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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第四章、『神へと至る道』
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2、飼い犬の憂鬱 ② モリーとマリー

「事実であっても、口を慎まないと駄目よ、マリー。

 一応クィーンは大幹部なんだから」


「あらモリー、人形の私には関係ないわ!」


(……って、自分が言わせている癖に……)


 モリーの異能は「人形使い」という異名が示すように人形を操る能力。

 今も人形のマリーは生きているかのように動いて話している。


 砂色の肌に胸下まで伸びた艶のない黒髪、酷薄そうな薄い唇と細い目、やや長めの尖った顎。

 お世辞にも美しいと言えない容色のモリーとは対照的に、その肩に座る背丈60cmほどのマリーは、金色の髪と雪白の肌につぶらな青い瞳、愛らしい顔立ちの大層美しい人形だった。


「大体モリー、クィーンは耳が遠いから大丈夫よ!」

「そういえばそうだったわね」


 小鳥がさえずるような楽しげなマリーの高い声に、底意地の悪そうなモリーの低い声が同調する。

 言われている当のクィーンは今までもそうしてきたように、今回も聞こえていないかのように無視を貫く予定だった。


 前世で受けた虐待といじめによる耐性だけではなく、モリーとマリーの嫌味攻撃には慣れている。

 まだモリーが第二支部にいた頃、毎日のようにローズと一緒に絡まれていたからだ。

 おかげで正体を明かされなくても言動によって、モリーの正体が修道院で嫌われ者の「嘆きのメリー」だと早くから気がついていた。

 同様にモリーも見た目の美しさや性格や態度で、クィーンとローズの正体を見破っていたらしい。

 アリスには「飼い犬」「木偶」、テレーズには「淫乱」あるいは「尻軽」と、修道院でもアジトでも同じ言葉で二人を嘲った。



 そんな過去を思い起こしている間に、お互いの距離が接近する。

 ――と、無反応、無表情を決め込んだクィーンが、素早くモリーの脇をすり抜けようとしたとき。

 瞳に悪意の光を浮かべたモリーがニヤリと笑い、肩に乗っているマリーがわざとらしい嘆きの声をあげる。


「それにしてもローズはかわいそうよね!

 クィーンの何倍も、カーマイン様以外の相手にもたくさん股を開いて頑張ってきたのに、とうとう最期まで幹部止まりだったんだもの」


「――!?」


 瞬間、クィーンの胸にカッとした怒りが起こり――両者の間に風切り音が走る――

 高速で腰から引き抜いたブラック・ローズの刃をモリーの首筋に当てがい、クィーンはドスを効かせた声で忠告した。


「私のことは何とでも言っていいけど、根拠のないことでローズを侮辱しないでちょうだい」


 ローズ自身が言い返せない以上、ここで聞き捨てするわけにはいかない。

 ところがモリーは怯むどころか剣が肌に食い込むのも構わず、むしろ喜ぶように喉をのけぞらせて笑い、その横で肩に乗ったマリーが心外そうに言う。


「根拠ならあるし、事実よ!

 ひょっとして、クィーン。あなたったら親友の癖に本人から何も聞いてなかったの?

 ローズがあなたが第二支部からいなくなったあと、カーマイン様に命じられてついていた特別な任務のことを――」


 クィーンはあくまでもマリーではなく、モリーをきつく睨みつけて問い返す。


「――特別な任務?」


「駄目よ、マリー、それ以上言ったら、カーマイン様に怒られるわ」


「ああっ、そうね。この辺で止めておくわね!」


 マリーの叫びを合図に急にモリーは海草じみた髪と真紅のドレスを翻し、哄笑をあげながら逃げるように廊下を駆け出した。

 カーマインと待ち合わせがあるので追いかけたい衝動をぐっと堪え、剣を握り締めたクィーンは、呆然と遠ざかる背中を眺める。


(私がいなくなった後に、カーマイン様がローズに特別な任務を……?)


 どうせいつもの相手を動揺させるための虚言だとは思いつつも、妙にモリーの台詞がクィーンの心に引っかかる。


 気にしてぼんやりしたままNo.2の間に到着したクィーンを、煙状のカーマインの魂が扉を開いて室内に迎え入れた。

 長い脚を組んで豪華な椅子に座るカーマインに向かって光沢のある床を進み、足元に跪いて挨拶する。


「ご無沙汰しております、カーマイン様」

「数週間ぶりだな、クィーン」

「はい」


 頷きながらカーマインの顔を見上げた瞬間、クィーンは無性にローズのことを訊きたくなった。

 しかし、ただでさえ色じかけ任務の報告で怒られそうなのに、このうえ馬鹿な質問をして不興は買えないと思い止まる。

 ところがグレイやクィーンの懸念に反して、カーマインは艶っぽい唇の端を上げ、いかにも上機嫌そうな様子。


「どうやら第一王子への接近は順調にいっているようだな。

 お前にしてはなかなかやるではないか」


「――!?」


 思いがけず出だしから誉められ、クィーンは心底びっくりした。


「何でも聞いた話では、宮廷園遊会では第一王子に横抱きにされて退場したとか。以降も頻繁に王宮で逢瀬を重ね、着実に周囲公認の仲になっているそうではないか?

