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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
69/113

21、愚者達の夜

「ラザル……愛してるわ」


「ああ……オルガ……私もだ……」


(――えっ……バジーリ枢機卿と――第二王妃!?)


 数十分後。

 アリスはカミュを探しているうちに、とんでもない密会現場に出くわしていた。



 蝿状の精神体で離宮に舞い戻ったアリスは、最初に先ほどカミュがいた3階の書斎に向かい、誰もいないので上階から順に部屋を巡っていた。

 途中、ラザルに同行して来たらしい白い法衣やサーコートを着た面々と会ったが本人はおらず。

 カミュと一緒にいるのかと思っていたところに、1階にある部屋で第二王妃と抱き合い口づけし合うラザルの姿を発見したのだ。


 男嫌いのアリスはラブシーンを見るのも大の苦手であり、逃げ出さずにどうにかその場に止まったのは、長年カーマインに仕えることによって(つちか)われた配下根性だった。

 教会の重鎮にして、カーマインと同じ枢機卿でライバル関係にあるラザルのスキャンダルはかなり有用な情報であり、不倫相手が一国の王妃となれば決定的な弱味にもなる。

 ここはきちんと詳細を確認したうえでカーマインに報告しなければいけないと思った。


 そんなアリスの存在も知らず、二人は親密な雰囲気で言葉を交し合う。


「ラザル……この二年間、あなたに会えず、どんなに寂しくて辛かったことか……。

 その気持ちを知っていながら私を後回しにして、先にカミュの相手をするなんて、本当に酷い人……」

「許してくれ可愛いオルガ……私もあなたと真っ先に二人きりで話しをしたかったが、カミュの様子を見てくるという口実でこの国にやって来たのだ……供の者たちの手前しかたがなかった……」

「……そうね……今やあなたは教皇の補佐役ですものね……本当に時の流れというものは早いこと……私がこの国に嫁いですぐ修道士になったあなたが、今や枢機卿だなんて……」

「それもあなたが手に入らないと分かり、すっぱり俗世への未練が断ち切れて、神の道に邁進することが出来たおかげとも言える……他の女性など生涯考えられなかったからね」


 言ってることとやってることが一致していない。


(よく言う……愛人に隠し子と、いまだに首元までどっぷり俗世に浸かっている身分で)


 素行だけではなく、娘のダニエラと同じ茶色の髪と瞳によく似た平凡な顔立ちのオルガは、見た目的にも色男のラザルとまったくつり合っていない。どうにもアリスにはこの男が本気で愛の言葉を口にしているとは思えないのだ。


「あなたがもっと頻繁に自由に会いに来ることが出来ればいいのに……兄は今も昔も私達の仲を邪魔する嫌な存在ね……!」

「いまだにジュリオ様を恨んでいらっしゃる?」

「当然だわ! あなたと私の仲を引き裂いたんですもの!」


 オルガはヒステリックに叫び、吐き捨てるように続ける。


「それだけじゃなく――強すぎる光は近くにあるものの姿を飛ばして見えなくする……小さい頃から私はジュリオのせいで、まるでその場にいないように周囲の者に扱われてきた。

 ラザルあなただけよ……私を気にかけてくれていたのは……。

 両親や他の兄弟にとっても、生まれてからずっと私は取るに足らない存在――すべて双子の兄ジュリオゆえにね!

 しかも兄とうり双つのカミュのせいで、遠く離れた今でも、呪いのように片時もその存在を忘れることが出来ない! 

 自分の息子ながらあの子の顔を見ているだけで虫唾が走るわ!」


 憎々しげに言うオルガの表情は、娘を罵倒していた時の前世の母親とそっくりで、見ていたアリスの気分が一気に悪くなる。


(――虫唾が走るというのはこっちの台詞よ)


「そんな言い方をするものではないよオルガ。本人のせいではないのに、実の母親に嫌われたのではカミュがかわいそうだ」

「ふん、何がかわいそうなものですか。あの『人の心』が欠けたカミュは、私に嫌われてたところで何とも思いやしないわ!」

「心がない人間などいるかね?」疑問をていしてから「ねぇ――私のオルガ。どうだろう、一度あの子と距離を開けて離れてみては?

 教皇様もご希望されているし――私の顔を立てて、カミュを1年ほど、本国へ預けてくれないか?」ラザルがおもむろに提案した。


 教会の人間が本国という時は聖クラレンス教国をさしている。


「カミュを? 冗談じゃないわ。 今はこの国の王位を狙う大事な時期なのに……!」

「まずそこだよオルガ。王位を狙うより、カミュを大司教にして、この地で教会の威光を高めるべきではないか?

