別れ
「聖杯があるのは分かったけど、この空間やあの鬼、これらの現象はなんなの?」
聖杯――神宮さんが言うアマシ様の効果としては、見た目と肉体強化だけのはずだ。
鬼達の事は半分だけだが、それで説明がつくかもしれない。あの伊集院君を八つ裂きにした筋力が聖杯由来のものだと考えると、神宮さんのように人知を超えているのも納得できる。
だけど、鬼達のあの姿についてはよく分からなかった。何故なら神宮さんは鬼にある身体特徴が一切なかったからだ。
「さあ?」
「さあって――」
「ごめんなさい。それは本当に分からないの。アマシ様がこの空間を生み出したのか、それとも違うのか。またあの鬼の姿も確かに――私も人を八つ裂きにする姿は見たことあるわ。あの力はまさしくアマシ様由来だと思うの。私のお母さんも、あれぐらいの怪力はあったから。でも……あの姿は分からない。あれがアマシ様の力が生み出した人とは全く別の怪物なのか、それともここに元々いる化物なのかは」
神宮さんは顎を擦りながら考えていた。
だが、その考えも払拭したように彼女は笑顔になって、僕を誘うように甘い息を吐いた。どうやら彼女は自分自身の魅力を分かっているらしく、そのちからを最大限に発揮しようとしているらしい。
「それで、あなた達は何か分かったのかしら? 私がここまで教えたんだから、あなた達も何か教えてくれていいんじゃない?」
「神宮さんは本当にそれ以上、何も知らないのか? 本当に何も見つけていないのか?」
「ええ。さっぱり。ここに来てからしたことと言えば、戯れに鬼を殺したぐらいだわ。最も、村にアマシ様を連れ戻すためなら、怪物どころか、人すらも殺す気だけど。うふふ――」
口元を抑えて嗤う神宮さん。
その笑顔に思わず寒気がしたが、それに怯えずに僕は口を開いた。
「僕達が考えたのは一つの可能性だけだよ。そもそも今、オレンジの霧に囲まれて外に出られない。白点橋から出たら、黒点橋についたからね」
「どういう事?」
どうやら神宮は聖杯をこの町から探し出すことが目的なので、町から出ようとはしていなかったみたいだ。そこで先程菊花と向日葵が白点橋から出ようとした所、最初にこの怪しげな空間に入った黒点橋に繋がるという不思議な経験を話した。
また神宮さんがいなくなってから数日が経ったことも伝えた。神宮さんは驚いているように嘆息をしていた。
「それで、だよ。僕達はここに縛り付けられている理由を、あのオレンジの霧ではないか、と予測した。この町には昔から霧がよく発生して、その霧は川の上流の山から生まれて、そこから流れる風によって降りてくるんだ。だからオレンジの奇妙な霧の発生源も、川の上流、つまり山のほうにあるのではないか、という考えに至ったんだ」
これまでに掴んだ情報と、それに関する推測を僕は惜しげもなく披露した。
「へえ。面白い推理ね」
「だから僕達は上流におそらくあるだろうオレンジの霧が発生している原因を突き詰めて、この町から一刻も早く出たいと思っている」
「なるほどね。もしもそのオレンジ色の霧を出しているのがアマシ様なら、それもそこにありそうね――」
「それはどうか分からないけど」
「まあ、闇雲に探すより、可能性はありそうね」
神宮さんが僕の意見に賛成していると、やがて玄関のドアの音が鳴る。だがそれは、ノックをするような謙虚な音などではなく、めきめきとまるでドアを外側から無理矢理ハンマーか何かで叩くような音だった。
それも金属製のドアがひしゃげているようにも思えた。
「まずいわね――」
神宮さんが言った。
この町にいる生物としては二種類だ。自分たちのような人間か、それとも人を超える膂力を持つ鬼のような怪物か。ただの人がこんな民家のドアを壊そうとするのは道理がおかしいので、きっと玄関の扉の先にいるのは鬼だと思った。
「逃げるよっ!」
全員が椅子から立ち上がろうと瞬間、僕の真後ろの壁を突き破って、赤黒い腕が飛び出してきた。それは明らかに鬼の腕であり、これまで見たどの腕よりも太い。そのまま鬼はもう一本の腕で壁を貫き、そのまま壁を両腕で切り裂いた。二本の太い角の跳ねた鬼の右目が僕たちを射抜く。その時にはもう裏口から逃げ出そうとしていた。
「それじゃあ二手に分かれましょう!」
神宮さんは僕たちが向かったのとは別の出口に向かう。
「一緒に――」
と向日葵さんが遠慮した声をかけるが、神宮さんは止まる様子はなく、小さく首を振った。
「いいえ。おそらくだけど、ここで敵のマークを分散させたほうがどちらも生き残る可能性は高いわ。そして――運が良ければ、先程の約束した場所でまた会いましょう!」
神宮さんは大きな声でそれだけ言うと、鬼がリビングに入ってくるよりも早く、もう一つの出口に消えた。
「それじゃあ、また!」
向日葵さんも大きな声で神宮さんに別れを告げた。
それと同時に先程の鬼がリビングに入ってくる。その大きさはこれまで見たどの鬼よりも大きく、体も大木のように太かった。赤黒い体の上に、青い血管のようなものが浮かんでおり、どうやらこれまで二人が見てきた鬼とは一風違うようだ。
だが、それらを観察するよりも早く、僕たちは裏口から出ていった。その時の空はやはり夕方のままだった。
◆◆◆
僕は背後で建物が崩れていく嫌な音を聞きながら、ただ走る。だが、真っ直ぐ川の上流に向かうようなことはしない。脳裏には川近くで殺された伊集院君の事を忘れることなど出来ず、水辺近くは危険だというイメージが今でも離れない。
だから遠回りしてでも川の上流に――オレンジの霧の発生源に行くことにした。
だけど今日は何度も何度も全力疾走をしているので、先程の家を飛び出してすぐに体力がつきて息が上がってきた。だから近くにあった小道で休むことにする。
そこで息を整えながら考えたのは、川の上流に〝何があるか〟と言うことだ。
僕も小学校の頃に、同級生たちと麻日川の上流を目指したことはあるのだが、たしか途中で山に出くわしてそれ以上は進めなかった記憶がある。
他に、何かあっただろうか?
