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異世界の魔道具ライフ  作者: 多趣味な平民
二章 フィーネ無双

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二十六話 フィーネ知る

 翌朝。


 一晩かけて死骸の山と、樽の底が見えなくなる程度の塩を手に入れたフィーネは、漁師や職人が活動を始めるのに合わせて太陽が昇るより早く町へと繰り出した。もちろん海水は汲んでから。


 目的は、塩の販売価格や流通量、そして製造方法の調査。


揚浜式あげはましきですか?」


「おうとも! 海水を浜に揚げるからそう呼ぶんだ!」


 日焼けした職人は突然の訪問にも快く応じてくれた。むしろ声が弾んでいる。


「この砂場は塩づくり専用でな。海水を撒いて、砂が乾いたら塩の付いた砂を集めて、海水で洗い流す。そうすることで濃度を高めて不純物を落とせる。手間はかかるがこれが一番美味い塩になる。ほら、今からやるから見てな!」


 そう言うなり、男は衣類をばさっと脱ぎ捨てて、ふんどし一丁で海へ駆け込んだ。


 本来は無口で気難しいことで知られる人物なのだが、マント越しでも隠しきれないフィーネの胸元が、その態度を一変させていた。


「これがアクアの伝統的塩づくりよぉ!」


 男は下品とも無邪気とも取れる笑みを浮かべ、海水を両手で抱えては砂浜に勢いよく撒いていく。


 やっていることは「そ~れ!」「きゃっ、冷た~い」と海ではしゃぐバカップルと同じだが、スケールが違う。相手は五十坪の広大な砂浜。滝のような勢いで均等に撒くのは熟練の技である。


「他所は魔道具や桶を使うがアクアでは水魔術だ。こっちの方が早いし質も良くなる。もっとも、腕がなきゃできないだがな」


 妙に熱のこもった声が続く。


 フィーネにとっても有益な情報はありがたいので、適当に相槌を打ちながら観察を続ける。彼女が興味を失わないことで脈ありと勘違いした男は、さらに張り切る。幸福スパイラルだ。


「にしてもアンタは気にしないんだな」


「……? ああ、汚れのことですか」


 裸足で砂を踏み、汗まみれで海水を撒く。いくらろ過や熱湯処理するとは言え、口に入れるものでそんなことをされれば大半の者が嫌悪感を抱く。


 だがフィーネは首を横に振った。


「平気ですよ。自然物とはそういうものですから」


 その声には一片の躊躇いもなかった。


 作物は動物の糞尿や死骸、植物が腐敗したものを糧に育つ。動物はそれを食べ、人間はその動物を食らう。


 人は汚物を糧に生きている。それが自然の摂理だ。


「食事前におこなう『いただきます』は、その命と、それを育てた自然界への感謝の言葉。生産者の苦労や努力を蔑ろにすることこそ、嫌悪すべきことだと私は思います」


「……へっ、俺の目に狂いはなかったってことか。どうだい。お姉さんもやってみるか? その格好からするに旅人らしいし、魔術も扱えるんだろ?」


「いえ、遠慮します」


「そう言わずに。手や桶で撒いても良い。簡単だし楽しいぞ?」


「遠慮します」


「……そっか」


 取り付く島もないフィーネの態度に、男は肩を落とした。


 ――実を言えばこの男、濡れた服が肌に張りついてスケスケになるのが見たくて、この仕事をやっていたりする。観光客の中には体験したり海水を浴びせられて喜ぶ者も多い。


 趣味と実益を兼ねた彼にとって理想の職場だ。


 偉いとエロいは近くて遠いものである。



「うっし、終了!」


 作業すること十五分。


 男は海から上がると、獣のように全身を震わせて水滴を飛ばした。


「乾くまで待ちだ。今の季節なら八時間ほどだな」


「そ、そんなにですか……」


 風魔術や精霊術ですぐに乾燥させられるフィーネにとって、それは驚愕の数字だった。同時に、塩が高価で流通量が少ない理由にも納得する。


「火や風の魔術を使って短縮できないのですか?」


「なんだ、知らないのか。アクアの連中は水魔術に秀でる代わりに火魔術は苦手なんだ。風も駄目だな。魔術師雇ったり魔道具を試したこともあるが、吹き飛んだり味が落ちたりで失敗。自然乾燥が一番って結論になった。たぶん太陽光が味を引き出してるんだろう」


