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「もう夕刻も近い。こんな時間に出立するのか」


「あっ、はい。急ぎなもので」


 衛士隊の隊長らしき中年の男が、荷馬車に近付き話し掛けてきた。視線を空に向け陽の位置を確かめると、その表情には不審の色が浮かんでいる。それに応対する荷馬車の御者は、緊張した面持ちで答えていた。


 外壁門へと続く荷改めの行列の中、ガウエン達が乗る馬車の順番が回ってきていたのである。


 隊長らしき男が不審に思うのはもっともな事で、通常、商家の馬車などは朝早くに旅立つのが当たり前だからだ。実際今も、列に並んでいたのは、近在にある村々の農夫が殆どであった。村で育てた野菜や動物の毛皮や、畑仕事の合間に作った何らかの品々等を納めに、或いは売りに来ているのである。そしてこの時刻、朝早くから街に訪れていた、これら近在に住む者達が帰る時刻でもあったのだ

 そのような村人達の列の中に、商人の物と思われる荷馬車が一台紛れているのだ。はなはだ目立つ状況と、言わざる得ないだろう。

 しかし、確かに珍しい事では有るが、御者が言うように急ぎの馬車が出立する事はたまに見掛ける。だが今は、治安局の局長であるダンブルが昨日討たれ、局内では様々な話が飛び交い大混乱に陥っていた。だからこそ、外壁門周辺の警戒は厳重を極めていたのだ。

 衛兵達からは少しでも怪しいものは一切通さぬと、そんな物々しい雰囲気が漂い出している。


「ふむ……エゴ商会か……」


 隊長らしき男が、荷馬車上で風に吹かれてはためく、鑑札代わりのエゴ商会を示す旗を眺め呟く。だが、直ぐに荷台に険しい視線を向けた。


「今回はエゴ商会といえど、きっちりと荷を改めさせてもらおうか」


「あっ、いや、ちょっと……」


 御者の男は、途端に困惑した様子で落ち着きを失う。

 御者が慌てるのも仕方のないものであった。それもそのはず、後ろの幌付きの荷台にはこの厳重な警戒の原因となる、侯爵家の面々が隠れ潜んでいたのだから。

 この荷馬車もそうだが、御者の男もハンス率いる商隊から借り受けたもの。手広く商売をするエゴ商会の商隊の御者を長年に渡って務めるだけあって、この御者の男もそれなりに胆力に優れ、信のおける男ではあった。だが、いつもならエゴ商会の鑑札を見せると、なおざりに荷改めをすましていた衛兵達が、念入りに調べると言うのである。さすがにこの状況では、御者の男も緊張した様子は隠し切れず、少し上ずった声で対応をしてしまう。

 そんな御者の様子を見かねたガウエンが、横から声を掛けた。


「あぁ、荷馬車の荷改めは無用に願いたい」


「ん……お前は?」


「俺か、俺はこの荷馬車に雇われている護衛士だが」


 衛兵が胡散臭げにガウエンに目を向け、「ふんっ」と鼻を鳴らす。それは、いかにも関係無いものは引っ込んでいろと言いたげな態度であった。

 その様子に臆することもなく、ガウエンは言葉を続ける。


「後ろに載ってる荷は、王都に運ぶ物資だ。中には王家に納める品もある。荷改めをするには、それなりの覚悟が必要だと思うのだが、良いのか」


「な、なにっ……どういうことだ。そのような連絡は受けていないぞ」


 ガウエンの言葉に衛士達が、怪訝な様子で顔を曇らせる。すると、ガウエンが懐から一枚の書類を取り出し、衛士に差し出した。


「ほら、こいつがその通商手形だ」


 確かにその書類には荷受け先が王都に、そして、受け取り人には王宮となっている。だがそれは、王家の印も押され正式なものには見えるが、実際は偽造されたものだった。この偽の通商手形は、急遽ハンスが用意したものであったのだ。というのも、侯爵の消息が知れたのだが、それは同時に、手酷い傷を負い運ばれたとの情報を伴っていたのだ。だから、その知らせに接するやいなや、ユラやジェイク達は直ぐにも侯爵の元へ駆け付けようとした。それはトラッシュから脱出するために、強行突破も辞さぬ構えさえ見せた。

