていたのだ。
「……そうだな」
寂しげに苦笑を浮かべ答えるガウエン。
瞳を泳がせ「申し訳ないです」と頭を下げる御者。が、その途中で、また嬉しそうに声をあげた。
「あっ、ガウエンの旦那ぁ! あれを見て下さいよ」
それは機転を利かした御者が、話題を変えようとしたのかも知れない。
だが、誘われるように前を眺めたガウエンの目に映ったのは、遠く離れた前方で雲の切れ目から差し込む陽の光。遥か彼方に見えるアントゥリ山脈の山肌に、鮮やかな虹が掛かっていたのである。
「ほう……」
ようやく、ガウエンの表情にも穏やかな笑みが広がった。
「旦那ぁ、こいつは幸先が良いや」
御者の声を聞きながら、
――あの山のどこかに、師はおられるのであろうか
剣の師ローエンの気難しそうな顔を思い浮かべ、無性に会いたくなるガウエンであった。
≪完≫
長い時間が掛かりましたが、ようやく完結にいたりました。
最後までお読み下さった読者の皆様に感謝であります。
また機会がありましたなら、その後のガウエンも書きたいと思っております。
その時はまた、よしなにお願い致します。




