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理性院カシギは女運がいい  作者: 紙城境介
オーバー・ジ・エンドロール ~魔王を殺害した勇者の世界よりも重い罪~
20/38

理性院カシギの初恋


 ガシャン、と鉄格子の扉が閉じる。

 鍵で施錠したシャーミルは、閉じ込められたオレを鉄格子越しに、申し訳なさそうに見た。


「……ごめんなさい」

「構わん。仕方のないことだ」


 オレはシャーミルの後ろで腕を組んでいる怪物を見上げる。

 鷲のような翼、トカゲのような尻尾、二メートル半はある巨躯。元帥バラドーは猛禽の双眸でオレを威圧的に見下ろしていた。


「温情に感謝しろ」


 声音まで高圧的だ。


「本来なら今すぐ八つ裂きにする所を、閉じ込めるだけに留めてやるのだからな」

「さっきも言っただろう。単にオレを殺すのはハイリスクが過ぎるというだけだ。戦闘空間に無理やり転移しないで済むのは人間のオレだけなのだからな」

「ふん」


 バラドーは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 今のような抗弁をグイネラが容れてくれたおかげで、オレは八つ裂きにならずに済んだのだ。


 バラドーはオレこそが勇者であり、カツメイを殺したのだと主張している。魔力探知は禁呪ルネマで逃れ、容姿はオレのアイテムを使えば如何様にもなると。

 グイネラによれば、ルネマが使用されていること自体が魔力探知に引っ掛かってしまうらしいのだが、バラドーは細かいことはどうでもいいとばかりに強行した。


 頑なになった者に言葉は無力だ。そのままだとシャーミルまで犯人扱いされそうな勢いだったから、落ち着かせるためにも拘束を甘んじて受けることにしたのだった。


 ここは魔王城の地下牢である。左手のほうに一階へ向かう階段が見えていた。あれを上ればオレやシャーミルの部屋が並ぶ南側廊下に出る。


「どんなに物欲しげに階段を見ても、貴様の力ではこの牢からは出られまい」


 バラドーは口元を歪ませ、鋭い牙を覗かせた。


「貴様の力は所詮、あの袋に入っている珍妙な道具に頼ったものだ。それがない今、貴様はただの人間に過ぎん」


 当然ながら、アイテム袋は没収された。

 これでオレはあの袋には指一本触れなくなった。

 身体検査もきっちりとされ、ペン一本持ち込むこともできなかった。救いは服や手袋までひん剥かれなかったことだけだ。


「じき結界は解除される。そうなれば貴様を生かしておく理由はもはやない。その時こそ貴様を八つ裂きにしてくれる」

「できるものならな。貴様は知らんかもしれんが、オレは殺しても死なない男なのだ」

「ふん。せいぜい今のうちに減らず口を叩いているがいい」


 バラドーは背を向け、のしのしと階段のほうへ去っていく。

 それに続こうとしたシャーミルに、オレはこっそり話しかけた。


「気を付けろ、シャーミル。危なくなったら叫べ。すぐに駆けつけてやる」

「……どうやって?」

「どうやってでも、だ」


 笑いながら言ってやると、シャーミルは頷いてくれた。


 二人の後ろ姿が、階段の上に消える。

 オレは振り返り、牢屋の中を見回した。


 どこかに抜け道でもないかと探してみたが、どうやらなさそうだ。

 幸いベッドはあったので、そこに寝転がった。硬い上に埃っぽいが我慢するしかない。


 閉じ込められ、封じ込められ、なのに外はしっかり見えていて―――ああ、どこか懐かしい。

 退屈凌ぎにも事欠いて、ノスタルジーに身を委ねる。


 それはたった七年前までのこと。


 ―――オレは、一〇歳まで家の外に出たことがなかった。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






 物心ついた時にはそこにいた。

 広く、高く、大きく。

 立派で、綺麗で、荘厳な。

 なのに無味乾燥で、荒涼無辺で、殺風景な―――屋敷に。


 使用人はいなかった。

 屋敷にはオレと母上の二人きりで、使っていない部屋は荒れ果て放題、廊下の隅には埃の山。

 廃墟だと言われても抵抗なく信じられただろう。


 窓の外には海があった。対岸は小さくかすかで、蜃気楼のよう。

 幼いオレには、その光景は額に入った絵のように見えた。


 それがオレの家。

 それがオレの世界。


 今にして思えば、なんて狭くてつまらない世界だ。

 当時のオレにとっては、海の向こうどころか窓の外の土すら立派な異世界だったのだ。


 そんな狭い世界の中で、母上はオレにたった一つのことを求めた。

 曰く。


――― あなたは子供なのだから、勉強だけしていればいいのよ ―――


 すなわち、知ること。

 知識を増やし続けること。


 それ以外のすべては許されなかった。

 『知らない』ことを許されなかった。

