第三十五話 産業スパイの潜入と、盗まれた『禁断のシード』
血は水よりも濃いと言うが、その濃さが常にプラスに働くとは限らない。
濃すぎるスープが喉を焼き、煮詰まりすぎた煮凝りが腐るように、血縁という逃れられない繋がりは、時として赤の他人よりも厄介で、粘着質な敵意を孕むことがある。
特に、そこに「利権」という名の極上のスパイスが加わった時、親族は微笑みを浮かべたハイエナへと変貌するのだ。
吾輩のような不動産物件には家系図など存在しないが、吾輩の契約者である若き領主を見ていると、人間社会のしがらみというやつの複雑怪奇さに、同情を禁じ得ないのである。
吾輩はダンジョンである。
先日の会談に紛れ込んでいた、あの胡散臭い小男、大石ジミー。
モミジ男爵の母方の叔父でありながら、その態度は明らかに姪に対する敬愛ではなく、獲物を値踏みする商人のそれであった。
吾輩の優秀な情報収集網(主にコウモリたちの井戸端会議と、フタバからの報告)によれば、事情は少々入り組んでいるようだ。
ジミーは、後ろ盾だと思われる芥田リバードラ伯爵の娘婿なのだそうだ。つまり、伯爵にとってジミーは義理の息子にあたる。
伯爵のシナリオはこうだ。
まず、経営難に喘いでいた尾崎家(インクストーン領)を、内部から崩壊させるか、あるいはモミジの失策を誘って更迭に追い込む。
その後、空いた領主の座に、親族であるジミーを据える。そうすれば、この土地は実質的にリバードラ伯爵家の傀儡となり、いずれは併合されてしまうだろう。
実に古典的で、かつ陰湿なお家乗っ取り計画である。
だが、誤算が生じた。
吾輩というドル箱物件が復活し、モミジが経済的に自立し始めてしまったことだ。
さらに、隣のオークマ子爵が軍事侵攻で自滅したことで、武力による制圧は大義名分を失った。
ならば、彼らはどうするか。
答えは明白だ。
「金の卵を産むガチョウ」の秘密を暴き、その飼育法を盗み出す。そしてあわよくば、ガチョウそのものを籠絡しようというわけだ。
深夜。
冒険者たちが去り、静寂が支配する時刻。
入り口のセンサーが、微かな、しかし確かに異質な反応を捉えた。
数は五名。
彼らは音もなく現れた。
冒険者のような金属音は一切ない。靴底には消音のための特殊な獣皮が貼られ、全身を包む黒装束は闇に溶け込んでいる。
手には武器ではなく、解錠道具や魔力感知器、そして採取用の器具が握られている。
プロだ。
戦闘ではない。潜入と奪取を生業とする連中である。
リバードラ伯爵が送り込んできたのは、軍隊ではなく、裏社会で名を馳せる「産業スパイ」だった。
彼らの目的は攻略ではない。第三階層で栽培されている希少植物の「種」や「苗」、そして吾輩の管理システムに関する情報の奪取だ。
第一階層。
彼らの手際は、吾輩も認めざるを得ないほど鮮やかだった。
天井に張り付いたスライムが滴り落ちる直前、先頭の男が懐から「乾燥粉末」を撒いた。
粉を浴びたスライムは、水分を奪われて硬直し、ボトリと床に落ちて動かなくなる。殺さず、音も立てず、無力化する。
罠エリアでも同様だ。
飛び出す槍の感知板を、魔力ゴーグルで見抜き、特殊な粘土でセンサーを塞いで無効化していく。
彼らは立ち止まることなく、流れるように罠の隙間をすり抜けていく。
優秀だ。
ただの盗っ人ではない。ダンジョンの構造と魔物の習性を熟知した、一級の技術者たちだ。
彼らの技術に敬意を表し、吾輩はあえて介入せず、彼らを奥へと通すことにした。
ようこそ。出口のない迷宮へ。
彼らは順調に第二階層を抜け、第三階層「魔の森」へと到達した。
ここからが本番だ。
コダマ(木霊)が丹精込めて作り上げた、魔界の植物園。
スパイたちは、森の異様な魔力濃度に一瞬怯んだが、すぐに任務へと戻った。
彼らは目当ての植物――希少な「月光草」や「魔力キノコ」を見つけると、腰からミスリル製のスコップを取り出し、躊躇なく土に突き刺す。
根こそぎである。
再生など考慮しない、略奪的な採取。
さらに、彼らは保存用の魔法鞄を開き、手当たり次第に植物を詰め込んでいく。
森の空気が、変わった。
ざわめいていた枝葉が、ピタリと止まる。
鳥の声も、蟲の羽音も消えた。
重苦しい沈黙。それは、嵐の前の静けさなどという生易しいものではなく、捕食者が口を開ける直前の、張り詰めた殺気だった。
地面が、脈打つように揺れ始めた。
木の根が蛇のように蠢き、スパイたちの退路を塞ぐように隆起する。
『……ええ度胸や』
脳裏に響く、冷え切った念話。
コダマだ。
彼は怒っていたのではない。ブチ切れていた。
『わいの可愛い「毒マツタケ」を、あんな雑な手つきで抜きよって。……根が切れとるやないか。菌糸が泣いとるわ』
森全体が、一つの巨大な生物のように軋みを上げた。
頭上からは吸血蔦が鎌首をもたげ、足元からは食人花が涎を垂らして蕾を開く。
スパイたちが異変に気づき、武器を構えた時には、もう遅かった。
全方位からの飽和攻撃。
このままでは、彼らは数秒で「森の肥料」へと変換されてしまうだろう。
『殺す。……いや、生きたまま苗床にしたる。わいの作品の一部になれるんや、光栄に思えやワレェ!!』
コダマの殺意が臨界点を超え、巨大な蔦がスパイの首を狙って射出された――その瞬間。
――待て、コダマッ!!
