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「まさか……ゴーグ様が……」


 テーブルを挟み、ガウエンの対面に座すハンスが、呆けた顔つきで言葉を失っていた。


「……あぁ」


 それに対して答えるガウエンも、沈んだ顔で頷くのみである。

 もあろう。兄貴格でもあったゴーグを、ガウエン自身が斬り倒してきていたのだから。

 事の成り行きを、ハンスに語って聞かせるガウエンも、心は半ば此処に在らずといった状態。心の半分は切れ切れに千切れ飛び、その衝撃や動揺の深さが、ガウエンの表情や態度に表れていた。

 そんなガウエンを、膝に抱く赤子があむあむとガウエンの指先を握りしめ、まるで慰めてるかのようであった。


 闘争の場となったダンブルの屋敷では、その当主であるダンブルが斬り殺され、大変な騒ぎとなっていた。その騒ぎのどさくさに紛れて、逃げるようにガウエンは宿に帰って来ていたのである。


 治安局の局長であるダンブルが、密かに領主である侯爵の敵に回っていた。その事から、治安局の衛兵は元より、このトラッシュの誰もが信じられない。そんな思いで、いや、それ以上にガウエンは、ゴーグが屍を晒すその場から逃げ出したかったのだ。


 それは更なる高みを望む、最強の座を目指す剣士の宿命。

 ゴーグにしても衰える己れに歯噛み、まだ武人としての覇気がある間に、ガウエンに挑みたかったのである。ゴーグもまた、ガウエンと同じく、個人の強さを追い求める武人であったのだ。

 とはいえ複雑な思いを隠しきれず、それでもと考えてしまうガウエンであった。己れの為した事に狼狽え、思い悩んでしまうのである。


 そして、今回の事件も結局は詳しい話を聞く前に、ダンブルはゴーグに始末され、そのゴーグもガウエンが倒してしまった。そのため、未だ陰謀の全容は掴めていないガウエンである。

 分かった事は、ゴーグの今際いまわ(きわ)に残した言葉から、王家が少からず関わってるのが推測された事だけ。

 ガウエンは、思っていたより今回の陰謀は大きいと感じ、もはや自分ひとりの手には思い余ると考えていた。

 だから、ゴーグとの経緯は勿論、一切合切の全てをハンスに語って聞かせたのである。

 それは、侯爵家との関わり、ユラとは兄妹だと言及したものでもあった。


「それにしても、その赤子が侯爵様の……それに、ガウエン様がユラ様の兄上にあたられるお方だったとは……」


 ハンスはガウエンの言葉に驚きも顕に瞠目し、またしても絶句する。


 ガウエンの身上に付いては、ゴーグが倒れた時の様子よりも驚き、ハンスは衝撃を受けていた。

 何故なら十年前、侯爵家は側妃として侯宮に上がったユラのため、行方不明となった兄の捜索に奔走していた。それは、侯爵家には珍しく、名だたる商家にまで触れを出すほどであった。

 侯爵は清廉潔白を絵に描いたような人柄。だからであろうか、侯爵家の懐深くまで食い込む商家は皆無。そこに、降って湧いたような捜索の話である。話を聞いた商家は、これは侯爵家と繋がりを持つ好機と捉え、こぞってユラの兄であるトマス(ガウエン)を探していたのだ。その捜索は数年に及んだのだが、遂にどこの商家もトマス(ガウエン)を探し出す事は出来なかったのだ。

 それも当然である。

 その時のガウエン(トマス)は剣の師ローエンの下、鍛練に励み山野をさすらっていたのだから。誰もが、そのような事とは想像もしていなかっただろう。

 その時はハンスもまだ十代。実家とは別の商家に於いて、見習いの途に付いたばかりのハンスであった。だが、実家が国でも有数の商家であるエゴ商会だったので、その事はハンスも漏れ聞いていた。実際の所、エゴ商会も捜索に奔走した商家のひとつでもあったのだ。