 それに慌てたのは、ガウエンとエゴ商会のハンスである。治安局の上層部が侯爵を裏切り、敵方についたかも知れないのだから。

 そこで焦ったハンスが大至急用意したのが、この偽の通商手形であった。僅か数刻の間に偽造手形を用意出来るとは、さすがは国内でも指折りの豪商。その力は、裏の世界にまで及ぶ事が窺える。

 いや、裏の世界にまで隠然たる勢力を持っているからこそ、王国内でも有数の豪商の地位を保持出来るのだろう。実際の所、ハンス自身も非合法すれすれの商いを何度も行っていたのだ。


 それと、ジェイク達、侯爵家の騎士はトラッシュの街近くにある森に、ここまで騎乗して来た軍馬を隠してるとの事。だから、ガウエン達はハンスから荷馬車一台と、この偽の通商手形を借り受け、都市からの脱出を図っていたのである。

 侯爵家の騎士達は、軍馬や御者と共に森に潜む二名を除いても、二十名近くの者がユラ達に付き従い都市内に潜入していたのだ。後ろの荷台にはユラとその侍女、それと騎士団長のジェイクと護衛の騎士二名が隠れ潜んでいた。残りの騎士達は、農夫に扮して荷馬車の前後を固め、列に並んでいたのである。

 これは側妃のユラや、アルベール侯爵の股肱の臣として名高いジェイクなどが、このトラッシュの街でも広く顔が知られてると思われての措置であった。

 有名になるのも、よりけりである。何かと便宜を図れる反面、今のような隠密行動には困難が伴ってしまう。


 後ろの荷台からは、物音ひとつ聴こえてこない。だが、ガウエンの剣士としての鋭敏な感覚が、荷台や周囲で農夫に扮する騎士達から漂う緊張感をひしひしと感じていた。

 そんな緊迫した最中、ガウエンは隊長の僅かな動きすら見逃さぬように、その動きを注視する。


「むぅ、これは本物だろうな……」


 ガウエンが差し出す書類を眺め、隊長が顔をしかめて唸り声を上げる。


「荷改めするのは構わんが、さっきも言ったように王家への品もある。中にはあまり他人には見せたく無いような物もあるようだ。それに、もし傷を付けようものなら、首が飛ぶ事になるかも知れんな」


 そこまで言うと、後ろめたいものは何も無いと言わんばかりに、ガウエンが好きにしろと後ろの荷台を指し示す。もっとも、ガウエンも内心ではかなり緊張し、何時でも剣を抜く心構えでいたが、そのような様子は毛筋けすじほども見せない。むしろ、周りの者達からは、余裕の態度のように見えただろう。

 剣士として、胆力を鍛えてきたガウエンである。さすがというほかない。

 ガウエンのはったりじみた態度に、隊長は荷台に目を向け更に唸り声を上げる。周りにいる衛兵達も、王家の名前を持ち出され、どこか及び腰になっていた。

 しかし――


「構わん! 荷を改めろ。責任は全て俺がとる」


 隊長が荷台に目を向けたまま、衛兵達に指示をだす。


「王家への品なのだが……良いのか」


「何かあった時は、俺が罪を被れば済むだけの話……」


 表情を強張らせているものの、この隊長も存外に胆の太い男であった。

 まあ、だからこそ、都市内への侵入口である、外壁門警備の責任者を任されているのであるが。


「何か重要な事件でも?」


「うむ、だから全てを荷改めし、怪しいものは……ん、お前には関係無い話だ。そこで、じっと黙って見ておれ」


 素知らぬふりして尋ねるガウエンに隊長は答えようとしていたが、途中で相手が護衛士だと気付き途端に不機嫌になる。

 そして、荷改めをするため他の衛兵達を引き連れ、荷台のある馬車の後ろに回って行く。実際、この隊長も、局長が襲われ亡くなったと聞いていただけで、詳しい話は何も知らされていなかった。ただ、怪しい物、人物等は一切通すなと、上から厳命を受けていただけであったのだ。