吾輩は、全魔力を使って森の制御に介入した。
蔦が、スパイの鼻先数センチで硬直する。
『……なんや、止めんのかい、主』
コダマの声は不満げだ。殺気は収まっていない。
――殺すなと言っているのではない。ここで殺しては意味がないのだ。
――彼らには、大事な運び屋になってもらう必要がある。
『運び屋? こいつらが運ぶのは、自分の骨壺くらいやろ』
――違う。お前が以前、「失敗作だから捨てたいけど、燃やすと悲鳴がうるさくて処分に困る」と言っていた、あれだ。
――あの「不良在庫」を、彼らにプレゼントしてやれ。
――リバードラ伯爵への、とびっきりの贈り物としてな。
数秒の沈黙。
やがて、森の殺気がふっと緩んだ。
コダマが、切り株の上でニヤリと笑った気配が伝わってくる。
『……なるほど。そういうことなら、協力したるわ。せやな、伯爵はんには最高の「癒やし」が必要やもんな』
コダマは植物たちに指令を送った。
襲撃態勢を解き、代わりに「奥へ誘い込む」ような配置へと変化させる。
絡み合っていた蔦が解け、一本の道が現れる。
その先には、いかにも「秘密の栽培所」風に偽装された洞窟が口を開けていた。
スパイたちは、冷や汗を拭った。
「……今の殺気はなんだったんだ?」
「風が止んだだけだ。ビビるな。見ろ、あそこに隠し通路があるぞ」
「ビンゴだ。一番重要な種は、あそこに隠してあるに違いない」
彼らは洞窟へと侵入した。
そこには、厳重な(に見せかけた)封印が施された宝箱が置かれていた。
スパイの一人が、複雑な魔力錠を手際よく解除し、蓋を開ける。
中には、脈動する色鮮やかな「種」がぎっしりと詰まっていた。
虹色に輝き、微かに魔力を放つその種は、素人目には「伝説の霊薬の種」に見えるだろう。
「……大当たりだ」
「これを持ち帰れば、任務完了だ」
「億万長者間違いなしだぞ」
彼らは歓喜し、種を袋に詰め込んだ。
それは、コダマが封印していた失敗作、「騒音マンドラゴラ(関西弁変異種)」の種であるとも知らずに。
さらに、彼らは欲を出した。
洞窟の奥に、赤く輝く宝石のようなものが落ちているのを見つけたのだ。
掌ほどの大きさで、内側から熱を放っている。
「なんだこれは? ルビーか?」
「いや、ドラゴンの魔力を感じる。竜の心臓の欠片かもしれない」
彼らはそれも回収した。
それは、ヴォルグが「背中が痒い」と言って壁に擦り付けた時に剥がれ落ちた、ただの「古い鱗」である。
ただし、ヴォルグの魔力が濃厚に染み付いているため、周囲の気温を上昇させ、さらに「竜の気配を発する発信機」としても機能する厄介な代物だ。
――よし、荷物は持ったな。
――では、退場願おうか。
吾輩は、少しだけダンジョンを揺らし、演出を加えた。
ゴゴゴゴ……!
