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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
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17、地獄の天使

 星明りに浮かぶ建物の特徴と景色から、ここがノアイユ侯爵家からほど近い、サンティス教会の裏手にある墓地だと分かる。

 その証拠に足元に置かれたランタンが照らし出している墓石は、彼女の家族のものだった。

 訳あってレニエ子爵家と疎遠になっていた両親と妹の葬儀は、ノアイユ侯爵家の手配でこのサンティス教会で執り行われ、亡骸も敷地内の墓地に埋葬されている。


(どうして私は、こんな場所に立っているの……?)


 何年経っても辛すぎて最愛の妹の死を直視出来ないアリスは、毎週教会へ通っていながら、滅多に墓地に寄ることはなかった。


 今も、両親と並ぶミシェルの墓石を目にして、とたんに悲しみで胸が引き裂かれそうになる。

 ――しかし口から出たのは、苦しみのうめき声ではなく、切なく寂しい呟きだった。


「お父様……幽霊でもいいから会いたいわ……。お母様もミシェルも続けてそちらに行ってしまい……私は7歳からずっと一人ぼっちよ」


 ――聞き覚えのある台詞は、だが――9歳までミシェルと一緒だったアリスが言うはずのないものだった。

 遠い昔に観た『燃える髪のメロディ』の中でアリスが言ったものだと気がつき、同時に、唯一、夜の墓地が出てきたシーンを思いだす。


(すると、ここで現れるのは――)


 予測に合わせるように、視界の隅を青い炎の固まり、人魂が横切っていく。


「お父様! お父様なの!?」


 アリスは夜中なのに大声を張り上げ、ダッと墓場の中を走りだした。


「会いに来てくれたのね!」


 呼びかけに応えるように、浮遊して移動していた人魂が、ピタリ、墓場の上空で動きを止める。


「お父様!」


 喜び叫ぶアリスに向かって、冷たい響きの静かな声が降ってくる。


「残念だが、私は君の父親ではない」


 人魂が話したというのにアリスは動揺も怖がりもせず、ただがっくりと肩を落とした。


「なんだ……お父様じゃないのね……やっと会いに来てくれたと思ったのに……」


「こんな夜中に子供が何をしている?」


 不思議そうに人魂が尋ね、大きく溜め息をついてアリスが説明する。


「私は辛いことがあるとお父様と会話したくなって、いつも決まって一人でここに来るの。

 夜中に来たのは初めてだけど、どうせ私が屋敷を抜け出していても、今回だって、誰も気がつきやしないわ。

 隣に住んでいるメロディが脱走すると、毎回みんな大騒ぎするのに。

 誰一人として私に関心がないの――惨めになるのはこういう時よ」


 暗い間が流れたあと、人魂がさらに尋ねる。


「何か、辛いことがあったのか?」


「まあね」と笑ってから、墓石ではなく実際の話し相手を得たアリスは、おもむろに愚痴を吐きだし始めた。


「実は今日は私の10歳の誕生日だったの……。

 私の大好きなサシャは、二ヶ月前のメロディの誕生日には、それはとても美しい靴とドレスを贈ったのに、私の誕生日のことは、今朝まで忘れていたのよ……。

 彼の母親のノアイユ夫人に言われて、やっと気がついて謝ってくれたけどね……私、死にたいぐらい悲しかったわ。

 何も、メロディのように、華やかなパーティーを開いて祝ってくれとまでは言わないけど、少しぐらい私にも関心を持ってくれてもいいと思わない?」


 アニメのアリスにとってもサシャは初恋相手で、幼い頃からずっと恋慕っていたのに……現在と違ってサシャが妹のように可愛がり愛情を向けるのは、つねにメロディの方だった。

 家族を失い、愛に飢え、周りにかまって欲しくて必死だったアリスは、侯爵家に引き取られてからずっと嘘やわがままを重ね、そのことが原因で、いつしかサシャに疎まれるようになっていた。

 嫌われていることに気がついた時にはすでに手遅れで、わがままを止めて行動を改めても、一度サシャの中で決定されたアリスへの印象は二度と覆ることはなかった。


「家族に囲まれ、サシャにも愛され、おまけに公爵令嬢で、私の欲しい物を何でも持っている、メロディを近くで見ていると、つくづく自分が何も持っていない、誰にも愛されていない、惨めな存在だって思い知らされる……!

