36、信じる心
羽を広げるには幅狭なアジトの廊下を全速力で駆けながら、クィーンは相変わらず要領が悪く抜けている自分を激しく呪った。
(今日の大事な日は、もっと気を引き締めて過ごすべきだったのに……!
睡眠も食事もしないでグレイ様をずっとアジトで待ち伏せしているべきだった!?)
焦る心と壊れそうなほど高鳴る胸を抱え、クィーンが大幹部の間の扉が並ぶ廊下にさしかかった時。
しゅるっと視界の端に生成色の豊かな髪が流れてゆく。
「クィーン!」
「!?」
バッ、と、斜め前方に飛び出してきたニードルの姿に、クィーンはぎょっとして目を向けた。
「お願いします! 僕も連れて行って下さい!
あなたの出ていない幹部会議で通った王都の任務は6つ。内容はすべておぼえています!」
信じがたい速度で走りつつも振り返って叫ぶニードルの声は切羽詰まり、必死な表情がかつてのローズと重なる。
後ろから追い抜かされたという事実に、初めてニードルの足が自分より速いことを知り、大きな衝撃をうけたクィーンは――かえって頭の混乱の波がすうっと引いていった。
(――そうだ。私はまだ仲間達を見くびっている……!)
ニードルの足がクィーンより速いように、ソードはクィーンより頑丈でしぶとい――そしてサポートについているグレイは大幹部最強でありクィーンより強いのだ。
(きっと、まだ間に合う!――後悔するのは今じゃない!!)
腰のブラック・ローズの柄に触れ、クィーンは自身の心を励ますと、しっかりとニードルに頷きかける。
「いいわ! 一緒に行きましょう、ニードル!」
以前のクィーンであれば迷わず、ニードルの心情を汲み取るより、巻き込まないことを選択しただろう。
だけど今は違う。
ニードルの実力を知り、何より親友を心配する彼の気持ちが痛いほど分かるのだ。
やがて長い直線の廊下を駆けるクィーンの瞳にNo.3の間の扉が迫ってくる。
いよいよ緊張の瞬間が近づく。
この扉を開けた時にグレイの姿が見えなければ、すでに『出撃済』――ソードの戦闘も始まっていることになり、局面はかなり悪くなる。
(お願いだから中に居て! グレイ様!)
強く願いながらクィーンは扉のノブを掴み、一気に開け放って室内に飛び込む。
「――クィーン……!?」
奥から響いてきた声と、一段高い場所にある玉座風の椅子から立ち上がる灰色の影に――安堵したクィーンの目頭と胸が熱くなる。
「グレイ様!」
ひとまずグレイの出撃前には間にあった――だが、まだ安心するのは早い。
「ソードはどこですか!?」
クィーンは急ぎグレイの元まで飛んで行き、床に舞い降りながら単刀直入に訊いた。
今は少しの間も惜しい。ニードルのおかげで冷静さを取り戻していたクィーンは、ソードに任務をいっぺんに出したかなどという無駄な質問をしなかった。
グレイは青白く美しい顔に緊張を滲ませ、クィーンの顔を見返した。
「居場所を聞いてどうするのだ?」
グレイの問いにクィーンは迷いなく即答する。
「サポートに向かいます!」
「――君をその役目から外したはずだが?」
「ですが、私は納得していないし、あなたの出撃は大幹部会議で却下された!
結社にも魔王様にも出撃が認められていない以上、大人しくソードのサポート役は私に任せるべきです!」
「つまりこの支部のトップであり君より上位の私の意向に逆らうと?」
グレイらしからぬ権威を傘に着た物言いだったが、クィーンは何と言われようと『ローズ式』で自分の意志を貫くつもりだった。
「たとえここのトップだろうと私より上位であろうと、結社の規則破りをしようとしているあなたの言うことなど聞く義理はない!
私はあなたより魔王様――いいえ、自分の意志に従います!」
クィーンはきっぱりと言い切り、
「クィーン、私には規則を破ってでも守らなければならないものがある。
君がそのつもりならば、私も同様にあくまでも自分の意志を押し切るまでだ!」
一歩も引かないグレイの発言に、横からニードルが苛立った不満の声をあげる。
「ソードを命令違反で罰したあなたが、よくも平気でそんなことを言えますね!