 ――不味いな。


 内心舌打ちする思いでガウエンは、そろりと剣の柄頭へ指先を這わせる。後ろの荷台で潜むユラや、ジェイクをはじめとする侯爵家の精鋭騎士達も、緊張に体を強張らせていた。


 ――もはや、強行突破するしかないか。


 覚悟を決めたガウエンが、辺りに目を走らせる。


 周囲では、不穏な空気を察したのか、外壁門近くに建つ詰め所から衛兵達が外に飛び出して来ると、移動式の馬防柵を門前に据え始める。しかもそれだけでなく、門上に建つ櫓からは多数の弓兵が、矢を番えて荷馬車へと狙いを定めていた。


 ――むぅっ、これは……。


 これには、さすがのガウエンも驚き、今度は逆に唸り声を上げる事となってしまった。


 俗に、末端の兵士の質を見ると、その地の領主の優劣が分かるいうが。この素早さや判断力、それに無駄の無い動き、どれをとっても一級品であった。ダンカン達もそうであったが、このトラッシュの街の衛兵達、とりわけ若い兵士達の練度が異様に高いのだ。

 この地を侯爵家が治め十数年。ようやく、アルベール侯爵の教育が街に浸透し、形となって現れ始めていた。兵士の練度の高さも、そのひとつであったのだ。

 だがそれが、皮肉な事に今はその練度の高さが仇となり、侯爵家の行動を阻もうとしていたのだ。


 ――厄介な事になった。


 後ろの荷台に隠れる、ユラ達が発見されるのも時間の問題。どうしたものかと、ガウエンは顔を曇らせる。


 幸いな事に、未だ門自体は閉じられていない。馬車止めの馬防柵が並べられているだけ。

 それも此方の危急を察した、農夫に扮して先に検問を潜り抜けた騎士達が、素知らぬ振りして近付いて行くのが見える。合図が有れば直ぐ様、馬防柵を排除するために動くだろう。それに合わせて、後ろに並ぶ騎士達も兵士を抑えるために走り出すに違いない。

 例え、この場で命を落とす事になろうと、ユラ達のためにその身を投げ出すだろう。それだけの士気の高さが騎士達には窺えるのだ。さすがは侯爵家生え抜きの騎士達。


 ――あの門を突破することさえ出来れば或いは……。


 そこまで考えを巡らせ、だがと、ガウエンは思ってしまう。


 精強な騎士達とはいえ、今は農夫に扮しているため、懐に隠した小剣があるのみ。使い慣れた剣も鎧も、今は荷馬車の中にある木箱に隠されていた。その上、人数も倍以上の差がある。

 そして何より、櫓の上から此方を狙う弓兵の存在が、もっとも厄介であったのだ。

 ガウエン達が動き出せば、たちまち雨あられと降り注ぐのが、容易に想像がつく。

 だから、ガウエン達も動くに動けないでいた。


 ――ちっ、遅い! このような時のために。


 ガウエンも、外壁門の周辺は警戒は厳重だろうと、想像していたのだ。

 そのため、もうひとつ手を打っていたのだが。


 ――遅い、あいつは何をしてる。遅すぎる。


 隊長が荷台の入り口の垂れ幕に手を掛け、捲り上げようとする。


 ――くっ、これ迄か。


 ガウエンが焦れたように後方に視線を巡らせ、剣の柄を握り締めた、まさにその時――


「おーい、待て、待てえぇ!」


 通りの後方より土煙を上げて、多数の騎乗した兵士達が駆けて来るのが見えた。

 隊長らしき中年の男や周囲に居た兵士達は「何事だ」と、呆けた様子で駆けてくる騎馬を眺め、農夫に姿を変えている侯爵家の騎士達は、追っ手の兵士かと緊張した様子で身構えていた。