 すでに婚約成立も間近との噂がこの私の耳にまで届いている」


(そこまで伝わっていたのか……)


 そう言われてみると、アルベールへの接近任務を忠実にこなしているように聞こえる。

 実際はカミュ以外に会話を聞かれないのをいいことに、結婚に拒否反応を示して叫んだり、キスを拒んだりしているのだが。


「あとは神の涙の使い手の乙女が現れる前に、一刻も早く婚約して結婚に漕ぎつけるのみ。

 お前も知っての通り、結社の勢力を伸ばすという意味で、魔王様は現世での高い地位についても評価して下さる。

 王太子妃になるだけではなく、相手が聖なる武器使い最強の剣士となれば、婚姻が成立した暁には、間違いなくお前の順位は最低2つは上げて貰えるだろう」


(最低2つも――!?)


 驚きつつも、すっかり結婚すると決めつけているカーマインの口ぶりに、クィーンは内心激しくうろたえる。


「問題はお前にご執心のNo.3の気持ちぐらい。だが、そこは神の涙の入手と聖剣使いの寝首をかく機会を伺うためであると強調し、『心はあなたの物だ』とでも言って宥めておけば良い。

 何だったら王太子妃としての初夜の儀が終わったあとは、No.3のベッドも温めて機嫌を取れば良いだろう」


(ずいぶん簡単に言うな……)


 クィーンの気持ちを置き去りにして、カーマインの話はどんどん先へと進んでいく。


「実は昨夜No.3より、早急に私に会いたいというメッセージが届いていてな。どうせお前のことだろうと思って、忙しいというのを言い訳に明日に先送りしてある。

 会った際にはぜひ私からも、お前と第一王子の結婚を邪魔しないように頼んでおこう」


 『頼む』という、カーマインらしくない下手に出た言い回しから、一応グレイに一目置いていることが伝わる。 

 クィーンは必死に動揺を表に出さないように堪えながら、


「……ありがとうございます」


 なんとか、お礼の言葉を喉から絞り出した。

 いくら順位を上げるためでも、アルベールとの結婚だけは死んでもごめんだ。

 想像するだけでもぞっとしてしまうのは、ローズとグレイへの想いだけではない。毎回会うたびに反応する自分の身体と、アルベールの「君も僕に惹かれている」という発言への拒絶感だった。

 しかし結婚するのが嫌などとは、とても恐ろしくてカーマインには言えない。

 つまりこれからは色じかけに加え、王太子妃を目指しているフリもしなければならないのだ。


(……でも婚約を引き延ばすのには限度がある……)


 確実に上がった誤魔化し難易度に、全身から冷や汗が吹き出す思いがするクィーンだった。

 そんな気持ちをさらに追い込むように、


「――さて、その話はひとまず終えて、今日の本題、順位戦の話に移ろう」


 密かに恐れていた「順位戦」の話を唐突に振られてしまう。


「じゅっ……順位戦ですか!?」


 思わず動揺して裏返るクィーンの声に、カーマインの金色の瞳が冷たく細められる。


「何を驚くことがある。

 お前が結社に入ったのは『魂を売ってでも』叶えたい『願い』があったからではないのか?

 その悲願を達成するためには、最低でも魔王様と直接面談できる四天王以上になる必要がある。  

 王妃ならともかく、王太子妃になったぐらいではまだ足りぬのだ。

 本気で目的を果たしたいなら、第一王子との婚約や神の涙の入手を目指すことはもちろんのこと、着実に大幹部としての順位を上げるように努めるべきであろう」


『魂を売ってでも叶えたい願いがある』という言葉は、結社の入信時、幼いアリスがカーマインに伝えたものだった。


「そこでだが、現在、大幹部としての順位を上げる方法は3つある。

 1つ目は高い功績を上げるか、もしくは先ほど言ったように結社の勢力を強める地位につき、その事実を魔王様に報告して順位を上げて貰うこと。

 2つ目は順位戦に挑んで上位の者のNo.を奪うこと。

 そして最後の3つ目が、大幹部に欠員が出た時に、魔王様の指名か、または緊急大幹部会議の採決によって順位を上げて貰う方法だ」


 カーマインは長い指を三つ立てて説明した。


「中では3つ目が一番リスクは少ないが、大幹部会議での決定は多数決制で、所属している派閥の人数が物を言う。

 現在のようにお前と私の二人のみの派閥ではお話にもならないので、当座は派閥の人員を増やしてゆくことが優先課題だ。

 とはいえ、無所属なのはNo.6しかおらぬし、現在第二支部にいる幹部で、大幹部になり得る戦闘力を持っている者はNo.13のみ。これはNo.4の命令しか聞かない駄犬なので、大幹部になったとしても使うことができない。