 その当時の、商人達の大騒ぎ振りを思い起こし、ハンスは嘆息を溢す。

 それも当然であろう。その騒ぎの元が、今、目の前に居るガウエンであったのだから。


「……妹と言っても、遠縁にあたるだけで、直接は血は繋がっていないがな」


 ガウエン微かに笑うと、ぼそりと呟く。

 その自嘲気味な笑みに、ハンスは「おやっ」と、片眉を上げる。

 ハンスもまだ若いとはいえ、幼い頃から他の商家に出されていたのだ。世の中の裏も知り尽くし、苦労もしてきた。だから、ガウエンの言葉と様子から全てを察する事が出来た。ガウエンとユラの関係を、何故、トラッシュから飛び出し侯爵家を頼らなかったのかを。


 それは、この国に於いても、それほど珍しい話でも無かった。恋人との仲を裂かれ裕福な家に嫁ぐ娘など、そこらには幾らでも転がる話である。

 ましてや、ハンスは他国の街にまで足を運ぶ商隊を率いる商人。そのような話は幾らでも見知っていた。

 ただ、十年もの間、引きずっているのは珍しい。


 ――女々しい……。


 一瞬、そのような思いが、ハンスの頭に浮かぶ。が、直ぐに(かぶり)を振ってその考えを打ち消す。

 ガウエンがゴーグを兄とも思い慕ってたように、ハンスもまたガウエンの事を兄のように思っていた。だから、その人柄も見知っている積りのハンスは、そのような事は決してないと断じる。

 ならばと、その思いは純粋な想いなのかと考える。


 ――純愛。


 ある種の気恥ずかしさと共に浮かんだのは、そんな言葉だった。それは、幼い頃に他家へと商道の修業に出され、辛苦を積んできたハンスには、とうの昔に捨て去った想い。


 思わず苦笑を浮かべるハンスは、どのような感情なのか興味を持ち、ガウエンに問い質したくなってしまう。

 しかし、ハンスは「ふむ」と頷くだけで、それ以上は問い掛ける事はしなかった。それは――。


 ――やはり、ガウエン様は思った通りのお人柄。


 あくの強い護衛士が多い中、珍しくもガウエンは純粋さを持ち合わせる。時おり見せる、その純粋さがあるからこそ、欲にまみれる商人の世界にどっぷりと浸かったハンスは、ガウエンに惹かれてしまうのだ。

