三十二話 フィーネ帰る
「まあこんなもんですかね~。このぐらい間引けば大丈夫だと思いますよ~」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~」
ユキの余計なお世話……もとい海洋魔獣おびき寄せ作戦の終了を告げられたクレアは、安堵のため息と共にその場に崩れ落ちた。
数分前まで怒号と悲鳴が飛び交っていた通信機の向こうでも、同じ反応になっていることは容易に想像がつく。『今から戻ります』の言葉を最後に無言なのが何よりの証拠だ。
「フィーネ……頼むから、今後の実験には前もって心の準備をさせてくれ……」
「私は何もしていませんが? そういったことは本人に直接言うべきかと」
「えっ、私ですか~?」
ケロッとした顔のユキが、自分のこととは微塵も思っていなかった様子で首を傾げる。
「お主以外に誰がおるんじゃ……! どれだけ呼び寄せたと思っておる! 海が黒い塊みたいになっておったんじゃぞ!? 船の連中が泣いとったんじゃぞ!?」
「最初からわかってたことじゃないですか~。中途半端でやめたら第二第三のクラーケンが現れてたかもしれませんよ~。クレアさんもそれがわかってたから最後までやらせたんじゃないんですか~?」
「だから責めとらんじゃろ! 敵の数や作戦を前もって伝えろと言っておるんじゃ! こっちにも準備と覚悟がいるんじゃ!」
「それは海を舐めすぎですよ~」
「ええ。この程度で済んだことを喜ぶべきですね。SランクどころかAランクの魔獣すらおらず、数も大したことはありません。勝手に作戦を変えたユキにも問題はありますが、この程度は想定しておいていただかないと」
「ですよね~。クレアさんってば非常識ですよ~」
「……もう海洋貿易やめようかのう」
世界の脅威、そして強者の常識を目の当たりにして、魂が抜けたように呟くクレア。
その視線は遠く水平線の彼方へ。もはや商人というより、人生すべてを悟った老賢者のそれだった。
「まあまあ。結果的には港が安全になりましたし、魔獣回収してぼろ儲けですし、パイプのことも確認できて良かったじゃないですか~」
「良かったじゃと!? 心臓がいくつあっても足りんかったわ! 寿命は十年縮んだわ!」
「生きてるなら大丈夫ですよ~」
「くっ……言い返せん!」
生きてるだけで丸儲けがモットーのクレア。
そんな少女に気遣ったかは定かではないが、フィーネが来店の目的を告げた。
「実は今日は帰る前にご挨拶と、竜車を一台買おうと思いまして」
「お金ならありますよ~」
塩樽十個と各種魔獣の素材だ。
自力で運べなくはないが、あまりにも目立つ。オルブライト一家との約束もある。
「いらんいらん。お主等には恩がある。好きな竜を一頭、持っていくがよい」
「おおっ! ラッキーですね~。でも、竜の代金をちゃんと払って、貸しにしておいた方がお得かも~?」
「ろくでもない計算するのはやめいっ!」
フィーネを置いて盛り上がる二人。
要らないとはとても言えそうにない。
「そうですね。有難く受け取っておきましょう」
「やれやれ、ようやく礼ができるわ……」
クレアは、長きにわたる交渉が実ったかのように安堵し、胸を撫でおろした。
「どうする? 今から見に行くか?」
「はい。お願いします」
「クレアさんも来るんですか~?」
「ん? ああ、持ち場離れて大丈夫かという話か。なら問題ない。どうせ船が戻ってくるまで何もできん。通信機で他の場所でも聞いておるはずじゃが、それでも信じない者がおるからな。現物と当事者を集めて言及してくれるわ」
黒い笑みを浮かべるクレアに案内されて、フィーネ達は街外れにある牧場へと歩き出した。
「あの中から好きなのを選ぶのじゃ」
草原に囲まれた広々とした牧場は、空の青と大地の緑に包まれていた。柵の内側には、さまざまな体格と色彩を持つ竜たちが、思い思いにくつろいでいる。
「フィーネさんフィーネさん、こういう時は店員のオススメを聞くのが無難ですよ~」
「それがそうもいかんのじゃ。竜は賢い。気配や振る舞いから、相手がどれほどの覚悟で来ているかは察するものよ。竜の中には、自ら主を選ぶ者までいると聞く」
