34.武舞
剣崎は、憐みの目をカルロス第一王子に向けた。
「……いい年して頭は大丈夫か? なぜ俺がお前に仕える。耳障りな戯言は肥溜めにでも向かって言え」
「ぶぶぶぶ無礼なっ、アアアンソニー公! この侮辱はメルダの挑発かっ!」
「はあ……」
さすがのアンソニーも理解がついていけない。
そこへ騒ぎを聞きつけたフィリップ第二王子がやって来て、カルロスに冷たく言った。
「やあ、兄上、また騒いでおられるのですか、アンソニー公、どうかお許しください」
「なぜ、お前が謝るのだっ!」カルロスは口沫を飛ばす。
「兄上、もう少し場を弁えてください。たとえ明日帰国されるにしても、この祝賀会でお話になる案件ではないでしょう。ふっ……、それに彼はアンソニー公の僕、もし家臣に取り立てたいのであれば、アンソニー公に許可を求めるのが筋、違いますか? もっと頭を使われてください」
フィリップは再び「ふっ」と鼻で笑った。
「ぐぬぬぬうう!」カルロスは茹でダコの様になった。
「それは置いといて、この際、私からも彼について取引があるのですが……」
フィリップが言うと、アンソニーは申し訳ないように言った。
「何か誤解されてるようですけど、ケンザキ殿は私の僕でも家臣でも何でもありませんよ」
「え?」フィリップは目を点にした。
「とても恐縮で心苦しく、また有難いことに、訳あって卑小な私の護衛をして頂いていますが、実はケンザキ殿は、私より立場が上なのです」
アンソニー公は剣崎に、優雅にボウ・アンド・スクレイプした。
周囲の貴族がざわつく。
公爵である王配より立場が上とはどういうことか。王配より上は女王しかいない。すると、彼は女王と対等、またはそれ以上か……。
美しい未婚の令嬢の一部が目の色を変えた。
「詳しくは申し上げられませんが(プライバシーの関係上)、そう言うことなので、雇用の件は、もし諦められないようでしたら、また後日ケンザキ殿と……」
フィリップ王子の脳裏には、剣崎が神殿の暗部であるとの噂が浮かんだ。彼の本能は、剣崎に手を出すべきではないと激しく訴えている。
フィリップは何とか「あ、ああ……」と返事した。
一方、カルロス王子は、剣崎が高貴な身分であるはずはない、恥をかかせてやろうと、取り巻き貴族の中から、ダンスが出来ない娘を持つ男爵を選び、悪滅拳と娘を踊らせてこいと命令した。
フェイ男爵の娘、フルールは父親から悪滅拳と踊れと言われ、卒倒しそうになった。家でレッスンしているものの、天性の運動音痴とリズム音痴のため、ダンスは大の苦手である。家庭教師からは、フルールのダンスは「呪術的な不思議な踊り」と評され、極力、公式の場には参加しないようにするか、参加せざるを得ない場合は、目立たぬよう隅で隠れ潜み、座敷童のように気配を殺す。
そうして友達が少なく、隠密能力を高めたフルールであったが、国挙げての祝賀会で、人気絶頂の男性と踊れと言われた。
家の名誉だけでなく相手の評判にも良くない。いや、悪い。最悪である。しかし、第一王子の命令である。
「おおおおお父様、でででででできません……」
「分かっておる……」
男爵も気が気でない。無理に決まっているのだ。踊れるはずがない。しかし王子の命令に逆らえようか。
「ななんとか頑張ってくれ……」
「そそそそんな事おおおおっしゃったって、無理なものは無理なのです……」
「声をかけるだけ良い、断られたら王子だって文句は言うまい、な? お誘いするだけだ。た、頼む……」
頭を下げる男爵にフルールは「そんなあ……」と泣きそうな顔をした。
王子の圧力があるせいか、舞踏の時間になっても、他の令嬢たちは剣崎に声をかけない。フルールは令嬢たちの囁き声を聞きながら、ギクシャクと剣崎に近づいて行き、王城の尖塔から飛び降りるつもりで声をかけた。
「おおおおおおお踊っていいいいただけますか………」
剣崎は静かにフルールに目をやった。
しばらく何も言わず、周囲の人々は固唾を呑んで剣崎がどうするのか見守った。
沈黙が流れ、フルールはとめどなく冷や汗を流した。
それを見てアンソニー公が明るい声で言った。
「ケンザキ殿、こんな可愛らしいお嬢さんのお誘いです。警護の事は一時忘れて、踊ってらっしゃい」
「……いや……、しかし……」
「ああ、それなら僕も一緒に踊りましょう。そちらのお嬢さん、一曲踊っていただけますか?」
アンソニー公は近くの令嬢に声をかけると、彼女はパアッと顔を明るくし、片手を差し出した。アンソニーは手を取り、剣崎とフルールに言う。
「さあ、これで良いでしょう」
フルールは、ぜんぜん良くないと顔を青くし、ガタガタ震えだす。
剣崎は、そんなフルールに手を差し出した。
「……大丈夫だ、問題ない……」