「ねえ、向日葵さん、もしも川の上流にオレンジの霧を発生させる何かがあったとして、そこには元々何があったか知っている?」
「どういう事?」
「このオレンジの霧が、おそらく自然発生ではないと考えて、それを起こしている何かがあるとして、元々川の上流には何があったか覚えている? 山がある事は知っている。他には一体、何があるのかな?」
「……確か、古い洋館かな。そういうのがあったと思うけど」
向日葵さんは頭を両手で抱えながら記憶を必死に思い出そうとする。新聞部なので町についての調査はかなり深い所まで行っていたのだ。僕は記事にしているけど、いつも他の取材を記事にしているだけの為、あまり頭の中には残っていない。
だから僕の記憶の中に、洋館の姿はない。あるかも知れないが、忘れているのか全く覚えていなかった。
「なるほど」
「覚えていない? 一度幽霊屋敷として記事にしたことがあるから、覚えていると思っていたよ。 あの川の上流にはね、ひっそりと……ではないけれど、山の中では目立つほどの大きな屋敷があるの。昔からあるんだよ。私が小学生の時にはもうあったかな」
「……他には?」
「ないよ。木ぐらいじゃないかな。あるのは。あの洋館以外には何も無いんじゃない。山の中にはスキー場や牧場などもあるけれど、川の近くという条件なら洋館ぐらいじゃないかな」
向日葵さんの言葉で、その洋館に何かがあるのではないかと僕は思った。
山の中を捜すつもりだったとはいえ、なにも手掛かりがない中闇雲に捜すのは厳しいだろう。だから手掛かりを考えていたのだが、霧を発生させる何か、例えば機械のような物があるとしたら、それは建物の中ではないかと予想する。
「じゃあ、決まりだね」
「決まりって、もしかしてあの洋館に行くつもりなの?」
「うん。ひっそりと山中にたたずむその館と、山から降りてくるオレンジの霧。何か共通点があるとは思わない?」
「確かにそれはそうかも知れないけど……でもね、あの洋館って本当に古ぼけていて、誰も住んでいないっていう噂だよ」
それから向日葵さんは、洋館の情報について教えてくれた。聞いている内に以前の記事を思い出しそうになるが、やっぱり忘れていて分からない。
洋館はどうやら古いものらしく、僕が小学生の頃にはもう既にその館はあったらしく、その時にはすでに外装がところどころ剥がれ、補修工事もされないまま草が壁にまで生えているほどであっらしい。
さらに向日葵さんはそこの家主についても知っているようだ。
「それでね、そこの主人なんだけど、どうやら私のお母さんから聞いた話では相当な地元の名士らしいの。それこそ、幽現市の中では有力な人だったんだけど、二十年ぐらい前かな。それぐらいからあの屋敷を買ってそこにひっそりと暮らしたまま、一切、外に出なくなったんだって」
今から行こうとしている屋敷の主人は、この町では有名なようだ。それこそ向日葵さんが名前を知っているほど。
その名は――法流院蓮杖。
確かにうっすらと法流院という名は菊聞いたことがあった。前の市議会議員だっただろうか。それとも市長だっただろうか。道端にある選挙のポスターの名前に、法流院という名前が乗っていた。その下に続く名が蓮杖かどうかは記憶が定かではないか、法流院という名は珍しかったのでよく覚えている。
「それで、その法流院蓮杖ってどういう人なの?」
「さあ? 詳しくは知らないよ。それ以上は何も聞いていないし、ただね。本当にあの館に住んでいる人は外に出ないから、死んだんじゃないかっていう噂があるんだよ。それが私の周りでは流行ってね、秋空君は聞いたことがないの?」
「そうだね……確かに……」
過去を思い出す。
確かにそんな噂があったような気がする。
薄暗い森の中、誰もいない大きな屋敷に人ならざる者がいるという都市伝説。子供の頃は話半分にしか聞いていなかったが、このような状況に陥ってみると、あの屋敷に何かあるのではないかという予感に駆り立てられる。
「……私は他には何も知らないかな。あの洋館を実際に見たこともあるけど、本当に古くて大きいだけだよ。それに、日本じゃ珍しいぐらいの洋風の造りをしているの。それぐらいかな。気になるのは。でも、あれぐらい古いと、聖杯? みたいな怪しくて古いものがあってもおかしくはないと思うけど」
「じゃあ、とりあえず、僕たちの目的地は川の上流にあるその洋館でいいか? 何も無かったら、その時は山の中を闇雲に捜すしかなさそうだね」
洋館に何も無かった時のことは考えたくなかった。その時は、本当にいつ鬼が現れるか分からないまま、走りにくい山道を行かなければならないのだ。
「うん。そうだね。それで――鬼が来ているけど……どうする?」
向日葵さんはすでに立ち上がっており、前方から迫りくる鬼から目を放さない。逃げる準備はすでに整っていた。休憩をとり、体力も回復した。さらに鬼も既に見慣れたので、その姿をゆっくりと観察することができる。




