第二十一話 ダンジョンに置き去りにされた支援職と、断罪の死霊術師
人間という生き物は、どうしてこうも「美談」を好むのだろうか。
自己犠牲、友情、愛。それらが尊いものであることは否定しない。だが、世に語り継がれる英雄譚の皮を剥いでみれば、その内側には腐臭を放つ裏切りや、計算高い保身が詰まっていることが往々にしてある。
物語の消費者は、綺麗な上澄みだけを啜りたがる。だが舞台装置たる吾輩は、底に沈んだ泥の匂いまで嗅がされる。だいたい、そういう役回りである。
吾輩はダンジョンである。
あれは、ジメジメとした湿気が肌にまとわりつくような日のことだった。
吾輩の体内、第四階層での出来事である。
そこは、新任管理職であるリッチの色部パープルが管轄する「死霊エリア」だ。
薄暗い通路を、四人の冒険者が進んでいた。
先頭を歩く剣士、中衛の槍使い、後衛の魔術師。
そして最後尾に、自身の体重ほどもありそうな巨大な荷袋を背負い、息を切らしてついていく男が一人。
男の名はノグチ・エイセーというらしい。
装備は粗末な革鎧のみ。武器は護身用の短剣一本。役割は荷物持ち――それも巨大な荷袋の運搬係で、ついでに初歩の治癒魔法をかじった支援職である。
彼らは、不運にも巡回中のパープルと鉢合わせた。
その日のパープルは、何をトチ狂ったのか、頭部の代わりに「磨き上げたカボチャ」を乗せていた。
死霊のローブを纏い、カボチャ頭を揺らしながら、複数のスケルトンを従えて角から現れたその姿は、恐怖というよりは悪夢的な滑稽さを帯びていたが、実力は本物だ。
「げっ、リッチだ!」
「なんでこんな浅い階層に!?」
「逃げろ! 勝てっこねえ!」
剣士が叫び、即座に踵を返す。
彼らの判断は早かった。戦う素振りすら見せず、全力で逃走を図る。
だが、リッチの魔法射程から逃れるには、少しばかり距離が足りない。
誰かが殿を務めなければ、全滅する。
そこで、剣士と魔術師が目配せをした。醜悪な合意形成は、言葉を交わすまでもなく一瞬で完了した。人間というのは、こういう時だけ意思決定が速い。
魔術師が、逃げようとするエイセーの背中に向けて、杖を振るうのではなく、剣士が懐から取り出した小型のクロスボウを向けたのだ。
「悪いな、エイセー」
乾いた発射音。
短い矢が、エイセーの太腿に深々と突き刺さった。
「あ……ぐっ!?」
エイセーが悲鳴を上げて崩れ落ちる。
巨大な荷物が、彼の体を床に縫い付ける重石となった。
「お前が引きつけろ! その間に俺たちは逃げる!」
「荷物は置いてっていいぞ! じゃあな!」
三人は、痛みにのたうち回る仲間を振り返りもせず、風のように去っていった。
熊から逃げるには、熊より速く走る必要はない。隣の人間より速く走ればいいのだ。
古今東西、使い古された生存戦略である。
残されたのは、足から血を流すエイセーと、その光景を目の当たりにして立ち尽くすパープルだけであった。
エイセーは、迫りくる死の化身(カボチャ頭)を見上げ、震える手で短剣を構えた。
だが、その目には恐怖以上に、深い絶望と諦めが宿っていた。
怒りですらない。
まるで、こうなることを予感していたかのような、静かな哀しみだった。
パープルが動いた。
彼女は攻撃呪文を詠唱する代わりに、恭しく、そして悲しげにカボチャを揺らした。
『……あな悲し。人の世の常とはいえ、あまりに惨き仕打ちかな』
彼女の脳裏――脳はないが――に、千年前の記憶が蘇ったのだろう。
無実の罪を着せられ、信じていた者たちに見捨てられ、断頭台の露と消えた己の最期が。
彼女は、目の前の哀れな男に、かつての自分を重ねたのだ。
エイセーが気を失うのと同時に、パープルは吾輩に念を送ってきた。
『主殿。……この男、助命を嘆願いたしまする』
――ならん。
吾輩は即答した。
――ここは救護施設ではない。人間を生かしておけば、餌代がかかる。殺してスケルトンにするのが慈悲というものだ。
『ならば、我がペットとして飼いまする。餌は我が分け前を与えますゆえ』
――ペットだと? 人間をか。
『裏切られし魂の痛み、我が身に骨みるように分かりまする。……見捨てられませぬ』
パープルは頑として譲らなかった。
普段はポンコツな和歌を詠むだけの骨女だが、こういう時の湿っぽい情念は面倒だ。
吾輩としても、あの三人の逃げ足の速さと、迷いのない裏切り行為には、いささかの不快感を抱いていたところだ。
吾輩のダンジョンで、吾輩以外の者が悪意を振るうのは気に食わない。
――……わかった。好きにしろ。
