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吾輩はダンジョンである。腹も立つが、腹も減るのだ ~恐怖を主食にする迷宮管理職のトホホな日常~  作者: 真野真名


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【間話】 戦後顛末記――あるいは、大人の事情という名の泥仕合




 真実というものは、往々にして取り扱い注意の劇薬である。


 そのまま服用すれば社会という虚弱な胃袋はたちまち痙攣を起こし、嘔吐し、場合によっては死に至る。

 だからこそ、賢明な大人たちは真実をオブラートに包み、砂糖をまぶし、あるいは「政治的配慮」という名の水で薄めて、飲み下しやすい「公式発表」へと加工する技術を発達させてきたのだ。


 今回の一件もまた、そうした大人たちの手管によって、実に味わいのない、しかし喉越しの良い形へと整形されることになった。


 舞台は、ダンジョン攻防戦から数日後の、尾崎モミジ男爵邸の応接室。

 古びてはいるが清掃の行き届いたこの部屋で、二人の人物が深刻な顔を突き合わせていた。


 一人は、この領地の主であり、弱冠一七歳の女当主、尾崎モミジ男爵。

 もう一人は、冒険者ギルド支部長を務める、白髪交じりの壮年男性、グッドールド・アキヤマである。


「……つまり、アキヤマ支部長。貴方はこう言いたいのですか。『あのダンジョンには明確な意思があり、魔物たちは統率されて動いている』と」


 モミジの声は震えていた。恐怖ではない。あまりの荒唐無稽さと、目の前で起きた奇跡への困惑がない交ぜになった震えだ。

 支部長は、冷めた紅茶を一口啜り、重々しく頷いた。


「認めざるを得ませんな。あの攻防戦、守備隊からの聞き取り調査を精査しましたが、偶然で片付けるには無理がありすぎる」


 支部長は指を折って数え始めた。


「騎士団だけを狙うスライム。人間を庇って槍を受けるゴブリン。そして、守備隊と連携して敵を挟撃する戦術眼。……これらが自然発生的な魔物の習性だとしたら、我々がこれまで積み上げてきた魔物学の教科書は、便所紙にするしかありません」


「意思を持つダンジョン……。そんなものが実在するなんて」


「国に知られれば、ただでは済みませんぞ」


 支部長の声が低くなる。


「間違いなく、国軍の管理下に置かれます。『特異点』として封鎖され、解剖され、研究材料にされるでしょう。当然、今の利益構造は崩壊。領主様の懐に入る税収も、ギルドの取り分も、コダマ印のポーションも、すべてご破産だ」