 だが、ガウエンだけはほっと安堵の表情を見せる。


 ――ようやく来たか。


 後方より駆けてくるのは、追っ手の兵士などではなくガウエン達を手助けするべく現れた応援だったのだ。

 先頭にいるのは、ガウエンの幼馴染みのダンカン。その横に見えるのは、ダンブル邸の争いの時に居た中央区警備担当の中隊長カシムの姿だった。彼等の後ろに続くのは、その配下の若い兵士達だ。


 ガウエンが用意した、もうひとつの手がこれであった。ダンカンに頼み、治安局内でもどちらかといえば侯爵寄りの人物に協力を仰げないかというものだったのだ。もっとも、ガウエンもカシムを連れて来るとは思っていなかったのだが。


 たちまちガウエン達の前に騎馬を乗り入れたカシムが、荷馬車の前で馬から飛び降りた。


「マック、その馬車は許可がおりてる。それに、既に俺達が確認済みだ」


「ん、カシムか? 中央区担当のお前が何故?」


 どうやら、外壁門警備の責任者とカシムは顔見知りらしかった。しかし、マックと呼ばれた隊長も、この都市でも重要な門を任される責任者。知り合いとはいえ、突然現れたカシムに不審を覚えるのは当然だった。


「あぁ、構わん構わん、その馬車を通してやれ」


 だが、マックが顔をしかめるのも構わず、カシムは辺りの兵士達に勝手な指示を出す始末。

 門を護る衛兵達はどうしたものかと、お互いが顔を見合せ戸惑っていた。まさか、同じ治安局の兵士に矢を向ける訳にもいかず、櫓にいた弓兵達も弓を下ろしている。

 そんな最中、ダンカンはにやりと笑顔を見せると、御者台に飛び移りガウエンの横に滑り込み声を張り上げる。


「最近はこの辺りも何かと物騒だ。我ら治安局の有志が、領境まで護衛いたす!」


 ダンカンとカシムが連れて来た兵士は四十人程。その半数の兵士が、馬防柵を撤去するのに動き、残り兵士達は軍馬に跨がったまま馬車の周りを固めた。


「おい、ダンカン?」


 ガウエンが、横のダンカンにもの問いたげに目を向ける。ガウエンもまさか、これだけの人数を揃えて駆け付けるとは思っていなかったのだ。少し話を通してもらい、穏便に目立たぬように門を通過出来れば良いと思っていたのである。それが、この騒ぎだ。ガウエンの視線に非難の色が混じるのも、仕方のないものだったろう。


