幸福な異世界召喚
フローリングの感触を足裏に感じた瞬間、泣きたくなるくらい安心した。
「ふおお~~~~~~~~~~~っ!!」
「え? ……うわっ、カシギさん!? どうしたんですか。帰ってくるなり気持ち悪い泣き方して」
というか泣いていた。
リビングのソファーに座っていたオレの婚約者・エリアがこちらを振り向いて驚いている。
「エリア~~! エリア、エリア、エリア~! 懐かしい、懐かしい懐かしい懐かしい! この大和撫子みたいな長い黒髪! 細く華奢なスタイル! そしてまな板みたいな胸! どれをとっても懐かブホォ!?」
「いきなり抱きついてきて胸をまさぐった上にその発言、一体どういう了見なんですか。婚約者と言えども事と次第によっては出るとこ出ますからね」
「しゅ、しゅみましぇん」
我が可愛い婚約者、エリア・アークティエールよ。最近、未来の夫に対する慈しみが足りないのではないだろうか?
頬を押さえながら立ち上がると、エリアはオレを殴るのに使った分厚い本をテーブルに置いた。
「それで、一体どうしたんですか。懐かしい懐かしいって、まだあなたが召喚されて一週間も経ってないですよ?」
「あー……」
やっぱりそうなっているか。というかそうなっていなければ困る。
オレはあの停まった世界で何年も何十年も旅をしていたわけだが、何分停まっているのでこちらの世界ではあの時間は計上されていないのだ。計上されていたらリアル浦島太郎になっていた所だった。
……よかった。いや、本当によかった。
実の所、結構不安だったのだ。ちゃんと元の世界の元の時間に帰れるかどうか。
ソファーの後ろで胸を撫で下ろすオレを、エリアが座ったまま見上げている。
「……いろいろあったみたいですね」
「ああ、まあな……」
「よいしょ」
唐突にエリアがソファーの端まで移動した。
そして再びオレを見上げ、自分の太腿をロングスカート越しにぽんぽんと叩く。
「どうぞ」
「……うーんと?」
「疲れてるんでしょう?」
まあそうだが。その心遣いも惚れ直すに充分なのだが。
「いやー……さすがにそれは、ちょっとだな……」
「今更何を恥ずかしがってるんですか? いつもは耳掃除だってしてあげてるのに」
「た、確かにそうなんだが、今はちょっと―――」
「―――へえ? してもらってるの、耳掃除」
背後から棘のある声がした。
エリアの顔がピキリと固まる。
そして、オレの後ろにいる少女――アステトに初めて目を向けた。
「…………カシギさん」
「うおっ!?」
襟を掴まれたかと思うと、婚約者の満面の笑みが鼻先五センチに広がっていた。
「ま・た・で・す・か?」
「……はい」
思わず敬語になる。
怖い。笑顔が怖い。
「…………はあ~~~~~~~」
しばらく沈黙した後、エリアは長い長い溜息をついた。
「どうせまた何か厄介なことがあったんでしょう?」
「おお、わかってくれるか。今回はとびっきりのヤツでな……」
「でもあなたって、厄介事とか特に関係なく女の子口説いてますよね」
……ハハハ。どうカナー。
エリアはジト目でこちらを見ながらも、握り締めた襟を解放してくれた。
「……もう慣れました。悲しいことに」
「理解のある婚約者でオレは幸せ者だな」
「本当にそうですよ。心の底から感謝してください。……それで、部屋を用意したほうがいいんですか? このマンションの部屋、まだかなり空いてますけど」
「いや、彼女はすぐに戻る。お前に紹介しに連れてきたのだ」
オレは後ろのアステトを見て、彼女に前に出るよう促した。
アステトがオレの隣に並ぶと、エリアが立ち上がって綺麗に背筋を伸ばす。
「エリア・アークティエールです。そこの人の婚約者をやってます、一応」
一応とはなんだ。突っ込みたかったが、ここはオレの出る幕ではあるまいと自重する。
アステトが、異世界出身のクセに大和撫子的佇まいのエリアを見据えて口を開く。
「……アステトと言います。カシギの―――」
そこで言葉を切り、アステトはオレの腕をぐいっと引いた。
柔らかな谷間にオレの二の腕が埋まる。
「―――恋人です。よろしくお願いします、エリアさん」
アステトの声は相変わらず淡々としている。……が。
エリアの慎ましやかな胸部に向けられた視線が、彼女の主張を雄弁に語っていた。
「…………」
綺麗に整えられたエリアの笑顔がぴくぴくとひくつく。
「……カシギさん?」
「な、なんでしょうか」
「また、大きい子ですね? 前も、その前も、そのまた前もそうでしたよね?」
「そ……そうだったかな?」
いやー、どうだろうなあ?