「崩れるぞ! ずらかるんだ!」
スパイたちは、盗み出した「お宝」を抱え、脱兎のごとく逃げ出した。
コダマの森が、彼らを追い立てるように枝をざわめかせる。
彼らの技術は見事だったが、その背中には「間抜け」という張り紙が見えるようだった。
彼らは闇夜に消えていった。自分たちが、時限爆弾を背負わされた運び屋であることにも気づかずに。
それから、数週間が過ぎた。
ダンジョンは平和だった。
コダマは「在庫整理ができてスッキリしたわ」と上機嫌で森の手入れをし、ヴォルグは相変わらず香箱座りで寝ていた。
だが、吾輩は密かに心待ちにしていた。
フタバからの定例報告を。
マンドラゴラの発芽には二週間。本格的な繁茂には三週間。
そろそろ頃合いだろう。
そして、予想通り――フタバが、いつになく上機嫌で報告にやってきた。
やってきたフタバは、笑いを堪えきれないといった様子で、一枚の羊皮紙を広げた。
「あの……凄いです。想像以上です」
フタバは肩を震わせた。
「リバードラ伯爵領、今、とんでもないことになってます」
事の顛末はこうだ。
スパイたちが持ち帰った種は、伯爵によって「不老長寿の秘薬の原料」と信じ込まれ、城内にある最高級の温室に植えられた。
伯爵は、毎日のように様子を見に行き、最高級の肥料と聖水を与えたらしい。
その愛情(と過剰な栄養)に応え、種は一晩で発芽し、爆発的に成長した。
温室のガラスを突き破り、城壁を乗り越え、庭園を埋め尽くすほどの繁殖力を見せたのだ。
だが、真の地獄はそこではない。
その植物たちが、「叫ぶ」のである。
夜な夜な、城下町にまで響き渡る不気味な声。
『……なんや、水が足りひんぞ! もっと持ってこんかい!』
『湿気っぽいのぉ! カラッとせぇや、カラッと!』
『お、そこの姉ちゃん、ええチチしとんな! そっから肥料出してくれや!』
関西弁のマンドラゴラたちによる、深夜の大合唱である。
しかも彼らは、根っこで歩き回り、厨房を荒らし、メイドのスカートをめくり、庭師の頭を叩くという始末である。
植物のくせに自我が強く、柄が悪く、そして声がデカい。
さらに、同時に持ち込まれたヴォルグの鱗の影響で、城内の気温は常に四十度を超えていた。
熱帯雨林のような湿気と熱気。
響き渡る関西弁の罵声。
伯爵の優雅な生活は、一瞬にしてスラム街の喧騒へと変わってしまったのだ。
「被害状況は甚大です」
フタバは報告を読み上げた。
「まず、伯爵夫人が『こんな暑くてうるさい家にはいられません!』と激怒し、実家へ帰ってしまいました。事実上の別居状態です」
「次に、お抱えの庭師、料理人、メイドなど、使用人の半数が『精神的苦痛』を理由に辞職。城の機能は麻痺しています」
「そして伯爵本人は、不眠症とノイローゼで激痩せし、今は耳栓をして地下室に引きこもっているとか」
家庭崩壊。
人材流出。
領主の引きこもり。
盗んだ種一つで、ここまで見事に没落するとは。
「で、どうなったんだ?」
吾輩は(パープルを通じて)尋ねた。
「泣きついてきましたよ。ジミーさんを通じて、『金なら出す、なんとかしてくれ』って」
フタバは、ちゃっかりとした笑顔で、重そうな金貨の袋を振ってみせた。
「なので、コダマさんに作ってもらった『特製除草ポーション(マンドラゴラをしばらく黙らせる薬)』と、ヴォルグさんの鱗を封じる『耐熱ケース』を、言い値の三倍で売りつけてきました」
さすがだ。
マッチポンプもここまでくれば立派なビジネスモデルである。
「あ、それとですね」
フタバは一枚の書状を取り出した。
「伯爵から、ダンジョンへの正式な『不可侵条約』の申し入れです。『もう二度と手を出さないから、あの植物を止めてくれ』だそうです」
産業スパイを送った結果がこれだ。
彼らは、吾輩の技術を盗もうとして、逆に吾輩の「騒音ゴミ」を高値で買い取らされ、自滅したのだ。
その夜、吾輩はコダマに特別ボーナス(高級腐葉土)を支給した。
――よくやった。あのマンドラゴラ、外でもいい仕事をしているようだな。
『せやろ? あいつら、口は悪いけど生命力だけはあるからな。……ま、伯爵はんも、家族が出て行って寂しいやろうし、賑やかでええんちゃうか』
コダマは、自分の「子供たち」が外で元気に暴れまわっていることを、どこか誇らしげに語っていた。
吾輩はダンジョンである。
盗っ人猛々しいとは言うが、盗んだ物が時限爆弾だった場合の滑稽さは、何にも勝る喜劇である。
これでリバードラ伯爵も、他人の庭の柿を盗むような真似は二度としないだろう。
……もっとも、あのマンドラゴラたちが、種を飛ばして近隣の領地にまで広がらないことを祈るばかりだが。
もしそうなったら、またフタバが儲かるだけのことだ。吾輩の知ったことではない。
さて、次はどんな客が来るのか。
吾輩は、静まり返った入り口を見つめながら、次なる獲物――いや、次なる「顧客」を待ち構えるのであった。