「あぁ、ちょうど、カシムのおっさんと出くわしちまってな。俺にも協力させろと捩じ込まれた」


 ダンカンもそんな積もりは無かったのだが、治安局内をこっそり窺っていると、カシムとばったり鉢合わせしてしまったのだ。そこで、逃げる間もなく詰め寄られたのである。

 カシム曰く、「俺は侯爵家の臣。何が有ろうと最後までアルベール様に付き従う」と強弁し、だから全てを話せと迫られたのだ。

 その言葉に促され、それに時間も無い事もあり、思いきって事件のあらましを打ち明ける事にしたのである。それがこの騒ぎに繋がったのだ。

 カシムは話を聞くと「俺にも協力させろ」と、直ぐ様手近の兵をかき集め、この場にダンカン達と共に駆け付けたのが事の経緯だった。


 ダンカンが、そんないきさつを話していると、その当のカシムが御者台に近寄って来る。


「ダンカン、後は頼むぞ」


「あっ、はい。では、カシム殿の方も、手筈通りよろしくお願いします」


「うむ、任せておけ」


 力強く頷いたカシムは今度は御者に視線を向け、「良し行け!」と言い放つ。

 その言葉に、御者が慌てて「はい」と返事して手綱を手繰り寄せ馬車を進めようとする。


「おい、カシム殿は一緒に来ないのか?」


「あぁ、カシムのおっさんには、まだ街に残って……」


 カシム一人街に残る事を疑問に思い、ガウエンが声を落としダンカンに尋ねていると……。


「待て待て! ここの責任者は俺だ。まだ、俺は許可を出していない!」


 それまで、訳が分からず呆然と事の成り行きを見守っていたマックが、ようやく我に返り、動き出す馬車の前に立ち塞がった。

 マックと呼ばれた隊長も、このまま黙って見過ごす訳にはいかない。配下の兵士がいる前での頭越しの命令。この場の責任者としての面子は勿論、何より突然現れたカシムも含めて、この荷馬車自体が怪しすぎるのだ。疑念を持つのは当然、さすがに看過する事も出来ず声を荒げて問い質す。


「おい、カシム。何を考えてる。ここの責任者は俺だ、これは明らかな越権行為。たとえお前でも……」


 しかし直ぐに、掴み掛からん勢いで詰め寄るマックの肩を、カシムがぽんと軽く叩いて何事か耳打ちする。途端に、大きく目を見開き瞠目するマック。


「……まさか……そのような事が……」


 荷馬車を凝視したまま固まり動きを止めたマックが、絞り出すように掠れた声で呟いた。


「なっ、だから良いだろう」


「……」


「それともお前、まさか俺達の敵に回る積もりか」


「……あっ、いや、そんな訳は……」


 今度は逆にカシムが詰め寄り、呆けた様子だったマックが直ぐさま手を振り、その問い掛けを打ち消す。


「しかし……カシム、本当の事なのだろうな」


「あぁ、間違い無い。それでマック、お前はどうする?」


 一瞬、悩まし気に顔を歪めたマックだが、すぐに即答する。


「決まってるだろ。俺がどれだけ、このような日が来るのを待ち望んでいたか、お前も知ってるはず……だから」


 そこまで言うと、マックは門前を警護する衛兵達を見渡し高らかに声を上げ、道を開けるように指示を出した。


「この荷馬車に問題無し。通って良ぉぉし!」


 その言葉に、緊張で体を強張らせていた御者の男が、ようやく安堵の表情を浮かべた。そして、馬車を走らせ外壁門を通り抜けると、周りにいた騎士達もほっとした様子を見せる。新たに表れたダンカンが率いてきた応援の兵士たちをまだ警戒しつつも、緊張を緩めていた。

 そしてガウエンはというと、あっさりと通り抜けられた事を不思議に感じつつ、後方へと遠ざかる外壁門を眺めていた。

 そこへ後ろの荷台から、やれやれといった様子で、ジェイクがひょいと顔を出す。


「マクベインか……懐かしい名前を聞く。今は、外壁門の警備主任をしているのか……」


 同じくジェイクも後方に顔を向け感慨深そうに呟く。それに、ガウエンが眉尻をピクリと動かし反応した。


「知ってる男だったのか?」


「あぁ、昔はアルベール様のお側近くで、護衛の任に付いていた事もあった男……それに、お前達とも関係が深い」


 そう言うと、ジェイクはガウエンとダンカンの二人を、じろりと睨んだ。


「ん、俺達の? どういう事だ」


「……十年前のあの日、あの男マクベインは……」


 それからジェイクが語った話は、ガウエンとダンカンの二人を、十分に驚かすものであった。


 マックと呼ばれた隊長が、態度を豹変させたのには訳があったのだ。この男の本名はマクベイン・モントレー。元々は、没落貴族の次男坊だったのだが、侯爵家が新たに立てられた時にアルベール侯爵本人に拾い上げられ、侯爵家へと仕官したのである。その後、この街トラッシュが侯爵領へと編入された折り、街付きの武官として赴任した経緯があったのだ。そして、あの十年前、ガウエンが街から離れる切っ掛けとなった事件を起こした時に、この街にある侯爵家別邸の警備責任者だった男なのだ。