 『わからない』ことを認められなかった。


 本のページを繰りながら、頭の中ではずっと同じ言葉が響いている。


 ―――知らなければ

 ―――知らなければ

 ―――知らなければ

 ―――知らなければ

 ―――知らなければ


 ……そう、これは呪いだ。


 未知であることを許されない。

 不可思議の存在を許されない。

 この世のすべてを既知として、不可思議から『不』の字を取る。


 ゆえに『カシギ』。フカシギを否定する者。


 母上は最初から、オレをそのための装置として育てようとしていた。






 幸いだったのは、母上がオレから考える能力までは奪わなかったことだ。

 オレには当たり前の欲求があったし、当たり前の願望があった。何より当然の疑問があり、当然の不審があった。


 なぜオレは、こんな生活をしているのかと。


 自分が一般的な人間とはかけ離れた生活をしていることくらい、得た知識を参照すればわかることだ。

 自分は普通ではない。その事実を、母上は隠そうともしなかった。


 不平不満を募らせるオレに、母上はいつも言ったものだ。


――― あなたは子供なのだから、勉強だけしていればいいのよ ―――


 辟易したオレを誰が責められよう。

 必然としてオレは母上が嫌いだったし、母上を始めとした『大人』という存在自体が嫌いだった。


 それでも母上に言いつけられた勉強をやめなかったのは、単にそれ以外の生き方がわからなかっただけでしかない。

 手足を動かし、頭を働かせられる時間をどうやって消費すればいいのか―――勉強以外の選択肢を、オレは持っていなかったのだ。


 フラストレーションが溜まった。

 知識があれば実践してみたくもなる。屋敷の中でできることならともかく、どう考えても使い道のない知識を積み上げていくことは強大なストレスだった。


 軍略など学んだところでどう使えと?

 小銭一つ持ったことがないのに経営学?

 法学を修めてはいるが、オレ自身戸籍があるかも怪しいではないか。


 そもそも、オレにとっては地球という星そのものが本の中の存在だった。


 テレビもインターネットも知識でしか知らなかったオレにとっては、日本もアメリカも中国も韓国もフランスもイギリスもドイツもイタリアもスイスもポルトガルもスウェーデンもオーストラリアもロシアもカナダも南極も北極も、実在の不確かな『世界観設定』に過ぎない。

 それらの場所で学者達が究めているとされる学問とやらをどれだけ修めても、オレにとっては雑学とさほど変わりはしないのだ。


 そんな虚しさが着々と積み重なって、オレ自身を潰そうとしていた。

 ちょうどそういう時だった。

 転機があったのだ。

 理性院カシギの人生に訪れた、初めての変化。


 一〇歳の時のことだ。

 オレは、異世界に召喚された。


 そう。

 オレの初めての外出は、異世界だったのだ。






 その世界では、二つの大国が一つの大陸で戦争をしていた。

 オレを召喚したのはそのうちの片方だ。窮地に陥っていたその国は英雄を求めていた。今となってはよくある話である。

 ……ただ一つ、召喚されたのが一〇歳の子供だったこと以外は。


 無論、ひと悶着もふた悶着もあった。

 だがとても幸いなことに、オレが貯め込んだ知識は異世界でも通用した―――ああ、通用したのだ。


 どんなに楽しかったか。

 今まで貯め込むばかりで使い道のなかった知識。それが活躍の機会を得たのだから。


 快進撃は続いた。

 傾いていた戦局は徐々に戻っていった。


 ……そんな時だ、アイツの影がチラつき始めたのは。

 空振り始めるこちらの策。読み切れなくなる敵の動き。

 想像を絶する奇策によって、オレ達は流木のように翻弄された。


 こちらと同じく、敵方にも頭脳があったのである。

 それも、生まれてからの一〇年間を思考能力の向上にのみ費やしてきたオレとほぼ同等の。


 頭脳の名は、エリア・アークティエール。

 後にオレの婚約者となる、一〇歳の少女である。






 始めはお互いに軍略でしか存在を知らなかったオレ達は、いずれ必然として出会うことになる。


 エリアの在り方は、ひどく無機質で、純粋だった。


 国を効率良く動かすためだけに育てられた天才。

 国という機械に組み込まれた歯車。

 大人の勝手な都合で『自分』を決めつけられた、選択肢なき存在。


 そこにいたのは、オレだった。


 同時に。

 彼女は、オレとは決定的に違っていた。


 オレはかつて、母親にかけられた呪いに抵抗できなかった。

 どうすればいいかわからなかったから。他の生き方を知らなかったから。

 そう言い訳をして、『知らなければ』という呪いに従い続けた。


 ……馬鹿げている。

 わからなかった? 知らなかった? あんなにも知識を貯め込んでいたこのオレが?