 教皇様とそっくりなカミュならば、必ずやカリスマ大司教になり、信者にとっては王よりも上位の、神のような存在としてこの国に君臨出来るだろう」


「いくらあなたの頼みでも駄目よ、ラザル。

 私は王を産むためだけに、王の母親になるためだけに、この地へと連れて来られたの!

 そのためだけに今まで愛のない行為や生活、二番目の妃という屈辱にも耐えてきたわ!

 ところが最初に生まれたのは女児で、次に奇跡的にあの女が妊娠して、先に世継ぎの男児を、アルベールを産んだ時には、絶望のあまり塔から身を投げて死にたくなったほどよ!

 でも私は、決して諦めない! 諦められるわけがない! だってそうでしょう?

 カミュが王にならないなら、私の人生は一体何だったの? 何の意味も無くなってしまう……!」


 演説するように叫ぶオルガの瞳の中には、どす黒い狂気が渦巻いていた。


「意味がないなんてことはない、カミュは素晴らしい若者じゃないか」


「ふん、何もかもアルベールより劣っているあの子のどこが?」


「聡いあの子のどこが劣っているというのだ?」


「アルベールは聡いなんてものじゃないわ! 

 あの忌々しい、生まれるはずがなかった王子は、神の恩寵を一身に集めたような存在――

 虚弱なあの女から生まれたのに風邪一つひかない健康な身体に、カミュと正反対な溌剌とした性格。

 3歳で怖がりもせず馬に乗り、剣を取らせれば10歳前にして大人を打ち負かし、何をやらせても器用に卒なくこなす。

 幼少の頃から誰の前でも物怖じせず、かと言って傲慢でもない、堂々とした態度と人好きする性格で、カミュと違って社交にも長け、今では王と第一王妃にかわって夜会まで催している!」


「そう聞くと生まれつきの王者と呼べそうだね」


 オルガは暗く底光りするような怖い瞳で呟いた。


「挙句にあのアルベールには毒が一切効かないのよ」


 それはアルベールに限ったことではなく、武器や防具も含めた聖具に選ばれた者は皆、神の『聖なる加護』をその身に帯び、毒や催眠術の類は一切無効になるとアニメでも語られていた。 

 アルベールの場合は、生まれる前から『慈悲の仮面』に選ばれていたのかもしれない。


「そのようなことが有り得るのかな?」


「間違いないわ……毒だけではなく……どうやっても殺せない……不死身のような王子だわ……!」


 叫んだオルガの台詞には、二つの恐ろしい意味が込められていることにアリスは気がついた。

 効かないと知っているのは、毒を試したことがあるということ。

 殺せないと思っているのは、殺そうとしたことがあるということだ。

 あの影一つ見えない明るいアルベールが命を狙われ続けているなんて、アリスにはとても意外なことに思える。


「オルガ……あまり危ない橋は渡らない方がいい。教会がもみ消せることにも限度があるのだからね」

「分かっているわ、ラザル……。ねぇ、お願い、もっと、強く抱いて、熱く口づけて! あなたとこうしている間だけ、私は生き返ることが出来る……」


 アリスは熱く抱き合う二人からさっと複眼を反らす。

 室内に荒い呼吸と水音を響かせた後――ラザルが溜め息まじりに指摘する。


「ところで、もうお客人が来ている頃合ではないかな?」

「そうね……もうこんな時間だわ……あとはサロンが終わってから、ゆっくり二人で過ごしましょうね、ラザル……」


「あぁ……そうしよう、愛しいオルガ」


 二人のやり取りを聞き、


(サロンにはカミュ様も参加するとおっしゃっていたから、王妃について行けばそこで会えるはず)


 そう判断したアリスはオルガの後に続き廊下に出て移動した。



 第二王妃のサロンは離宮の一階にある大客間を中心にして開かれていた。

 会場には贅を凝らした料理や酒が乗ったテーブル、寛ぎ用の椅子、ゲーム用の机などがところ狭しと並ぶ。

 続きの間の広間には小舞台もあり、ダンスに朗読会に音楽鑑賞に演劇と、色んな用途で楽しめる空間のようだ。


(カミュ様はどこにいらっしゃるのかしら?)