「道理ですね。自然界の力を媒介にすれば効率的に……」


 声が萎んでいき、思考が膨らんでいく。


 貯水ボックスはろ過で真水と不純物を分けるが、その速度は遅すぎる。対して揚浜式は自然蒸発と砂という媒介を利用して濃度を引き上げる。


(自然由来の過程だからこそ精霊が宿り、不純物が取り除けるのですね。この方法なら貯水ボックスも効率化できるかもしれません)


 やはりルークが期待していた『短期間で大量生産』という条件を満たすには工夫が要る。


 そう結論づけると、フィーネは小さく頷いた。


「どうした?」


「いえ、なんでもありません。ところでアクアの住民がそのような体質なのは何か理由が?」


「ふっふっふっ、よかろう。語ってしんぜよう」


 巨乳に目がない男は、芝居がかった動きで老人を真似て、存在しない顎髭を撫で回しながら語り始めた。


「アクアは数百年前までは寂れた漁村に過ぎんかった。しかしある時、水神すいじんという恐ろしい魔獣が現れて、近隣の村ともども滅亡寸前になったんじゃ。それを倒した若者こそ、何を隠そう後の勇者じゃ」


「あの……普通に話してくださって大丈夫です」


「お、助かる。実はこの声、喉にくるんだよな。もう限界だった」


 勝手に勘違いして満足した男は、馴れ馴れしい調子に戻って話を続けた。


「アンタも水神を見たことあると思うぞ。町中にある蛇みたいな魔獣の像だ」


「ああ、なるほど。あれが水神でしたか。私はてっきり水竜かリヴァイアサンかと」


 町の入り口で見た銅像を思い出す。


「すいりゅう? りばいあさん?」


「お気になさらず。こちらの話です。しかし過去の宿敵を町のシンボルにするとは……普通は勇者像を建てるのでは?」


「ああ、それには理由がある。さすがの勇者様も食糧難はどうすることも出来なかった。そこで当時の人達がやむなく水神の肉を食べたところ、食べた全員が強力な水魔術を使えるようになったんだ。その力で他の魔獣を倒し、交易を広げ、温泉や塩を作り、ついには水の都と呼ばれるまでになった。その恩と海は怖いっつー戒めを込めて、水神を祀ってるってわけさ」


(……妙ですね。魔獣の血肉を摂取することで力が増すのは珍しくありませんが、世代を超えて受け継がれるとなると対象は限られます。もし水神が水竜かリヴァイアサンだとすれば納得もいきますが……人類が海であれ等を討伐できるとは思えません。食べるための処理も知らないでしょう)


「勇者についてはわからん。照れ屋だったとか、そういう形で伝えるよう命令が下ったとか、そんなところじゃないか? そもそも存在した証拠すらないから、そこからしてもう眉唾だけどな」


(正体を隠していることを踏まえると、強者が手を貸したと見るべきでしょうね……おそらく“彼女”が)


 国を滅ぼす強大な魔獣を圧倒できる力。海での戦いを得意とし、人類と関わりを好み、数百年生きる存在。


 フィーネの脳内に一人の人物が浮かぶ。


(まあ過去のことですね。水神の正体がなんであれ、倒したのが誰であれ、私とルーク様には関係のないことです)


