執着 side 柳 正
これで10人目!
その大きな屋敷の広い寝室、そこに置かれたベッドの上では今、1人の老人が規則正しい呼吸で寝息を立てている。
時刻は深夜、街灯も殆どが消えてしまうこの世界では部屋の中を月明かりだけが薄らと照らしている。
そんな薄暗い部屋の月明かりの届かない部屋の隅の闇の中から、1つの影が現れた。
影は音なくベッドの脇に近付くと、暫くベッドで眠る老人を見下ろした。
そうしてどの位の時間が経っただろうか?影は左手で老人の口を塞ぐと、空いた右手を懐に入れたかと思うと素早くその手を老人の左胸へと振り下ろした。
「うぐっ!?」と塞がれた老人の口から声が漏れ、目が驚愕に見開かれる。
が、すぐに強ばった体から力が抜け、老人は動かなくなった。
その様子を暫く見ていた影だったが、老人が事切れたのを確認すると元いた部屋の隅へと移動すると、その影は闇へ溶けていった。
ベッドの上の物言わぬ姿になった老人の胸には、1本のナイフが突立っていた。まるで墓標であるかのように…。
聖ウィント王国の中央にある聖フェルガント教会の中央教会。
その奥にある枢機卿に与えられた一室で、1人の男が熱心に書類に目を通していた。
真っ直ぐに伸びた黒髪を肩口辺りで切り揃え、不健康なまでに青白い顔にこれまた不健康そうな痩せた体を白地に金糸をあしらったローブに包んでいる。
歳は30歳なのだが、その顔はもっと上、50歳と言われても納得してしまいそうなほど老け込んで見える。
男は手にした羽根ペンの先をインクに浸しながら、時折何事かメモすることを繰り返していた。
その男がふっと手を止め顔を上げると、いつの間にか部屋に黒ずくめの男が立っていた。
そう、彼こそ先程大きな屋敷で、その主人らしき老人を手にかけた男だった。
ローブの男が顔を上げると、黒ずくめの男はすぐに跪いた。
「シャッテンくん、戻っていたのですか?」
ローブ姿の男に外見からは想像出来ないような甘く、低い声でそう話し掛けた『シャッテン』と呼ばれた黒ずくめのの男は顔を上げコクリと頷く。
「首尾は……君が失敗するはずがありませんね。」
ローブの男がもう言って優しく微笑むと、黒ずくめの男はもう一度コクリと頷いた。
「ご苦労様でした。君の行いは主もお認めになられることでしょう。今日はもう下がって休んでください。」
ローブの男が満足そうにそう言うと、黒ずくめの男は立ち上がり一つ礼をして溶ける様にその姿を消した。
(これでほぼ私の邪魔をする者は居なくなりましたね。)
その様子を見ながら、男は心の中でほくそ笑んだ。
ローブ姿の男の名は柳 正という。勇者候補である。
彼がこの世界に来たのは1年ほど前のことだ。
彼はあちらの世界でとある議員の秘書をしていた。秘書として有能だった彼はその議員にも気に入られ、娘と結婚し将来はその地盤を引き継ぐことを望まれていた。
そんな彼をある悲劇が襲ったのが1年ほど前のことだった。
突然の目眩と頭痛に見舞われ、彼の記憶はそこで途絶える。
次に気付いたときには真っ暗な闇の中にいた。前後左右、どこを見回してもただ闇が広がるだけ。
(自分は死んだのか?)