 そして、それ故に、ガウエンの人柄に納得し満足してしまうと、それ以上の問い掛けを憚らせたのである。


 それが、ガウエンには有りがたかったのだが。


 ガウエンは「ふぅ」と短く呼気を吐き出すと、赤子に落としていた視線をハンスへと向ける。

 その視線は既に、いつもの野性味あふれる鋭い眼差しへと変わっていた。


 何時までも、うじうじと悩んでいても仕方ない。過去を後悔するなど、今はそんな余裕もないガウエンなのだ。己れには、為すべき事が有るのだからと、自分に言い聞かせる。


 ――全てが終わってから、思う存分に悩めば良いのだ。


 ガウエンはゴーグの一件での気持ちに、どうにか折り合いを付ける。いや、それは折り合い付けると言うよりかは、無理矢理、気持ちを押さえ込んだものであったのだが。


「それでハンス殿、侯爵家は今、どのような事に陥ってるのですか? 知っている事が有れば、お教え願いたい」


「ふむ、そうですな……」


 ハンスは数瞬、眉を寄せ口を濁すが――。


「実際の所、侯爵家に付いては、あまり良くは分かりません。あそこは商人を警戒して、懐深くまで決して踏み込ませようとはしませぬので」


「……そうですか」


 ガウエンは落胆の色も顕に、大きく肩を落とす。しかし――。


「ですが、王家に付いては、かなりの情報を握っております。そこから推察するに……」


「おぉ、それは!」


 ハンスの言葉に、ガウエンは俯く頭をがばっと跳ね上げる。


「しかし、それはもう暫くお待ち下さい」


「ん? ハンス殿!」


 今すぐにも話を聞こうとしていたガウエンは、顔をしかめて不審の表情を浮かべると、ハンスに躍り掛からんばかりの様子さえ見せていた。


「あぁ、いやいや、お教えしないとは言っていませんので、先ずは落ち着いて下さい、ガウエン様」


 苦笑を浮かべたハンスが片手を上げて、立ち上がろうとするガウエンを制止し言葉を続ける。


「もうそろそろ、王都から定時連絡が入る頃。それを待ってから、確かな情報をガウエン様にお渡ししようと思っただけでして、決して他意は御座いません」


「定時連絡?」


 赤子を抱き、腰を上げ掛けたガウエンが、その動作の中途で動きを止め、首を傾げる。


「はい、王都にある商会の本家と毎日、連絡を取り合って……おっ、噂をすれば影ですな」


 そう言うと、ハンスは窓辺へと近付く。窓にあるガラス戸を「コンコン」と、叩く者があったのだ。

 ここは、宿の二階にある部屋。その窓を叩く者は何者なのかと、ガウエンは不審に思う。が、ハンスが窓を開くと直ぐに、その疑問は氷解する。

 窓から部屋に飛び込む者それは――


「鳥?」


 そうそれは、体長が人の腰まであり、羽を伸ばすと人の身長を軽く越えそうなほどの大きな鳥。全身の羽毛は光沢のある黒色で、頭部から胸に掛けて淡褐色の羽毛に包まれる。その姿は流線形の美しいものであるが、鉤状のくちばしと鋭い鉤爪を持つ獰猛そうな猛禽類であった。


 警戒するガウエンに、「大丈夫ですよ」と、笑い掛けるハンスが、無造作にその鳥に近付く。


「あぁ、よしよし。ご苦労だったな、ビリー」


 驚く事に、ハンスが鳥の体を撫でると、その鳥も嬉しそうにハンスの手のひらに頬を擦り付けていた。名付けている事からも、ハンスがよほどその鳥を可愛がっているのが窺える。


「ハンス殿、その鳥は?」


「おぉ、そうでしたな」


 ハンスは、相好を崩したままの顔をガウエンに向け口を開く。


「このビリーは、南方の島嶼に棲息するフリゲイナーと呼ばれる鳥でして、世界で最も速いと言われる鳥類でもあるのですよ、ははは」


 まるで我が子の自慢するかのように、嬉しげに話すハンスであった。


「世界一速い……もしや、その鳥が?」


「そうです。このビリーが、私どもエゴ商会の連絡員なのですよ。ビリーなれば、ここから王都まで一日もあれば往復出来ますからな」


「ほぅ、そのような事が出来るのですか」


 辺境を巡っていたガウエンも、その鳥は初めて見るものであった。


「このビリーもですが、フリゲイナーは意外と賢く、そこらにいる犬猫よりよほどさとい。ある程度の人語も解すると言われるほどに。更に驚く事に、このフリゲイナーは一度認識した人物を、どのような手段を用いるのか、探し当てる事に長けているのですよ。だから、数多くの商隊を抱える私どもエゴ商会は、このビリー以外のフリゲイナーを数匹も抱え、連絡要員にしているのです」


「ほほぅ、そいつは凄いな」


 感嘆の声を上げ、ガウエンはビリーと呼ばれるその鳥に近付こうとするが、途端に、ビリーが「クワッ!」と威嚇の声を出す。


「ガウエン様、いかに貴方でも、不用意に近付くと危のうございますぞ。本来、フリゲイナーはその獰猛さ故に、人には決して懐こうとしません」


「ん? そうなのか、しかし、ハンス殿はかなり懐かれてるように見えるが」


「はは、それはそこ、それこそが、私どもエゴ商会の秘事でございまして、このフリゲイナーの存在も秘匿されし事ですから。何処よりも素早く情報を仕入れる。それが、商いの肝でもございますので」


「おぉ、それは……知らぬ事とはいえ、エゴ商会の秘事を尋ねてしまうとは申し訳ない。しかし、俺にそのような商会の秘事を明かしても良かったのですか?」


「ははっ、もはや私もガウエン様も一蓮托生でございますからな」


 ハンスは何を今更と言わんばかりの笑顔を、ガウエンに向ける。

 相手は、この国の王家かも知れぬのだ。

 それでも尚、ハンスはガウエンの味方をすると、その言葉や態度が示しているのだ。

 その事に感謝し、黙って頭を下げるガウエンであった。


 もっとも、ハンスにも商人らしい打算が無いといえば嘘になる。侯爵家に恩を売っておけば、後に、独立をも視野に入れているハンスには、大いなる助けになると思ったのも事実であった。

 だが、それは身を滅ぼすかも知れぬ危険な賭けでもあるのだ。

 本来の堅実なハンスであれば、到底、容認出来ぬ賭けでもあった。しかし、それでも、ガウエンに肩入れをしようとするのは、知らず知らずの内に、それだけガウエンに魅了され惹かれていたからであろう。

