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プレートに火が入り、間もなく銀のボールに入れたネタが運ばれてきた。そのまま上に載っている卵が、肉の赤身に映えていかにも食欲をそそる。
「ねえ、なんで同じものを三つ頼んだの。別々の種類を分けて食べればよかったのに」
香織に責められ、大介はちょっと怯んだ様子。もっともな言い分であり、思いもよらなかった面もある。女の子の発想は、やはり自分たちとどこか違っている。
「なにを今更。それに男なら豚玉一筋だ」
「私、男じゃないし。ああもう、そんなにぐちゃぐちゃ掻き混ぜないの。てえ、ちょっと幸太、あんたは混ぜる気あんの? もう、貸しなさいよ」
隣の席から幸太のボールを引ったくると、卵を過度に攪拌しないよう注意しながら、肉と野菜と小麦粉を均等に混ぜ合わせた。自身を眩しそうに見つめる幸太の眼差しに気づかないまま、さらにぐっと肩を押しつけ、かれの目の前のプレートにネタを流しこむ。
「おまえ、巧いよなあ」大介が素直に感心した声をあげた。
「あたりまえじゃない、料理歴十年だよ。こういうのはね、バランスよくアンバランスに混ぜること。卵を殺しちゃわないのが一番のポイント」
禅問答じみた解説だが、大介は神妙にうなずき、隣で幸太はまだ真っ赤になっていた。ひょろりと痩せた、いかにも気弱そうなこの男の子は、額の隠れる長髪に、草食動的を想わせる顔つき。大介とはすべてにおいて真反対だが、みょうにウマが合うらしく、クラスの女子たちが大介の減点対象として、幸太とくっついていることを真っ先に挙げるほど。
まだ早いと香織にたしなめられつつ、コテでネタをひっくり返しながら大介が言った。
「ここのところ、変な噂でもちきりなんだってね」
「ほらあ、まだ焦げ目が綺麗についてない……え? 何のこと?」
「あれだよ」
大介はコテで窓を指していた。あらためて、香織は眼下に横たわる閉鎖された遊園地を眺めた。中央にそびえるお城の尖塔は、蔓植物に絡みつかれて陥落しつつあった。赤いゴンドラが頂点にたどり着く直前で、十年間止まったままの観覧車。隣でジェットコースターのレールが、過去にしぼり取った悲鳴を懐かしみながら沈黙していた。そうしてアクアツアーと銘打ち、この遊園地の目玉であった大型プールは、緑色に濁った水に無数の波紋を浮かべているのだろう。
後で知ったのだが、篠原は当初、この遊園地での再就職を希望したらしい。大型プールは水流を発生させるし、付属する人工の洞窟の中には巨大な円筒形の水槽が設置され、多くの魚やウミガメが泳いでいたから。水族館の技師であったかれが、存分に腕を奮えると考えたのも無理はない。なぜ希望を容れられなかったのか、篠原は多く語りたがらない。泳ぎを覚えた娘をここへ連れて来ることにも、どこか消極的だったふしがある。
「変な噂なんて、昔からあったじゃないの」
彼女の「作品」は見事に焼き上がりつつあった。対して大介の前には、すでに円形を留めていない物体が転がっていた。同じネタを三つ頼んだのは正解だったと、香織はそれを見ながら考えた。大介は言う。
「そうさ。営業されていた当初からいろいろあった。いろいろありすぎたから、潰れちまったって話さ。なあ、幸太」
「うん。閉鎖されたあとの十年間にも、変な噂は絶えず、心霊スポットとしてマスコミも注目するくらい。けれど、かれらが札びらを切ってみせても、経営者側は頑として取材を拒否した。敷地内への立ち入りはおろか、記事にするのも無用という。それで雑誌にはD園などと匿名で紹介されたけど、読者にはどこの遊園地か判っていたし、ネットでは言いたい放題さ。園内に無断で潜入した連中が、とんでもない目に遭ったということで、噂が噂を呼ぶ始末」
どうやら幸太は、このての話題の愛好家らしい。語り口も物慣れていて、怪談には基本的に興味がない香織でさえ、つい引き込まれるのを感じた。
「具体的には、何が起きるというの? 一度あそこで迷子になった子供は、二度と見つからないという話なら、小さい頃に聞いたな。お父さんが真に受けちゃって、なかなか私を連れて行ってくれなかったの」
「それはおまえが、ゲラダヒヒの子供みたいに、ちょろちょろ動き回るからだろう」大介は香織に舌を出されている。
「うん、どうやらその噂は、かなり真実に近いらしいんだよ。経営者側が警察の上のほうと繋がりがあって、片っ端から揉み消された形跡がある。人喰い遊園地だなんて、裏では呼ばれているよ。正確な数字は判らないけど、閉鎖後に行方不明になった大人も含めれば、二十人は下らないんじゃないかな」
「そんなに?」
香織は目をまるくした。一カ所で二十人も人が消えているなんて、大災害レベルの事件ではないか。彼女の驚きを汲み取って、幸太がつけ足した。
「この過剰なまでに治安と管理の行き届いた日本でも、ぼくたちが想像する以上に行方不明者は多いんだよ。報道されるのは氷山の一角に過ぎない。話題性がなければマスコミは切って捨てる。大災害の犠牲になった人たちは丁寧に報道されるけど、あれほど多くのホームレス一人一人の人生なんか、徹底的に無視するじゃないか」
「まあそうアツくなるなよ、幸太。怪物のことも話すんだろう」
「怪物?」
いつもなら、その単語にばかばかしい響きしか聴きとらなかったろう。男の子ときたら、いつまでもウルトラマンの夢を見ているところがある。けれども今は胸にずっと引っかかっていた何かと、その言葉は共鳴し合い、不気味な警報を鳴らしていた。
怪物……水槽の中の、あの奇妙な「魚」。
「うん、裏野ドリームランドに関する怪異はね、茂り過ぎた枝葉を落としてゆくと、二本の大きな幹とぶつかることに気づくんだ。一つはさっきも言った、人が消える怪異。そしてもう一つが、怪物の存在なんだよ」
なぜか香織の背筋を、不可解な戦慄が何度も貫いていた。半分残っているお好み焼きは、もう食べられそうになかった。