そもそも大きい小さいというのは主観であって、客観的に評価すれば恣意的な偏りなど―――
「そういえば」
アステトが思い出したように言った。
「初めて会った時、どさくさに紛れて私の胸を触ろうとしたわよね、カシギ」
「申し訳ありません!! おっきいおっぱい好きです!!」
即座に土下座した。この間0.1秒。
フローリングに擦りつけた頭の先にエリアが立つ。
顔を上げると、真上から垂直に見下ろされていた。視線が何にも遮られない……。
「よく正直に言ってくれました。わたし、前から知ってましたよ。あなたが巨乳好きだって」
「そ、そうでしたか」
「さぞご不満だったでしょうね? 一緒に暮らす婚約者のスタイルがこんなので」
「そんなことはない!」
オレはすっくと立ち上がってエリアの両肩を掴み、
「お前にはお前の魅力がちゃんとあるのだ! 先程見せてくれた気遣いもそうだし、スタイルだってまるで芸術品ではないか! くびれは弓のように優美で、お尻は小さく引き締まり、肌は絹のように白く滑らか! 不満だったら毎晩一緒のベッドで寝るわけ―――」
ぶわちーんっ!! という凄まじい音と同時、顔の両側に激しい衝撃が走った。
「人前でそういうこと言わないでください恥ずかしいっ!」
「カシギ、デリカシーって知ってる?」
真っ赤になったエリアと、拗ねたような表情のアステトを見上げながら、オレはその場に崩れ落ちた。
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オレとエリアとアステトは、それから色んな話をした。
向こうの世界で起こったことに始まり、逆にこちらの世界の状況や文化、あるいは好きな食べ物やオレ達の生活ぶりといった個人的なことに至るまで。
「……意外だった。カシギって尻に敷かれてるのね」
「そのくらいじゃないとこの人の相手はできませんよ」
「ああ、すごい納得……」
そのうち、エリアとアステトは砕けた口調で喋れる程度には仲良くなっていた。
エリアはそもそも、オレが連れてきた女の子とオレより仲良くなってしまうことが多いのだ。
曰く、「カシギさんが好きになった人なら悪い人ではありませんから」らしい。
信頼は嬉しいが、オレ抜きで買い物に行かれたりするとちょっと寂しいのだが。
「それで、向こうの世界――〈ボックス〉は今どんな状況なんですか?」
向こうの世界でのあらましをあちこち脱線しながら話し終えた所で、エリアが言った。
「大混乱だよ。人界の王に協力してもらって何とか状況説明はできたがな」
「これからが大変。人界も魔界も、法律とかが全然できてなかったみたいで……」
「その辺りの設定が雑だったわけですか……」
今までとは世界そのもののルールも違うだろうしな。
そういう整備はオレも協力してやっていかねばなるまい。
「幸いだったのは、石化した連中を元に戻す目処が立ったことだな。設定が雑だったおかげで、オレの知る解呪手段でも問題なく効きそうだ」
「聞いた話ですと、魔王城で石化させられてしまった方々って、結構な危険人物が混じってませんか?」
「うむ。グイネラのことだな」
「グイネラのことね」
アステトと意見が一致した。
これに関しては百人中百人が同意する所だろう。
「その辺りはその時考えることにする。実際、言ってわからないヤツではないと思うのだ」
「……今度はその人がここに来ることになるってオチではありませんよね?」
「いやあ、さすがにそれはないのではないか?」
財産を蚕食されそうだしな。何よりアイツにはバラドーがいる。
「とにかく、シャーミル以外の四天王とグイネラは復活できる。……だが取り戻せないものも多くあった」
男のほうの勇者は戦闘空間の中には連れてこれなかったし、最後の戦いの折、世界と一緒に消えてしまった。平行世界の住民達もまた同様だ……。理想的に思える手段でも、取り戻せないものは厳然と存在する。
「それは、私が背負っていく」
アステトが決然と言った。
「世界を背負えない勇者でも……きっとそのくらいなら、背負っていけると思うから」
「……そうだな」
彼女はこれから、己が犯した罪を一生かけて償っていくのだろう。彼らが求めた未来を生きる、という形で。
その贖罪を手伝ってやれるなら、こんなに嬉しいことはない。
「ともあれ、色々と忙しいんですね」
重くなった雰囲気を払拭するように、エリアが明るい声を出した。
「向こうでやることがたくさん残っているんでしょう? こっちに来ている余裕なんてないんじゃないですか?」
「ええ。そうなんだけど、カシギが……」
「こっちで早急にやらねばならんことがあるのだ」
エリアの表情が真剣なものになる。
「『神』とやらのことですか」
「ああ。連中を先に押さえねばゆっくり法整備もできん」