 それならばお前の配下の、最近No.12に上がったと聞く戦闘力の高い大剣使いを大幹部に引き上げ、派閥の一員に加えるべきであろう。

 第三支部に所属している者ならばたとえ魔王様に指名されなくても、緊急大幹部会議の採決で、お前と私との2票に加え、No.3とNo.10の票も得られるだろうから競り勝てる可能性が高い。

 しかしそれも、大幹部の誰かが死ぬのを待っていたのではいつになるかも分からぬ。

 そこでお前が絶対に勝てる相手に順位戦を挑み、自分の順位を上げるついでに、配下のために大幹部の椅子を一つ空けてやるのだ」


(ソードを大幹部に上げるために、私が順位戦に挑む!?)


 正直その発想はなかった。


「絶対に勝てる相手……ですか?」


 震える声で問うクィーンに、カーマインは薄っすらと口元に笑みを浮かべて答える。


「そうだ。以前私が言ったように、お前はNo.4よりも強いが、No.13に勝てるかは怪しい。

 だが四天王以外の大幹部なら、仮面の騎士とほぼ対等にやり合えるお前ならば、誰を相手に戦っても楽勝であろう。

 ただ順位戦は自分より下位の者には申し込めないので、そこを踏まえて私は一つ上のNo.8から挑むことをすすめる」


「……No.8?」


 この前の大幹部会議で同席したことがあるだけの、話したことすらない、全く接点のない相手だ。


「No.8を倒せば一番人数の多いNo.1の派閥の人数を減らせるだけではなく、無所属のNo.6の好感度を上げることもできる。

 というのもNo.8は相当に悪趣味かつ気色の悪い男で、美意識が高いNo.6には耐えがたい存在らしく、出会った頃から蛇蝎のごとく嫌っているのだ。

 私個人としてはNo.6との間には埋めがたい溝があって取り込むのは無理だが、お前が個人的に親しくなるのは可能であろう――No.8を倒せばそのいい足がかりとなる。

 なお、クィーン、これは命令でも強制でもない。お前も大幹部となり、配下を統率する立場となったからには、自分で物を考え、選択してゆくべきだ。

 挑む相手もNo.7でもNo.5でも好きに選べば良いし――もしも順位戦よりも第一王子との仲を進展させることに集中したければ、それでも構わぬ。

 まさかベッドの上でまで短剣を身につけぬだろうから、第一王子と深い仲になれば神の涙の入手も容易になろう。

 その辺はお前の判断に任せることにするが、くれぐれも私を失望させないようにしろ」


(好きに……物を考え……選択……?)


 順位戦が強制でないことにはほっとしたものの、クィーンはとまどいをおぼえる。これまでずっとモリーの言うようにカーマインの『飼い犬』として、言いつけに従うだけで順位を上げてきたからだ。

 とりあえず早く返事をしないと怒られるので、どうにかかすれた声を絞り出す。


「――かしこまりました。カーマイン様。

 ご期待に添えるように頑張ります」


 そこで水のように流れる赤銅色の長髪を大きく揺らし、椅子から起立したカーマインが大きく手を振り上げて下ろす。


「ならば、一刻も早く取りかかるのだ。もしも順位戦に挑む場合は、月に一度の大幹部会議で申し込まねばならぬからな。

 五日後の大幹部会議を見送れば次はまた一月後になる。

 判断材料のために、私が気をきかせ、交流もかねてNo.6に『お前の代理』として使いの者を送って頼んでおいた。

 No.8が統括する本部の人間界側の施設『迷宮』の案内をな。

 というわけで、明日の正午、No.6の間にて待ち合わせだ」


「――!?」


「えっ」と叫びそうになった言葉を、クィーンはすんでで飲み込み、


(明日の正午? No.6と『迷宮』へ?

 カーマイン様は私の判断に任せるとか言いながら、どう考えてもNo.8との戦いを促す気満々じゃ……)


 と心の中で思いながらも感謝の言葉を述べる。


「お心遣いありがとうございます。喜んで見学に行かせて頂きます」

「では、明日に備えてもう下がるが良い」

「――はっ――」


 最後にうやうやしく一礼すると、クィーンは立って、速やかにNo.2の間をあとにする。

 色んなことをいっぺんに言われたので、物凄く頭の中が混乱していた。

 余裕のない精神状態でNo.9の間まで戻って扉を開くと、今日の任務を終えたのか、部屋の端にある長椅子に座って休む二人の側近の姿が見える。

 二人もすぐにクィーンが現れたことに気がついて声をかけてきた。


「おっ、クィーン、お帰り!」

「お疲れ様です、クィーン」


 嬉しそうに笑うソードと、やわらかな表情を浮かべて挨拶するニードル。

 ――二人の顔を見た瞬間――なぜかクィーンは、まるで我が家に帰ったような安堵感をおぼえた――



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