 すでに客人で賑わっている大客間にも、奏者が音楽を奏でる広間にもカミュの姿は無い。

 軽く会場を一周したあと蝿のアリスは無駄にうろうろするのを止め、カミュが現れるまで天井近くで静止して待つことにした。


 そうしているとカミュより先に第二王妃と時間をずらしたラザル・バジーリが付き添いを引き連れ、目立つ枢機卿の緋色の法衣の裾を揺らして大客間の扉から入ってくるのが見えた。

 みなの注目を一斉に浴びながら、ラザルはまっすぐ部屋の中央を進み、ゆったりとした大きな椅子に座るオルガの前に立って、うやうやしくお辞儀をして挨拶する。


 それを契機にカミュが現れるのを待たずにサロン開始の雰囲気となり、並んで座る第二王妃とラザルを取り囲むように貴族や聖職者たちが集まってきた。

 ――と、そこで人の輪の中から、どこかで見おぼえがあるような、ブルネットの癖の強い髪をした女性が進み出てきて、ラザルに近づき傍らに跪く。


「お久しぶりでございます、猊下」

「これは、マルソー夫人」


 テレーズと同じ姓を耳にして、アリスは複眼を向ける。


(これがオーレリーの母親?)


 男爵夫人ごときが他国の枢機卿に名前と顔を覚えられているのは不自然なので、たぶん彼女は有力な聖職貴族の身内か何かなのだろう。

 興味を抱いたアリスは会話を聞くため、素早くラザルが座った椅子の座面の下に潜り込んだ。

 さっそくマルソー夫人は先日息子が悪魔に殺された悲劇を語り、ラザルが慈悲深くも同情的な言葉をかける。


「それは誠に痛ましい出来事であった」


「跡継ぎの孫が生まれていたのがせめてもの救いですわ。

 これもすべて、厄病神、夫の愛人の娘であるテレーズが現れたせいなんです……!

 なのにあの娘に報いを受けさせようにも、聖クラレンス教国の、枢機卿のルーシャス様の庇護下にある修道院に逃げ帰ってしまい、手も足も出せませんの。

 猊下のお力でなんとかなりませんかしら?」


(どうしてオーレリーが悪魔に殺されたのが、テレーズのせいだっていうのよ!)


 実際は関係しているのだが、言いがかり、逆恨みも甚だしいと、聞いているアリスは激しい憤りを感じる。


「残念ですが、ルーシャス様は教皇の右腕と呼ばれ、教会で二番目に権力を持つお方。

 私などが干渉出来る相手ではありませんよ」


 ラザルが説明するように、カーマインの正体であるルーシャスは教会でもNo.2の地位にあるのだ。


「私の可愛い息子が亡くなったのに、あの憎ったらしい娘がのうのうと生きているなんて……耐えられませんわ!」


 憎悪に瞳を燃やすマルソー夫人の言葉を聞き、テレーズが亡くなった事実を知っているアリスの腸は煮えくり返る。

 生きていること自体を咎める口ぶりは、もしも結社に入ってなければテレーズが18歳前に殺されていたことを想像させる。

 この女といい、カミュの母親といい、なぜこうも不条理な自分勝手な理由で他人を憎み、貶めることが出来るのか。


(どいつもこいつも……)


 胸糞悪さに蝿のアリスが飛び立ち、怒りを発散するために客間をびゅんびゅん飛び周っていた時――ついにカミュが姉のダニエラと一緒に入室してきた――


「無視してないで何とか言いなさいよ、カミュ!」

「無視などしていません。お話はきちんと伺っていますよ、姉上」


 姉に腕を掴まれ登場前から絡まれていたらしい、カミュの死んだ魚のような銀灰色の瞳が、空中を旋回する蝿のアリスの姿を追う。

 二人が来たのに気がついたオルガが手招きして近くの席を勧め、本格的に今夜の歓談が始まった。


 カミュが姉と母に挟まれた場の中心席に据えられるのを見て、これまた開放されるまで長く時間がかかりそうだなと、アリスが時計を見ると、なんと一日の終わりまであと3時間。


 残り時間の少なさを見て焦ったアリスは、用事があることをアピールするためにカミュの目の前を頑張って飛び回った。

 しかしカミュは目元にかかる長い前髪を払いもせず、冷たい美貌の顔を無表情にしたままアリスに一瞥もくれず、静かに周囲の話に耳を傾けている。


(どうしよう……カミュ様はあきらかに私の存在に気がついていながら知らないフリをしている……このままじゃ……会話することすら出来ず、カーマイン様の元へ行く時間になってしまう……!?)


 無情にも迫るタイムリミットに、アリスの心は強い焦りで満たされていった――



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