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理性院カシギは女運がいい  作者: 紙城境介
オーバー・ジ・エンドロール ~魔王を殺害した勇者の世界よりも重い罪~
31/38

理性院カシギの告白


 地平の彼方に残った欠片ばかりの陽光が、オレ達を横ざまに照らしている。

 対し、反対側には夜の闇。月はすでに煌々と輝き、静かに紺色の空を支配していた。


 ここが境界。分水嶺。

 世界の行き先を決める場所。


 だが、そんなことはどうでもいい。


 ここにオレがいて。

 向かい側に彼女がいる。


 それだけのことが、何よりも重要だ。


「もう一度訊くわ」


 少女は乾き切った表情で言った。


「一体、ここに何をしに来たの―――カシギ」

「久しぶりに名前で呼んでくれたな」


 素直に嬉しくて、オレは笑う。

 彼女は付き合ってくれず、無言で答えを促した。


「ここに何をしに来たか―――お前を口説きに来た、というのを抜きにするならば、答えはこうだ」


 人差し指を、彼女に突きつける。


「お前を救いに来た」


 続けて、世界を抱くようにして、両腕を広げた。


「ついでに、世界も救いに来た」


 それだけだ。

 それだけが、何週間も何ヶ月も何年も続いた旅の目的。


 彼女は、怪訝そうに眉を潜める。


「……本気で言っているの?」

「無論だとも。お前にはできなかったようだが、オレにはできる」


 彼女の表情が、少しだけ険しさを増した。オレは畳みかける。


「結局、お前がやったことは全部中途半端だ。世界だってこの通り、終わり切ってはいない。オレとお前が、こうして生きて話しているのだからな」

「…………そんなの」

「お前、やる気あるのか? こんなにも中途半端では、先んじて魔王城で終わりを迎えた連中も浮かばれまい。―――やるなら徹底的にやれ」


 冷たい風が吹き抜け、彼女の灰色の髪が靡いた。

 沈黙は刹那。


「……そう」

 彼女は諦めたように、

「それが、あんたの望みなのね」


 オレは笑って、今度は自分を差し出すように腕を広げる。


「このオレを殺し、お前も死なない限り、世界が終わることはない。

 ―――いい加減、オレも頭がおかしくなりそうなのだ。そろそろケリをつけようではないか」


 彼女は腰に吊るしたロッドを引き抜いた。

 それが彼女の本当の剣。聖剣など、彼女にとってはハンデでしかない。


「いいのね。本当に」

「お前こそ、覚悟はいいな」


 今一度。

 念を押すように、オレは告げる。




「―――オレに愛されたのが、お前の運の尽きだ」




 彼女は一度、瞼を閉じた。

 次に瞼が開かれた時、そこにはすでに少女はおらず。


 ただ、一体の『勇者』がいた。



「―――戦闘開始(エンカウント)

「―――承諾(アクセプト)