 その事は、ハンス自身も気付かぬ事であった。


「それで、王都からの連絡にはなんと?」


「おぉ、そうでした」


 ハンスは褒美の干し肉をビリーに与えながら、その鋭い鉤爪が生える足首へと目を向ける。

 そこには円形の筒が括られ、その中には書簡が入っているのだ。それを取り出し、ハンスは書簡を机に広げ眺める。

 それを、ガウエンも身を乗り出し眺めるが、何が書かれているか分からない。

 その書簡には用心のため、エゴ商会の主だった者にしか分からぬ、暗号文で書かれていたからだ。


 眉間にしわを寄せ、顔をしかめ読み進めるハンスに、焦れたガウエンが物問いたげな顔を向ける。


「で、ハンス殿、そこにはなんと?」


「……ふむ、これは、商会の定時連絡ですので、侯爵家の事は言及されておりません。ですが……」


 ようやく頭を上げたハンスは、よほどの事が書かれていたのか、その表情は強張ったものに変わっていた。


「ガウエン様は、この国、アトラン王国の現王の事はご存知ですかな」


「いや、しかとは……確か、名はアイザック様と知るぐらいしか」


 突然、現王の話を振られガウエンは困惑の表情を浮かべる。


 ガウエンが侯爵家と関わるといっても、それはユラを介してであり、生まれ育ちはこのトラッシュの低層民街。トラッシュを飛び出してからも、辺境を巡る年月の方が長かった。だから、王家と関わる事などあるはずも無いのだ。


「そうです、現在の王はアイザック・フォン・マリウス様。マリウス王家の五代目にあたるお方でございます」


 そこまで言ったハンスが、ここからは秘中の秘と前置きし、声を落とし眼差しも鋭く話を続ける。


「そのアイザック様ですが、約半年前ににわかの病に倒れられまして」


「病? それはまた……」


 国王の病、それはガウエンも初めて聞く話であった。

 王の病が知れれば、国に混乱をもたらす上に、またぞろ隣国のベルン王国が、要らぬちょっかいを掛けてくるかも知れぬと、国の方針で伏せられていたのである。


「その病が、芳しく無いようでして」


「国王様の病は重いと?」


「はい、胃の腑に固いしこりが出来てるとの話です。医師の見立てでは、それは死病との事で……もって、今日明日限りの命とか。今は意識すら保てぬ御様子のようでございます」


「な、なんと……」


 ガウエンも直接は知らぬとはいえ、己れが住み暮らす国の王の事である。思わず驚きの声を上げ、更に慌てた様子でハンスに話し掛ける。


「まてまて、そうなると……王太子であられたフィリップ殿下は確か、一昨年、キツネ追いの狩りの最中に落馬され身罷れたと聞いたが……まさか」


「そうでございます。男子直系をもって王を立てる。それが、この国の国是でございますれば、次期、王の座は前王の御子であり現王弟の侯爵様が順当かと」


 アトラン王国の現王には、一昨年に亡くなった王太子以外には王女が二人いるだけで、直系となる男子がいなかったのであった。だから、王弟でもあるアルベール侯爵が次代の王に戴冠しても不思議では無いのだが……。