「ねえ、気になってたんだけど……カシギは『神』が誰なのか知ってるの?」
オレは首肯した。
「この世界――地球のとある国家だ。十中八九な」
「どこなんですか? わたしも聞きかじりではよくわからないんですが」
「それを説明するには、〈ボックス〉という世界の成り立ちから語らねばならん。……アステト」
オレは隣に座るアステトに向き直る。
「覚悟はあるか? 自分達のルーツを知る覚悟は」
彼女は数秒の間オレの瞳を見つめ、
「……ある。ここまで来たら全部知りたい」
決意の声で、そう答えた。
迷いも、躊躇も、もう彼女には存在しない。
「わかった。では明かそう」
オレは頷きを返し、前傾姿勢になって話し始めた。
「異世界の中には、一定の割合で地球のデジタルゲームによく似た世界が存在する」
「緊急召喚警報で対策を促されている程度にはポピュラーなタイプですね」
「えっと……でじたる……?」
「物語の本のようなものだと思ってください。この世界で創作された架空の世界とそっくりの世界がよくあるということです」
地球に関する知識がないアステトにエリアが補足してくれた。
オレは話を進める。
「異世界の存在が認知されてからと言うもの、このタイプの世界について様々な議論が為されてきた。
つまり―――ゲームが異世界を作ったのか、異世界がゲームを作ったのか。
卵が先か鶏が先かみたいな話だが、世界観やシステムまでそっくりな以上、そのどちらかである可能性は高い。……わかるか?」
「……なんとか」
オレは頷いて続ける。
「どちらが真実なのか、あるいはどちらも真実なのか、それは今をもってもわかっていない。わかるようなものではないとオレは思っている。
だが―――もし『ゲームが異世界を作る』のなら、一つ、理論的にできることがある」
「異世界の養殖、ですね」
エリアが硬い声音で言い、アステトが首を傾げた。
「ようしょく……?」
「世界を人工的に、それも自分達に都合のいいように作り出す、ということだ。豚や牛を育てるかのようにな。
……オレ達人間は多かれ少なかれ、世界に元からある有限の資源を消費して生きている。しかし、もし異世界を家畜のように生み育てて利用することができるなら、使える資源は無限。もたらされる利益は莫大だ」
異世界の養殖という言葉の剣呑さに気付いたか、アステトは表情を硬くした。
「そんなの……そんなこと……許されるはずない」
「当然だ。何の生命もない無人の世界ならまだしも、オレ達が行ける異世界には必ず人間に準ずる知的生命体がいる。そんな世界を使い捨てるなど、人道的に許されるものではない。事実、人工世界に関する研究は禁止されている。『人が神の真似事をしてはならない』とな」
唯一神教であるキリスト教が最大派閥の世界ではどだい不可能な研究だ。
「だが今回、それをこっそり実験した馬鹿がいたのだ」
「それが『神』……」
「ああ。その連中が異世界の養殖技術を確立するために作った試験的人工世界、それが〈ボックス〉なのだ」
エリアが眉根を寄せ、おとがいに指を添える。
「一つ訊きたいんですけど……」
「なんだ?」
「その実験の成否を、『神』はどうやって判別するつもりだったんですか? 異世界側から誰かが召喚されるまで、異世界はその存在自体を観測できないんですよ?」
然りだ。仮に実験が成功したとしても、連中には〈ボックス〉の存在を観測することができない。
「だが、現実には観測できた。そうだろう?」
「それはあなたがたまたま―――」
「たまたまじゃないとしたら、どうだ?」
瞬間、エリアは声を失った。
驚愕と嫌悪を等量、唇に乗せて、
「まさか……そんなこと……」
「おそらくは、それが事実だ。……アステト、お前と魔王は、世界移動魔法『アーク』を『世界の不備』を突いて作り出したんだったな?」
アステトは黙然と頷く。
彼女もまた、話の行きつくところに心当たりがあるようだった。
「お前には残酷な話になるが、その『世界の不備』とやらは、『神』がオレを召喚させるためにあえて用意しておいたものだろう。『神』は〈ボックス〉を見つけ出すために、オレを探知機代わりにしたのだ。
〈ボックス〉がJRPG風――つまり日本人に馴染み深い世界観だったのも、日本人であるオレを召喚しやすくするために違いない」
異世界召喚の類例を知る者ならばわかるだろう。
日本人が召喚されるゲーム的異世界は、高確率で日本のゲームがモデルだ。
また、そうでない場合でも、被召喚者がプレイ中、またはプレイ済みのゲームがモデルだ。
この二つの事象は、オレが打ち立てた異世界理論では『因縁距離』という概念で説明される。
これは、超世界的な距離はメートルやヤードではなく『縁深さ』によって決定されている、というものだ。
