第二十六話 噂に集う魔物と、森をデザインする精霊
噂話というものは、風に乗る花粉のように軽薄で、疫病のように感染力が強く、そして何より、事実とは異なる派手な色がついているものである。
どこぞのダンジョンが大量の人員募集をしているらしい。
あそこに行けば飯が食えるらしい。
主は慈悲深く、住む場所を与えてくれるらしい。
そんな、吾輩が聞けば耳(集音機能)を疑うような甘いデマゴギーが、魔物の世界を駆け巡っているという。
情報の発信源は、十中八九、我がダンジョンと外の世界を気ままに行き来しているコウモリどもであろう。彼らは超音波による独自のネットワークを持っており、その伝達速度は光ファイバー並みだが、情報の正確性は伝言ゲーム以下だ。
吾輩はダンジョンである。
その結果、吾輩の入り口には、連日のように「就職希望者」が押し寄せることとなった。
群れを追われたオーク、住処を焼かれたゴブリンの残党、あるいは単に食い扶持を失っただけの巨漢のトロール。
彼らは一様に薄汚く、飢え、そして図々しい。
雇ってくれ。
飯をくれ。
強いんだろう? 俺たちを守ってくれ。
彼らは勘違いをしている。
吾輩は慈善事業団体ではない。
先日コボルトたちを受け入れたのは、彼らが「拡張工事」という高度な専門技術を持っていたからだ。技術なき労働力など、我が社には不要である。
それに、世の中の多くのダンジョン――いわゆる「コア剥き出し」の露出狂ども――は、己の急所を守るために防衛戦力を欲するようだが、吾輩は違う。
吾輩のコアは、深層のさらに奥、物理的にも魔術的にも遮断された絶対安全圏に隠蔽してある。
故に、冒険者に踏破されようが、最奥まで行かれようが、痛くも痒くもない。
むしろ、適度に攻略された方が、恐怖と絶望のエネルギーを効率よく摂取できるのだ。
つまり、これ以上の無駄飯食いは要らない。
魔物というのは、ダンジョンの魔素環境に馴染むまでは、自前の肉体維持のために大量の食料を必要とする。
エンゲル係数の高い居候など、経営を圧迫する害悪でしかない。
吾輩の対応は冷徹だ。
有能そうな者、あるいは希少種以外は、全て門前払い。
帰らぬ者、あるいは暴れる者は、リッチのパープルに引き渡す。
彼女は喜々として彼らの魂を抜き、骨だけの従順な兵隊にリサイクルしている。
食費もかからず、文句も言わず、二十四時間働く理想的な労働力の完成である。
ブラック企業と罵りたければ罵るがいい。ここは魔窟だ。
そんな殺伐とした採用面接(という名の処分)が続く中、一風変わった来訪者が現れたのは、コボルトたちが新しい通路の掘削を始めた頃だった。
入り口のセンサーが、微弱だが異質な魔力を感知した。
獣ではない。死霊でもない。
植物に近い、精霊の気配。
現れたのは、子供の頭ほどの大きさの、奇妙な白い物体だった。
一見するとカブのようにも見えるが、手足があり、目鼻がある。
身体をカタカタと揺らしながら、浮遊するように入ってきたそれは、木霊と呼ばれる精霊の一種であった。
木霊。
通常は深い森の奥に住み、木々に宿る精霊だ。
ダンジョンという閉鎖空間には、最も縁遠い存在であるはずだ。
――迷子か? 出口は後ろだぞ。
吾輩が追い払おうと風を送ると、木霊は踏ん張るように空中で静止し、意外にも野太い、しわがれた声で叫んだ。
「待たんかい! わいは客やない、ビジネスパートナーとして来たんや!」
……は?
関西弁?