 事件のあった当時、アルベール侯爵は関係者の全てを不問とした。だが、やはり何も無かったとはいえ、警備の隙を突きまだ少年だったガウエンやダンカンが侵入したのは事実。警備責任者としては、あるまじき大失態だったのである。そのため、中央区の警備からは外される事となってしまった。このことは、侯爵自身はあずかり知らぬことなのだが、トラッシュの街を運営する政庁上層部の判断で行ったことであったのだ。

 確かに、外壁門は都市内でも重要な施設。しかし、中央区からは遠く離れ、将来のことを考えると出世コースから外れた、ていのいい左遷と言わざる得ないだろう。

 だが、この男の面白いところは、普通なら腐ってしまい、ガウエン達や、或いはアルベール侯爵を恨みに思っても良いところなのだが、逆に自分の失態だと恥じる律儀さを持ち合わせていたのだ。だからこそ、いつか名誉を挽回する機会が訪れないかと、この十年、心待ちにしていたのである。

 そう、一口に十年と言っても、かなりの長さがある。普通なら、心変わりをしてもおかしくない。だが、このマックはその律儀さで、過去の思いを保ち続けていたのだ。それは、それだけアルベール侯爵を敬愛し、侯爵家への忠誠心の高さをあらわしていると言えるだろう。

 カシムはその事を友人として、良く酒の席で愚痴のように繰り返し聞かされていた。だからこそマックに、荷馬車の中にはユラ様とまだ産まれたばかりの侯爵家の嫡子が隠れている事を、こそっと耳打ちして知らせたのである。そして、このトラッシュの街の上層部が、あろうことか、領主であるはずの侯爵家の敵に回ったという事をも。

 それ故に、マクベインは侯爵家のため、ひいては己の名誉を回復させるために、瞬時に覚悟を決めたのである。



 ガウエン達はそんな事とは知らず、ジェイクからその当時のマクベインの事情を聞かされ、二人してお互いの顔を見合わせ唖然とするしかなかった。

 ダンカンも、同じ治安局に所属しているとはいえ、部署も違う。それに十年も前の話、ダンカンが治安局に勤め始めた時には既に過去の話となり、マクベインの事を詳しく知らなかったのだ。


「うへぇ、争わなくて良かったぁ……俺達のせいで出世コースから転落した男と揉めるのは、さすがに気がひける」


 根が陽気な質のダンカンは、直ぐに肩を竦めて気軽な調子でそんな事を言う。


「おい、ダン!」


 思わずガウエンは、声を荒げて咎めた。

 最早十年も前、まだ十代の時に馬鹿をやってた頃の話。ダンカンは責任を感じつつも、それほど深刻に考えていないようなのだ。

 だが、ガウエンにとっては忘れようとしても、忘れられない出来事。十年前のあの日を境に己れやユラの運命は大きく変わり、自分達以外にも人生を狂わせた者がいた事に衝撃を受けていた。

 よくよく考えてみるとこの十年の間、ガウエンは護衛士として色々な人と関わってきた。それは時には、人の生死に関わる仕事の依頼もあったのだ。十年前の出来事からこっち、多くの者の運命を変えて来たといって良いだろう。

 マクベインもまた、あの日に――


「あの男があの時の……」


 ガウエンは後方に目を向けたまま呟く。

 全ては、十年前の己れの軽はずみな行動が発端。それによって多くの者の人生を狂わせた事に、暗澹とした気分に包まれる。

 ガウエンのそんな気持ちを知ってか知らずか、ジェイクは顎鬚を擦りながら満足そうに頷く。


「マクベインも、我らが潜んでいる事に気付いていたようだが……未だ、アルベール様への忠誠心は忘れていないようだな」


 ジェイクはそう言うと、周りで軍馬に股がるトラッシュの若い兵士達を眺め、更に満足げに顔を綻ばせ言葉を続ける。


「アルベール様の善政が、ようやく人々の間に染みたか」


「……」


 無言で答えるガウエンの代わりに、横からダンカンが口を挟む。


「ジェイク様、その通りです。俺たち若い世代にとってここはもう侯爵家の領地。大恩ある侯爵様のために働くのは当たり前ですよ」


「そうなのか」


 首を傾げるガウエンに、ダンカンが憤然とした様子で答える。


「そうだぜ! トマ……いや、ガウエン、お前はこの街から離れて長いから知らんだろうが、今じゃ、俺たちが住んでた地区でも、俺たちの頃みたいに腹を空かしたガキなんかいねえ。昔と随分と変わったもんだぞ。それもこれも、侯爵様のおかげだ」


