第二十三話 入り口の避難民と、森の異変
家の軒先というものは、主の知らぬ間に公共スペース化しやすい場所である。
雨宿りの旅人ならまだ風情もあるが、野良猫が昼寝を決め込み、ツバメが巣を作り、挙句の果てには近所の子供が秘密基地ごっこの資材置き場にする。
家主としての威厳を示そうと追い払っても、翌日にはまた別の何かが居座っている。これはいわゆる「隙間産業」ならぬ「隙間居住」とでも言うべき現象であり、吾輩のような巨大な建造物においては、避けて通れぬ宿命のようなものらしい。
吾輩はダンジョンである。
近頃、吾輩の喉元――すなわち第一階層の入り口付近が、妙に騒がしい。
冒険者が殺到しているなら喜ばしいことだが、残念ながら客足は遠のいている。
代わりに増えたのは、金にならない「居候」たちだ。
ホーンラビット。ビッグラット。ポイズントード。
いずれも、冒険者が「雑魚」と呼んで鼻で笑うような、最下級の魔物たちである。
さらには、ただの野ウサギや、猪、鹿、鳥類といった野生動物までもが、吾輩の入り口付近に屯している。
本来、ダンジョンとは魔素の濃度が高く、通常の生物にとっては居心地の悪い場所のはずだ。
にもかかわらず、彼らは脅えたように滑り込み、入り口の岩陰や苔の隙間に身を潜める。
そして、数時間、長くて半日ほどじっとしていたかと思うと、また慌ただしく出ていく。
まるで、嵐をやり過ごすための雨宿りのように。
――邪魔だ。
――そこは通路だ。待合室ではない。
吾輩は時折、床を揺らしたり、微弱な電流を流したりして追い払うのだが、彼らは一瞬逃げるものの、すぐに戻ってくる。
その必死な様子は、吾輩への恐怖よりも、外の世界への恐怖の方が勝っていることを示唆していた。
なぜだ。
ここは「B+指定」の危険地帯だぞ。
看板も立っているし、中にはドラゴン(暖房係)やリッチ(壺頭)がいる魔窟だ。
普通なら、野生動物は本能で避ける場所である。
それが逆に「避難所」として機能しているとは、一体どういう理屈なのか。
その謎が解けたのは、ある夕暮れ時のことだった。
開け放した入り口の扉を、くぐり抜けてくる気配があった。
小さい。魔力もほとんどない。魔物ではない。人間だ。
現れたのは、三人の子供たちだった。
十歳にも満たないだろうか。継ぎ接ぎだらけの服。泥で汚れた顔。痩せこけた頬。
彼らは肩を寄せ合い、息を切らして駆け込んできた。
「はぁ、はぁ……! ここまでくれば、大丈夫……?」
「うん……あいつ、入ってこない」
少年が一人、少女が二人。
彼らは入り口の大岩の陰に座り込み、外の様子を恐る恐る窺っている。
吾輩の「視界」を入り口の外へ向けると、そこには一頭の巨大な熊――フォレスト・グリズリーがいた。
通常の熊ではない。全身が赤黒い魔力で覆われ、凶暴化した魔獣だ。
グリズリーは、ダンジョンの入り口に向けて唸り声を上げているが、決して踏み込もうとはしない。
見えない壁に阻まれているかのように、入り口の前を行ったり来たりしている。
なるほど。
高ランクの魔物は、縄張り意識が強い。
ここは、B+ランクのダンジョン――すなわち、吾輩という強大な「捕食者」のテリトリーだ。
野生の勘が働く魔獣ほど、格上の縄張りには侵入しない。
逆に言えば、入り口付近だけは、外の魔獣に対する「安全地帯」になっているというわけか。
弱者である小動物たちが逃げ込んでくる理由がわかった。
「毒を以て毒を制す」ならぬ、「魔王の威を借る兎」というわけだ。
吾輩はいつの間にか、地域の野生動物保護センターになっていたらしい。
子供たちは、熊が諦めて森へ去っていくのを見て、ようやく安堵の息を吐いた。
「怖かった……。あんな森の近くまで来るんじゃなかった」
「でも、食べるものがないもん。院長先生、昨日からスープだけだよ」
「お腹すいたね……」
彼らの会話から事情が漏れ聞こえてくる。
彼らは近くの街にある孤児院の子供たちらしい。
夕餉のおかずを増やそうと、野草や木の実を探して森へ入ったが、そこで魔獣に遭遇し、ここまで逃げてきたようだ。
――無茶をする。
――看板を見なかったのか。「立ち入り禁止」と書いてあるだろう。
だが、彼らの目にあるのは、冒険心などという高尚なものではない。
飢えだ。
生存への渇望だ。
腹が減っていれば、看板の文字など目に入らないのが生物というものだろう。
子供たちの一人が、吾輩の壁に生えている苔を見つけた。
「あ、これ、食べられるやつじゃない?」
「ほんとだ! 光る苔だ!」
「市場で高く売れるやつだよ。これがあれば、お肉が買えるかも!」
彼らは目を輝かせ、小さな手で苔をむしり始めた。
それは吾輩が照明用に育てている高級発光苔だ。
やめろ、と言いたい。
