神判
衝撃があった。
意識が揺れた。
身体が傾いた。
しかし。
オレは大地を踏みしめる。転倒を回避する。
身体に、痛みはなかった。
「―――ッは! せっかちだな、まだオレのターンは終わっていないぞ!!」
アイテムリストの人名は今も一つずつ消え続け、光の柱も増え続けている。
オレの『アイテム全使用』というコマンドはまだ実行され切っていないのだ。
だから『ヤツ』にはまだ攻撃の権限がなく、だからオレが傷つくことはない。
オレは。
光に満ちた夜空にいつの間にか浮かんでいた、そいつの姿を見上げた。
装飾過多なローブ。
小柄な体格。
幼げなおかっぱ頭。
そして一本のツノ。
本物の神子シャーミル。
この封殺された世界を作った『神』の遣い……!!
「そ……ん、な……! どうして……!? あいつは私が、確かに……!!」
女勇者が尻餅をついたまま愕然とした声を漏らす。
オレは他の魔族達と同様に神子シャーミルも回収していた。
オレのコマンドが全使用である以上、彼女もまたワールド・イン・ガントレットから解放されることになる。
しかし、彼女は死体だったはずだ。石像という名の……。
「ワタシは『神』の到来を待つ者」
無機質な―――機械的な声音で、空に浮かぶ神子シャーミルは告げる。
「テスト・アーティフィシャル・ワールド〈ボックス〉の観測及び管理運営用AI、個体名『神子シャーミル』です。理性院カシギ。アナタの召喚に伴い、『神』はこの世界の発生を観測しました」
試験的人工世界!
ディティールの粗い世界観。
デジタルゲームに酷似したシステム。
そして召喚時に受けた妨害!
もしやとは思っていたが……やはりそういうことだったか!
「なるほどな。貴様はこの世界の監督役……ご主人様であるところの『神』とパスが通っているから、とりわけ干渉が容易というわけだ。
だが推測するに、連中にできるのは貴様の石化を解くところまで。だから今の今まで動けなかった。そうだろう!」
もはや正体は自明となった『神』の遣いは、沈黙をもって肯定する。
そう、神子はいわばプレイヤーキャラ。権能を媒介する『神』の端末。
彼女は今、『神』から直接命令を受けてこの場にいるのだ……!
「言ってみろ神子シャーミル。貴様が『神』とやらから下された命令はなんだ!?」
レンズのような眼でオレ達を見下ろし―――神子は、最後の神託を告げた。
「『理性院カシギを無力化し、然る後に〈ボックス〉を廃棄せよ』」
「廃……棄……?」
女勇者が壊れたように繰り返す。
神子は追い打ちをかけるように続けた。
「ワタシが今まで観測し保存したデータで〈ボックス〉はその意義を完遂しました。よって妨げとなる異物を無力化・封印措置を施したのち、廃棄プロセスを実行します」
「くどい。要するに『オレが邪魔だからこの世界ごと消す』ということだろう……!!」
いくら不死の呪いがあるとは言え、世界ごと消されて生きていられるはずもない。
あっちの世界では敵も多いからな。機会さえあれば殺したいと思っているヤツはごまんといよう。
しかし。
「このオレが、それを許すと思うか? 自分達の勝手な都合のために一つの世界を丸々使い潰す―――そんなことを、この理性院カシギが!」
「否定します。アナタはそれを許容しません。よって『神』が用意したチートコードを適用し、戦闘をもって命令を実行します」
「戦闘だと? はッ、願ったり叶ったりだな」
唇を歪めて、オレは空の神子に指を突きつける。
「ちょうど、オレも貴様に用があったのだ。だからこの状況を覚悟の上で貴様をここに連れてきた」
「意図を解しかねます」
「ここは戦闘空間。敵か味方のどちらかが全滅すれば消滅してしまう。……つまり、コイツが寿命か何かで死ねば消えてしまう状態だったわけだ」
親指で女勇者を指して言うと、彼女はハッとして立ち上がった。
「まさか……あいつを『柱』にする気!? 私が死んでも世界が終わらないように!」
「ああ。オレと戦う気だということは、何かしらのイカサマで敵味方を再設定し、今はお前の陣営に属しているはずだ。ヤツを生かしたまま封印してしまえば、この世界が消滅の危機に脅かされることはもはやない」
世界解放の総仕上げ。
画竜点睛と行こうではないか!