 ノアイユ夫人は、つねに神様に感謝して祈りなさいなんて言うけど、私はこの教会にくるたびに、いつも神様に恨み言を言ってやるの。

 私からは最愛のお父様だけではなく、お母様も、生まれたばかりのミシェルの命まで奪ったのに、なぜ、メロディには全てを――サシャの愛まで与えるの? 神様は無慈悲で不公平だわ!」


 血を吐くように叫ぶアリスに、人魂は優しく同意する。


「誰にも愛されない気持ちや、自分の欲しいものを全て持っている者が近くにいる辛さは、私にもよく分かる。

 神は不公平で、無慈悲――まったくその通りだと思うよ」


「本当に? 分かってくれて、嬉しいわ」弾んだ声で言ったあと、急に、声のトーンを落とし「あなたが幽霊じゃなければ良かったのに……」


 闇の中、寒そうに自分の身体を抱きしめたアリスに、そっと人魂は提案する。


「もし良かったら、一緒に来るかい?」


 アリスは一瞬、瞳を丸くしてから、おかしそうにクスクスと笑った。


「一緒にあの世に行くってわけ? 悪いけどまだ死にたくないわ」


「違う、あの世ではない。この世にある、君のように神を恨む仲間がいる場所だ」


「私のように? そんな場所がもしも実在するなら、ぜひ行ってみたいわ」


「かわりに一度行くと、君は神の楽園に住む権利を失うし、死後は地獄行き確定だが、それでもいいのか?」


「地獄ね……私にしてみれば、愛する家族をみんな失い、誰にも愛されない、一人ぼっちのこの世界こそ地獄よ!

 どっちみち、信心など欠片もないこの私は、神の楽園なんて辿りつけそうにないもの。失うものなんて何もない――連れていってくれる?」


 返事をする前に、人魂はすーっと姿を変えた。

 肌も髪も装いも真白き美しい少年が、アリスの方へと手を差しのべてくる。


「では行こう」


 魔族ではなく人間姿を取ったカミュの美貌に、アリスは見惚れて、感嘆の言葉を口にする。


「あなた綺麗ね、まるで天使みたい」


「君も妖精のようだ」


「君じゃなく私はアリスよ。地獄の天使さん」


「カミュだ――」


 お互い名乗り合って視線を交わし――そうして10歳のアリスは、11歳のカミュの手を取った。

 ――それがアニメのアリスとカミュの出会いだった――



 

 ――目覚めたアリスは、自室の天井を見つめて泣いていた。

 ゆうべ、サシャの話を聞いてる途中で寝てしまったようで、ドレスを脱がされた下着姿でベッドに横たえられている。

 夢の中の自分の悲しみに心が同調したまま、しばらく悲しみと涙が止まらない。


『地獄ね……私にしてみれば、愛する家族をみんな失い、誰にも愛されない、一人ぼっちのこの世界こそ地獄よ!』


 愛のない孤独な世界で生きる寂しさは、アリスも前世の頃、散々味わってきた。


 愛する家族を失い、求めた愛は得られず、アニメのアリスとって『愛』無きこの世は地獄で、『誰にも愛されない気持ち』が分かると言ったカミュは、初めて地獄で出会った、同じ気持ちを共有する仲間だったのだ。


『あなたに全てを与え――私からはたった一つ残された最後の愛まで奪い去った!

 私は何より不公平な神を呪う!』


 今こそ、アルベールとの最期の戦いの時に、カミュが言った言葉の真の意味が分かる。

 アリスにとってのメロディが、カミュにとってのアルベールだったのだ。


 二人は本来ならあの回想シーンの後、10歳と11歳と年も近かったこともあって、お互いの孤独や寂しさを埋めあうように、時を重ねるごとに親密になっていくはずだった。


(けれど……私が運命を変えたから、すべては変わってしまった……カミュ様は11歳を過ぎても、一人のままだったんだ……)


 今さらながら結社の入信時、カミュとの出会いを待たず、カーマインの手を取ったことを、アリスは申し訳なく思う。

 修道院へ行かなければ、厳しい訓練を受けることもなく、アリスは今のように色んな技術や高い戦闘力は有していなかったし、シンシアやローズとも知り合えなかった。

 つまり今の実力や友人達との思い出は、カミュと共に過ごすはずだった6年間を捨てて、彼を孤独にさせることで手に入れたものだったのだ。

 

 二人の関係を知りながら、夜会で会うまでカミュのことを返りみもしなかった己の薄情さを思えば、彼との絆が薄いのも気持ちが届かないのも当然だ。

 いつだか、アニメでたった一人カミュだけがアリスを愛し、最後まで味方だったことを思って、出きれば今度こそ報いたいと願わずにはいられなかったことを思いだす。


(――報いるなら、今だ――カミュ様を絶対に死なせない!)