「現王には他に御子が居られぬ。それなら、侯爵が次代の王になられても問題はなさそうだが」


「それが、問題が大有りなのでございます」


「何故に?」


「侯爵様は、言わずと知れた清廉潔白なお方。それを疎ましく思う方々が居られますのでございます」


「……貴族院か」


 アトラン王国は、元々が小さな領主が寄り集まって出来た連合王国。だがそれは、大昔の事であり、今は中央政権化が進み国名からも連合の文字は取り払われている。

 しかし、その名残が貴族院となり、未だに軽々しく扱えぬ程の力は有していたのだ。


「貴族の方々の中には、侯爵様が王になれば、甚だ不味い状況に陥る方も居られるようですな」


「日頃の不行跡、或いは過去の旧悪が白日の元に晒されるといったところか」


「はい、ですから猛反発してるようでございます。彼等の言い分は、侯爵様には御子が居られぬ故に、後を嗣いでも、またぞろ御嫡子問題が発生すると……」


 そこで一旦言葉を区切ったハンスは、ガウエンが抱く赤子に視線を注ぎながら話を続ける。


「ですので、国是である男子直系そのものを、もそっと緩やかなものへと主張しておられるようですな」


「男子直系に拘らなければ、王族に連なる者は数多くいるというわけか」


「はい、そうなれば、アイザック様の御息女に婿を迎えてといった話も可能でございます」


「なるほど、貴族院の連中が考えそうな事だ」


 ようやく、ガウエンにも話が見えてきた。

 要は、この赤子が邪魔なのであろうと。


 侯爵家の嫡子となる、ユラが産んだと思われるこの赤子。どういう訳か、公にもされず、ガウエンも耳にしたことは無かった。貴族院の連中にとっても、寝耳に水だったのだろうと容易に想像が付く。

 ガウエンが思うに、公にされなかったのも、王太子を亡くした現王を慮っての事だろうと考えを巡らす。


「しかし、ゴーグが言っていた王命とは、どういった訳なのだろうか」


 現王は病に倒れ、意識もはっきりせず、明日をも知れぬ命だとハンスは言う。そんな状態で、勅命など出せようはずも無いとガウエンは考える。

 そして、そこに陰謀の匂いを感じとるガウエンであった。


「さあ、その辺りの事は、本店の方でも何も掴んでないようですな。ただ、十日ほど前に、王宮にて騒ぎがあったようでございます」


「騒ぎ? それはどのような」


「それも、詳しくは書かれておりません。どうも、王城近辺は戒厳令が敷かれてるようで、兵士達にも厳重な箝口令が行き渡っているとだけ書かれておりますな」


「……十日前となると……ちょうど、ここから王都までの距離と符合するな」


 そう言うと、ガウエンは膝に抱く赤子へと視線を落とす。


「そうでございますな」


 ハンスも返事しつつ、赤子へと視線を向ける。


 そして、しばらくの間の後に、二人は同時に口を開いて言葉を発する。


「俺が考えるに、侯爵は王都から……」

「わたくしが推察しますに、貴族院の方々が急襲を……」


 ガウエンとハンスの二人は、同じくはっとなり、顔を見合わす。

 どうやら二人して、同じ考えに至ったようであった。


 王都で何らかの政変があったと――


 侯爵を快く思わない貴族が結託し、侯爵に急襲を仕掛けたのだと思ったのだ。そして、おそらく王都から侯爵が落ち延びたのだと。

 それは今も、落ち延びる最中かも知れぬのだ。


 そう考えるとガウエンは、急に赤子を抱き上げ椅子から立ち上がる。


「ガウエン様?」


 ハンスがぎょっとして腰を浮かす。

 それほど、ガウエンは険しい表情を浮かべていたのだ。

 ガウエンにすれば、この近くでユラが危難にあってるかも知れぬと思い、その焦燥感に駆られ思わず立ち上がっていたのだ。

 しかし、直ぐにもガウエンは駆け出したいほどであったが、何処に向かえば良いのかも分からない。それが、ガウエンを更に苛々とさせる。


「くっ!」


 歯噛みして、ガウエンはうろうろと部屋の中を歩き回る事しか出来ないでいた。


「まぁ、落ち着いて下さいませ、ガウエン様。今の話は、あくまで推測に過ぎません。どちらにせよ、侯爵様の御嫡子はこちらの手に有りますれば、直ぐにも、双方どちらかからの手が伸びて参りましょう」