 ダンカンの言葉にガウエンは、周りに付き従う若い兵士に目を向ける。

 すると、確かにダンカンの言う通り兵士達からは、「侯爵様のために」と覇気が感じられるのだ。それは、侯爵家の騎士たちと比べても遜色のないものだった。


 かつてのトラッシュは、王家直轄の地方都市でしかなかった。それを商路の中継地、商業都市トラッシュとして発展させたのはアルベール侯爵その人なのである。政庁の役人など、未だ王都の紐付きの都市ではあるのだが、この十年以上の間、侯爵は領民寄りの血の通ったまつりごとを心掛けてきたのである。都市の特産品を奨励し、職にあぶれた者にも仕事につけるように、街道の整備などの公共の事業にも力を注いできた。

 それらアルベール侯爵の努力を、物心がついた時には既に侯爵領であった若い世代は、見聞きし肌で感じていたのだ。だからこそ、カシムが声を掛けた時に、若い兵士達は「アルベール様のために」と奮い立ったのである。


「ガウエン、お前があまり侯爵様に良い感情を持たない気持ちは分かるが、本当に素晴らしいお方なんだぞ」


 口角泡を飛ばす勢いで熱く語るダンカンの言葉に、ジェイクも嬉しそうに笑みを浮かべて口を添える。


「そう、我が主アルベール様は、まさに王国史に刻まれるべき英雄」


 二人してアルベール侯爵を褒め称えるが、侯爵に複雑な感情を持つガウエンは、二人が熱くなればなるほど、どうしても逆に感情が冷めていってしまう。


「さっきはカシムのおっさんが、どうして街に残るか聞いていたなぁ」


「ん?」


「それは、若い兵士達の殆どが侯爵様の味方だからだ。そいつらを組織して、侯爵様の敵に回り政庁でふんぞり返ってるお偉いさん達を、街から叩き出すためだ」


 そして、それ以外にも、領民にどれだけ慕われているかと、ダンカンは熱っぽく語るが……。


 ――希代の英雄かぁ。


 ある意味、ガウエンのこの十年はアルベール侯爵に負けぬ力を手に入れようとした十年でもあったのだ。だが、アルベール侯爵もまた、この十年で更なる力を手に入れていたのである。それは、最早個人では到底届かぬ力。

 ガウエンは、個人が振るう最強の力を追い求めていたのに対して、侯爵の力は人々を結集させる英雄の力。


 ――最初からわかっていた事だ。しかし……。


 それでも諦めきれない。それが、ガウエンの生きる活力、かてとなっていたのだから。


 そんな事を、ガウエンが考えていると。


「それで、侯爵様の運び込まれた農村には、どれぐらいで辿り着けるのでしょうか?」


 後ろの荷台から、赤子を抱いたユラの声が聞こえて来る。その沈んだ声音には、アルベール侯爵を心配する様子がそれと分かるほど滲み出ていた。


「あっ、ユラ様。アルト村は街から近いので、陽が落ちる前には……」


 ダンカンが慌てたていで恐縮して答える。そしてジェイクも、


「奥方様、後しばらくのご辛抱ですぞ」


「侯爵様の怪我が、大したことなければ良いのですけど……」


「大丈夫でございます。我が主アルベール様は、英雄の相を持つお方。このような事で倒れるなど考えられません。いえ、あり得ませんな」


 ジェイクが、ユラから漂う暗い雰囲気を振り払うかのように、張りのある声で断言する。

 そして、その後は、ユラを慰めようとしてか、話題は侯爵家の嫡子であるユラが抱く赤子、トマスへと話題が移っていく。

 ダンカンが「門での騒動でも騒がないとは、大したものだ」と誉め称え、ジェイクも「さすがアルベール様の血をひく御嫡子。侯爵家の将来も安泰ですな」と、二人してユラを喜ばせようとしていた。