なぜ精霊がそれを操るのかは不明だが、その態度は明らかに他の有象無象とは違っていた。
木霊は、吾輩の威圧に怯えることもなく、ふてぶてしく腕(のような突起)を組んだ。
「ダンジョンはん、あんた、土地が余っとるやろ。特に第三階層あたり、殺風景で見てられへんわ。わいに任せてくれんか? あそこを極上の『魔の森』にリフォームしたるがな」
リフォーム。
最近、リノベーション流行りではあるが、まさか精霊から提案されるとは思わなかった。
吾輩は、興味半分、呆れ半分で、彼を第七階層の応接スペース(ガラクタ置き場の横)に通した。
対応するのは、いつもの人事担当、パープルである。今日の頭は、どこで拾ったのか「信楽焼のタヌキの置物」だ。関西弁の木霊とは妙に親和性が高い。
『して、木霊よ。汝は何ができる。ただ森を作るだけならば、外でやればよかろう』
パープルの問いに、木霊は鼻で笑った(鼻はないが)。
「外? あんなもん、不自由極まりないわ。日照りに左右され、虫に食われ、人間の木こりに怯える。……あとな、周りの連中がアホばっかりや」
木霊は、深く嘆息した。
「わいの同族を見てみぃ。一日中、キャッキャ言うて首を回しとるだけや。生産性ゼロや。あんな連中と一緒におったら、わいの才能が腐ってまう」
彼は、どうやら木霊界の異端児、あるいは意識高い系のクリエイター気質であるらしい。
「わいはな、デザインがしたいんや。理想の森をな。どの木をどこに配置し、どの草をどう繁らせるか。光の加減、湿度の調整、生態系のバランス……それらを完璧に計算し尽くした、芸術的な森を創りたいんや!」
彼は熱弁を振るう。
その小さな身体から放たれる熱量は、ヴォルグのブレス並みに暑苦しい。
「せやけど、外では無理や。魔力が足らん。植物を意のままに操るには、濃厚な魔素が必要なんや。……そこへ来て、このダンジョンや」
木霊は、吾輩の壁を愛おしそうに撫でた。
「ここには極上の魔素が溢れとる。しかも、先日の事件で余りまくっとるらしいな? それをわいが有効活用したる。わいの力を使えば、ダンジョン産の薬草、果物、キノコ、なんでもござれや。魔力を吸わせて毒草にするもよし、浄化して回復草にするもよし。お買い得でっせ」
なるほど。
吾輩は、心が動くのを感じた。
先日の「魔力垂れ流し問題」は、コボルトによる拡張工事で多少マシにはなったが、依然として魔力は過剰気味だ。
それを植物が吸収し、資源に変えてくれるなら、一石二鳥どころの話ではない。
しかも、ダンジョン産のレア素材となれば、冒険者たちも目の色を変えてやってくるだろう。
――条件は?
吾輩はパープルを通じて問うた。
「条件は二つだけや」
木霊は、指(突起)を二本立てた。
「一つ、第三階層をまるごとわいの好きにさせてくれ。デザインに口出しは無用や」
「二つ、わいをそこの階層主として認めること。……こんだけや」
階層主。
ヴォルグと同じ地位を要求するか。
だが、ヴォルグのように「黄金を持ってこい」だの「寒い」だのと喚くよりは、よほど建設的な要求だ。
第三階層は、これまでスライムとゴブリンが散発的に配置されているだけの、特徴のないエリアだった。そこをテコ入れできるなら悪くない。
だが、一つ確認しておかねばならない。
――お前のような変わり種が、本当に役に立つのか? 口先だけではないのか?
吾輩の疑念に対し、木霊は親指を立てて自分の胸を指した。
「チッチキチー」
……は?