「そうだな。しかし、そうなると、この宿も敵方に知られている。早急に、居場所を変えねばならないか……」


「それは、わたくしにお任せ下さい。これでも、商人の端くれ。直ぐにも隠れ家のひとつやふたつ身繕いましょう」


「……悪いなハンス殿。今の俺にはハンス殿を頼るしかない」


 ガウエンが深々と頭を下げると、ハンスは照れたように顔の前で手を振る。


「よして下さい。水くさいですよ、ガウエン様。さっきも、もはや一蓮托生と言ったばかりですよ」


 そう言ったハンスは、さてその前にと、机の上に広げられる書簡の余白に、何やらさらさらと書き込む。そして、ビリーの足首に括られる円形の筒に戻すと――


「ビリー、疲れてる所で悪いが、もうひとっ飛び王都まで頼めるか。後でたんと褒美をやるから」


 ハンスが話し掛けながら撫でると、ビリーも一頻り甘えた仕草をしたあと、窓からまた飛び立って行った。


「更に詳細をと申し送りしましたので、これで、明日にも更に詳しい事が分かるでしょう」


 窓辺に立ち、ビリーを見送るハンスがそんな事を言う。

 その後ろでガウエンも見送りつつ、さて、この後はどうしたものかと考えている時、「コンコン」と部屋の扉を誰かがノックした。


「旦那様、お客様でございます」


 それは、ハンスが率いる商隊の者のようであった。


「今は、誰も通すなと言い置いたはずですよ」


 ハンスが少し刺の含んだ返事をすると。


「いえ、それがそのぉ……」


 扉の向こうで、しどろもどろの声が聞こえると同時に、「バンッ!」と扉自体が勢いよく開かれた。そして――


「やはり、ここに居たのかガウエン! 酷いぞ、俺達を残して姿を眩ましやがって!」


 肩を怒らせ、凄まじい形相で入って来たのは、ダンこと、ガウエンの幼馴染みのダンカンであった。

 その態度から、かなり怒り心頭な様子だと分かる。それも、当然。

 あの場に居たたまれなくなり、ダンカンすら置いてガウエンは逃げ出していたのだから。


「……すまなかったな、ダン」


 あの場では信じてたはずのゴーグが敵方に回り、誰もが信じられなくなっていたのだ。それは、幼馴染みであるはずのダンカンも一緒であった。

 しかし、宿に帰りハンスと話し気持ちに余裕が戻って来ると、ダンカンの事が気に掛かってきている所だった。

 だが、理由はどうあれダンカンを見捨てたのは事実。ガウエンは、謝っても謝りきれない気持ちで、一杯であった。


 頭を下げ続けるガウエンに、ダンカンが散々に文句を言った後……。


「ガウエン、これでお前に貸しがひとつだからな。覚えておけよ」


 まだ納得がいっていないような顔をしながら、渋々と怒りの矛先を納めた。


「それにしても、お前らはよくあの騒ぎの中から抜け出してこれたな」


「お前が、それを言うかよ!」


 ガウエンが不思議そうに尋ねると、ダンカンがまたもやむっとした顔で答える。


「……あの後、手助けしてくれる人達が現れてな。それで、ようやくだ……たくっ!」


 ダンカンはそう返した後、態度を改めてガウエンに声を掛ける。


「あぁ、それでな……ガウエン……お前に会わせたい人達がいる」


 急に歯切れ悪くなったダンカンが、後ろを気にしつつそんな事を言う。


「ん、会わせたい人?」


 ガウエンが不審に思っていると、歳の頃は四十代のがっしりとした男性が部屋に入ってきた。

 茶褐色の外套で首から下をすっぽりと隠し、豊かな口髭を擦りながら油断の無い眼差しで、ガウエン達や部屋の中を眺め回していた。

 外套の中から時おり聞こえる、「かちゃかちゃ」となる金属が擦れる音。その事から軍関係者かと、ガウエンは思うのだが、同時に……。


 ――どこかで会った事があったかな。


 見覚えがあるような気がしてならないのだ。

 だが、次の瞬間には――


 ――ドクン


 ガウエンの心の臓が跳ね上がり、雷撃が全身を貫いたかのように体を硬直させて、そのような思いは消し飛んだ。

 何故なら――


「おぉ、トマス。私の可愛い坊や」


 部屋の中を警戒していた男性が体を横にずらし、その後ろから侍女に傅かれた女性が現れたからだ。

 その女性の声に、ガウエンの腕の中にいた赤子が「ダァダァ」と騒ぎ出し、女性に向かってその小さな腕を伸ばす。


 ほっそりとした体付きに、薄布のベールで顔は隠されているものの、間からは艶やかな長い黒髪が溢れ落ちていた。

 ガウエンには、その声や赤子の様子を見るまでもなく、その女性が誰なのかは分かっていた。


 十年前まで常に一緒にいた女性。

 十年前、将来を固く約した女性。

 この十年、忘れようとしたが、忘れられなかった女性。


 そこにいたのは、紛れもなく。


 ――ユラ!


 ガウエンは思考する事すら忘れ、まるで時間が止まったかのように、その女性を見詰め続けていた。


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