9、飼い犬の憂鬱 ⑨
アルベールから帰宅の許可を貰い、アリスが王宮から侯爵家へ戻ったのは、午後三時を少し回った頃だった。
(この時間なら夜行性のNo.8はまだ出勤してないわね)
そう判断したアリスは夕食まで休む旨を侍女のポレットに伝え、急いで自室を閉め切ったあと、クィーン姿に変化してアジトへ移動する。
第三支部の機密室に入ると棚を整理中のニードルが振り返った。
「こんにちはクィーン、三日ぶりですね」
「そうね、ニードル」
短く頷き、入り口近くの棚から「読んだあと焼失する」タイプのメッセージ・カードを三枚抜き取る。
(私の名前で呼び出したのでは警戒されるわね)
思案したクィーンは、黙々と机に向かうヘイゼルの対面の席に座り、一枚目のカードをNo.6であるグル宛へ書き送る。
すると数分後という驚きの早さで返事が届いた。
『どちらも了解した。さっそく確認したところ今日もモリーは迷宮にいるようだ。現在は双子もNo.1もいないので急いで本部へ来てくれ』
内容を確認したそばから『分かりました。すぐに行きます』というメッセージをクィーンは返信する。
(……あとは私からもNo.4へ頼んでおかなくちゃ……)
治癒能力のある彼女は唯一今回の計画を覆せる人物だ。
個人的な付き合いがないのでグルから話して貰うように頼んでおいたものの、クィーン本人からも一言あってしかるべきだろう。
そう考え、最後にNo.4へとメッセージ・カードを飛ばすと、時間を惜しむように椅子から立ち上がる。
「ニードル。今から本部へ行くのでつきあってくれる?」
早足で廊下を歩きながら、ニードルに説明してお願いする。
「今から本部所属のNo.18に会いに行くんだけど、その後、何が起こっても私を信じて、絶対に手出ししないでくれる?」
「かしこまりました。クィーン」
本部前に到着したところでニードルがクィーンの前に進み出る。
「No.9ですが、No.18はいらっしゃるでしょうか?」
ノックして呼びかけるとすぐに内側から扉が開かれ、対応に出てきた女性魔族の後ろからわざとらしい声が上がる。
「やあ、No.9じゃないか!」
やや大げさに挨拶しながら席を立ったグルが、部屋の入り口まで出迎えに来た。
そのまま招き入れられた本部の機密室は、フロアの広さも詰めている人員の数も、第二・第三支部のおよそ数倍。
高い本棚が立ち並ぶ室内の中央と左右、奥側に机が置かれ、総勢十数名の人員がそれぞれ忙しく働いている。
事前の確認通り、顔無し姉妹とNo.1は不在のようだった。
「先日は迷宮を案内して下さってありがとうございます。グル」
「いやいや、礼を言われるほどのことではない。
ところで今、No.18に会いに来たと聞こえたが……」
「はい、個人的に話がありまして」
「そうか、なら私もちょうど迷宮に行く用事があるので、ついでに彼女のいる場所まで案内しよう」
やや違和感のある流れの会話を経たのち、一行は機密室隣のエントランス経由で迷宮の幹部室へと出る。
鏡面のような天井や床、壁に囲まれた幹部室は、やはり塔や螺旋の数倍の広さだった。
室内には準幹部らしい魔族が数人いて、グルに続いて現れたクィーン達をいっせいに注目する。
肝心のお目当ての相手はといえば、異様に長いテーブルの端で椅子にふんぞり返っていた。
いつものようにマリー人形を肩に乗せたモリーは、意外な人物の登場に、持っていた書類を手から滑り落とす。
「えっ……? クィーン?」
一人だけ名前を呼ばれたクィーンは、返事代わりに勢い良く床を蹴り、モリーの右横まで一息に飛んでいく。
「数日ぶりね。モリー」
「いっ、いったい何の用?」
不穏な空気を感じ取ったのか、問いかけながらモリーは腰を浮かせかける。
そこへ逃げ道を塞ぐようにグルが左横に立ち、あわせてニードルも背後に回り込んだ。
足を開いて腕組みしながらクィーンは聞こえよがしの声で説明する。
「何の用だなんて、よくも言えたもんね!
たまたま少し時間が出来たので、わざわざこちらから出向いてやったのよ。
先日あなたが私に吐いた暴言の謝罪を、きっちりさせるためにね!」
「しゃっ、謝罪!?」
モリーの声が動揺を表すように裏返る。
「そうよ。私もいまや大幹部。
立場上、下の者に舐められたままで放置はしておけないの。
さあ、分かったら、さっさとその煩い人形ともども、床に這いつくばって許しを乞いなさい!」
「んまぁ、木偶人形のクィーンの癖にっ! 大幹部になったからって、ずいぶん偉そうじゃないっ?」
我慢できないというようにモリーの肩の上でマリー人形が起立し、ヒステリックに叫ぶ。
さすがにグルや他の者の前でその言動はまずいと思ったのか、慌ててモリーがたしなめる。
「ちょっと、マリー、止めなさいよ」
ところが怒り心頭らしいマリー人形の耳には入らないようだった。
小さな顔を真っ赤に染め上げ、さらに反抗的な言葉を重ねる。
「本当のことしか言ってないのに、床に這いつくばって許しを乞えですって?