彼がそう思った時、ふいに「違いますよ」と声がした。
慌てて辺りを見回すと、先程まで誰も居なかったはずの闇の中にぼんやりと光が浮かび、1人の若い男が立っていた。
ぼさぼさの黒髪に光が反射して瞳が見えないメガネ、口元はニヤニヤと軽薄そうな薄ら笑いを浮かべている。
身長は高いが体付きは柳に負けないくらい痩せており、よれよれのシャツにスラックス、その上から同じくよれよれの白衣を羽織っており、それだけ見れば若い医者か研究者といった風貌をしていた。
その姿に柳は眉を顰める。議員秘書を務めてきた彼からすると有り得ない様なだらしない格好なのだ。
「はじめまして、柳 正さん。僕はある世界を管理している“神”です。」
そんな柳の心情を知ってか知らずか、男はニヤニヤした表情のままそんなことを言う。
「神だと?君が?」
柳は胡散臭そうな顔で男にそう返した。
「ええ、そうなんですがその顔は信用してませんね。まあいいでしょう。何れ分かることです。」
男はそのニヤケ面を深めると意味深なことを言う。
「それでその“神”とやらが私に何の用だ?というかここはどこなんだ?ちゃんと元の場所に帰してくれるのか?」
男の様子を訝しげに思いながら、柳は現状把握のため矢継ぎ早に質問した。
「まあまあそう慌てないでください。順を追って説明しますから。柳さん…あなたはもうすぐ死にます。」
「死ぬ?バカなっ!?死ぬとはどういうことだっ!!」
男は柳の様子に少し呆れた様な口調で、しかし、衝撃的なことを告げた。
これには柳も冷静ではいられず、強い口調で男に詰め寄る。
「どういうことも何も言葉通りなんですがね。あなたがここに来る前のことは覚えていますか?」
「ここに…来る前の、こと…?」
男の言葉に柳はこのよく分からない空間に来る前のことを思い出していく。あの眩暈と激しい頭痛で視界が閉ざせれていった光景のことを…。
「これを見ればわかりますよ。」
男が呆然とする柳に向かって手をかざすと、目の前にウィンドウの様なものが浮かんだ。
その中に恐らく病室であろう部屋のベッドに寝かされた今まで以上に痩せ細った自分と、その横で疲れた表情を浮かべる妻の姿があった。
「これは…?」
あまりの光景にそれ以上の言葉が出てこない。喉がカラカラに乾き、声が掠れた。
「現在のあなたの様子です。もう1ヶ月ほどになるでしょうか。すでに手の施しようがないそうですよ?」
そんな柳の様子には全く頓着せず、男は何でもないことの様に軽く告げる。その表情にも変化はなく、本当に彼の命になど興味はないのだろう。その言葉が耳に届いていないのか、柳は呆然とウィンドウに映る映像を見続けている。
「さて、ここで提案なのですが…もし、僕が『助かる方法がある』と言ったら…どうします?」
そんな柳に男がそう囁いた。ウィンドウを見つめていた柳が勢いよく男のほうを向いた。そこには耳まで裂けそうなほどに口元を三日月に歪めた男の顔があった。
その顔は“神”というより、人の欲望に付け込む悪魔の様であった。
こうして柳 正は勇者候補となった。
彼が3つの扉から選んだ扉を抜けた先は聖ウィント王国のスラムだった。
そこで彼は1人の少年と出会い、その命を救った。それが先ほどの黒ずくめの男、シャッテンであった。
柳のジョブは【先導者】だった。
最初にこのジョブを見たとき、彼は頭を抱えた。何せ戦闘には向いていないジョブだ。自分で勇者候補を殺すことが絶望的であり、欠片を集めることが出来なければ願いを叶えられない。
しかし、彼は諦めなかった。
彼にとって幸運だったのは助けた少年が彼を神でも崇めるかのように崇拝し、従順に従ったことだ。それがジョブの効果だったのかは不明ではあるが、彼が危険なスラムの中でも比較的安全な足場を確保することには大いに役に立った。
勇者の欠片を手に入れるためには勇者候補自身が他の勇者候補を殺すか、勇者候補から譲渡されるかしか方法がない。
最初は先導者の能力で譲渡させられないかと考えたが、出来るのはあくまで『先導』であって洗脳や詐称の様な効果はなかった。
そこで再び壁にぶつかった柳であったが、答えは簡単だった。
“神”はこう言っていたはずだ。「他の勇者候補を殺せば」と。
つまりトドメをさすのが自分でさえあれば、そこまでの過程を誰が行おうが問題ないはずなのだ。
そうであるならば他の勇者候補を追い詰めることが出来るだけの実力者を手駒にするか、対処出来ないほどの物量を差し向ければいい。
そう考えた彼は組織力を手にすることを考え始めた。実力者を集めるのはもちろん、軍事力を手に入れるには組織が必要だと考えたからだ。
幸いなことにこの聖ウィント王国では王家の権威付けのために教会勢力の取り込みを行っていた。
最初はそれなりの発言力を持っていた教会だったがそれも形骸化し、今ではただ王を信認するためだけの機関へと成り下がっていた。
その点に目を付けた柳は教会に入信すると、ジョブの能力を使い急速に支持者を増やした。その勢いはすさまじく、わずか一年にして枢機卿に上り詰めるまでになっていた。その裏では【暗殺者】というジョブを得たシャッテンが対抗勢力の要人を次々と暗殺していた訳だが…
そうして枢機卿になった柳は、今やこの国の王の相談役まで務めていた。
まもなく教会の教主選挙が行われる。柳がこの国を実質的に手に入れるまであとわずかだった。