 そして、視界のすべてが砕け散った。






%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%






 風景に変わりはない。

 夕日があり、月があり、丘があり、墓があり、彼女がいる。


 それでも今、この世界にはオレ達しかいない。

 停止した人間も、停止した世界もありはしない。


 戦闘空間。

 ここは、オレと彼女のためだけの世界。


 対峙する彼女は様変わりしていた。

 ワンピースの上に銀色の鎧を装着し、左手には無骨な籠手が嵌まっている。

 それが彼女のフル装備。戦闘スタイルなのだろう。


 対して、オレは―――


「……どういうつもり?」


 棘のある声が飛んでくる。


 オレは、何も装備していなかった。


 剣も鎧も盾もアクセサリーもない。

 裸足になるわけにもいかないから靴はあるが、戦闘空間のシステム的にはほぼ丸裸だ。


「そんなのでどうやって戦うつもり? いつものおかしな道具はどうしたのよ」

「必要ない」

 オレは笑って告げた。

「これがオレの最強装備だ。惚れた女の暴力は甘んじて受ける、というのがオレのポリシーの一つでな」


 視線が鋭さを増す。


「……私を舐めているのね」

「まさか。真剣そのものだとも」

「何のアイテムも持ってないあんたなんか―――」

「予告しよう」


 力強く女勇者を指弾し、オレは告げた。


「この戦闘は一ターンで終わる。その時、オレは今と変わらず立っている。お前がどんな攻撃を仕掛けてこようともな」


 この言葉をどう受け取ったか、女勇者は右手のロッドを力強く握り締めた。

 オレは揃えた指先で手招きし、


「来い。先攻は譲ってやる」


 同時、ロッドの先端が強く輝いた。


 地面の塵が独りでに浮き上がる。

 魔力が漲っていくのが目に見えずとも理解できた。


 当然、勝算あっての挑発だ。

 ほぼ何も装備していないのは事実。今のオレの防御力は無に等しい。

 普通なら途方もないステータスを持つだろう彼女の攻撃を受けて無事で済むはずがない。


 だが、奥の手はアイテムにあった。

 装備ではなくアイテムだ。今、オレは身体中にあるアイテムを仕込んでいる。


 名前はずばり『身代わりの護符』。


 一枚につき200までのダメージを肩代わりしてくれるありがたいお札である。

 相当値段が張ったが――具体的には薬草千個分くらいした――オレはこれを、入手できる限界量まで所有していた。


 総計99枚。

 19800までのダメージを無効化できる計算である。

 オレは今、魔王四人分に相当するヒットポイントを持っているのだ。


 一ターン、これで耐え忍ぶ。それで状況は流転する。


 だがその前にやらねばならないこともあった。むしろそちらが肝要だ。

 そう、彼女にその気がなければ、オレのプランはまるで意味を為さないのだから―――


「―――この杖のこと、知ってる?」


 オレの思考を遮るように、女勇者が光り輝いているロッドを掲げた。

 ……今更脅しか? 意図を測りかねつつも、オレは答える。


「知っているぞ。『世界樹の杖』―――魔攻力を強化する武器の中では最上のものだ。プラスされる数値は実に400」

「そう。……じゃあ、特殊効果は?」


 特殊効果?


「……知らんな。情報は得たが、オレでは入手する所までは行けなかった」

「そうよね。勇者っていう立場がないと手に入らないもの」


 女勇者は、光を放つロッドを頭上に高く振り上げた。


「教えてあげる。この杖の特殊効果は、ある魔法を使えるようにするの」

「ある魔法……?」

「マジックポイントのすべてを消費して放つ、最大最強究極の攻撃魔法」


 ――――な。


「自分の魔攻力と相手の魔防力から導き出されるダメージに、消費したマジックポイントの百分の一を乗算する。そして、私のマジックポイントはちょうど1800」


 1800……?

 1800?

 ……1800だと!?


「この魔法によって、ダメージは18倍になる。―――お望み通り、一ターンで終わらせてあげる」


 光がロッドから分離し、上空で巨大な光球となる。


 空を埋め尽くすそれは、星の最期に似ていた。


 遠くから地響きが届き、足元が不安定に揺れる。

 かつて体験した世界の断末魔とも似て非なる。

 それは世界などという大層なものではなく、今そこにいるたった一人の少女の泣き声。


 臨界に至った超新星は何もかもを塗り潰した。

 夜闇も陽光も一緒くたに、真っ白な光が飲み込んで塗り潰す。

 それは一瞬、されど永遠。

 開闢と終焉は刹那の間重なって、花火のように弾けたその後―――




▼コマンド:魔法攻撃スーパーノヴァ・ブラスト




 技名の発声も、叩きつけるような轟音もない。

 ただ静かに、すべてが消し飛んだ。


 感覚という感覚。

 身体という身体。

 存在という存在。

 己という己。


 何もかもを否定し拒絶するような、断絶的爆発。


 オレにかろうじて残ったのは、光の暴風がオレを飲み込み、身体中に張り付けた護符を次々と灰に変えているという、絶望的な事実だけだった。


 ……身代わりの護符。こんな子供騙しが、強さの極地へと至った勇者に通用するはずもなかった。

 オレは舐めていたのだ。この世界で長い長い時間戦い続けてきた彼女のことを。


 最期の瞬間、走馬灯のように過ぎったのは、1800という数字。

 1800ものマジックポイント。


 どれほどのレベルがあればそのような数値が出現するのか。

 どれほど戦い続ければそこまでの極地に辿り着くのか。


 きっと彼女は、勇者としてすら行き止まり。

 レベルはすでにカウンターストップ。経験値を糧とすることすらできないのだろう。


 虚しい。

 なんて虚しい強さだ。

 そんな状態になっても、まだ彼女は戦っていたのだ。


 対して、オレのレベルはずっと変わらず1のまま。

 わずか85しかないオレのヒットポイントは、最後の護符が燃え尽きた瞬間―――




▼20070のダメージ!