「理解しました」
神子が無粋な声音で言う。
「つまり、この戦いにはアナタにもメリットがある」
「そうでもなければ殺し合いなどやってられるか。……さあ来い。最終決戦だ。神か、人か、世界の持ち主を決めようではないか!!」
オレの戦意を受け、神子シャーミルは大きく両腕を広げた。
「チートコード適用、ステータス・リライティング。―――形態変化」
空中にある神子の姿が光球に包まれた。
太陽のように輝く巨大な光の中で、少女のシルエットがまるで異なるモノに変貌を遂げていく。
肥大化する全身。伸びるくちばし。大気を掻く蹴爪。
あまりに大きい翼が広がって空を覆い、光に満ちた世界に影を落とした。
光球が消えた後に存在していたのは、白頭の怪鳥。
世界に終焉をもたらす死神の具現。
「あ……あ……!!」
彼女が震えている。
愛する少女が、この世の終わりを見て怯えている。
オレは跪き、震える少女を抱き締めた。
「大丈夫だ。心配するな」
押さえつけるように、強く、強く。
「お前の戦いはもう終わったんだ―――あとは、オレに任せておけ」
「ダメ……あいつはダメ……!!」
彼女はしきりに首を振りながら、わななく唇から声を漏らす。
「私には見えるの。あいつのステータスが見えるのよ! あんなのに……あんなのに勝てるわけっ……!!」
●神子シャーミル(チートモード) レベル:ERROR 種族:魔族
最大HP:131071
最大MP:65535
攻撃力:65535
防御力:65535
敏捷性:65535
魔攻力:65535
魔防力:65535
勇者として長く戦い続けた果てに得た特殊能力か、彼女が見たと言う数値がオレの頭の中にも流れ込んできた。
……なるほど、確かに凄まじい。まさに反則。
レベル1の人間でしかないオレでは、如何なる道具を駆使したところでこの圧倒的な数値には敵うまい。
「だがな」
少女をよりいっそう強く抱き締めて、耳元で囁く。
「そんなことは、お前を諦める理由にはならんのだ」
瞬間、震えが止まった。
オレは彼女に笑いかけ、身を離し、立ち上がる。
「繰り返そう。心配するな」
背を向け、怪鳥を見上げ、
「お前が惚れた男は、必ずお前を守り通してみせる。たとえ、神を敵に回そうとも」
形態変化を終えてからも、怪鳥はさらにさらに巨大化し続けている。
書き換えられたステータスにビジュアルが追いついていないのか。その大きさは天空すべてを埋め尽くそうとしている。翼は今に地平線まで届くだろう。
彼女を、魔王を、勇者を、多くの者達を封じ殺してきた世界そのものが、そこに顕現している。
これだけの重みを、彼女はたった一人で背負い続けてきたのだ。
ならばそろそろ、楽になったっていいだろう。
オレの周りに、ガランガランガラン、と剣や槍などが大量に出現した。
人間や魔族の『使用』が終わり、元々ガントレットに収めていた武器類が取り出され始めたのだ。
じきにオレのターンは終わり、ヤツにも攻撃が許される。
その前に、オレは山と積み重なった武器の中から一本の宝剣を掴み取った。
戦闘空間の中では、装備変更には一ターンを要する。
だが元が無装備状態ならばその限りではない。
「―――『マウンテン・イーター』」
空から声が降った。
それは世界を覆い尽くそうと巨大化し続ける怪鳥のものだった。
「観測データに存在します。対象が重ければ重いほど威力を上げる剣。確かに、今のワタシにはこれ以上ない重量があります。ワタシに対して有効な武器の一つでしょう」
「人型に戻ったらどうだ? そうすればコイツは無力化するが」
「プログラムされていません」
……そんなことは命令されていないから無理だ、と、そういうことか。
「いずれにせよ、攻撃ができなければ無用の長物です」
「次の攻撃でオレは死ぬから無意味だと?」
「いいえ、アナタが不死属性を有することは観測済みです。しかし、永続的に効力を発揮する状態異常によって行動不能にすれば、死亡と同じ効果を得られます」
不死身の殺し方。聖剣と同じだ。死なないなら殺さなければいい。
65535もの敏捷性からその技を繰り出されれば、掛け値なしにオレは終了する。
「ならばやってみろ」
それでも、オレは不敵な笑みを刻んで告げた。
「このオレを、貴様如きが縛れると思うのならな」
ワールド・イン・ガントレットの中身が消えていく。
アイテム全使用のコマンドが終わっていく。
残る文字列が数えられるほどになった時、
「……カシギ……」
愛しい少女の声が聞こえ、オレは彼女を背中で庇った。
「やめてカシギっ! それじゃお父さんとっ――――」
アイテムが一つ残らず消え去る。
直後、世界そのものが猛威を振るった。