「往生しまっせ〜。わいの作った森に入ったら、冒険者どもは迷って、惑って、最後には養分や。そんな芸術的な殺戮空間、他所にはおらへんやろ〜」
チッチキチーの意味は不明だが、その自信だけは伝わってきた。
それに、「そんなやつはおらへんやろ」というフレーズには、同族への強烈な対抗意識と、己の唯一性への自負が滲んでいる。
吾輩は決断した。
採用だ。
コボルトの土木技術に続き、今度は造園技術の導入である。
『契約成立です。本日より、第三階層の管理を貴殿に委ねます』
パープルが告げると、木霊はニヤリと笑った。
「おおきに。ほな、早速仕事にかからせてもらうわ。……見とけよ、わいの最高傑作を作ったるからな」
木霊は、第三階層へと飛んでいった。
その背中は、小さくとも頼もしい職人のそれであった。
数日後。
第三階層は、劇的な変貌を遂げていた。
かつては殺風景な岩肌が続いていた通路が、今は鬱蒼とした森に覆われていた。
どこからか、水滴の落ちる音と、胞子が弾ける微かな破裂音がする。
ただし、地上の森とは違う。
天井まで届く巨大なキノコの木。
青白く発光するシダ植物。
壁を這い回る、血管のような蔦。
湿度は高く、甘ったるい芳香と、腐敗臭が混じり合った独特の空気が充満している。
木霊――彼もまた名前がないので、便宜上「コダマ」と呼ぼう――は、中央の巨大な切り株の上に陣取り、指揮者のように根を操っていた。
「そこ! 毒草の配置が甘い! もっと陰湿に、足首を狙うように生やすんや!」
「あかん、その回復草は目立ちすぎや。もっと『罠の奥』に配置せな、冒険者がリスクを冒さんやろが!」
彼は、植物たちに魔力を注ぎ込み、急速成長させながら、緻密な計算の元にダンジョンをデザインしていた。
吾輩の余剰魔力は、植物たちによって吸い上げられ、美しい(そして危険な)果実や胞子へと変換されていく。
効果はすぐに出た。
冒険者たちの反応が変わったのだ。
先日やってきた中堅パーティが、第三階層に足を踏み入れた時のことだ。
「うわっ、なんだここ。森になってるぞ」
「見ろ! あれ、マンドラゴラの亜種じゃないか? 市場で金貨一枚はするぞ!」
「こっちには『妖精のキノコ』がある! すごい、宝の山だ!」
彼らは色めき立った。
だが、コダマの森は甘くない。
一人がキノコに手を伸ばした瞬間、地面から蔦が飛び出し、彼を宙吊りにした。
「うわあああ!」
「胞子だ! 毒の胞子が撒かれたぞ!」
「退却だ! いや、あの実だけ取ってから……!」
欲望と恐怖の天秤。
「欲しい」けれど「怖い」。
そのジレンマこそが、冒険者の心を最も揺さぶるスパイスだ。
吾輩は、彼らから放たれる「葛藤」のエネルギーを味わいながら、舌鼓を打った。
美味い。
ただ殺すよりも、欲をかかせて苦しめる方が、味に深みが出る。
コダマは、混乱する冒険者たちを見下ろして、切り株の上で高笑いしていた。
「往生しまっせ〜。わいの庭でタダ食いできると思ったら大間違いやで。……ほら、そこ右に行ったら『食人花』の群生地や。引っかかりよった、チョロいもんやな」
性格が悪い。
実にダンジョン向きの人材である。
彼の作る「ダンジョン産食材」は、内部でも活用された。
ゴブリンやコボルトたちには、安全なエリアで栽培したキノコや果物が配給された。
食糧問題の解決である。
コボルトの子供たちは、「このキノコ、焼くとお肉の味がする!」と大喜びだ。
ヴォルグも、コダマが献上した「火炎唐辛子」を気に入り、バリバリと齧っては炎のブレスの威力を上げている。
ある日、吾輩はコダマに念を送った。
――なかなかやるな。見直したぞ。
コダマは、ふん、と鼻を鳴らした。
「当たり前や。わいを誰や思うてんねん。……ただな、一つだけ不満があるわ」
――なんだ。
「他の階層の連中や。特にあのドラゴンと狼。あいつら、わいの作った森を『散歩コース』か何かと勘違いしとる。鱗で木を薙ぎ倒したり、マーキングしたり……デリカシーっちゅうもんがないんか」
――まあ、そこは仲良くやってくれ。
「チッチキチー。……ま、ええわ。強すぎる肥料だと思って我慢したる」
コダマは、不満を言いながらも、どこか楽しげだった。
自分の才能を存分に発揮できる場所。
評価してくれる主と、反応してくれる客(獲物)。
彼もまた、ここで「生きがい」を見つけたのだろう。
吾輩はダンジョンである。
コボルトが掘り、コダマが植え、ヴォルグが温め、パープルが守り、ブランカが狩る。
それぞれの個性が、奇妙なパズルのように噛み合って、一つの巨大な生態系を形成しつつある。
……ただ、コダマよ。
お前の口癖が感染って、最近ゴブリンまで「往生しまっせ」と言い出したのはどうにかしてくれ。
ダンジョンの公用語が関西弁になるのだけは、威厳に関わるので断固阻止したい。