「フッフッフ~。そうだと思いましたよ~。駄目ですよフィーネさん、他人任せにしちゃ。現物を見て決めないとトラブルの元。私の知り合いも昔それで痛い目に――」
「ユキ、少し黙っていてください……」
フィーネは軽く額を押さえ、クレアはくだらない掛け合いにくつくつと笑い、ユキは職人面で何やら語り始める。
「ここは目利きのユキさんと呼ばれ恐れられている、この私にお任せです~」
「いえ、私が選びます。今後オルブライト家で共に暮らす家族ですので」
フィーネは広い牧場内をくまなく見渡し、ある一点で視線を止める。
「グル?」
「……あの黒い竜にします」
軽く殺気を飛ばして、真っ先に反応したのがその竜だった。
殺気に敏感ということは、魔獣の気配や危険を察知できるということ。生存本能の強い優秀な個体だと判断した。
「あれは小さすぎるのではないか? あっちの緑色の方が体力がありそうじゃぞ?」
「クレアお嬢様の言う通りですな。アイツは成長が止まっておりまして、これ以上大きくなりません。正直、オススメはできません」
「いいえ、あの子に決めました」
飼育員とクレアの忠告にも耳を貸さず、フィーネは自分の直感に従う。
そこまで言われてはクレア達も引き下がるしかなかった。
「あなたの本当の飼い主は別にいます。名前はその方につけていただきますので、それまでは……竜と呼びますね」
「グルル」
言葉を理解したのか、偶然なのか。
竜は小さく頷いて見せた。
「いろいろ世話になったな。おかげで商会員も増え、クラーケンも倒せた。まさか二匹分の素材を取り扱えるとは思いもせんかったぞ。お陰で大儲けじゃ、はーっはははっは!」
クレアは腰に手を当てて、高らかに笑い声を上げる。
「また儲け話があったら、ぜひ声を掛けてくれ」
「儲け話をした記憶はないのですが……」
「何を言っておる。お主等が起こすトラブルこそ、儲け話なのじゃ。面倒事は御免じゃが、上手く立ち回れば凄まじい利益を生む、ハイリスクハイリターンの実に商人向きの存在じゃ。それに……くくく、お主等とおると飽きんしの」
イタズラっ子のように笑うクレア。年相応の姿がそこにはあった。
そんな軽口もほどほどに、真剣な眼差しがフィーネをまっすぐ射抜く。
「お主等は変な奴等じゃ。だが悪くない。我の商売勘がそう言っておる。また縁があれば、共に面白いことをやろう」
「いえ、面倒事は御免です」
「お主が言うか!? ここは『楽しみにしてる』とか言うところじゃろ!?」
「そうですよ、フィーネさん。面倒事は全部クレアさんが片付けてくれるって言ってるんですから、素直に喜ぶべきです~」
「それも違うがな!?」
「ええ、楽しみにしてます」
「タイミングっ! そこで言うと意味が変わってくるんじゃが!?」
にぎやかなやりとりを終えた三人の間に、一瞬だけ静寂が訪れる。
「さて……そろそろ戻るとするかのう」
クレアが腰を伸ばし、重たそうに息をついた。
「お世話になりました。また会う日まで、お元気で」
「バイバイです~」
「うむ! 次会う時は立派な商人になって驚かせてやるのじゃ! そして今度こそ一緒に過ごしてもらうから覚悟しておけ!」
こうして、二週間におよんだアクアでの生活は幕を閉じた。
「あ~、この鳥、また魔石を食べましたよ~」
ヨシュアへの帰路は順調そのものだった。
あえて問題を挙げるとすればユキと竜の相性。
見た目が竜というより鳥に近いため、ユキはいつも『鳥』と呼んでいる。が、そのたびに竜は露骨に嫌な顔をする。
「グルルーッ!」
「痛いですー! なんで私の髪を食べようとするんですかー!」
怒った竜は、とうとう攻撃に出た。
道中で倒した魔獣は、素材に手もつけずそのまま放置しているのだが、荷台を引いていた竜が立ち止まり、モシャモシャと食べていく。
しかもその後は、食った分を取り返すかのように元気いっぱいに走り出すので、結果として移動時間は短縮され、フィーネとしては文句のつけようがない。
「鳥と呼ばれるのが気に食わないのでしょうね」
この二人、どうにも相性が悪いらしい。
魔石を食べる以外はとても従順なのに、ユキとだけはいつも喧嘩している。
(それにしても魔石と精霊の髪を食べるとは……魔力を欲している?)