 涙を拭い、アリスは決然とベッドから起き上がり、床に足を下ろして窓辺へと歩み寄る。

 カーテンを開くと、外は快晴の天気で、デート日和。

 

(明日の晩はいよいよ大幹部会議だわ……今日の一日は、絶対に無駄に出来無い)


 庭園をアルベールと周る時に、神の涙について探るのはもちろんのこと、夜に会いに行くことに備えて、カミュがいる場所も把握しておかなくては。

 かなり記憶が曖昧だが、アニメの印象だと、カミュはメイン宮殿ではなく、別棟か、離宮に住んでいる印象だった。

 

 朝から気を引き締めたアリスは、身支度を整え、朝食室へ一番乗りする。

 運ばれてきた料理を食べていると、珍しく、ノアイユ侯爵夫人より先にサシャが食堂へ現れた。

 たっぷり眠ったアリスに対し、サシャは寝不足なのか目の下に隈があり、顔色も冴えない。

 昨夜のことを思いだし、アリスは挨拶がてら謝罪する。


「おはよう、サシャ。ゆうべは、いつの間にか寝てしまったようで、ごめんなさいね」


 サシャは逆にすまなさそうにさっと顔を俯かせた。


「いや、君の身体が弱いのを知っていながら、疲れているのに引き止め、話を続けた私が悪かったのだ。

 アリス、体調は大丈夫か? もし疲れが残っているようなら、私から、今日のアルベール様との約束は断わるが――」


 仮病を使うことが多いせいか、サシャの中では完全にアリスは病弱設定になっているらしい。


(アルベールの身体を探る絶好の機会なのに冗談じゃないわ!)


 アリスは慌てて否定する。


「大丈夫! 一晩休んだら、すっかり疲れは取れたみたいだから心配しないで」


「そうか、それならいいが……」


 低く呟くサシャの自分を見るサファイア色の瞳が、いつになく切なく揺れているように見える。

 彼は食欲がないらしく、メイドにパンと紅茶だけを運ぶように指示をした。


(今日のサシャは一体どうしたのかしら?) 


 疑問に思ってアリスが見ていると、白皙の整った顔に憂いの表情を浮かべ、サシャが真剣な声で話しかけてきた。


「アリス、今日も、分かっているね?」


 耳にタコが出来るとはこのことだ。


「えぇ、分かっているわ、サシャ」


「意中の相手とは、婚約秒読みだ、ぐらいは言って、何が何でも今日は殿下に、完全に脈がないことを分かって貰うんだ。

 二度と金輪際、逢引になど誘われないようにね」


(一国の王子相手に虚言を弄するなど許されない。そんなことを言ったら、本当に近いうちに誰かと結婚しなければ洒落にならなくなる。

 ――サシャはそれを分かっていて言っているんだわ)


 朝っぱらから言い合いをしたくないアリスは、文句を飲み込み、サシャの罠に気づかないフリをして、この場は追及せずに流すことにした。


「アルベール殿下は相手の気持ちを尊重するお方ですもの! きっと、そこまで言わなくても、分かって下さるわ!」


「アリス、君は分かっていない。恋に目が眩むと、時に人は自分を見失うものなのだ……」


 サシャの口調は、自身の経験を語るような苦みに満ちたものだった。


「サシャこそ考え過ぎよ。まだ、殿下はそこまで、私に恋していないと思うわ!」


「アリス、こういうことは手遅れにならないうちに、先手を打つことが肝心なんだ……。

 君が言いにくいなら、私の口から言うしかないが……」


「待って、サシャ、お願いだから、昨日言ったように、もう少しだけ私に任せて、見守っていてくれない?」


 懇願しつつ、サシャの言うことは一利あるとアリスは思った。


(ここはサシャが言うより前に、先手を打って、アルベールに言っておかなくては――)


「それは今日の結果次第だ。私は君だけではなく、殿下に対しても、側近として、正しい道へと導く責任があるからね」



 そんな調子で、相変わらずサシャの話はしつこく長く――食事中だけでは終わらずに――王宮へ移動中の馬車内でも、昨夜話し足りなかった分を上乗せするよう、アリスの手を握って言い聞かせるようにして続行された。


「いいかい、アリス? アルベール様の王位の安定のためだけではなく、身体も弱く、心も繊細な君には、とても王室の生活など耐えられない。

 私は、君には憂鬱ごとのない、伸び伸びとした、幸福な生活を送って欲しいんだ」


(――何が、伸び伸びした生活よ……)


 現在サシャによって窮屈な暮らしを強いられているアリスにとっては、まさに噴飯ものの発言だった。

 ただでさえ同じ内容の繰り返しが多いので、よけいに話を聞いているのが馬鹿らしくなり、続きは適当に聞き流して、今日の算段を考えることにした。

 

(今日はアルベールは庭園を馬で周ると言っていたわね)


 実は、修道院での訓練のおかげで、アリスは乗馬がかなり得意で、足を横向きにして騎乗する女乗りだけではなく、正面向きの男乗りで馬を自在に操って、剣を奮うことまで余裕で出来た。

 

(だけど、私が乗馬が苦手なフリをすれば、手綱を操る都合でアルベールが前側に乗ることになるはず。後ろから胴体に掴まるふりをして、服の上から身体を探れる!)


 修道院で簡単なスリ技術までをも取得していたアリスは、短剣を身につけている箇所さえ分かれば、あとは、抜き取るチャンスを伺うのみだった。

 ついに王宮の門をくぐり、馬車が庭園内へと入って行くと、いよいよ、アリスの胸は期待と緊張で高鳴っていった――




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