 その間、ガウエンはユラの悲し気な様子に目を背け、「ふっ」と僅かに息を吐き出す。


 ガウエンが会った侯爵は、十年前のトラッシュにある別邸での一度きり。それ以来、侯爵家へは近付かぬようにして来た。

 だがこの十年、常に意識してきた相手でもあるのだ。興味が無いと言えば嘘になる。


 ――あれから十年、侯爵はどのような人物になったのであろうな。


 図らずも十年振りに出会う事となったアルベール侯爵に想像を巡らし、遠ざかるトラッシュの街並みへと視線を向けた。

 そして、心の中でこう呟くのである。


 ――門前でのあの騒ぎ、敵に気取られて無ければ良いが。



 だが、ガウエンのその心配は杞憂では無かった。


 トラッシュの外壁門では、未だザワザワとざわついていた。

 突如現れた四十人程の兵士が、外壁門を護る兵士達と何やらもめ出したのである。その騒動の原因は一台の荷馬車。そして、最後にはその四十人の兵士が荷馬車を護るかのように、荷馬車と共に街を後にしたのである。そして、当の揉めていた二人、カシムとマクベインの二人は、詰め所横で深刻な表情を浮かべ、何やら話し込んでいた。

 これが衆目を集めぬ訳が無い。

 荷改めは再開されたのだが、人々は「何事か」とひそひそと噂しあっていた。


 そして、ここにも――


 門前には、荷改めの列に並ぶ旅人や近在の農民相手に商売する屋台が並ぶ。旅に必須な雨避けの外套や、革を鞣した頑丈な靴などを売る雑貨屋。或いは、鳥の肉を竹串で刺し炭火で焼く屋台など様々だ。

 そんな香ばしい匂いが漂う屋台の一角。

 食用鼠の肉を鉄板で焼いて売っている屋台。店前にある木製ベンチには、商家の手代風の若い客がいるのみだった。


「しかし、ありゃ何だったんだろうなぁ」


 横で雑貨の屋台を商う男が、肉を焼く屋台の男に話し掛けるが、途中でおやっと顔を驚かせる。


「おっと、ホアンさんどうしたい。まだ、陽も高いぜ」


 雑貨屋の男が驚いたのは、ホアンと呼んだ焼き肉屋の男が、店の片付けを始めていたからだ。


「あぁ、かみさんの具合がちょっと悪くてな。心配だから今日は早じまいだ」


「本当かよ、そいつはまた……大丈夫なのか」


「なぁに、ただの風邪だろ。心配はいらねぇと思うんだがな。やっぱりなぁ」


「おやおや何だよ、かみさんが恋しい、ただの惚気かよぉ」


 焼き肉屋の男が穏やかに話し、雑貨屋の男は呆れた顔をしていた。端から見ると、朗らかな会話に聞こえる。

 だが――焼き肉屋の男は時おり、鋭い眼差しを、ガウエン達が通り抜けた外壁門へと向けていた。そして、若い客へ然り気無く目配せを送る。

 途端に、おもむろに立ち上がる客。


「親父さん、ごちそうさん。勘定をしてくれ」


「へい、えぇと銅貨三枚です」


 そう答える焼き肉屋の親父は、銅貨を受け取るとき客の手のひらの上で、トントンと指先で軽く叩く。

 それはまるで、何かの符丁のように見えた。

 すると、客の男は軽く頷き、足早にその場から立ち去った。

 その後、焼き肉屋の親父も手早く後片付けをすると、「お先に」と横の屋台の男に声を掛け立ち去る。その際、最後にもう一度、鋭い視線を外壁門へと送っていた。



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