アマシ様
「何も?」
僕は首を大きく捻った。
「考えてみなさいよ。私はこの町に来たばかりなのよ。正確には一週間ほど前かしら。それから転校の手続きをして、あなた達のいる高校に転校してきた。その間は引っ越してきたばかりの準備で、まともにこの町について知る暇も無かったわ。だから、私は何も――何も知らない。オレンジの霧に入ると、どうしてこんな誰もいない町にいるのか。そもそもあの角を生えた人のような存在は何なのか、残念ながら何も知らないわ。出来ることなら……あなた達に聞きたかったぐらいよ」
神宮さんは本当に知らないようだった。やれやれと降参かの様に手を振っている。
「じゃあ、質問を変えるいいかな? 神宮さんは聖杯の事を気にしていたようだけど、そもそも、何を目的にオレンジの霧を気にしていたの?」
そんな僕の質問に、神宮さんは口角だけを上げて嗤った。
「私はね、聖杯を探しにこの町に来たの」
神宮の顔は目的を明かしたとしても変わらない。
「……聖杯って、願いを叶える摩訶不思議な物でしょ? 本当にあるかどうか分からないのに、……そんな聖杯とここにいる化け物の関係があるの?」
「……あるかないかで言えば、よく分からないわ。でもね、もし聖杯なんていう、人に奇跡を与える摩訶不思議な存在があったとして、常識的に考えてありはしないものがあったとして、それがこの空間を作った元凶かも知れないわね。例えば誰かが願ったとか?」
無い、と言い切りたいが、それを言えないような状況にいる。
鬼に似た怪物という地球のどこを探してもいないような存在、白点橋を抜ければ黒点橋へと続くというループ。それに、人や車が突如町から消失するという現象。全て、日常では起こり得ないことだった。
だから神宮さんは肯定したのかも知れない。
「本当にそんな物がこの世界にあるの?」
にわかには信じられない話だから、僕は念押しするように聞く。
「……ある」
短く、神宮さんは言った。
「本当なの?」
僕は再度訪ねてしまった。
「あるわよ。だって、私も飲んだもの――」
しっかりと神宮さんは告げた。
予想していなかった答えが返ってきたので僕は言葉を失うが、神宮さんはそれを気にせずに言葉を続けた。
「――私の知っている聖杯は、いや、違うわね。〝あれ〟を私たちの村では『アマシ』様と呼んでいたわ。その特徴としては無限に湧き出る赤い命の水。それを飲んだ人は大いなる力や、どんな人も魅了する美貌、他には人を超える叡智かしら。それはもう、普通の人にはえられないような物を得られるという言い伝えが私の村にはあるのよ。
いえ、〝あった〟と言ったほうが正しいわね。
だって私の村のアマシ様は突然消えてしまったんだから。いつぐらいに盗まれたかは、私は知らないわ。村の村長も、私のおばあちゃんも、誰も知らない。あれは門外不出のものでね、決まって、村に祭祀の時に特別な人間だけが行けることが出来るところにあるのだもの。普段はその話を村でしてもいけない。それがね、五年ほど前に、無くなっていることに気づいた。私の村の大切な大切なアマシ様が盗まれた。ねえ、この話、そっくりでしょ? あなたたちが聞いている噂と――」
「まさか――」
脳裏に簡単な推理が浮かんだ。
「そう。私は、私の村にあるアマシ様を取り返しにこの町まで来たの。学生になったのも、長期に渡ってこの町に滞在するという理由よ。だって仕方ないじゃない。聖杯伝説、それを調べれば調べるほど、アマシ様と酷似している。だから、この町にはアマシ様があると踏んでいる。それもこの近くに。だから今、あなた達の身に起きている不思議な現象も、アマシ様を私利のために使った何者かが、起こした現象だと踏んでいる」
神宮さんは強い意志を秘めた瞳で言った。
神宮の聖杯――アマシ様への思いは、思わず腰にさせてある日本刀に思わず手をかけてしまうほど熱意であり、執着心であり、そして狂気であった。何がなんでも取り戻すという硬い意志が彼女の声からは聞き取れた。
「で、そのアマシ様がいる〝証拠〟はあるの?」
神宮の話を真剣に聞いていたんだけど、どうしてもその話が狂言であるという気持ちが心の中に湧いてくる。自分たちがいる場所も、あの鬼も、現実感がまるで無かった。まるで自分ひとりだけが見ている奇妙で、禍々しい夢に囚われているという感覚が無くなることはなく、神宮の話も心のどこかで嘘なんだろうと判断しているのだ。
「あるわよ」
だが、神宮さんの言葉は想像を大きく超えるものだった。
「え、どこに?」
向日葵さんが思わず身を乗り出して聞く。
「――私よ」
神宮は薄ら笑いを浮かべながら己を指差した。
「神宮さんが?」
僕と向日葵さんは思わず顔を見合わしてから、神宮をもう一度見つめた。
「私、綺麗でしょ?」
そして言ったのは、神宮さんの自画自賛だった。
「そうだね。神宮さんが自分の顔にそこまでの自信を持っているとは思わなかったけど」
「さっき、私は、私の村では祭祀を行っていると言ったわよね? その祭祀というのはね、私の一族は村でも巫子にあたるんだけど、その巫女一族に新たな子供が生まれると、その子の産湯に――アマシ様の命の水を使う、というものなのよ。この儀式はかなり古い歴史があって、私のおばあちゃんもそのまたおばあちゃんも、アマシ様の水を産湯に使ったと聞いたわ。また私達が生まれて初めて飲むのも、母乳ではなくてアマシ様の命の水よ。
――だから、私達の一族は綺麗なの。美しいの。男も、女も関係なく惑わす色香を持っている。
私はまだひよっこだけど、お母さんはまるでまだ生娘のような美貌を持っているわ。その若さは生涯失うことはなく、さらにはこのふざけた筋肉と、」
神宮さんは持っていたコップを簡単に握力で割った。だがその皮膚にはガラスの破片が刺さっているというのに傷一つ着いていなかった。
「この肉体の強度。それに頭もいいのよ。実はね――」
確かに、信じられないような力だった。男である僕としてもそんなことは出来ない。あまり鍛えているわけではないから比較にはならないかもしれないけど、神宮さんの腕と比べると僕の方が明らかに太いのだ。
あの細腕のどこにそんなパワーがあるのかが僕には分からなかった。
「信じたくなければ、信じなくてもいいわ。だって私自身は赤ちゃんの時に聖杯を見たから、その記憶は無いもの。でもあるとは思うのよ。だって、じゃないとおかしいじゃない。私の事もそうだけど、この空間、それにあの鬼達、その元凶がアマシ様だと考えると、私にはどうもすんなりと理解が行くの」
簡単には信じることが出来ない話を神宮から聞いてしまった。
隣にいる向日葵さんはどうやらこの話を受け入れられないようで、目が右往左往に迷っていた。神宮の話す衝撃の連続にどうやら頭がパンク状態に陥ったようだ。
かくいう僕ももう一度神宮の話を受けて神宮さんを見つめるが、やはり彼女は美人だった。人外のような美人だった。
「……じゃあ、もう一度確認するけど、聖杯は本当にあるんだね?」
「ええ。間違いなく。私の存在がその証明よ――」
嘘は言っていない。
少なくとも僕はそのように感じてしまった。




