第二十四話 節電ダンジョンと、弱くなる勇気
存在しているだけで他者に迷惑をかけるというのは、なかなかどうして厄介な罪である。
本人はただそこに在るだけなのだ。悪意を持って誰かを害そうとしているわけでもなければ、積極的に不幸を撒き散らそうとしているわけでもない。
だが、巨木が育てば周囲の日光を遮るように、あるいは大食漢が同席すればテーブルの料理が瞬く間に消えるように、強大すぎる存在というものは、その余波だけで周囲の生態系を歪めてしまう。
「強くなりたい」と願うのは生物の本能だが、「強すぎた」と嘆くのは、吾輩のような特異点の贅沢な悩みであろうか。
吾輩はダンジョンである。
入り口付近の惨状は、日を追うごとに悪化の一途を辿っていた。
逃げ込んできた鹿や兎、猪たちが、吾輩の喉元(第一階層入り口)で怯えながら身を寄せ合っている。彼らは外に出られない。一歩でも森へ踏み出せば、吾輩の魔力にあてられて凶暴化した熊や狼たちが、血走った眼で待ち構えているからだ。
森からは、絶えず魔獣の飢えた咆哮が聞こえてくる。
それは、吾輩への恨み節のようにも聞こえた。
――お前のせいだ。
――お前が魔力を垂れ流すから、俺たちは狂ってしまったのだ。
そんな幻聴さえ聞こえてきそうだ。
吾輩は、ダンジョンとしてのアイデンティティが揺らぐのを感じた。
吾輩は「恐怖の迷宮」であるはずだ。冒険者を誘い込み、驚かせ、絶望させ、その感情を喰らう捕食者だ。
だが現状はどうだ。
客(冒険者)は店に辿り着くことさえできず、店先には金にならない避難民が溢れ、周辺環境は汚染されている。
これでは、有害物質を撒き散らす違法工場と変わらないではないか。
事態を打開すべく、吾輩は最高顧問(と勝手に呼んでいる)のリッチ、色部パープルに相談を持ちかけた。
『……主殿。やはり、原因は魔力過剰にございます』
第七階層の書斎で、パープルは静かに言った。
今日の彼女は、頭部に「ヒビ割れた素焼きの壺」を乗せている。その質素な装いが、事態の深刻さを物語っているようだった。
『主殿がB+ランクに昇格し、さらに龍王ヴォルグが定住したことで、このダンジョンの魔力総量は限界値を越えました。満ちすぎた杯は、零れるより他ありませぬ。零れた水が土を濡らし、森を変えてしまったのです』
――わかっている。だから、どうすればいいと聞いているのだ。
『栓を閉めるしかありませぬ』
パープルは、骨だけの指で壺の縁をなぞった。
『魔力の放出を極限まで抑え、内側に留めるのです。いわば「休眠状態」に近いレベルまで出力を下げる。そうすれば、森への干渉は収まりましょう』
――出力を下げる、だと?
それは、ダンジョンとしての「弱体化」を意味する。
罠の威力は落ち、照明は暗くなり、魔物の活性も下がるだろう。
今まで積み上げてきた「B+ランク」の威厳を、自ら捨てるようなものだ。
進化の逆走である。
プライドが許さない。
だが、パープルは諭すように続けた。
『主殿。強き風は木を折りますが、柳は風を受け流して生き残ります。……誰も来ぬ城で王を気取るより、扉を開いて人を招く方が、主殿の性分には合うておりましょう?』
痛いところを突く。
そうだ。吾輩は孤独な王になりたいわけではない。
賑やかな悲鳴と、人間の情念が渦巻く、活気ある地獄を作りたいのだ。
――……わかった。やろう。
――本日より、当ダンジョンは「省エネモード(試験運用)」に移行する。※終了時期未定。
吾輩は決断した。
ダンジョン史上初、「節電経営」の始まりである。
「魔力を抑える」というのは、口で言うほど簡単なことではなかった。
人間で言えば、常に深呼吸をしていた状態から、息を殺して肺の中の空気を循環させるようなものだ。
苦しい。
全身の血管(魔力回路)を締め付けられるような閉塞感がある。
だが、吾輩は耐えた。
核から湧き出る魔力を、外部へ放出せず、内壁の奥底へと押し込める。
効果はすぐに表れた。
だが、それは同時に「弊害」でもあった。