 モミジは唇を噛んだ。

 貧乏男爵家にとって、あのダンジョンは唯一無二のドル箱だ。それを国に取り上げられるのは、領民を路頭に迷わせることと同義である。


「……隠しましょう」


 モミジは決断した。


「あれは、あくまで『特殊な環境下における魔物の異常行動』です。あるいは、私の指揮が優れていたことにしておけばいい」


「賢明なご判断です。ギルドとしても、あの優良物件を手放す気はない。口裏は合わせましょう」


 こうして、一つ目の真実は闇に葬られた。


 だが、問題はもう一つある。

 隣の領主、ジューシン・オークマ子爵による、あからさまな軍事侵攻の件だ。

 モミジは拳を握りしめた。


「こっちは誤魔化せませんよ。二百名の騎士団を送り込み、我が領土を蹂躙しようとしたのです。これは戦争行為です」


「ええ。ですが相手は古狸のオークマ子爵。一筋縄ではいきますまい」


 かくして、泥沼の戦後処理――と言う名の、政治的な茶番劇が幕を開けたのである。



***



 国への提訴から一週間後。


 王都から派遣された「特使」なる官僚が、事態の収拾に乗り出した。

 裁判ではない。あくまで「事情聴取と裁定」である。

 裁判になれば泥仕合が長引き、国の体面が泥まみれになる。それを嫌う国の上層部は、いつだって「迅速で円満な解決」を好む。

 要するに、臭いものには蓋をしろ、という話だ。


 場所は、両領の中間地点にある都市の会議室。

 モミジ男爵とオークマ子爵は、別々の部屋で特使の聴取を受けることになった。


 まずは、被害者であるモミジ男爵のターンである。


「納得がいきません!」


 モミジは、証拠の品々をテーブルに叩きつけた。

 隣領の紋章が入った剣、鎧の破片、そしてフタバが横流しした(そして騎士たちが使用した)ポーションの空き瓶。


「オークマ子爵は、当ダンジョンの核を破壊する目的で、これまで何度も工作員を送り込んできました。今回はその集大成として、正規軍二百名を投入したのです!」


 特使は、虫の死骸を見るような無感情な目で資料をめくった。


「……ふむ。して、その証拠は?」


「証拠なら、捕虜にした四十名の騎士たちがいます! 彼らを尋問すれば……」


「彼らは一様に『ダンジョンで迷った』『魔物に襲われた』としか供述しておりませんが」


「それは、主君からの報復を恐れて口を閉ざしているからです! 拷問の許可をいただければ、必ず吐かせます!」


「男爵。同国の騎士に拷問など、法で禁じられておりますよ。野蛮なことは慎みなさい」


 特使は眼鏡の位置を直しながら、冷淡に言った。


「それに、貴女の言い分では、相手が『核の破壊』を目論んでいたとのことですが、動機が弱い。なぜ隣のダンジョンを壊す必要があるのです?」


「商売敵だからです! うちのダンジョン産ポーションが売れすぎて、あちらの利権が侵害されたから、逆恨みで……!」


「推測ですね。確たる証拠がない」


 特使はため息をついた。


「それに、貴女のところの守備隊、随分と奮戦したようですね。三十名で二百名を撃退し、死者はゼロ。……正直、報告書を読んだ軍部が『そんな馬鹿な話があるか』と失笑しておりましたよ」


 痛いところを突かれた。

 魔物との共闘を隠している以上、「守備隊が超人的な強さで撃退した」という無理のあるストーリーを通すしかないのだ。


「と、とにかく! 事前通告なしに軍隊を他領に入れたのは事実です! これは侵略です!」


「まあ、そこは事実ですね。……では、次は子爵の話を聞きましょう」



***



 続いて、加害者であるオークマ子爵のターンである。


 彼は、恰幅の良い腹を揺らし、脂ぎった顔に愛想笑いを貼り付けて現れた。

 手には高級な葉巻。態度はふてぶてしいことこの上ない。


「いやはや、お恥ずかしい限りですな」


 子爵は、悪びれる様子もなく言った。


「まさか、うちの若いのがあんな場所で遭難するとは」


 特使が淡々と問う。


「遭難、ですか。二百名で?」


「ええ。事の経緯はこうです。当領の騎士たちが、休暇を利用して自主的な訓練を行っておりましてな。熱心なことです。彼らは『隣のダンジョンが危険らしいから、下見に行こう』と出かけたのですが……戻ってこない」


 子爵は、わざとらしくハンカチで目元を拭った。


「心配しましたよ。あそこは、ランクB+とはいえ、実態は人食い穴のような危険地帯だと聞いておりましたから。そこで私は、居ても立っても居られず、騎士団を『救助』に向かわせたのです」


「救助のために、フル装備の重装歩兵二百名ですか」


 特使の声には、一欠片の感情も含まれていなかった。


「相手は魔窟ですから。念には念を、です。そうしたら、あろうことかモミジ男爵の守備隊が、我々に攻撃を仕掛けてきたではありませんか! こちらは『通してくれ、仲間を助けたいんだ』と叫んだのに、問答無用で斬りかかられた。……酷い話だと思いませんか?」


 完璧な詭弁である。

 「救助」という名目があれば、軍の移動は正当化され、守備隊との戦闘は「緊急避難」あるいは「不幸な行き違い」にすり替えられる。


「しかし、勇者からの証言もあります。貴殿が『核の破壊』を依頼したと」


「ははは! 依頼だなんて、とんでもない!」


 子爵は大袈裟に手を振った。


「たまたま立ち寄った勇者殿と、世間話をしただけですよ。『最近、あそこのダンジョンで若者が死んでいる。核が暴走しているのではないか。誰かが止めねばならんのだがなぁ』と、憂いただけです。正義感の強い勇者殿が、それを真に受けてしまったのでしょう。……若さゆえの暴走ですな」


 責任転嫁もここまでくれば芸術的だ。

 特使は、表情を変えずにメモを取った。


「なるほど。では、貴殿に侵略の意図はなかったと?」


「あるわけがないでしょう。あんな貧乏領地、奪ったところで維持費がかさむだけだ。……ああ、ただ一つ懸念がありましてな」


 子爵は声を潜めた。


「あそこのダンジョン、ランク詐称の疑いがあるんですよ。B+にしては危険すぎる。現に、我が精鋭部隊の八割が帰ってこなかった。……ギルドが利益優先で、危険度を隠蔽しているのでは? 国の安全のためにも、一度閉鎖して、我が領の管理下で厳重に調査すべきかと」


 特使のペンが止まった。

 彼は、この子爵が何を狙っているのかを正確に理解した。

 侵略の失敗を認めつつ、あわよくばダンジョンの管理権を奪い取ろうという、転んでもただでは起きない強欲さだ。



***



 そして、裁定の日。


 モミジ男爵とオークマ子爵は、初めて顔を合わせた。

 場所は、特使の宿泊するホテルの広間。

 空気は重く、澱んでいる。

 特使が、一枚の書類を読み上げた。

 その内容は、大人の、大人による、大人のための、実にふざけた妥協案であった。


「――本件に関する裁定を申し渡す」


 特使の声が響く。


「まず、今回の衝突について。これは、オークマ子爵領の騎士団による『緊急救助活動』の最中に発生した、連絡不備による『不幸な事故』と認定する」


 モミジがガタリと椅子を鳴らして立ち上がろうとしたが、アキヤマ支部長に制された。


「ただし、いかなる理由があろうとも、事前通告なしに他領へ軍事力を投入した責任は重い。よって、ジューシン・オークマ子爵に対し、迷惑料として金貨二百枚を尾崎モミジ男爵へ支払うことを命ずる」