――ただし、傷が癒えるまでだ。完治したら放り出せ。
かくして、裏切られた男、ノグチ・エイセーは、ダンジョンの客人となった。
さて、外の世界では、どうやら素晴らしい「美談」が完成していたらしい。
風の便り(またの名を冒険者たちの噂話)によると、事の顛末はこうだ。
命からがらギルドに戻った三人の冒険者は、傷だらけの鎧(自傷行為だろう)で、涙ながらに報告した。
「俺たちは第七階層まで進んだんだ! だが、そこで強力なリッチに遭遇して……」
「矢も尽き、魔力も尽き、もう駄目だと思ったその時、エイセーが叫んだんだ。『俺が奴を抑える、お前たちは生きろ!』って」
「あいつは……俺たちを庇って、リッチに特攻したんだ! 俺たちはあいつの犠牲を無駄にしないために、泣く泣く逃げてきたんだ!」
第七階層。
嘘をつけ。お前らが逃げたのは第四階層だ。
しかもエイセーを英雄に仕立て上げることで、自分たちの逃走を正当化し、さらに「仲間思いの悲劇のパーティ」として同情と名声を集めようという魂胆だ。
彼らは酒場で、涙を流す演技を続けているという。
「傷が癒えたら、必ずエイセーの遺品を回収しに行く」
「あいつの魂を救うまでは、俺たちの冒険は終わらない」
聞いていて反吐が出る。
吾輩の胃液が逆流しそうだ。
ダンジョンというのは、人間の汚い欲望を飲み込む場所だが、消化不良を起こすレベルの汚物はお断りしたい。
一方、当のエイセーはどうしているかというと。
『あ、そこ。もう少し右です』
第七階層、倉庫エリア。
エイセーは松葉杖をつきながら、ゴブリンに指示を出して、乱雑に積み上げられた木箱を整理していた。
彼は、驚くほど馴染んでいた。
物語ならここで、彼はダンジョンの隠しスキルを得て覚醒し、復讐の鬼となって地上へ戻るところだろう。
「力が欲しいか」と吾輩が囁き、彼が「欲しい!」と叫ぶ展開だ。
だが現実は、小説より奇でもなければ、たいてい小説より地味である。
エイセーには、そういう意味での才能がなかった。
魔力はスライム並み、腕力はゴブリン以下。
彼にあるのは、「整理整頓のスキル」と「他人の顔色を伺う処世術」、そして「底なしのお人好し精神」だけだった。
彼は、復讐を口にしなかった。
「……まあ、しょうがないですよ。僕、足手まといでしたし」
彼は寂しげに笑って、そう言った。
「あそこで僕を撃たなかったら、全滅してたかもしれない。彼らの判断は、合理的です」
合理的。
その言葉で自分を納得させ、心を殺している。
それが、弱者が生きるための唯一の知恵なのだろう。
彼は、傷が癒えてきても、出て行こうとしなかった。
今戻れば、彼は「死んだはずの男」だ。
英雄譚に泥を塗る存在として、口封じに殺されるか、あるいは嘘つき呼ばわりされて居場所を失うか。
ろくなことにならない。
だから彼は、ここで働くことを選んだ。
倉庫の在庫管理をし、子狼たちのブラッシングをし(二匹の子狼は彼に懐き、腹を見せて甘えている)、パープルの頭蓋骨コレクションを磨く。
彼は、人間社会よりも、この魔物の巣窟の方が「居心地が良い」と感じてしまったのだ。
『主殿……』
パープルが、またしても湿っぽい念を送ってきた。
彼女は、エイセーが甲斐甲斐しく働く姿を見るたびに、涙を流しそうになる(涙腺はないが)。
『あまりに不憫なり。悪しき者どもが栄え、善き者が闇に隠れる。これでは理が通りませぬ』
――だからどうしろと言うのだ。吾輩に裁けと言うのか。
『彼に力を。……あの三人に、天罰を与える力を』
――無理だ。
――彼に戦闘の才能はない。今から鍛えても、あの三人に勝てるようになるには十年はかかる。
――それに、吾輩は「復讐代行業者」ではない。
だが。
吾輩とて、あの三人の嘘がまかり通っている現状は面白くない。「第七階層のリッチと戦った」という嘘は、間接的に吾輩のダンジョンの評価を歪める。
「あそこのリッチは第七階層に出る」と誤情報が広まれば、第四階層で油断した冒険者が死にまくる。それはそれで稼ぎにはなるが、情報の正確性を欠くのは管理職として美学に反する。
何とかできないか。
力を使わず、魔法も使わず、あの三人を社会的に抹殺し、エイセーの汚名をそそぐ方法。
吾輩は、記憶の倉庫を検索した。
ある。
とっておきのアイテムが。
以前、あの「迷惑系配信者勇者」レオが、BANされたショックで忘れていった「記録結晶」だ。
あれは、周囲の映像と音声を記録し、再生する魔道具だ。配信機能は停止しているが、録画機能は生きている。