まず、ダンジョン内が暗くなった。
照明係の発光苔が、魔力供給不足で元気をなくし、輝きが「蛍の光」レベルまで落ち込んだのだ。
通路は陰鬱な闇に包まれ、足元もおぼつかない。雰囲気があると言えば聞こえはいいが、単に貧乏くさいだけだ。
次に、罠の威力が低下した。
飛び出す槍の速度が遅くなり、落とし穴の底が浅くなり、ファイアボールを吐く石像が「ボッ」と種火のような炎しか出さなくなった。
即死級のトラップが、軒並み「全治二週間の怪我」レベルに格下げされたのだ。
そして何より、従業員たちからの不満が噴出した。
『おい、ダンジョン! 湯がぬるいぞ!』
第八階層から、ヴォルグの怒声が響く。
『床暖房システム』の出力が低下し、温泉の温度が下がったのだ。
ヴォルグは黄金の山の上で、寒そうに丸くなっている。
『我は高貴な龍だぞ。冷水浴など御免だ。もっと火力を上げろ』
――我慢しろ。お前も少しは自前の体温で温めろ。
――お前はボイラーではないと言うが、今はボイラーになってもらうしかないのだ。
第一階層では、スライムたちが明らかに縮んでいた。
水分と魔力が抜け、プルプルだったボディが、日向に放置されたゼリーのように萎んでいる。
動きも鈍い。
「僕、もう動けないよ……」という悲痛な思念が伝わってくる。
ゴブリンに至っては、露骨に労働意欲をなくしていた。
『へいへい、節約節約。……やってらんねぇよ。残業代(魔力ボーナス)も出ねぇのに、タダ働きかよ』
彼は掃除の手を抜き、倉庫の隅でふて寝を始めた。
パープルだけは文句も言わずに付き合ってくれている。
彼女は元より「寒く、暗く、報われぬ場所」に慣れすぎていた。
ただ、その詠む歌が妙に湿っぽい。
『灯の 消えゆく宿に 身を寄せて 骨身に沁みる 冬の夜の風』
――やめろ。辛気臭い。
――ウチは倒産寸前の旅館ではない。一時的な業務縮小だ。
吾輩自身の精神も摩耗していた。
魔力を抑え込むストレスと、部下たちの不満を一身に受ける重圧。
経営とは、誰かの不満を引き受ける仕事らしい。
吾輩は、暗くなった通路を見つめながら、胃(中層)がキリキリと痛むのを感じていた。
だが。忍耐は、確実に成果を生み出し始めていた。
数日が経過した頃。
入り口付近の空気が変わった。
それまで絶えず聞こえていた、森からの飢えた咆哮が、潮が引くように遠のいていったのだ。
魔素の供給が断たれたことで、過剰に活性化していた森の植物が落ち着きを取り戻し、狂暴化していた魔獣たちが正気に戻った――あるいは、より魔力の濃い深山へと去っていったのだろう。
入り口に避難していた鹿や兎たちも、恐る恐る鼻先を外へ向け、安全を確認すると、一匹、また一匹と森へ帰っていった。
彼らにとって、吾輩はもう「唯一の安全地帯」ではなく、ただの「暗くて不気味な穴」に戻ったのだ。
入り口が静かになった。
誰もいない。
居候がいなくなった清々しさと同時に、奇妙な虚無感が吾輩を襲った。
――これでいいのだ。
――誰も困らなくなった。
――だが、誰も来ない。
吾輩は、暗い入り口を独り見つめた。
正しいことをしたはずなのに、なぜこうも侘しいのか。
まるで、定年退職して社会との接点を失った老人のような気分だ。
しかし、その静寂を破る足音が、ついに響いた。
規則正しい、慎重な足音。動物ではない。人間だ。
現れたのは、四人組の冒険者パーティだった。
装備を見るに、新人ではないが、あの「プロ三人組」のような手練れでもない。
いわゆる「中堅」クラス。
一番数が多く、そして一番死にやすい層だ。
「……おい、ここだよな? B+指定のダンジョンって」
先頭の戦士が、地図を見ながら首を傾げている。
「森、意外と静かだったな。もっとヤバい魔獣が出るって聞いてたけど」
「拍子抜けね。でも、油断しないで。中に入ったら地獄かもしれないわ」
彼らは、以前なら森の入り口で引き返していただろうレベルの実力者だ。
だが、森が沈静化したことで、ここまで辿り着けたのだ。