「ひひひひゃい……」
フルールは震える手を剣崎の手にのせた。アンソニーと剣崎のペアは会場の中心へと歩いて行く。それを貴族たちは期待の目で見守り、カルロス王子は「くくくく」と嫌らしく笑った。
楽団がバロック調の音楽を奏で始める。アンソニーと令嬢は優雅に踊り始めたが、剣崎とフルールは向かい合って立ったままである。
人々は「二人は何をしているのか」と囁き合い、カルロスは笑いを堪えるのに必死だった。
「ダンスが苦手のようだな」剣崎が言う。
「ふふぁい」
「何も考えるな、目をつぶれ、ゆっくり呼吸をしろ」
フルールは言うとおりにする。瞼の帳が落ちると暗闇、呼吸に意識をむけて整えた。剣崎の温かい力強い手が自分の腰に触れ、フルールも彼の肩に手をまわした。
「あとは力を抜いて……、付いてこい」
瞬間、顔に風を感じた。身体が軽い。踊ろうとしていないが、踊っている。回転している。跳んでいる。不思議な感覚だった。
音楽と共に、周囲の驚嘆の声が聞こえて来る。
「なんて美しい」
「見た事ないステップ……最新式か」
「悪滅拳様……」
フルールは恐る恐る目を開けた。
すぐ目の前には、目つきは恐いが、自分を包み込んでくれる頼れる男性がいた。やさしくフルールの身体に手を添え、それでいて、優雅にスピード感ある動きをリードしてくれる。
身体が軽い、音楽との一体感、男性との一体感、それが心地よくて、天にも昇る気持ちだった。
フルールは生まれて初めてダンスが楽しいと思った。
至福の時は、あっという間に終わり、フルールは上気した顔で剣崎にカテーシーすると、割れんばかりの拍手を貰った。
フルールの目から涙がこぼれ落ちる。剣崎は慌てた。
「ど、どうした」
「い、いえ、すみません、そ、そのう、とても楽しかったです。踊っていただき、本当にありがとうございました……」
泣きじゃくって喜ぶフルールを見て、剣崎は目を泳がせ、頬をかいてから言った。
「……また、いつか踊るか?」
「は、はいっ!」
「では、精進しろ」
「はいっ!」
フルールは元気よく答える。アンソニーが笑顔でやって来た。
「いやあ、完全に主役を奪われましたよ。まさか、ダンスの達人だったとは」
「……」
剣崎はダンスが得意でも何でもない。警察学校時代や、皇宮警察の仕事を手伝った時などに少し練習しただけである。
しかし武道を極めた剣崎にとって、このくらいは朝飯前だった。
音楽に呼吸を合わせて動くのは、戦いと同じ。
先の先をとり、後の先をとる。相手の僅かな気を読み、全体を観て敵に応ずる。最小の力で相手を動かし翻弄する。
「武は舞に通ず」である。
見ると、フルールの周りには令嬢が群がり、「すごかったですわ!」「どうでした?」と盛んに感想を聞かれている。フルールは楽しそうにはしゃいでいた。
その後、剣崎は大勢の美しい女性からダンスに誘われて困り果て、カルロス王子は地団太を踏んで悔しがった。
清宮明日香はオーガのオーちゃんと、楽しくサバイバル生活をしていた。
オーガの手助けで高レベルの魔物を狩ることで、あれからだいぶレベルアップし、今では三十はある。
そんなある日、清宮は他にも人間がいることをオーガから聞いた。
「ほ、本当っ!? どこにいるの!」
「ふがっぢ(あっち)」
オーガは指で湖の向こうを示した。
「西なのね! 西に行けば人がいるのね!」
「ふんがっ」と頷く。
清宮は「私、行く!」と決意すると、オーガは「ふがぶない(あぶない)、だめ」と止めた。
「どうして」
「ふがすか(明日香)、よわい」
清宮は強力な魔物が出るのだと思った。
どうしよう? ここでもっとレベルアップしてから行こうか?
ううんっ、その前に、と清宮は頭を振った。
オーちゃんは友達だ。別れたくない。でも人間に会いたい。町に行きたい。普通の暮らしをしたい。
人間はオーちゃんを見たらどう思うんだろう。怖がらせるかもしれない。オーちゃんは人間を見たらどうするんだろう。食べちゃうのかな?
「オーちゃん、人間ってどう思う?」
「ふが?」
「こわい?」
「ふがっ、よわい」
「殺す?」
「ふがすか、ともだち、ころさない」
「他の人間は?」
「ふがっ……、ころさない」
もしオーちゃんを見て怖がっても害がないって、ちゃんと説明すればいいじゃん。オーちゃんは、ここにいたいかな。私といたいかな? 友達に無理強いは出来ないよね。
「私、どうしても行きたい」
「ふがすか、だめ、」オーガは首を横に振った。
「オーちゃんも行く?」
「いぐ、ふがすかと、いぐ」オーガは首を縦に振った。
「一緒に?」
「ずっと、いっしょ……」
清宮が、ぎゅうっとオーガの脛に抱き着くと、オーガは丸まって悶絶した。




