表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/16

13

  13


 ガラスの割れる音を聴いて、うたた寝から覚めた。着替えもせずベッドに倒れこんでいた。片足を床につけた無理な体勢のせいか、それとも昼間、大介と幸太から聞かされた「怪談」が影響しているのか、言語道断な夢を立て続けに見ていた。ガラスの割れる音は、だから悪夢の続きなのか、現実に鳴ったのか、しばらく区別がつかなかった。

 いま、何時くらいだろうか。森屋デパートで長居したあと、夕刻前に帰宅して店には寄らず、裏の階段から直接二階へ上がった。みょうな疲労感があり、部屋に入るとすぐに眠りに落ちたらしい。外はすでに暗く、カーテンを閉めて電灯をつけると、時計の針は八時を少し回っていた。

 いつのまにか、雨脚が強まっているようだ。

 休日の家事は免除されているので、食事を作る必要もない。まだ夢の残滓を引きずっているような重い頭で、ぼんやりと机に頬杖をついた。意識するともなく、幸太の声が脳裏をよぎった。

「戦前は、裏野ドリームランドの敷地に軍の施設があったらしいんだ。ところが、いくら調べても何の施設だったのか、判然としない。秘密にされていたということは、毒ガスか細菌兵器の工場だったと考えるのが妥当なんだけど。敗戦直後は進駐軍によって、ダイナマイトで徹底的に破壊されたというよ」

 ……それでも、生き残っていたんだ。

 不意に、なぜ自分がそう考えたのか、まったく判らない。ぞっとしながら立ち上がるとドアへ向かい、半ば無意識に鍵をかけた。鍵なんて、日頃まったくかけたことないのに。幸太の声を借りた何者かが、また耳もとで囁いた。

「進駐軍が去ったあと、あそこを買い取った連中もまたわけがわからなくてね。どうも、戦前から旧日本軍と結託していた財閥と、無関係じゃないらしい。何の商売をしているのか、ほとんど表に出てこないから、正体がつかめないけど、なぜか資金はたっぷりあるみたいでさ。だからドリームランドが閉鎖されたまま十年も放置されている理由が、ますます判らなくなるんだよ」

 ごとり。

 何か重いものの倒れる音が階下で響いた。続いて雨音を貫いたのは、ガラスの割れる音だ。店のバックヤードに何者かがいる。それも決して好意的ではない意志をもって、手当たりしだい破壊しながら、どこかへ向かおうとしている。どこへ? 屋外の階段とは別に、バックヤードには二階へ直接通じる、もう一つの階段がある。

 泥棒だろうか、という考えは、直感によってとっくに打ち消されていた。盗みが目的なら、これほど音をたてる意味がない。お人好しな父親の性格そのままに、セキュリティの甘い店のレジスターをこじ開ければ済む話だ。これほどの殺意。これほどの破壊への意志は、昨今のテロリストを想わせたが、むろんかれらが狙うのは、はるかにパブリックな場所に限られる。

 ごとり。

 分厚い鉛の靴を履いているような足音が、階段の真下辺りからはっきり聴こえた。十五年近くここに住んでいるのだ。蜘蛛の巣が密に編まれてゆくように、些細な音から、階下の様子が聴き分けられるようになっていた。店で談笑する父親の声が途絶えたかと思えば、黙々とバックヤードでフィルターの汚れを洗うのが判ったりした。踏み割るほどの勢いで階段が鳴ったとき、ベッドの上に放り出されていたスマートフォンを握りしめた。けれども、電池の残量は充分あった筈なのに、画面は黒く塗りつぶされたまま。振っても叩いても、沈黙は破られなかった。

 引きずるような足音は、すでに階段を上りきろうとしていた。階上は2LDKのマンションとほぼ同じ構造。十畳ほどのダイニングキッチンを抜けると、左の六畳間が父親の、右が自身の寝室にあてがわれている。ダイニングの入り口に鍵はかかっておらず、蹴破るほどの勢いでそのドアが開かれたとき、ひっと息を呑み、スマートフォンを床に落とした。

 ごとり、ごとりと、足音は着実に近づいてくる。土足で上がりこんできたのは確かだとしても、こんな重い足音は聴いたためしがない。鉛の靴どころか、全身を鉛で覆われた者が、ぎくしゃくと懸命に前進してくるとしか考えられない。そしてその足音は、何の迷いもなく、まっすぐに、自身の部屋へ向かってくるようだ。

 無意識に後ずさりするうちに、背が窓枠とぶつかった。とたん、どしんと重いものがドアにぶつかり、次に把手が、がちゃがちゃと狂ったように回されるのを見た。ドア全体が軋み、たわみ、把手がもげないのが不思議なほど強い力で揺すられた。

 しゅう、しゅう、という不可解なノイズを聴いた。工場の機械よりもはるかに生々しい、なにか生きものが呼吸する音にほかならなかった。

「誰なの……」

 自身の声が、とても遠くから聴こえる気がした。ドアが揺さぶられなくなったかと思うと、体ごとぶつかる振動で窓枠が震えた。

「あああ……けて、ええええええ、ボおおおク、だあ、よおおおおおお」

 レゲエマンの声だと思い当たるまで、しばらく時間を要した。それほどくぐもった、獣じみた声は、日頃の頓馬なかれからは思いもよらない、底なしの闇から沸き上がってくるような響きをともなっていた。

「どおおし、て、えええ、むむむ、む、無視す、るの、のおおおお、い、つ、もおお、い、つも、おお、いつもおおおおおお!」

 凄まじい音をたててドアが弾け飛んだ。木材の破片が髪をかすめて窓を叩いた。部屋に入ってきたのは、むくむくした何かの塊だった。ぼろぼろに破れた服から、パイナップルを想わせる赤黒い皮膚が露出していた。自慢のドレッドヘアごと顔は不自然な角度でねじ曲がり、盛り上がった両肩の間に、ほとんど埋もれかけていた。その両肩は……しゅうしゅうと腐臭を放つ蒸気を吐き出しながら、交互に呼吸しているのだった。

「く、うううう、り、とるううう、りとる」

 自身の悲鳴が、また遠くで鳴り響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