そんなフィーネの疑問はすぐに解決した。
ユキの髪を食べた翌日。竜が一回り大きくなり、体力も脚力もぐんと上がっていたのだ。
「ユキの髪にこのような効果があるとは知りませんでした」
「別に精霊王の血肉を食べたからって強くなったりしませんよ~。髪の毛なんて口にしたら食当たり起こして立ち往生確定なので、喉を通る前に魔力に分解してあげたんです~。つまり! 私が力を付与してあげたも同然!」
食べられたいのか食べられたくないのか。
「それにしても、人様の魔力を食べて強くなるとか、許せませんね~。このまま魔獣になるんじゃないですか? 今のうちに退治し――」
「グルッ」
「おっふ⁉」
竜の尾が唸りを上げ、見事なアッパーカットでユキの言葉を封じる。
走行中のため噛みつき攻撃はできないが、尻尾だけでユキと見事な攻防を繰り広げている。
「はぁ……ユキ、威嚇しないように」
氷の刃を構えて本気になり始めたユキをたしなめながら、フィーネは確信する。
――この旅、騒がしくなりそうだ。
そして、念のため釘を刺しておく。
「もしルーク様に牙を剝くようなことがあれば、許しませんよ?」
ガタガタガタガタ……!
震え上がった竜は、さっきまで喧嘩していたユキに涙目でしがみついた。
「殺気を抑えてくださいよ~。精霊達が脅えてます~」
「おや、私としたことが。ルーク様を傷つける敵を想像してしまって、つい……」
「グルルル!」
そんなことはしないと言わんばかりに、ブンブンと首を縦に振る竜。
「え~? 今のうちに非常食にしちゃいましょうよ~。ちょうど食料減ってきましたし、この鳥は絶対敵対しますよ~」
「グルルーッ!」
味方から一転、また敵に戻った二人は、即座に喧嘩を再開。
(やれやれ……相性が良いのか悪いのか……)
再びため息をつきながら、フィーネは空を仰ぐのだった。
アクアを出発して一週間。
竜の成長により移動速度は飛躍的に向上したことで、既にヨシュアまでの道のりを半分以上も進んでいた。
「この調子なら、あと四日ほどでヨシュアに着きそうですね」
「ついにご対面ですか~。楽しみですね~」
思っていたよりもずっと早く、ルークと再会できる。
そう思うと自然に笑みがこぼれるフィーネだったが、その計画はあっけなく打ち砕かれることとなる。
「た、助けてください! 山で食糧を集めていたら魔獣に襲われて!」
「早くしないとユウキが死んじまうよ!」
「……っ」
全身ボロボロの三人の少年少女が現れた。
一番聡明そうな少年に続き、ヤンチャそうな少年が縋るような目と声で助けを求める。少女はただただ震えている。
(やれやれ……)
フィーネがオルブライト家にたどり着くのは、まだまだ先になりそうだ。