 違う。わからなかったのでも知らなかったのでもない。

 甘えていたのだ。誰よりもオレ自身が、子供という立場に甘んじていたのだ。


 だが。

 彼女は―――エリアは。

 甘えてなどいなかった。わからないなりに、知らないなりに、抗い続けていた。


 大人達が彼女に押しつけた役目。それに対する疑問に向き合い、従ってしまえば楽になれるのに、苦しみに苦しみ抜いて。


 エリアの在り方は、ひどく無機質で、純粋で―――

 ―――何よりも、尊いと思った。




 束の間。

 『知らなければ』という呪詛が、消えた。




 不意に胸に灯った経験のない感情。

 強力無比な『未知』。


 それを感じた瞬間、オレは理解したのだ。

 母上はオレに、『未知』を二つだけ許していた。


 一つは『勉強をしなければならない理由』。

 何度訊いても『あなたは子供だから』としか答えてくれなかったし、実際、その答えを知ったのはもっと後になってからだった。


 そしてもう一つは、オレが知ろうともしなかったことだ。

 きっと母上は、それを知ってしまった人間はもはや装置になどならないとわかっていたのだ。

 それは自我なくしては有り得ないものであり、それから生まれる衝動は守られ育てられるだけの子供を一人の人間に変える。


 オレは愛を知らなかった。

 初恋という言葉の真の意味は、どんな辞書にも記されていなかった。






 ―――さらに、月日が流れた。


 エリアと出会うに至った異世界での事件は終結し、オレは地球に戻って市井に出た。

 そして研究の末、世界間航行技術を確立。世紀の天才だとかもてはやされて莫大な富と名声を得た。


 異世界召喚体質になったのはその頃のことだ。

 地球が数ある異世界の中でターミナル駅のようなポジションとなり、その弊害として異世界トリッパーが続出し始めたのである。


 そんな激動の時代。

 各世界で収集したアイテムも充実してきて、頻繁に召喚されるのにも慣れてきた頃だ。


 オレは、魔女に出会った。

 オレは、いつものように恋に落ち。


 そして―――



――― あたしを逃げ道に ―――

――― 貴方なんか何も生み出せは ―――

――― きっとそれが、誰にとっても ―――



 ―――第二の呪いを、刻みつけられたのだ。






%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%






 ぐらり、という震動で、オレは目を覚ました。


 どうやら微睡んでいたようだ……。

 今のは、いつもの地震か? もう慣れてしまっていちいち気にしていないが、どうも間隔が短くなっている気がするな……。


 オレは牢獄の硬いベッドの上で、欠伸を漏らしながら起き上がる。

 さっきのは夢か、それとも回想か……。らしくもない。こんなにも昔のことを思い出すなど。

 幼少期に愛が欠乏していたから成長してから愛を求める―――なんて、今時知ったかぶりの専門家でも口にしまい。


 オレは結局のところ、人より惚れっぽいだけの男子高校生だ。

 目の前の可愛い女の子を放っておけない―――思春期の男として恥ずかしいほど一般的な人格の持ち主だ。


 本当にただそれだけであり、決して女性を自分の歪みからの逃避に使ってなどいない。

 使ってなどいない、はずなのだ―――


 懐中時計の持ち込みは許されていたのを思い出し、時間を確認する。

 しばらく合わせていないから一分か二分ずれているかもしれないが――


「そろそろ夕方か……」


 オレが半日以上も微睡んでいた間抜けでなければ、もうすぐ夕映えの時分である。

 魔界は割と狭い。空を覆う黒雲も地平線までは続いていないから、日没前の僅かな時間、夕日が顔を覗かせるのだ。

 尤も、地下牢では夕日を楽しむこともできないが。


 それよりも腹が減った。思えば今日は昼食も摂っていない。朝食は……どうだったか? ヤーナイのことがあってばたばたしていた記憶しかない。もしや、今日は何も食べていないのか。そろそろシャーミル辺りが食事を持ってきてくれないだろうか。


 ひもじい思いをしていると、鉄格子の向こうから足音が聞こえてきた。

 トン、トン、トン――と一定の、階段を降りてくる音。


 グッドタイミングだ。オレはベッドから降りて鉄格子の前まで行った。

 左手に見える階段から人影が現れて―――


「―――ッ!?」


 その姿を見た瞬間、オレは鉄格子から跳び離れていた。

 違う。正確には鉄格子ではなく、階段を降りてきたそいつから。


 そいつは程なく牢の前まで歩いてきて、警戒するオレを鉄格子越しに眺めた。

 人懐っこい笑みを浮かべ。

 いかにも人畜無害そうに。


「やあ。会うのは二度目だね、カシギ君?」


 飽くまでも親しげに挨拶するそいつに、ならばとオレも警戒を解き、笑みを向ける。


「よう。なかなか洒落た再会だな――――勇者よ」


 現れたのは、見た目は十六~七歳で、農村でリアカーを押していても違和感のなさそうな、木訥な印象の少年。


 ―――勇者だった。


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