だいたい簡単に言うが、規則破りは厳罰対象だ! 魔王様は厳しいお方だと伺っている。大幹部のあなただって重い処罰は避けられないはずだ!」
元『秩序の大天使』であった魔王は何よりも規則違反を嫌う。
もしもソードが仮面の騎士に出くわしグレイが出撃した場合、たとえ生還したとしても、順位を下げられることはもちろん、支部のトップの座からも下ろされるだろう。
「悪いが、私もそんなことは百も承知だ。
自由に出撃もできない今の立場から解放されるなら、むしろ喜んで罰を受け、降格しようじゃないか」
「――それが、トップの者の言うことですか!
あなたのお立場なら、今は個人的な感情や仮面の騎士との決着よりも、この崩壊しかけている第三支部を建て直すことを優先すべきでは!?
あまりにも無責任過ぎる!!」
「待って――ニードル」
クィーンはいきり立つニードルを制止するように手を上げた。
(こんな言い合いなんてしている場合じゃない……なんとかグレイ様に分かって頂いて、一秒でも早くソードの元へ駆けつけねば!)
そのためには表面的なことではなく、もっとグレイの心情に深く訴えかけなければいけないのだ。
焦りながらも考えたクィーンは、グレイの瞳をしっかり見据え、誠心誠意の言葉を紡ぎ始める。
「グレイ様、あなたをそこまで追いつめたのが私だと分かっています。
たしかに前回の私はふがいなかった。あなたに信用されないのも、不安に思われるのも当然のことです。
――私は最愛の家族を失ってから、生きるのがずっと苦しくて辛くて――無意識に死に急いでいました……!
だから仮面の騎士に殺されそうになった時も、残されるあなたやローズ、他のみんなの気持ちも考えず、仲間を見捨てて自分一人だけ先に楽になろうとした――そしてそんな私の弱さが、卑怯さがローズを殺した!」
叫んだクィーンの両瞳から熱い涙が吹きだし流れる。
「ですが、今はあなたに心配をかけたことを心から悔いて、反省しています。
もう私は、今までの自分の命を軽んじていた私ではありません。
ローズの分の命も背負ったこの命は何よりも重い!
もう決して自分から命を投げ捨てたりしない――絶対に死なないと誓うから、どうか信じて、もう一度だけチャンスを下さい!
私が愚かだったばかりにあなたやソードを犠牲にしたくない!」
涙ながらに懇願するクィーンを見つめる、グレイの燐火のような瞳が揺れ、冷たく整った顔が苦しげに歪む。
「昨日も言ったはずだ……これは君がどうこうというより、私自身の問題なのだと……」
「いいえ! あなただけの問題じゃありません……!
昨日おっしゃっていたように、私はあなたがいなくても生きてゆけます!
それでもあなたが死ぬのは自分が死ぬより何倍も辛い!
分かっているはずです――私だってあなたを愛してる! どうしても、失いたくないんです!」
クィーンはグレイの両腕を掴んで下から顔を寄せ、昨日言い損ねた答えを心を込めて伝えた。
「クィーン……」
グレイは切なげに呟き、小刻みに震える氷のような手をクィーンの頬に当てる。
「君の気持ちは痛いほど分かっている……だが、やはり私は怖いのだ――ふがいないのは君ではなくこの私だ。
こんな年になっても――何年経っても――いまだに冷たくなっていく小鳥の身体の感触が忘れられない。
母に見咎められる可能性があっても、ずっと懐に入れて守っていれば良かったと――
二度と同じ失敗を、後悔をしたくない……!」
「……でしたらグレイ様――どうか出撃して私を守って下さい!
――ただし――それは私が危機に陥った場合です――私はただ大人しく殺される無力な小鳥ではない。
どうか、実力を示し、それを証明する機会を与えて下さい!
一生のお願いです! 今すぐ外界への扉をソードの元に繋ぎ、私をサポートに向かわせて下さい!」
「……」
クィーンの懸命な訴えに、グレイはしばし考え込むように沈黙した。
――無駄に経過していく時間に、クィーンの中で焦りが高まっていく。
(ここまで言っても駄目なの……!?)
グレイが人魂を飛ばしてソードを監視していることは間違いない。
ゆえに一番早いのはグレイに外界への扉を現地に繋げてもらうことだったのだが――
このまま時間を無駄にするより、ニードルから6つの任務の内容を聞いて、出せる最大数の偵察の蝿を飛ばして捜索した方が早いかもしれない。
クィーンがそう判断しかけていた時――目の前のグレイの瞳が急にハッとしたように見開かれ、顔に緊張の色が広がった――
その表情の変化を見逃さず、
(――ソードが仮面の騎士に遭遇したんだわ――!?)