「ちなみに水撒きだけじゃなくて、煮込みでも水魔術を使うぞ。絶えず水の流れに干渉して沈殿や偏りを防ぐんだ」


 少しでも品質を高めようと工夫しているようだ。


「だが最近は血が薄れて強力な魔術師が減っててな。跡継ぎ問題が深刻なんだよ。そこでどうだい。魔術の心得と塩づくりに興味のあるお姉さん。俺と――」


「お断りします。それより次の工程ですが――」


 渾身の告白、失敗。


 フィーネの視線はすでに煮込むための小屋へ向いていた。



 男に案内され、二人は煮込み小屋へ足を運んだ。


 外は海風にさらされて涼しかったが、扉を開いた途端、むっとした熱気が肌にまとわりつく。犯人はずらりと並ぶ大釜。赤々と燃える薪の上に据えられ、塩水がぐつぐつと泡を立てていた。


 数人の作業員が木杓子を手に黙々と撹拌している。全員の額に汗が伝う。


「ここでは海水を濃くした鹹水を、この馬鹿デカい鉄鍋で丸一日煮込むんだ。時間も燃料も食うが、これをやらなきゃ塩にはならん」


「丸一日……」


 思わずため息が漏れる。砂浜での乾燥と合わせれば、完成までに数日以上。塩が高価になる理由がまた一つ裏付けられた。


 男が傍らの樽を指差すので、中を覗き込み、鼻を近づける。


「……確かに普通の海水よりも刺すような塩気を感じます。先程の砂がこうなるのですね」


「ああ。普通の海水は濃度三パーセントぐらいだが、鹹水は二十パーセントを軽く超える」


 続いて男は木杓子で表面を掬い上げる。白い泡と灰色の不純物が浮かび、湯気とともに鼻をつく匂いが立ち昇った。


「この灰汁を丁寧に取り除くほど、塩の味は澄んでいく。ぱっと見は混ぜるだけだが、加減を間違えると全部台無しだ。水撒きと同じぐらい技術がいる」


 木の棒を差し入れ、男は慣れた動きで大釜をかき混ぜる。


 フィーネは視線を凝らす。


 確かに大釜の表面では、ただの沸騰では説明できない細かな渦が生じ、成分が均一に攪拌されていた。水魔術による制御の痕跡だ。


「かなりの労力ですね」


「ああ。だが塩づくりに休みはない。竈か大釜が壊れない限り一年中火を焚きっぱなしだ。それでも足りないだの高いだの文句言われんだから堪らねえよ」


 男の声には先程までの軽薄さはなく、職人の誇りと苦労が滲んでいた。


「つーわけで、お姉さんの知り合いで魔術に長けた女を紹介――」


「お断りします」


「じゃ、じゃあ魔術に長けてなくてもいい。美人で胸が大きくて、仕事に理解のある女を紹介してくれれば、この国のためにも――」


「お断りします」


「てことは、いるんだな!? 頼む! 海の男に出会いを! 塩産業に新しい風を!」


「丁寧に教えていただきありがとうございました。大変参考になりました」


「待ってくれ! 俺の人生まで塩辛くしないでくれ!」


 泣き叫ぶ職人を無視してフィーネは煮込み小屋を後にした。背後から「出会いを!」「未来を!」「胸を!」とモテない男の嘆きが追いかけてきたが、振り返りはしない。


 日も昇り、外の空気は熱気を帯びていながらも、屋内よりは遥かに心地よい。海からの風を吸い込み、彼女は深く息を吐く。


(もし短期間で大量に高品質のものを生産できれば、世界の経済は大きく変わるでしょう。ですが同時に町全体を敵に回す危険がありますね)


 技術革新によって職を失ったり稼ぎが減る者が出るのは仕方のないこと。しかしそれによって伝統や情熱まで失われるのは駄目だ。


 それに男は少し勘違いしていたが、才能とは生まれ持ったものだけではない。長年の積み重ねで磨き上げられたものも含まれる。すなわち塩産業が変わることは水魔術師のさらなる弱体化を意味していた。


(どうにか誰も損しない未来はないものでしょうか……)

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