言いたいのに――痩せた指先を見ると、床を落とす気にはなれなかった。
吾輩の中に眠っている記憶が疼くのか、あるいは単に子供相手に本気を出すのが大人気ないと感じるのか。
通路の奥から、骨の擦れる音が近づいた。巡回中の色部パープルだ。
今日の頭は――ひび割れた骨董の壺。
子供たちの顔から血の気が引いた。
魔物だ。しかもリッチだ。
終わった、という絶望が彼らの顔に浮かぶ。
パープルは、子供たちの前で止まった。
壺の表面には目がないが、その気配は明らかに彼らを観察している。
『……あな幼き 迷い子たちよ 何ゆえに 死地の門へと 足踏み入れし』
また歌を詠んでいる。
子供たちは意味がわからず、ただ震えている。
パープルは、子供たちが握りしめている苔と、彼らの空腹の音を聞き、事情を察したらしい。
彼女は袖の中から、乾いた木の実と干し肉を取り出し、子供たちの足元へ転がした。
……ちなみに、その干し肉はゴブリンのへそくりである。
「……え?」
「くれるの?」
『去ぬがよい。ここは童の遊び場にあらず。……外には獣がおるゆえ、裏の抜け道まで案内して進ぜよう』
パープルは、子供たちを傷つけるどころか、食料を持たせ、安全なルート(ゴミ排出ダクト経由)で外へ逃がしてやった。
子供たちは何度も振り返り、壺頭の怪人に頭を下げて去っていった。
静寂が戻った入り口で、パープルが吾輩に念を送ってきた。
『主殿。……由々しき事態にございます』
――子供を入れたことか?
『いいえ。外の気配です』
パープルは、入り口の外、森の方角を指差した(指の骨が一本取れかけた)。
『森の瘴気が、異常に濃くなっておりまする。先ほどの赤熊も、本来ならばもっと奥地に生息する魔獣。それが人里近くまで降りてきている』
――なぜだ。季節の変わり目だからか?
『恐れながら……原因は、主殿にございます』
――吾輩?
『主殿がランクアップし、強大な魔力を放出するようになったことで、周辺の環境が変質しているのです。漏れ出した魔素が、森の動植物を活性化させ、魔獣を呼び寄せ、あるいは狂暴化させている』
なんと。
吾輩はただ、ここでじっとしていただけだ。
だが、強すぎるエネルギー源は、存在するだけで周囲の生態系を歪めてしまうらしい。
吾輩の放つ魔素は、森の魔物にとって極上の栄養剤であり、興奮剤なのだ。
これでは、本末転倒ではないか。
吾輩は冒険者(客)を呼び込みたい。
だが、吾輩の魔力のせいで森が危険になり、新人はおろか中堅の冒険者すら、ダンジョンに辿り着く前に撤退を余儀なくされている。
「店に行くまでの道が、店の中より危険」という、最悪の立地条件になってしまっているのだ。
事実、最近来るのは、あの「プロ三人組」のような変態的な実力者か、今日のような命知らずの子供や小動物だけだ。
一般的な顧客層が、完全に遮断されている。
これは経営危機だ。兵糧攻めだ。
――どうにかできんのか。
『対策は二つ。一つは、周辺の魔物を間引きすること』
――誰がやるんだ。
ブランカは外には行けない。ゴブリンは戦力外。スライムは森では干からびる。
ヴォルグを出せば、森ごと焼き払って「更地」にしてしまうだろう。それはそれで環境破壊で訴えられる。
『もう一つは、主殿の魔力放出を抑えること。……いわば「節電」ですな』
――節電。
簡単に言うが、吾輩は自分のスイッチの場所など知らない。
心臓を止めろと言われているようなものだ。
魔力を抑えれば、ダンジョンの機能が低下し、防衛システムも弱体化する。
吾輩は悩んだ。
入り口には、また新たな「居候」――片足を怪我した鹿が逃げ込んできている。
外からは、餌を求める魔獣たちの飢えた咆哮が聞こえる。
このままでは、吾輩は「森の奥の幻の秘境」になってしまう。
誰も辿り着けないダンジョンに、存在意義はあるのか。
いや、ない。
冒険者に踏破され、恐れられ、そして攻略されてこそ、ダンジョンの華だ。
吾輩は、重い決断を迫られていた。
自らの魔力を制御し、この「魔の森」化した環境を正常に戻す術を見つけなければならない。
だが、その方法はマニュアルには書いていない。
とりあえず、鹿には出て行ってもらおう。
フンをされると困る。
吾輩はダンジョンである。
力が強すぎるというのも、考えものだ。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」とは、どこぞのヒーローの言葉だったか。
吾輩はヒーローではないが、客商売のオーナーとして、店舗周辺の治安維持くらいは責任を持たねばならんらしい。
……さて、どうしたものか。
悩む吾輩の横で、ゴブリンが子供たちが置いていった干し肉の包み紙を拾い、匂いを嗅いでいる。
お前、それ自分がへそくりしてた肉だって気づいてないな?