鋭く悟ったクィーンは、グレイが外界への扉に瞬間移動する前に、腰のブラックローズを抜き放ち――ダッと、床を蹴っていた。
グレイは外界への扉の前に一瞬で跳び、ノブに手をかけるいっぽうで、高速飛行してくるクィーンに向かって手をかざす――アニメを観ていた彼女にはその動きの意味が分かった――
グレイは嵐のような風を放ってクィーンを吹き飛ばし、その隙に扉をくぐるつもりなのだと――
「ローズ、私を守って!」
クィーンは叫びながら思いきって、ガッと、ブラック・ローズを床につきたて、そこから出現した漆黒の荊の盾で襲ってくる風圧を防ぐ。
まさかクィーンに行動が読まれるとは予想していなかったグレイは、風を放ったのとは逆の手ですでに外界への扉のノブを握っていた。
暴風をやり過ごしたあと、すかさず荊の盾の陰から飛び出したクィーンは、虹色に光り始めた入り口目がけて突進する。
舌打したグレイが腰の魔剣ファントムを抜き放ち――構わず突っ込んでいくクィーンの脇を8本の大針がすり抜けていった。
保身をかなぐり捨てたニードルが、クィーンを援護するため、グレイめがけて一度に放てる限界の数の針を放ったのだ。
扉の前からどけるわけにも、幽体化してクィーンを素通りさせるわけにもいかないので、グレイは止むを得ず剣を抜いたらしい。
優れた動態視力で、針を払い落とす剣の軌跡を避け、クィーンはグレイの腰にがばっと飛びつく。
「グレイ様、お願いします! 私も一緒に行かせて下さい!」
「駄目だ! 引け――クィーン」
ここにきていまだに頑ななグレイの態度に、クィーンの危機感は限界まで高まる。
(早く! ソードの剣が壊される前に助けに行かねば!)
クィーンのフライ・ソードより強度があっても、聖剣との打ち合いには耐えられないのはソードの大剣も同じ。
ニードルならともかく、ソードではアルベールの攻撃を避けきれない。
受けるべき大剣を砕かれれば、その身に直に攻撃を食らうだろう。
これはソードを信じるとか信じない以前の問題だ。
こうなったらせめて居場所と無事だけでも確認しておかねばと、クィーンは身から蝿を飛び立たせ、閉じかけている外界への扉をくぐらせる。
大幹部の武器で魂を斬れるのは「天使の嘆き」だけであり、魔剣ファントムを持つグレイは蝿に気がついても見送るしかない。
――虹色の空間を通り抜け、蝿のクィーンが外界へ飛び出すと、そこは大きな橋の上で、対峙する仮面の騎士とソードの間に挟まれる位置だった――
まずは複眼でソードの身と大剣の無事を確かめると、上空に一気に上がり、景色を見回して居場所の位置を確定させる。
(……何度か通ったことがある、王宮から一番近い、ロベール・アンリ橋だ……)
「君が引かないと私は行けない! No.22が死んでもいいのか!?」
脅すようなグレイの声にフッと意識を引き戻されたクィーンは、抱きつく腕の力を増し、燃える決意を胸にグレイを見上げた。
「いいえ、一人では絶対に行かせません! 今のあなたはこの前までの私と同じ、心が死に囚われている状態だ!
私はもうローズのおかげで目を覚ましました――何かを守り続けるには生き続けなくてはいけないのだと。
――私は、もう、亡霊じゃない!――
必ず生きて、生き続けてあなたや仲間を守る盾になり続けると、ローズの魂に誓ったんです――!
だから、絶対にここは引きません!」
「――!?」
「僕からもお願いします、グレイ様! 行かせて下さい!
クィーンを全力で援護し、命にかえても守ると誓います!」
クィーンの後ろから同じくニードルも主張する。
グレイはじっとクィーンの瞳を見下ろしたあと、長い睫毛を伏せて、ふっと、口元をゆるませ――
「一度だけだ――クィーン」
呟くと、再び外界への扉へと向き直ってノブを掴む。
「――!? グレイ様!」
「最後のチャンスを与えよう――ただし、わずかでも君の形勢が不利と感じた場合――ただちに私も出ていく!」
クィーンは大きく息を吸いこんで「分かりました! ありがとうございます!」感激に胸を詰まらせながら、大きく弾んだ声でお礼を言う。
それからニードルを振り返り、力強く呼びかける。
「――行くわよ、ニードル!」
「はい、クィーン!」