例えばこの地球はオレが世界間航行技術を発明してしまったので、あらゆる異世界と『縁が深く』、『因縁距離が近い』ため異世界召喚が起こりやすくなっている。
同様に、外国のゲームよりは自分の国のゲームのほうが、知りもしないゲームよりはプレイ中のゲームのほうが『縁が深い』ため、そうした異世界に召喚されやすい。
いわゆるゲーム廃人が召喚されるケースが多いのも同じ理由で、他の人間より『縁が深い』からだ。
異世界なのに日本語が通じたり、宗教が妙にキリスト教っぽかったりするパターンも同様の理由。
オレの異世界召喚体質も十中八九この辺りに原因がある。
「じゃあ……」
アステトが、少しだけ沈んだ声で言った。
「……やっぱり私達は、掌の上だったのね。あんたを召喚したことすら……」
「まあ、一応そういうことになる。召喚時にジャミングがあったが、あれはオレの召喚先を探知するための時間稼ぎだったのだろう。
―――とは言え、最後の最後ではきちんと出し抜いてやったがな」
笑って言うと、アステトも微笑んでくれた。
うむ。やはり彼女は笑っているのが一番可愛い。
「そういうわけで、〈ボックス〉は地球で作られたゲームが元になっている。そのプログラム・データを『神』が必ず持っているはずだ。これ以上余計な手出しをされては敵わんから、それをこちらで確保する」
「話が元に戻るんですが、結局それはどこなんですか? 国家という話でしたよね。日本ではなさそうですが」
エリアの質問に、オレは両手を緩く組んで言った。
「連中――『神』は、あの世界に自分達の名札を残していた」
「名札?」
オレは対面に座るエリアに視線を転ずる。
「エリア。お前、RPGをやったことはあるか?」
「いえ、ゲームはあまり」
「そうか。ならば教えるが、RPGにはな、ロールプレイングの名の通り、主人公に好きな名前を付けられるものがあるのだ。
そして、中古ショップで古いゲームを買ってきたりするとわかるのだが―――プレイヤーの中には、主人公に自分の実名を付けるヤツがいる」
エリアがハッとしてアステトを見た。
アステトはまだうまく話が飲み込めないようで、首を傾げている。
エリアは口元に手を当てて考えながら、
「あの……アステトさん。名前の綴りを教えていただいていいですか?」
「……? 『Astet』だけど」
〈ボックス〉世界の文字はほぼすべてアルファベットに変換できる。でなければさすがのオレでも数日かそこらで読めるようになったりはしない。
「では、もう一つ確認なんですが……勇者は二人、つまり複数いるんですよね?」
「え、うん。そうだけど……。私と男のほうで、二人」
エリアは三秒ほど目を瞑り、そして開いた。
「あそこですか……」
わずか三秒。されど三秒。
頭脳の出来で言えば、エリアはオレと同程度かそれ以上だ。その三秒で、もうすっかりわかってしまったらしい。
「また厄介な所ですね。素直に交渉してくれるでしょうか?」
「すっとぼけられるだろうな。だが逃がしはせん。〈ボックス〉のプログラムは絶対に確保する」
「……話が見えないんだけど」
アステトが淡白な表情ながらつまらなそうにしている。
オレは彼女に向き直り、その頬に手を添えた。
「敵は強大だという話だ。だが心配するな。お前のことは、オレが世界ごと守ってやる」
アステトは首筋や頬を撫でられるままに任せ、ぽーっと熱でも出したような顔でオレを見つめている。
表情が淡白な割にわかりやすいな、お前は。
「…………もう」
正面のエリアが不満げに呟いたかと思うと、すっくと立ち上がり、間のテーブルを回ってボスンとオレの隣に座った。
そしてオレの両肩を掴み、
「その前に休んでください。ほら!」
「うおっ!?」
強く後ろに引っ張って、無理やり膝枕をする。
真上からエリアの綺麗な黒髪が零れ落ちてきて、頬をくすぐった。
「あなたはすぐに自分のことを度外視するんですから。……心配するなと言うなら、わたしにも心配させないでください」
「ああ……すまん、エリア」
わかってくれたらいいんです、と言って、エリアは微笑んだ。
瞬間、やはり疲れが溜まっていたのか、急速に眠気が襲ってくる……。
「……カシギ」
眠りに落ちる直前。
ちっとも淡白ではない、幸せそうな声が聞こえた。
「あなたと出会えて、良かった」
異世界に行くと、かなりの確率で可愛い女の子に出会う。
彼女達がどんな境遇にあり、オレがただの部外者に過ぎなくとも。
愛しいと思ったならば、オレは絶対に躊躇わない。
オレの名は理性院カシギ。
女運がいいことが一番の取り柄だ。
〈了〉
おまけ↓
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アステトとエリアがカシギについて喋る話。
パスワードは『神』の正体を小文字アルファベット6文字で入力してください。