 金貨二百枚。

 はした金だ。騎士団二百名の動員コストを考えれば、痛くも痒くもない額である。


 子爵が、余裕の笑みで頷く。


「承知しました。手切れ金……いや、迷惑料ですな。すぐに支払いましょう」


「次に、捕虜の扱いについて。彼らは侵略兵ではなく『要救助者』であるため、身代金は発生しない。尾崎家は、人道的見地に基づき、即刻彼らを解放すること」


 モミジの顔が悔しさで歪む。

 侵略者を、タダで返せと言うのだ。しかも、彼らの治療費や食費は尾崎家の持ち出しである。


「最後に、ダンジョンの扱いについて」


 特使の視線が、子爵に向けられた。


「調査の結果、当該ダンジョンのランクB+は妥当であり、危険度に関してもギルドの管理基準内であると判断する。よって、閉鎖および管理権の移譲は行わない。今後も尾崎家の管理下において、通常通り運営を続けるものとする」


 子爵の笑みが消えた。


「……なっ? 待たれよ特使殿。あれだけの被害が出ているのですよ? 精査が必要では……」


「子爵」


 特使が冷ややかに遮った。


「貴軍の被害が大きいのは、単に『無許可で無謀な攻略を行った結果』でしょう。自業自得です。……それに、あそこから産出されるポーション素材は、我が国の軍部にとっても重要な戦略物資です。余計な干渉で供給が止まることは、国として望ましくない」


 これが、国の本音だった。


 正義も悪もない。

 「有益なポーション工場」を潰したくないだけだ。

 そのためには、モミジ男爵に管理させ続けるのが一番だと判断したのである。


「……休暇中の軍人の行動は自由ですが、今後は他領のダンジョンへ入る際、必ず事前許可を取るように。……以上」


 裁定は下った。



***



 会議室を出たモミジは、廊下の壁を思い切り蹴飛ばした。


「ふざけるな! なんだあの裁定は! 『不幸な事故』? 『金貨二百枚』? 人の命を、領土の尊厳をなんだと思っているんだ!」


 モミジは言葉を吐き出したあと、ほんの一瞬だけ黙り込んだ。

 その沈黙が、かえって怒りの深さを物語っていた。


 彼女の憤りはもっともだ。

 だが、隣を歩くギルド支部長の顔は、意外にも晴れやかだった。


「まあまあ、男爵。そう熱くなりなさんな」


「アキヤマ支部長、貴方は悔しくないのですか!?」


「悔しい? とんでもない。……我々の『勝ち』ですよ」


 支部長は、ニヤリと笑った。


「考えてもみなさい。相手は二百名の精鋭を失い(実際は四十名ほどは生きてるが、装備もプライドもズタズタだ)、治療費と再武装にかかる費用は莫大だ。それに比べて、我々の被害は? ほぼゼロだ」


 モミジがハッとする。


「それに、今回の裁定で『ダンジョンの運営権』は国によって保証された。つまり、オークマ子爵はもう、大義名分なしに手出しができなくなったということです。次に兵を動かせば、今度こそ国軍が出てくる」


「……あ」


「金貨二百枚は、確かに安い。だが、あの強欲な子爵に『無駄金を使わせた』と思えば、痛快じゃありませんか。……それに、捕虜を返す際、彼らに『あのダンジョンの恐怖』をたっぷり語らせてやりましょう。そうすれば、隣の領の兵士たちは二度と、あのダンジョンに近づこうとは思わなくなりますよ」


 モミジは、深く息を吐き出した。

 大人の喧嘩とは、相手を殴り倒すことではない。

 相手が二度と手を出せないように、外堀を埋め、利益を確保し、にこやかに握手をして終わらせることなのだ。


「……分かりました。今回は、これで良しとします」


 モミジは、悔しさを飲み込み、領主の顔に戻った。


「でも、金貨二百枚はきっちり貰いますよ。コダマさんの肥料代と、ヴォルグさんの暖房費に充ててやりますから!」


 こうして、ダンジョン攻防戦は、政治的な決着を見た。

 正義は行われなかったかもしれない。

 だが、ダンジョンの平穏と、そこから生まれる利益は守られた。


 後日談だが。

 解放された四十名の騎士たちは、国許に帰った後、一様に原因不明の「植物恐怖症」や「閉所恐怖症」を発症し、二度と剣を握ることはなかったという。


 彼らが語る「踊る野菜の地獄」や「親切すぎる骸骨の話」は、オークマ領の怪談として長く語り継がれることになるのだが、それはまた別の話である。



 大人の事情という泥水の中でも、蓮の花(利益)は咲く。

 それを知った一七歳の領主は、少しだけ大人になったような気がした。




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