じょおおおだんじゃないわぁあっ!!
もうこうなったら真実をこの場で全部ぶちまけてやるっ!
いい? クィーン。ローズのクソビッチは、あなたがいなくなったあと――」
続きをマリーが言うよりも先に、クィーンが左手でフライ・ソードを引き抜き、素早く突き出した。
「あがっ……!?」
いきなり口に剣先を突っ込まれたマリーは、声にならない呻きを喉から漏らす。
「今度言ったら、ただじゃおかないって言っておいたわよね?」
凄みながらも空いている右手でブラック・ローズを抜き放ったクィーンが睨みつけたのは、もちろん失言したマリー人形ではなかった。
「待って、クィーン、今のは――」
言いかけたモリーの唇と歯の間に、今度はブラック・ローズの先端がグイッと押し込まれる。
「言っておくけど、人形が勝手にしゃべったなんて下らない言い逃れをしたら、即ぶっ殺すわよ?」
先日と違って今日はクィーンの本気度が伝わったらしい。
モリーは剣を咥えながらコクコクと頷いた。
「分かったならいいわ。では今回は特別に、半殺しで勘弁してあげる!」
そこでクィーンが宣告のように言い放ち――直後、迷宮の幹部室には二重の哀れな悲鳴が響き渡った――
あくる日の大幹部会議前。
グレイと別々に無明の間を訪れたクィーンは、まずはカーマインの席に立ち寄り、助言への感謝の気持ちを伝える。
「おかげ様ですっきりした気分で順位戦に挑めそうです」
カーマインはといえば「それは良かったな」と一言返しただけで、すぐに手を振って追い払う仕草をした。
うやうやしく一礼したあとクィーンは対面側にある自席へ移動する。
――と、着席するのとほぼ同時に、小さな影がバサバサと舞い降りてきた。
肩先を見ると、小鳥のブルーがちょこんと止まっていた。
「やあ、ハニー、一ヶ月ぶりだね」
「そうね、ブルー」
どうやら前回と同様、退屈な会議中の話し相手を求めてやって来たらしい。
「あれからちっとも会いに行けなくてごめんね、ハニー。
実はリアルで他国に侵攻中なもんだから、今月は地獄みたいに忙しくてさ。
俺に会えなくて寂しかっただろう? マイ・スィート」
「どうかしら」
「大丈夫。運命の恋人の俺には君の気持ちはちゃんと伝わっているよ。なにせ二人のハートはばっちり繋がっているからね」
「そうかしら」
順位戦の申し込みを控えて気もそぞろだったクィーンは、ブルーの言葉を右から左へと聞き流した。
そうこうしているうちに、光に浮かんだ中央台の書記席に、暗色のファーを纏ったNo.8が着席した。
ほどなく大幹部会議の開始が告げられ、クィーンは身を引き締めた。
進行役のNo.8は両手で資料を広げ、毒を塗ったような色の唇で、第二支部の報告書から順に読み上げ始める。
相変わらず内容は数字ばかりで、ブルーのおしゃべり同様、今のクィーンの頭にはまったく入ってこなかった。
「――とにかく、そういうわけで、戦争は今月中に片付きそうだから、そうしたら約束していたデートをしようね。マイ・ハニー」
「ええ、そうね」
ろくに話も聞かずに頷きながら、クィーンは会議の進行具合にのみ意識を向ける。
第三支部の報告が終われば残りは本部のみ。
いよいよ高まる緊張感を紛らわすように、クィーンは頭の中でおさらいする。
順位戦が行われる時間は「一日の終わりの刻」と定めらている。
挑戦者の権利は相手と日にちの指定。
対して挑まれた者は、自分の武器を貸し出したうえで、先に側近を一人、戦いの場に出す権利が与えられる。
そしてその配下が破れた場合は、直ちに大幹部同士の本戦が始まり、同日中に勝敗が決着する。
本来なら決戦日については相手の引き継ぎなどを考慮し、余裕を持たせて告げるべきだろう。
しかし、少女の命を思うと一日たりとも猶予は与えられない。
改めて条件を復習し終えたところで、ついにすべての報告が終わり、No.8が一同を見回しながら問いかける。
「――月間報告は以上ですが、何かご質問やご意見、発表などはございますか?」
そこで間髪入れずクィーンは「はい」と大声を上げる。
併せて小鳥のブルーが「えっ?」と驚いたように飛び上がった。
「No.9ですね。どうぞ」
まさか順位戦を挑まれるとは思っていないらしく、応えるNo.8の声は落ち着き払っていた。
発言を許可されたクィーンは深く息を吸い込み、会場中に聞こえるようにはっきりした声で宣言する。
「私は明日指定で、No.8へ順位戦を挑みます!」