吾輩は、ダンジョン特権を行使した。
吾輩の「記憶」――監視の目が見たもの――を、結晶へ写し取る。
対象は、「第四階層での裏切りの瞬間」。
画角はバッチリだ。
エイセーの足に矢を撃ち込む瞬間、嘲笑う三人の顔、そして逃げていく後ろ姿。
音声もクリアに入っている。「荷物は置いてっていいぞ」という薄情な台詞まで。
編集完了。
あとは、これを「誰に」届けさせるかだ。
エイセーに持たせても、揉み消される可能性がある。第三者が発見し、公的な場で再生される必要がある。
適任者がいた。
あの「プロ三人組」だ。
彼らは近々、また潜りに来るはずだ。彼らの正義感と、ギルドへの影響力なら申し分ない。
数日後。
予想通り、プロ三人組がやってきた。
騎士、女戦士、魔術師。彼らは慎重に第四階層を進んでいた。
「……ここだな。噂の『エイセー事件』の現場は」
騎士が呟く。
「噂では第七階層だが、目撃情報と痕跡はこの辺りだ。妙だな」
鋭い。さすがプロだ。
吾輩は、彼らの進路上の宝箱に、例の結晶をそっと配置した。
罠はない。鍵もかけていない。
「どうぞ持っていってください」という、吾輩からのプレゼントだ。
「宝箱だ」
「罠チェック……なし。開けるわよ」
女戦士が蓋を開ける。
中には、淡く光る結晶が一つ。
「これは……記録結晶か? 勇者レオが持っていた型に似ているが」
魔術師が手に取り、魔力を流す。
空中に、ホログラム映像が投影された。
映し出される、残酷な真実。
仲間を撃ち、嘲笑い、見捨てる三人の姿。
「……ッ!」
騎士が絶句した。
「なんてことだ。これが『美談』の正体か」
「クズね。……最低のクズだわ」
女戦士が吐き捨てるように言う。
魔術師が静かに結晶を懐にしまった。
「これはギルドに持ち帰る。動かぬ証拠だ。奴らの冒険者生命は、これで終わる」
計画通りだ。
吾輩は、天井裏でほくそ笑んだ。
そして、彼らはさらに奥へと進み、第七階層の倉庫前までやってきた。
そこで彼らが見たのは、ゴブリンと一緒に木箱を運び、子狼に顔を舐められている、死んだはずの男の姿だった。
「……エイセー?」
騎士が声をかける。
エイセーは驚いて振り返り、そして気まずそうに頭を掻いた。
「あ、どうも。……生きてます」
復讐の鬼でもなく、アンデッドでもなく、ただの元気な倉庫番として。
プロの三人は、拍子抜けしたような、しかし安堵したような顔を見合わせた。
「お前、ここで何を……いや、今はいい。帰ろう。街へ」
「俺たちが証人になる。奴らは裁かれる。お前が隠れる必要はない」
エイセーは迷ったように視線を彷徨わせた。
視線の先には、物陰から心配そうに見つめるパープル(今日の頭はヴォルグの鱗兜)と、寂しそうに鳴く子狼たちがいた。
「……でも、仕事が途中ですし」
「馬鹿野郎! ここは魔窟だぞ!」
女戦士に背中を叩かれ、エイセーは苦笑いした。
結局、彼は連れ戻されることになった。
別れ際、彼はダンジョンの奥に向かって、深々と一礼した。
「ありがとうございました。……皆さん、お元気で」
誰に言ったのか。
パープルにか、子狼にか、あるいは吾輩にか。
パープルが、鱗の兜の下からすすり泣くような音をさせた。
『あな寂し 去りゆく背中 見送れば 倉庫の隅に 風ぞ吹きける』
――下手な歌を詠むな。
――せいせいしたわい。餌代も手間も減った。
吾輩はそう言いながら、彼が無事に帰れるよう、帰路のスライムたちを全員退避させてやった。
後日談である。
ギルドで再生された映像は、街中を震撼させた。
「美談の英雄」たちは、一転して「希代の詐欺師」「殺人未遂犯」として弾劾された。
彼らは冒険者資格を剥奪され、鉱山での十年間の強制労働刑に処されたという。
一生、暗い穴の中で石を掘り続けるのだ。
奇しくも、彼らが嘘の舞台にしたダンジョンと同じような場所で。
エイセーは、街の運送屋に就職したらしい。
「荷造りの手際が異常に良い」「なぜか猛犬に好かれる」と評判だとか。
吾輩のダンジョンは、また少し静かになった。
倉庫は綺麗に整頓されたままだ。
ゴブリンが、エイセーが残していったメモ(在庫リスト)を見ながら、真面目に仕事をしている。
吾輩はダンジョンである。
人間の中にも、稀に「捨てたもんじゃない」奴がいる。
それを知れただけでも、今回の件は無駄ではなかったかもしれない。
……まあ、あいつが磨いてくれたせいで、パープルの頭蓋骨コレクションがピカピカすぎて、暗闇で目立って仕方がないのだが。