吾輩のコアが、ドクンと跳ねた。
客だ。
久しぶりの、まともな客だ。
――歓迎しよう。
――ただし、今のウチは「省エネ営業中」だがな。
彼らは慎重に第一階層へ踏み込んだ。
薄暗い通路。
そこへ、空気を読まないスライム(空腹で凶暴化しているが、サイズは小さい)が襲いかかる。
「うわっ、スライムだ! ……って、なんかちっちゃくない?」
「可愛い。これなら楽勝ね!」
魔法使いが火の玉を放つ。
スライムは悲鳴を上げて逃げ惑う。
次に、罠エリア。
床のスイッチが踏まれ、槍が飛び出す。
が、速度が遅い。
「危ない!」
盗賊が反応し、戦士を突き飛ばす。
槍は戦士の腕を掠め、血が流れた。
「ぐっ……! かすったか!」
「大丈夫!? すぐに回復を!」
「平気だ、浅い! くそっ、やっぱり罠があるのか。気を引き締めろ!」
吾輩は、その光景をじっと観察していた。
以前の出力なら、あの槍は戦士の胴体を貫通し、即死させていただろう。
だが、今は「怪我」で済んだ。
彼らは恐怖し、緊張し、しかし「まだやれる」と奮い立っている。
彼らは進む。
ゴブリンと戦い、苦戦しながらも撃退し、子狼の仕掛けた「ネズミの死骸入り宝箱」を開けて盛大に顔をしかめ、それでも奥へ、奥へと進んでいく。
吾輩の胃の中に、彼らの発する感情が流れ込んでくる。
緊張。恐怖。
そして、困難を乗り越えた時の「達成感」と「高揚」。
――美味い。
吾輩は驚いた。
絶望的な悲鳴や、圧倒的な死の匂いではない。
もっと泥臭く、必死で、そして前向きなエネルギー。
それが、以前の「激辛料理」とは違う、滋味深い味わいとして吾輩を満たしていく。
彼らは第四階層で、パープルの配下のスケルトンに遭遇し、激戦の末に撤退を決めた。
「無理だ! この先はまだ早すぎる!」
「戻ろう! 生きて帰るぞ!」
彼らは傷つき、ボロボロになりながらも、互いに肩を貸し合い、出口へと走った。
そして、夕陽の差す外の世界へ飛び出し、地面に倒れ込んで笑い合った。
「あー、死ぬかと思った!」
「でも、結構いい素材手に入ったぞ!」
「次はもっと準備して挑もうぜ!」
彼らは生きて帰った。
そして、「また来る」と言った。
吾輩は悟った。
強さとは、単に出力が高いことではない。
相手を叩き潰すことでもない。
制御できる力こそが、商品価値を生むのだ。
一撃で殺してしまえば、そこで終わりだ。恐怖も味わえないし、リピーターにもならない。
だが、「ギリギリ死なない」ラインで痛めつけ、「頑張れば攻略できるかも」という希望を与えれば、彼らは極上の感情を支払ってくれる。
吾輩は、今まで「B+」という人が付けた肩書きに引きずられ「破壊装置」であろうとしていた。
だが、本来のダンジョンの役割とは、「試練装置」でもあったはずなのだ。
弱くなること。
手加減すること。
それは退化ではなく、高度な「接客スキル」の獲得だったのだ。
冒険者たちが去った後、パープルが念を送ってきた。
『主殿。……いかがでしたか?』
――悪くなかった。
――腹八分目だが、消化には良さそうだ。
吾輩は、薄暗い通路を少しだけ明るくしてやった。
スライムたちも、冒険者が落としていったおやつ(行動食のクズ)を食べて、少しだけ膨らんでいる。
だが、吾輩は知っている。
この「節電」は、あくまで一時的な処置に過ぎない。
核からは、今も絶え間なく魔力が湧き出ている。押し込めた魔力は、内壁の奥で渦を巻き、圧力を高め続けている。
いつか、限界が来るだろう。
風船が破裂するように、吾輩自身がパンクする日が。
その前に、新たな手を打たねばならない。魔力を捨てるのではなく、有効に「逃がす」ための、構造そのものの改革を。
吾輩はダンジョンである。
強くなるより先に、上手に弱くなる方法を学んでいる最中だ。
……それにしても、ヴォルグよ。
「寒いから」と言って、冒険者が落としたマントを勝手に羽織るのはやめろ。
サイズが合っていなくて、よだれ掛けにしか見えんぞ。