 ―――一瞬にして、0になった。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






「愛してる。……愛してるわ、カシギ」


 オレもだ、とオレは言った。


「そうやって貴方は何度も言った。愛してる、愛してる、愛してる。しつこいくらい何度も何度も。

 ……でも、私にはそれをどうやって信じればいいかわからない。わからないのよ」


 魔女は泣いていた。

 自身への絶望の涙を、花散らすようにはらはらと。


「ねえ、信じさせてよカシギ。私に貴方の愛を信じさせて! そうしたらきっと、貴方が差し伸べた手を取れるから……!」


 オレには、どうすればいいかわからなかった。

 愛してる、とそう言う以外に、どうやってこの気持ちを証明すればいいのだろう。


 ……できるはずがない。

 根拠がないから、証明が不要だから、だからこそオレはこの気持ちを愛しているのだ。


 この感情を分解し、解明してしまったら。

 きっと、今度はオレが愛を信じられなくなる。


「……やっぱり、貴方はそうなのね」


 昏い昏い声で、彼女は言った。


「貴方は結局、恋愛という感情を愛しているだけで、私という人間を愛してなんかいないんだわ」


 違う!

 それは違う……!


「どこが違うって言うのよ! そうじゃなきゃ何人も何人も平等に愛するなんてできるはずないじゃない!! 貴方はただ! 愛という感情が欲しいだけで! 誰が相手だっていいんでしょう!?

 ……もううんざり。私を逃げ道にしないでっ!! 貴方のトラウマのために、私を――私の心を、勝手にぐちゃぐちゃにしないでよっ……!!」


 ……何も言えない。

 オレには、彼女の涙を止めてやれる言葉がない。


「貴方が現れなければ、私はずっと平穏に生きていられた。余計な希望を持たずに済んだ」


 怨念すら籠もった瞳と声で、彼女はオレを刺し穿つ。


「―――貴方となんか、出会わなければよかった」






 世界に満ちるは阿鼻叫喚。

 炎にくるまれ、形を失い、それでも死ねないリビングデッド。

 彼らの怨嗟が熱波となり、渦を巻いて天を焼いた。


 魔女が生み出した炎熱地獄に、魔女自身が炙られている。

 世界すべてを道連れに、十字架と共に怨嗟を背負って。


 オレは、立ち尽くしていた。

 掛け値なしの終焉を前に、何をすることもできず。


「―――呪われろ、呪われろ、呪われろ―――」


 磔刑の少女は地獄の中央で呪い続ける。

 彼女はすべてを殺しながら、すべてを生かしていた。

 その矛盾はやがてすべてを眠らせる。世界へ手向けた子守歌。


 しかし、オレにだけは。

 炎による殺意が与えられない。


「―――貴方には、生きてもらわなければならない」


 それは憎悪であり。

 それは愛情だった。


「生きて、生きて、生きて生きて生き続けて、貴方の愛が死に絶える様を看取ればいい。

 ―――そこまでして、貴方はようやっと気付くのよ。自分が逃げ場所を探しているだけの子供だってことに」


 その時ほど、彼女のオレへの愛情を感じたことはない。

 だって、彼女はそれを教えるためだけに、世界を丸ごと道連れにした。……これほどの愛が他にあるか?

 少なくとも、オレにはない。オレにはたった一人を愛するという概念が致命的に欠けている。


 その世界は終わった。

 オレの目の前で、彼女は燃え尽きた。


 しかし、彼女の言う通り、オレは生きた。

 生き続けて、性懲りもなく恋をした。


 そのたびに問い直す。

 オレの気持ちは、どうやったら相手に正しく伝わるのだろう。

 愛している、と言う以外に、どうすれば。


 いつしか、オレは『可愛い』だとか『綺麗だ』だとか『好きだ』とは言っても、『愛してる』とはほとんど言わなくなっていた。


 オレのその言葉に、彼女ほどの愛が宿っているとは思えなかったから。




――― 覚悟しろ。オレに愛されたのが運の尽きだ ―――




 彼女達に覚悟を強いれるほどに、オレの気持ちは強いのか?

 まるでアニメか何かのキャラみたいに、次から次へと恋をするオレなんかの気持ちが。


 なぜ、オレは覚悟させようとするのか。

 なぜ、『諦めろ』とは言わないのか。

 オレみたいな男に彼女達を引っかけてしまっているのに、なぜ。




 ―――彼女は、それが役目だと言った。

 世界よりも重い罪を背負わされ、それでもはっきりと言い切った。




 ……ああ、そうか。

 ミステリ・イーターの食欲が、この時ばかりは有効に働く。

 オレが覚悟させたがっているのは、彼女達ではなく―――






 オレなどには、もう『愛してる』なんてそうそう言えない。

 だったらもう、オレにできることは一つしかない。



 母上が刻んだ呪いも。

 魔女が遺した呪いも。

 何もかも受け止め、背負い、向き合い。

 オレ自身が見いだした、たった一つの価値のために使用する。



 言葉で足りないなら行為で告げよう。

 行為で足りないなら存在で語ろう。



 それが、オレの告白だ。



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