13 虹をかけよう、二人が笑顔でいるために。
「で、君達がルエラを泣かせたしょうもない人達?」
腕を組み、じろりとピーコックグリーンの瞳に見つめられると、人魚族を目の当たりにした男の人達は、怯えを隠せないままがちがちに身体を強張らせていた。
いつもの岩場より浜辺に近い海岸で、私はマーレの横に立って、彼らを見ているしか出来ない。
あれから、マーレは私に悪口を言った人達を連れてくるよう、町の人に脅しとも取れるお願いをして、彼らを此処へと連行させたのだ。
少し離れた場所では、見物している人達がこぞって集まり眺めている始末で、もう何かの見せ物と言っても差し支えはないかもしれない。
こんな事で、これ以上注目を浴びたくはないのだけれど。
「ねえ、ルエラ。人喰いサメに食べさせちゃうとか海底まで引き摺り込んで沈めるとか色々あるけど、どれがいい?」
無邪気な笑顔で楽しそうに指折り数えながら、とんでもなく恐ろしい提案をしてくるマーレに、私はぶんぶんと首を横に振る。
酔っ払って悪口を言ってきたとはいえ、しっかりした体つきの男性達が必死に助けてくれと目で訴えているのを見ると、流石に可哀想でならない。
「駄目。やめて。ちゃんと謝ったんだから許してあげて」
「ルエラを泣かせたんだから、そういうわけにはいかないでしょう」
ぷく、と子供のように頰を膨らませているけれど、マーレはやると言ったらやるし、容赦しないのだ。
人魚族は、嘘が吐けない。
だからこそ、私はきちんとしっかり否定しなければいけない。
「とにかく、傷付けるのはダメだからね!」
せめて浜辺周辺のゴミ掃除をやらせるとかにしようよ、と提案してみるけれど、マーレは全くもって聞く耳を持ってくれない。
とにかく痛い目に合わせてやらないと気が済まない、というのが見て取れるので、私は何とか危険を阻止する事に専念する他はないのだろう。
「んー……、じゃあ、こうしようかな?」
「え、何するの?」
まさかとんでもない事をしようとするんじゃないか、と私が止めようとすると、マーレはパッと空へ手を上げた。
その瞬間、マーレの後ろの海面から、何か巨大な影が降っていて──よく見てみると、それは胸鰭の部分に羽が生えたような姿をしている羽クジラで、海面から勢いよく飛び上がり、巨大な体躯を器用に捻って空へと大きく跳ねている。
あまりに突然でとんでもない事態に、私も浜辺にいる男性達も、それを少し離れた場所で見ていたのだろう見物客も、唖然として空を見上げてしまう。
楽しそうに笑ってその様子を見ていたマーレは、私をさっと引き寄せて、少しだけ息を止めててね、と言うので、私は訳がわからないまま、彼の言う通りにしているうちに、近くの岩場の影へと避難させられていた。
そうして空を駆けた羽クジラは、その大きな体を捻りながら海面へざぶんと着地していて、その拍子に起こった波と水飛沫が、浜辺の近くにいる男性達に思い切り襲いかかっていた。
勢いは凄かったものの、波は然程大きくなかったようで、男性達が波に飲まれるような事はなかったが、全身がびしょびしょの濡れ鼠になっていて、呆然とその場に立ち尽くしている。
「あはははっ! 変な顔!」
マーレはお腹を抱えてけらけら笑っているけれど、私も含めた、マーレ以外の全員がぽかんと口を開けて唖然としていた。
陽光に照らされた雫がぱらぱらと柔らかに降り注いで、虹を作り出している。
怪我をさせたりだとか傷つけた訳じゃないから良いけれど、なんて豪快な悪戯を考えついたのだろう。
呆れながらも苦笑いを浮かべていると、マーレは私を離して彼らの側へと泳いで行った。
「今回はこれで許してあげる!」
でも、今度ルエラを泣かしたら絶対に許さないからね、と腰に手を当てて言うマーレに、びしょ濡れの男性達は一生懸命に頷いている。
男性達の中には顔が赤らめていたり、ぼんやりしてマーレを見つめている人もいるから、怖がるっていうよりは、マーレに見惚れている気がするけれど……まあいいか、と私は思考を放り投げた。
周囲で見物をしていた人達は、滅多に見れない羽クジラに興奮しているようで、楽しそうな声がこっちまで聞こえてくる。
いつもの岩場の方へ歩きながらそんな様子を眺めていると、いつの間にかマーレが泳いできて、いつも腰掛けている場所に来ると、手を振っていた。
羽クジラまで連れて来るなんて、と呆れながら私が言えば、ルエラはああいう方がいいって言うと思ったから、とマーレは楽しそうに笑っている。
「それに、この間は花イルカで喜んでたし、羽クジラも喜んでくれるかなって思って」
「花イルカも羽クジラもかわいいし好きだけど、流石に予想外過ぎるよ」
まあ、人喰いサメとかじゃないだけいいか、と苦笑いをしていると、マーレに腕を引かれて、私は彼の隣に腰を下ろした。
いつもと変わらない、透き通るピンク色の海と、突き抜ける程に青い空。
地平線に沿うように、水上列車がガタンゴトンと音を鳴らして走っているのが見える。七色の光を撒き散らすうす青い煙が、遠くの空に溶けていた。
隣にそっと視線を移せば、マーレの銀色の髪が潮風に揺れて、光を弾いてきらきらと輝いている。
褐色の肌に映える首や耳を飾る豪奢なアクセサリーにも負けないくらい、長い睫毛に縁取られたピーコックグリーンの瞳はとても綺麗で、私は思わずじっとその横顔を見つめてしまっていた。
マーレは視線に気がつくと、柔らかに眼を細めて、潮風に吹かれて顔にかかった髪をそっと退けてくれる。
触れた指先が優しくて、私は胸がいっぱいになって、思わずぎゅうと目を瞑ってしまった。
耳には波の音と、遠くから響く列車の音、マーレが吐息を零して笑う声が、微かに聞こえている。
ここで暮らしている私が、いつも聞いている音。大切な場所と、それから。
そんな事を考えていると、目蓋にそっと唇が押し当てられて、それがあまりに優しい仕草だったので、私はゆっくりと眼を開いて、マーレをぼんやりと見上げてしまう。
「だって、ルエラには、いつだって笑っていて欲しいって思うから」
ね、と鼻と鼻をくっつけて、至近距離で満面の笑みを浮かべるので、頰に一気に熱が集まってくる。
慌てて身体を引こうとするけれど、当たり前のように、マーレは両手をぎゅうと握り締めていて、離してくれそうにない。
それに、心底嬉しそうに笑うものだから、結局の所、私はそれを振り解く事なんで出来なかった。
そう、どうやったって、私はマーレには敵わないのだ。
本当に仕様がないなあ、と私はマーレの手を握り返して、笑いながら彼の言葉に頷いていた。




